3-6. 点結び

「なんで逃げないんだよ!」

 完全に気配が消え去ったことを確認した後、アッシュはパンを拾いながらそう投げかけた。

「だって、わたし、なにも言われて──」

「言われなくても逃げるの! そんなことまで指示待ってたら死ぬだろ!」

「でも、だめだって、言われなきゃ……!」

 これは指示の内には入らないのかとアッシュは頭を振ってから、ルクレツィアの前に膝をついた。涙目でそう訴える彼女は、小刻みに身体を震わせている。

 アッシュは一度深呼吸してルクレツィアの涙を拭うと、薄い紅色の瞳を見つめて言った。

「ツィア、俺の言葉をよく聞いて」

 初めて呼ぶ少女の名前がうまく舌の上を転がらず、しばらく咀嚼してから、

「お前がやりたいと思うこと、そうありたいと思うことは、我慢しなくていい。誰の指示も必要ない。お前は生きたいように生きていいんだ」

「わたしの、生きたいように……」

 一字一句、まるで自分自身に言い聞かせるように。アッシュは静かに告げる。少しずつ、凍り付いていた蜂蜜が溶けていく。

 ルクレツィアは、アッシュの手に小さな自分の手を重ね、目を閉じたまま大きく息を吸った。そして、ゆっくりと目を開け言った。

「難しい、です」

 アッシュは何も言わず次の言葉を待った。

「でも、わたしも、そうしてみたい、です」

 それは、少女の精いっぱいだった。

「うん、そうして」

 その精いっぱいを受け止めて、アッシュはいつになく優しく蜂蜜色をとろけさせた。

 ルクレツィアの手を身体の横へと返し、手袋をはめなおす。

 石畳の上にはすっかり冷たくなってしまったパンが落ちている。アッシュはその一つを拾い上げると、まだ若干困惑気味の少女に向かって言った。

「拾うの、手伝って」

 ルクレツィアがパッと顔を輝かせ、はいと大きく頷く。

 紙袋は先程の戦闘で使いものにはならない為、仕方なくアッシュは自分のジャケットを脱いでそこにパンを並べていく。

 一つ、二つ、三つ……そう時間もかからず全てを拾い終え、アッシュがジャケットごと持ち上げたちょうどその時。

「アッシュさん、大変っす!」

 アーヴァインが、慌てた形相で二人の元へとやって来た。息を切らしたアーヴァインは、ぜえはあと肩を上下させ、落ち着く間もなく言葉を発する。

「アーサーさんが! 急いで、屋敷へ!」

 アッシュはルクレツィアの手を取ると、考えるよりも先に駆けだした。



 戻ってきたアッシュ達を出迎えたのは、リチュエルにより包帯をぐるぐる巻きにされたアーサーだった。リチュエルの過剰包装分を除いても巻いている箇所が多く、それなりに大きな被害があったことが伺える。

「んもー、大変だったのよ、本気で」

 ランスロットとルーヴ、ラグナに囲まれたままアーサーが訴えるように視線を上げた。

 とりあえず命に別状はないことに胸を撫でおろし、アッシュが尋ねる。

「見つかったの?」

「なんかね、耳がいい奴いてさ。魔法思いっきり撃たれた。んで、逃げようとしたら、例のノワールがいて……」

 アーサーが襲撃に出くわしたのは、国軍が去った後だった。ヴィスレイドと一戦を交えたらしいノワールの男の後をつけていたところ、背後から魔法を撃たれたそうだ。無論、アーサーは自らの姿を消していた為、通常であればまず見つかることはない。

「聞こえるって言われてよー。俺よりちっせぇ、こんくらいの奴」

 そう言いながら、自分より十センチくらい下のラインに手を伏せて見せる。

「だから一人で行くのは無謀だって言ったんだよ。敵の戦力もわからないのに」

「決めたの俺じゃねぇもん」

 その場にいた全員が、ランスロットの方を向いた。

「それ、は」

 今回アーサーが単独で偵察に向かうよう指示をしたのは、他ならぬランスロットだ。アーサーのケガについての責任も彼にあると言っても過言ではない。

 ランスロットが言葉を発せずにいると、文句言いながらもけらけらと笑っていたアーサーが、声のトーンを一つ落とし鋭い視線を向けた。

「二度はゴメンだぜ、ランスロット」

 普段向け慣れていない底冷えするような声音に、ランスロットが震えながら拳を握る。

「……すまん、アーサー」

 空気が一段重く、室内に落ちていく。

 さすがのルーヴも、今回の件についてはフォローできないと、バツが悪そうに目を反らす。

 ラグナがおろおろと全員の顔を見回しては、困ったようにあう、と溢した。

 空気が膠着し、誰もが言葉を躊躇う中、それを吹き飛ばしたのは他ならぬアーサー本人だった。

「なーんて、それは一回置いといて。なー、腹減った! オムライス食いてぇ、オムライス!」

 アーサーがいつも通り明るい声でメシだと訴えると、ほっとルーヴ達が息をつく。

すると、リチュエルが申し訳なさそうに手を上げた。

「たまご、切らしてるんです……」

「まじかよ……」

 そうがっくりと項垂れた後、部屋にはアーサーの腹の音だけが鳴り響くのであった。



 深夜。すっかり皆も寝静まった頃、アッシュは一人書庫にいた。

 小さな魔鉱石による灯を頼りに文字を追い、ページを捲る度に紙がしゃく、と音を立てる。

 他者に明かりを配慮せずとも、こうして本を読めることがなんと素晴らしいことか。イーリスからこの書庫をもらった時も、そのことについて一人で噛み締めていたことを思い出す。

 アッシュは切りのいいところまで読み進めると、おもむろに本を閉じた。そして、静かに前方の扉を向き、口を開く。

「入るなって、言ってたと思うんだけど」

 そこには誰もいない。しかし、彼の視線は確実に何者かを捉えていた。

「入るくらい許してくれって。情報持って来たんだからさ」

 突如、書庫に明るい少年の声が響く。すると、間もなくドアの前に黄色いひまわりが咲いた。

 あの後、包帯は別のメンバーに巻きなおしてもらったのか、過剰包装がなくなっている。

「で? わざわざ入ってくるだけの価値あるんだろうね?」

 アッシュは本を棚に戻し、改めて読書用に置いてある自分の椅子に腰を掛けた。

「そりゃそうよ。こんな痛い思いだけしてただで帰ってくんのは性に合わねぇもん。──これ」

 そう言ってアーサーが取り出したのは、黒い宝石のついたバングルだった。以前、イミタツィオの傭兵と相対した時に拾ったものだ。

「今回俺を襲ってきたおチビさん、こうもりだった」

「こうもり?」

 アーサーはそれを指で回しながら、にやりと笑う。

「そ。黒い炎みたいなコウモリ。なーんか、ピンとこねぇ?」

 アッシュがバングルを受け取り、じっと眺める。黒い宝石はよく見ると内側で魔力が燻っており、ただの装飾品ではないことは明らかだった。

「さっき、ツィアが襲われた」

 少しの間考えて、アッシュが口を開いた。

「へぇ?」

「羽根だったんだよね。黒い。影みたいな炎みたいな。……それで?」

「うん、なんか予測当たってそうね。これ、多分武器だわ。しかも、物凄く頭のいい奴が作った」

 だとすればとんでもない武器であるとアッシュは、手元を見ながら思う。

 二度、同じ原理であろう武器と相対したが、どちらも消滅をさせた限り剣や槍のような武器ではなく魔力そのものだ。

 ──魔族で魔法を使えるのは、選ばれし者だけだ。

 もちろん、今となっては言うほど珍しいものではないと理解しているが、それでも珍しいという事実には変わりはない。その魔族が――どういう原理かは知らないが――これを使えば魔法を使うことができる。それのどれほど恐ろしいことか。

 同時にアッシュは、頭の中で線を繋いでいた。材料が増え、点が一つ一つ確実につながっていく。

「んで、どうしますかね、リーダー?」

 アーサーがもう一度、にやりと笑う。

「お前のリーダーはランスロットじゃないの?」

「ヤダよあいつがリーダーなんて。向いてねぇし、またこんなんゴメンだわ」

 アッシュの嫌味に、アーサーが思い切り口の端を引っ張り下ろす。

「……頭使うのには向いてないからね、アイツ」

「んまぁ、適材適所って言うし」

 しばしの、間。

「で?」

 アーサーが、本棚を指でこつりと叩いた。

 点と点の間に線を引き終えたアッシュは、アーサーにバングルを差し出し言った。

「アーサー、頼みがある」

「お任せ有れ、次期ボス」

 バングルを受け取り、アーサーがニッと歯を見せて笑った。

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