4-2. 情報漏洩

「ランスロットさん、敵のこと逃がしちゃったんです……」

 そんな報告を受けたのは、ルクレツィアが来てまだ間もない頃だ。

 フォッグ。テオドールではラグナに次ぐ若いメンバーの一人で、彼の喉は炎を吐けるように改造されている。

 アッシュが指揮権を外されてから、対裏商人の戦闘メンバーとして駆り出されることが増えた彼は、こうして自主的にアッシュへ状況の報告を行っていた。

 敵を逃がす、味方のケガを避けるあまり時間がかかる、果ては敵の手当てをするなど、聞いていて頭の痛い報告ばかりで、その度にアッシュは顔を引きつらせる羽目となった。

 アーサーやトールとトゥーラ、フォッグのように、ランスロットの指揮に不安を抱いているメンバーは決して少なくない。それを確信するに至ったのは比較的最近のことで、もちろんアッシュの自尊心を守るに足る事実ではあったが、聞こえてくるランスロットの行動は同時にテオドールの行く末に影を落とした。

 優しいと言えば聞こえはいいが、彼の場合は甘いという方が適切であろうとアッシュは思う。せめて頭が回るのであればまだマシであるが、残念ながら彼は頭も悪い。

 アッシュは先日結びつけた線と、ランスロットの行動を少しずつ重ね合わせながら、考え得る事態を全て洗い出していた。

 イーリスが今のところランスロットから指揮権を外す気がない以上、できる手はこっそりとでも打っておかねばならない。

 アッシュは一通り頭の中で状況をまとめ終えると、書庫から食堂へと向かった。何やら国軍がまた動き始めたらしく、その件について重要な話があるとのことだ。

 再度イミタツィオとぶつかったのか、はたまたテオドールへの嫌疑を強めたのか。どちらにせよあまりプラスの話は期待できないだろうと考えながら階段を降りる。すると、食堂から楽しそうな声が響いた。食事の関係でここ最近ではあまり見られなかった歓声だ。

 一体何があったのかと不思議に思いながら扉を開き、アッシュは次の瞬間──真顔になった。



「なんでお前がここにいるんだよ!」

 食堂に入って第一声。

 アッシュが不快感を顕わにしたのは、褐色巨躯の傭兵──グリズラだった。彼は何故か肩にルクレツィアを乗せ、イーリスを始めテオドールのメンバーに囲まれている。

 てっきり雇い主であるゼランが来ているのかと思えば、その様子もない。

 アッシュはかんかんと靴の底を踏み鳴らしながら近づくと、遥か上にある彼の頭を睨みつける。

「何してるんだよ!」

「肩車です」

 ひょいとルクレツィアがグリズラの肩の上から顔を出した。

「お前じゃない!」

「アッシュ! 見ろ! 飯だ!」

 アーサーが、後ろから高々と皿に乗ったオムライスを掲げる。

「お前でもない!」

「あっしゅ、どーなつ、たべる?」

「なんでそうなるんだよ! お前も違うからな、ルーヴ!」

「あたしまだ何も言ってないし!」

 本気なのか冗談なのかわからない周囲に一息でツッコミを入れ、アッシュがぜえはあと肩で息をする。リチュエルがそっと水を差し出し、小休憩──とはならず。

「お前だよ、お前! バーサーカー!」

 コップを一気に空にして、アッシュは思い切り困り顔の大男を指さした。リチュエルがそっとその指を下ろす。

 グリズラはまず先にルクレツィアを肩から降ろすと腰を落とし、口を開いた。

「しばらく、テオドールにいることになった」

「なんだって?」

 地上と魔界がひっくり返ったようだった。

 あまりのことにアッシュが二の句を継げずにいると、奥に座っていたイーリスがとんと軽く曲刀をつく。

「早い話がテオドールのお目付け役ってやつさ」

「意味が分かりません、監視目的ならなおさらこいつが来る意味がないじゃないですか」

 この大男──グリズラの雇い主兼友人であるゼランは、アレスター商会元締めであると同時に国の財政を預かる官僚である。そして、グリズラはあくまでアレスター商会が雇った傭兵であり、国に雇われているわけではない。

 その為、国がテオドールの監視目的で配備したのであれば、人員選択としては明らかにルールを逸脱しているし、もしこの指示を下したのがゼラン・アレスターなのであれば、ただでさえ経済制裁を行なわざるを得ない状況まで追い詰められている中、自殺行為にも等しい。

 アッシュが意味がわからないと呟くと、グリズラが一度イーリスと目を合わせ、再度口を開いた。

「信じられないかもしれないが、これは、国の決定なんだ」

「本気で言ってるの?」

「あぁ。……こうは言ってはなんだが、たとえ大役であるとわかっていたとしても、テオドールの監視を引き受けたがる兵がいないそうだ」

「よほどアタシらが怖いらしいね。まあ、一番の理由は、ヴィスレイド・アルベインのような男ならともかく、そこら辺の兵じゃあ、アタシらが何かやった時に対処できないからってぇ理由らしい。アンタも難儀な役を引き受けちまったもんだね」

 イーリスが肩を竦めた。

「そこで、テオドールに対抗しうる戦力であり。……消えても問題ない存在として、俺が引き受けることになった」

 改造済みに対抗するならば、改造済みといったところだろう。

確かに、このグリズラという男の戦力は、果たしてテオドールを束にして敵うかどうか。彼の持つ狂人化はそれほどまでに恐ろしい能力である。

 加えて、彼の存在を疎ましく思っている者も少なくない。

 彼もまたテオドールと同じ改造済みの存在であり、とりわけ、ゼラン・アレスターを引きずり下ろしたい者にとっては邪魔な存在である。テオドールのついでにこの男を消せればという考えを持つ者も少なからずいるだろう。

「まぁまぁアッシュいいじゃん。ほら、見ろよ、これ」

 眉間に皺を寄せるアッシュの背を、アーサーが叩いた。彼の指す先には、大量の食糧が山積みにされている。

「グリズラさんの食糧、という名目で持ってきてくださったんですよ。これならしばらく食事には困らなそうです」

 ね、とリチュエルがアッシュを宥めようとするが、アッシュの表情は不機嫌なままだ。

「俺は認めないからな、バーサーカー」

 国の決定となればここで彼を追い出せば更なる問題になる。

 出て行けという言葉をぐっと抑え、アッシュは吐き捨てるようにそう言った。

「いいじゃないですか、アッシュさん。ツィアさんも肩車してもらえて嬉しそうですし」

「肩車くらい俺もできる!」

 反射的に返したアッシュだったが、彼はその晩、一時間に渡り肩車をする羽目になり盛大に後悔するのであった。



 久々に豪勢な朝食を終えたアッシュは、準備もそこそこにグルッグ通りを漕ぎ進んでいた。

 こうして一人で街を歩くのは、ソリテールと再会したあの日以来か。

 商隊の襲撃事件がいまだ解決していないにもかかわらず、街の活気は変わらずだ。

 物入りは少なくなっているものの、生活に大きな影響を与えるほどの頻度ではない為だろう。幸いにもここには、無数の取引ルートと商人達が存在するのだ。

 マーケットを過ぎパブロフ通りに入ると、急激に喧騒は遠のいていく。

 アッシュは騒がしさから背を向けて、真っ直ぐに青い屋根の宿へと向かった。

 路地からちょうど十件目──宿屋ミスルトー。二階建てのこじんまりとした宿屋ではあるが、食事が美味いと評判で、今まで一度も客足が途絶えたことはない。

「……休店?」

 その宿の目の前に立って、アッシュは思わず怪訝そうに呟いた。掃除の行き届いた木の扉には、休店中と書かれた札がかけられている。

 ──休店するなんて聞いていない。

 慌てて扉を開く。

 きいという軋みの後、アッシュを出迎えたのは静寂だった。

 いつもならこの時間にはどたんばたんと片付けの音が響いているはずの宿が、今日はまるでの廃屋のようだ。

「待ってたで、アッシュはん」

 入り口からちょうど死角になる位置から、ポポロが姿を見せた。彼女はいつもの騒がしさの欠片もない疲弊しきった顔で、アッシュに座るよう促す。

 食事用のスペースに二人が対面に腰を掛けると、奥からゾーイが珈琲を持ってやって来た。彼は珈琲をテーブルに置くと、二人と同じテーブルにつく。

「それで、なんの用? わざわざ一人で来いなんて指定して」

 何かあったであろう事は、この宿の状況と二人の顔を見れば聞くまでもなかった。 問題は中身だ。

 ポポロもゾーイもアーヴァインと並び、テオドールの情報収集の最前線にいる二人である。その二人がわざわざ自分を呼ぶということは、相応の事態ということだ。

 ポポロは何度かゾーイと目配せで会話をしてから、心底疲れきった顔で口を開いた。

「……うちの情報が、漏れてるかもしれへん」

 アッシュがぴくりと腕を組んだまま視線を動かした。

「ここ最近、変な客が来るんよ。パンの販売時間になるとその辺りに入ってきて、何するでもなくじーっとしてて」

 ポポロが入口付近の角を指す。

「紺色のローブ羽織った茶髪の男や。髪は長くて、なんやえらい目立つ刻印してたなぁ」

「目立つ刻印?」

「せや。右半分にびっしり。……呪いみたいで気持ち悪かったわ」

 しっしっと追い返す仕草をすると、ポポロはべえっと舌を出した。

「話しかけたりはしなかったわけ?」

「パンの販売時間やからね、うちらも手が空いてへんねん。隙みてゾイちゃんが裏から出てきた時にはもうおらんくて」

「ふぅん」

 アッシュはカップに口をつける。

 リチュエルの淹れたものと比べると香りが足りないな──そんなことをぼんやりと考えながら、情報経路について頭を巡らせる。

 しばしの間。そして、珈琲色のため息を一つ。

 たどり着いた結論にうめき声を上げて、

「ねぇ、最近ランスロット見てない?」

 アッシュは、唐突にそう聞いた。

「は? ランスロットはん?」

 ポポロが素っ頓狂な声をあげた。

「見てへんけど……なぁ、ゾイちゃん」

「……」

 ゾーイも無言で首肯し、二人は揃ってアッシュを見つめる。

「屋敷でもここ数日誰も見てないんだよね。アーヴァインが見たのが最後で三日前」

 アッシュがテーブルに肘をつき、組んだ手の甲に額を乗せ、そして下を向いたまま首を振った。

「多分漏らしたのランスロットだ。……あいつ、余計なことしてなきゃいいんだけど」



 アッシュの予想は思ったよりも遥かに早く的中した。

 屋敷に戻ったアッシュを迎えたのは、イーリスの前に座するランスロットだった。

 彼は申し訳なさそうな顔でじっと下を向き、時折ちらりと顔を伺うように視線を上げては、すぐに目を伏せる。

 真向かいに座ったイーリスは、眉間にシワを寄せたまま言葉を選んでいるようだった。

 リチュエルから大方のことを聞いた後、部屋にやってきたアッシュは、二人の顔が見えるようにテーブルの横に立つと、大きなため息と共に首を振る。

 そして、一度イーリスと目を合わせてから口を開いた。

「お前、馬鹿じゃないの?」

 ランスロットが顔を上げた。

「まさか、あんなことして気づかれないと思ってた? 本気で?」

 姿を消していた数日。

 ランスロットは、あろうことか総指揮官ヴィスレイド・アルベイン率いる国軍の野盗討伐軍に混じっていた。無論、誰にも言わず、誰の許可も取らず、だ。

 本人曰く変装をしていたらしいが、二メートルを超える図体に鋼の身体だ。周囲が気づかないはずがない。

「お前バカじゃないの? バレたらテオドールが奇襲かけようとしていたと思われる可能性考えなかったわけ?」

 幸いにも最初にランスロットに気がついたのはヴィスレイドその人だった。

 ヴィスレイドが機転を利かせて帰るよう指示してくれたおかげで、行軍の途中でこうして無事帰ってくることができたのであるが。

 ランスロットが立ち上がる。

「しかし! アーサーに二度怪我させるわけには」

「相手は魔法使うんだぞ! お前の身体は万能じゃないし、そもそも自分の背格好考えろよ! 今回は運が良かっただけだからな!」

「じゃあ、俺は! どうしたらよかったんだ!」

「他にもやり方があるだろ!」

 二人が向かい合ったまま膠着する。

 ランスロットも自分が悪いことをわかっているのか、それ以上は食いついてはこない。

 イーリスが甘い煙を吐いた。

「アッシュ、そこんとこでやめといてやんな。ランスロットなりに考えた結果なんだろう?」

 立ち昇った煙は天井で燻り、広がっていく。

 アッシュが、蜂蜜色の瞳をきゅっと凍らせた。

「ボスはこいつに甘すぎます! 今回の件、アーサーの時より質が悪い。見つかったら国軍はテオドールに対して覆しようのない疑いを持つことになったかもしれないんですよ!」

 今回は運が良かっただけであると付け加えて、アッシュは訴える。

 イーリスは手に持っていたタバコを灰皿で捻り火を消すと、いきり立つアッシュを一瞥した。

「そんなことわかってるよ。だけど、これ以上責める意味はないはないって言ってんだよ」

 ランスロットがソファに座り、再度顔を伏せた。スプリングがぎいと沈みこむ。

「……ボスがそう言うなら。でも、ボス。このままコイツに任せ続けたらいつまでも解決しません。俺に指揮権戻してください」

 ぎゅっと膝の上で手を握ったランスロットを横目で見ながら、アッシュは続ける。

「ミスルトーの情報が敵に漏れています。どこかの馬鹿が、敵にミスルトーのこと喋ったみたいで」

 ランスロットが、既に青い顔を更にさあっと青ざめさせた。アッシュはいつもより鈍く見える鋼の輝きから目を離さず続ける。

「ミスルトーとサイファーに手を出されたら、いよいよテオドールはこの街での居場所を失います。これ以上の猶予はありません」

 これは我儘ではない。嫉妬でもない。紛れもない事実であり、必要なことである。

そう確信し、アッシュはイーリスを見つめた。

「ボス、これはテオドールを守るためです。お願いします、俺に指揮権を戻してください」

 アッシュの懇願は煙をまとい、そして。

 イーリスが静かに息をついた。まとった煙は霧散して、香りだけを残して消えていく。

「わかったよ、アッシュ。アンタがこの件、解決して見せな」

「ボス!」

「でも」

 安心したのもつかの間。イーリスは下を向いたままのランスロットに視線を動かす。

「最後に一回だけチャンスをやっちゃくれないかい? 失敗したままじゃあ可哀想じゃないか」

 ランスロットが、恐る恐る伏し目がちに顔を上げる。視線だけをアッシュとイーリスとの間で動かし、アッシュの返事を黙って待っているようだった。

 ランスロットのことはよく知っているつもりだ。テオドールの中ではイーリスを除けば一番付き合いが長く、年も近い為に行動を共にする機会も多かった。

 だからこそ、彼に任せるのがどれほど危ういことなのか理解していた。同時に、ここで放り投げる危険性も。

 アッシュはしばらく考えた後、ため息まじりに口を開いた。

「……一回だけなら。でも、条件付けさせてください。一人で勝手に考えて行動しないこと。必ず事を起こす前に相談すること。これが守れないならチャンスを与える意味がありません」

 せめて相談があれば、彼が何か過ちを犯そうとしていても修正ができる。イーリスとランスロットの意志を最大限守った上でのアッシュなりの保険だった。

「わかった。そうしようじゃあないか。……ランスロット、いいね?」

 イーリスも特に異議を唱えず、ランスロットに答えを促す。

「ありがとう、ございます」

 震えた声でそう答えたランスロットは、アッシュが部屋を後にするまで顔を上げなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る