4-3. とある研究室で

 魔界三国エリュシオン──空間魔術研究所の最奥。

 窓が埋め尽くされるほどに積み重なる大量の本と、歩く度に舞い上がる埃の中、一人。

 初老の男が煌々と灯るランプの明かりを頼りに、本を捲っていた。

 年季の入った本だ。文字のびっしりと詰まったページの余白には、所狭しと手書きの文字が書き添えられ、白という存在を否定するかのようだった。

「ふむ、なるほど? そうか、そうかね。お主もそう思うかのう」

 男は活字に相槌を打ちながら、ページを捲る。しゃく、とすっかり嗄れた指が擦れ、なんとも心地良い音を立てる。

 不意に大きな鷲鼻にかかる丸い小さな眼鏡が、ずり落ちた。

 男はやれやれとページを捲っていた指を眼鏡に添え、ついでに視線を上げる。

「全く全く、実に愉快じゃ。まさか現物をこの目で見る日が来ようとは」

 視線の先には、黒い宝石のはめ込まれたバングルがあった。彼はそれを手に取ると、おもむろに目の前で翳してはうっとりと眺める。

「いやはやいやはや、あやつも相変わらずじゃのう。長生きはするもんじゃ。これほど愉快なこともなかろうて」

 ぱたりと片手で本を閉じ机に投げ置くと、軽く埃が舞った。男は身を乗り出し、奥にある紙の束に手を伸ばす。

『空間魔法を利用した物理的接続の手法について』

 一度バングルを机に置き、彼はそう書かれた論文に目を通す。


 一、 空間魔法は、疑似空間を魔力により形成し、新たな空間を創造することが可能である。

 一、 疑似空間は繋ぎ合わせることが可能である。


 ──以上の理論を用いると、疑似空間を通して物の運搬が可能となる。これは、技術的な革新であり、物流の革命となる発見であろう。


 一通り目を通し終え、やれやれと首を振る。

「この頃はまだ可愛いもんだったかもしれんのう。じゃが」

 ばさりと、紙の束が室内に舞い散った。何百枚にも渡る紙ははらはらと床へと落ちていき、最後の一枚がちょうど男の靴の上へ乗った。

 男は立ち上がるとそれを拾い上げ、くつくつと笑う。

「相変わらず愚かな男じゃ。遠回りがすぎるのう」

 紙を机に置き、代わりにラクーナから届いた手紙とバングルを手に取ると、彼は論文の表紙であろうそれを一瞥してから部屋を出て行った。

『空間魔法を利用した物理的接続の手法について』

 残された燈火に照らされた論文にはこう書いてあった。

 リーベ・マリス、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る