3-5. 変化

「ちょっと敵情視察行ってくるわ」

 そう言って、アーサーが屋敷を飛び出してから一週間が経過した。

 アーサーは戦えない。能力的なものはもちろんあるが、それ以上に彼は過去虐待を受けていたことが原因で極端に痛みを恐れる。最近はだいぶ囮役などを引き受けてはくれるようになったが、その場合は必ず誰かと組み合わせるよう注意を払っていたつもりだ。

 だからそれを聞いたとき、単独で敵情視察──しかも、能力すら未知数な相手──に向かうなんて正気の沙汰ではないと思った。

「俺も行きたかねーけど、現リーダーの指示なんで」

 そう苦笑するアーサーは、やれやれと呆れ気味だった。

 先日、国軍も動いたと聞いたし、姿を消せることを考えれば少しは安全ではあろうが、それでも万が一と言うことはある。

 一体ランスロットは何を考えているのだ。

 そう思いはすれど、現にいま自分には指揮権がなく、口を出したところで喧嘩になるだけだろう。

 さて、そんな一握の不安ともどかしさを抱えたままアッシュは今何をしているかというと──なぜか、アクセサリーを作っていた。

 正確にはアクセサリーを作っているルクレツィアの面倒を見ているだけなのだが、気付けばリチュエルに促され、ブレスレットを数本作らされている。

 四本目のブレスレットのゴムをくくり、アッシュはちらりと正面に座る少女を見た。

 少女は今日も白い髪を三つ編みにし、──前よりさらに上手くなった──、リチュエルに選んでもらったワンピースを着ている。

 彼女は真剣な表情で一つ一つビーズを紐に通しているが、やはり自分でビーズを選ぼうとはしない。リチュエルが選んだものを、順に言われた通りに通していく。

 こんな小さなことまで自分では考えられないのか。

 漠然と彼女の置かれていた環境は理解している。しかし、今自分の置かれている立場は、彼女の存在が作り出したものだ。

 朝の時間も、指揮権も、全部こいつのせいで──。

 アッシュが一人そんなことを考えていると、ふとルクレツィアが手を止めた。しばらくの間、ビーズを前に手を止め、何やら考え込んでいる。

「どうかしましたか?」

 リチュエルが彼女の様子を不思議に思って声をかけた。

 すると、ルクレツィアはアッシュとリチュエルの顔を交互に見つめながら、恐る恐る並べられたものとは違う色のビーズを指差す。

「あの、……こっちの、入れてもいいですか?」

 彼女が差したのは、甘い蜂蜜色をした一回り大きなビーズだった。

「もちろん。好きなの選んで良いんですよ」

 リチュエルがほのかに微笑み、やや緊張した顔のルクレツィアへとビーズを手渡す。

「好きなの、選んで、いいんですか」

「はい、好きなのどれでも!」

「じゃあ、これと、これ……」

 ぱあと、少女の顔が輝いた。

 ほっとしたような嬉しそうな、そんな笑みを浮かべ、少女は次々とビーズを選んでいく。

 紅茶色、蜂蜜色、それとピンク。

 彼女は丁寧に自分自身で選んだビーズを円形に並べた。一番大きな蜂蜜色を中央に、隣には一回り小さなピンク色、そして残りは透き通った紅茶色だ。

「ツィアさんお目が高いですね。私も、その色大好きですよ」

 ルクレツィアが一生懸命ビーズを通すルクレツィアの隣で頬杖をついて微笑した。

「わたしも、好きになりました」

「ややっ! これはもしや、ライバルの出現というやつでしょうか!」

「何話してんの……」

 にこにこ楽しそうな二人を正面にアッシュが呆れていると、先程から少し離れたテーブルからこちらを見ていたラグナがそわそわしながら近寄って来る。

「あのね、つぃあ」

 自分の刃が小さな少女を傷つけないようにと、彼は席を一つだけ離して座る。

「おれも、つくってみたいの」

 ツィアの手にあるブレスレットをそうっと指差し、ラグナはルクレツィアの顔を伺った。

 リチュエルが首を傾げる。

「ラグナさんもですか?」

「うん、ぷれぜんと、したいの。きれいなむらさきで、おはなみたいなのがいいな」

「おはなみたいなの……」

 ルクレツィアがたくさんあるビーズを見ながら、目を瞬かせてうーんと唸った。どうやら、彼女なりに『お花みたい』に思案を巡らせているらしい。

 リチュエルは、ルクレツィアとビーズを視線で行き来するラグナに、薄墨の瞳を細めた。

「おやおや、ラグナさんも隅に置けませんねぇ。もちろんですよ、一緒に作りましょう」

「おれ、すみにおかれちゃう?」

 そう、ラグナが明後日の方向に首を傾げたところだった。

 突如、カンという金属音が響き、直後に慌てた足音と扉の開閉音が階段を駆け登って行く。

 アッシュが神経を尖らせて立ち上がると、イーリスの部屋から声が響いた。

「大変です! 国軍が……!」



 テオドールのテリトリーであるティラン地区では、未だかつてない光景が広がっていた。

 噴水広場を取り囲むようにして、武装を固めた国軍がずらりと数百人は立ち並んでいる。

 その先頭に立つのは、鍛え上げられた筋肉を惜しみなく晒した背の高い男だった。

 ヴィスレイド・アルベイン。

 このラクーナにおいて、最強と名高い国軍をまとめ上げる総指揮官である。

 彼は銀色の大鎌を片手に胸を張り、屋敷の門からやって来るイーリスをじっと待っている。

 曲刀を杖代わりに出てきた老婆──というにはまだやや若いか──の側には、警戒心を顕にした子供達が、彼女を守るように立ちはだかっている。

 ヴィスレイドは、声を張り上げた。

「まずは突然の訪問を詫びよう。テオドールの主、イーリス殿」

 暑苦しいと某商人に揶揄されるその声は、とてもよく響いた。向かいに立ったイーリスが、うるさそうに指を耳に入れ顔をしかめる。

「そんな大声を出さなくても聞こえてるよ。まったく、突然来られたら飲み物の一つも用意できないじゃあないか。一体国軍様がわざわざここに何の用だっていうんだい?」

 距離は五十メートルほど離れたまま、イーリスが鋭い真紅を立ち並ぶ兵達に向けた。彼女の隣に立っていたアッシュが、威嚇するように手袋を外す。

 明確に向けられる敵意と目に映る異形の存在。兵の動揺が背後から伝わってくるのを感じながら、ヴィスレイドは一切気にも留めずに口を開いた。

「確認したいことがあってここへ来た。少しばかり、時間はいただけるだろうか」

「はっ、こんな物々しい量の兵を連れて来ておいて、頂けるか、だなんて本気で言ってるのかい?笑っちまうよ」

 ふん、とイーリスが鼻を鳴らした。彼女は一歩前へと進み出ると、顎でヴィスレイドに対して続きを促す。

 ヴィスレイドは一つ頷き、

「テオドールには、青い炎のような髪をした男はいるだろうか」

 と至って単刀直入に聞いた。

 イーリスが怪訝な顔で首を傾げる。

「青い炎かい? 青い髪はいるが、生憎見ての通り炎のような青い髪はいないよ。青い髪が一体なんだって言うんだい」

 この異常事態に、いつの間にか屋敷にいたメンバーは全員出てきたようだった。ずらりと国軍に相対するように三十人ほどが並び、ラグナを中心に数人青い髪のメンバーが、潔白を示すように前に出る。

「先日」

 それを一人ずつ確認しながら、ヴィスレイドが再度口を開く。

「商隊を襲っていた連中と一戦交えた。敵に足取りを掴まれては困ると思い、極少数で向かったんだが、逃げられてしまってな」

「ヴィスレイド様!」

 隣に立った文官が、失態を晒したヴィスレイドに悲鳴をあげる。しかし、ヴィスレイドは構うことなく真っ直ぐにイーリスを見つめ、言葉を続けた。

「そこにいたのが青い炎の髪をした男だったのだ。身体には魔鉱石が埋め込まれていたので、おそらく改造済みであろうと判断した」

「それで、改造済みが集まるうちに確認しにきたってぇわけかい?」

「うむ、そうなる」

 ヴィスレイドの態度はあくまで友好的であったが、周囲はそうではない。

「屋敷の中には隠れているかもしれないではありませんか!」

 文官が嫌疑の声をあげ、後ろの兵達も同調して首を振る。

「今確認をしてきたが、そのような者はいなかったな」

 女の声。突如背後から響いた声に、テオドールのメンバーが一斉に振り返った。

「おお、イスラ。確認ご苦労だったな」

 まるで屋敷の住人でもあるかのように、平然とした表情で色黒の女が門から姿を現した。

 イスラと呼ばれたその女は、腰に巻いた鎖鎌をかちゃかちゃと鳴らし、テオドールのメンバーの横を通り過ぎてヴィスレイドの元へと向かう。

 そして、ヴィスレイドの隣に立つと全員に聞こえる声で言った。

「疑わしいものは、何も」

 文官が、馬鹿なと声をあげる。

「そうか。ならば、ここは引くべきだろうな」

「し、しかし、ヴィスレイド様!」

「疑わしきは罰せずだ。ここでもし誤認逮捕でもしてみれば、うむ、それは国軍の信頼に関わるように思うのだが、その辺りは分館である貴殿の方が詳しいのではないだろうか」

「それは、そうですが……」

「それに」

 ヴィスレイドが、再びイーリスをまっすぐ向いた。

「言い忘れていたが、俺が探しているのは青い炎のような髪のノワールだ。テオドールにはノワールはいない」

 文官がついに反論をやめ、悔しげに爪を噛む。話のケリはついたようだ。

「もういいかい? アタシも年を取っちまって、こうやって外に立ってるのはラクじゃないんだ。そろそろ椅子に座りたいんだがね」

 その様子を黙って見ていたイーリスが、わざとらしく腰を叩きながら言った。

 ヴィスレイドは一つ大きく頷くと、

「無論。手間を取らせた。……いや、もう一つだけ」

 そう言って、すっと視線を落とした。

 視線の先にいるのは、アッシュの足にしがみついていたルクレツィアである。

 ルクレツィアは突然自身に視線が集中したことに驚き、アッシュのジャケットを掴んだ。

 ヴィスレイドは、努めて穏やかな声で尋ねる。

「テオドールには、そのような小さな少女はいなかったと記憶しているが、彼女は?」

 イーリスがほんの少しだけ、しまったと眉根を寄せた。

「あぁ、この子は──」

「今日」

 さてどうしたものかと口を開きかけたイーリスを遮って、アッシュが言った。

「今日、今頃届け出を出す予定だった。だけど、突然の来客のせいで予定変更せざるを得なくなったんだよね」

 テオドールは裏組織とはいえ、土地の所有権もメンバーの戸籍もラクーナの国において正式な許可を得て登録されている。それゆえに、住民達も恐れはすれど大っぴらに追い出せと声をあげることができないわけだ。

 しかしながら、住民の登録を行わなわれていないのであれば話は変わる。ここに定住しているのにも関わらず届け出がないとなれば、それはれっきとした違法行為だ。

「それは失礼した。何分はじめて見る顔だったものだからな。担当窓口にはその旨伝えておこう」

「そりゃどーも」

 アッシュが肩を竦めた。

「それでは、ご協力感謝する。失礼」

 こんと銀の大鎌を石畳に打ち付けたのを合図に、国軍はあっという間にティラン地区から去って行った。

「随分と荒っぽいやり方をするじゃあないか」

 すっかり静けさの戻った噴水広場を前に、イーリスがやれやれと息をつく。

「それくらい、テオドールへの嫌疑が高まっているということです。ボス、早く解決しないと──」

「わかってるよ、アッシュ。……長引かせれば、あいつの椅子が変わっちまうよ」

 アッシュが蜂蜜色の瞳を固く凍らせる。

「……ボスは、このままランスロットに全部任せるつもりですか?」

「なぁにが言いたいんだい、アンタは」

「あいつじゃ、だめです」

 ルクレツィアがきゅっとしがみつく力を込めたのを感じながら、アッシュはツィアの頭にぽんと手を乗せた。そして、はっきりと決意を込めて口を開く。

「ボス、セオドア様の為にも、俺にやらせてください」



「──って、言ったのに!」

 ふんすと鼻息荒く、アッシュが乱暴に石畳を踏み鳴らす。

 靴底に仕込まれた金属がかんかんと狭い路地に響いた。片手にはミスルトーで預かったパンの入った紙袋。もう片方の手には少女の手を握っている。

「もう! なんであの流れでランスロットに任せるんだよ、ボスのことわかんない!」

 精いっぱいの恨み言を口にして、一呼吸。はぁと大きくため息をつき、アッシュは肩を落とした。

「アッシュさんは、なんでお仕事行かないんですか?」

「お前の面倒見てるからだよ!」

 全く状況を解さない少女に、じとと恨みがましい視線を向ける。

 国軍の一件の後、アッシュは宣言通り彼女をテオドールの屋敷の住人として登録しに行くハメとなった。これで彼女は正式にテオドールの一員となったわけだが、あの場を何とかする為とはいえとんでもないことを言ってしまったと心底嘆く。

 それはそれ! やっちゃったものは仕方ないので、前向きに行きましょー!

 と、頭の中のリチュエルが相変わらずのテンションの高さで背中を叩いてくるので、アッシュはそこで考えるのをやめた。

「ねぇ、お前さ」

「はい、アッシュさん」

 ルクレツィアの腕には、先程作ったばかりの紅茶色のブレスレットがはめられている。リチュエルがお守りになるかもしれませんよ、と言ってつけさせたものなのだが、どうも色選びのやり取りを思い出して落ち着かない。

 よくもまぁ、あんな歯の浮いたセリフを言えたものだ。

 アッシュは、カンカンと靴音を鳴らしながら路地を行く。ルクレツィアは、大人しく手を引かれたままそれについて行く。

 ふと、アッシュが足を止めた。

「わっ」

 前動作のない突然の停止に、ルクレツィアが背中にぶつかった。アッシュはくいっと少女の手を放るように自分から離し──しかし、あくまで優しく──真白な髪の合間から額に触れる。

「さっきの手続き、どういうことだかわかってる?」

「どういう?」

 少女の額に咲いたダイヤの花は、小首を傾げたことによりすぐに隠れてしまった。

 ぱちくりと大きな瞳が瞬き、ルクレツィアはうーんと唸る。

「……お前がここに住むことになったってこと」

「それは、知ってます」

「じゃあ」

 アッシュが僅かに眉を寄せた。

「もうお父さんとは住めないってことは?」

 間が開いた。

 ルクレツィアは空白の後、事実を飲み込みきれないのか何度か胸を上下する。

「帰りたいなら、そういう手続きはできる。でも、俺はしない」

 そんな少女に、アッシュは追い打ちをかける。

 対応が正しいかどうかは最早どうでも良かった。

 ただ、目の前の少女がどんな答えを出すのかが知りたい。

「わたし……」

 アッシュは何も言わず、ルクレツィアの次の言葉を待った。

「ここが──」

 もじもじとワンピースの裾を握り、少女が絞り出すような小さな声を発する。しかし。

「……伏せろ!」

 ようやく聞けるはずだった少女の本音は、紙袋を放り投げたアッシュの声でかき消された。

 がさりという紙袋の落ちる音。石畳に転がるまだ温かいパン。

「あ」

 とルクレツィアが近くに落ちたそれに手を伸ばすが、アッシュはその手を引っ張り無理矢理立たせた。

 直後、何かが二人の横をすさまじいスピードで横切った。

 自分の背にルクレツィアを隠し空を見上げると、その絶望的な光景にアッシュは言葉を失う。

 まだ月の落ちないこの時間。赤いはずの空は黒で埋め尽くされていた。

 羽根だ。無数の黒い羽根が、まるで矢のように二人に向かって狙いを定め浮かんでいる。

 アッシュは、距離を図りながら口で素早く手袋を外した。

 見たところあれは魔法。──しかも、件の組織イミタツィオの傭兵が用いたものと同質のものだ。

「ならっ……!」

 羽根が動き出すより先に、アッシュが吼えた。

 三つの口が同時に韻律を紡ぎ出し、一拍おいて飛来する黒い矢を、左右に展開した炎が喰らい尽くす。

「くそっ、半分か!」

 アッシュはルクレツィアに即座に路地裏に隠れるよう指示し、仕損じた黒い羽の処理の為、再び韻律を紡いだ。

 明滅。アッシュの前を稲妻が蜘蛛の巣のように張り巡り次々と矢を撃ち落としていく。

 しかし、その間にも黒い矢は数を増やし、赤い空を埋め尽くす。

 大方狙いは自分だろう。

 アッシュはそう結論付け、新たな韻律を紡ぎながら前へ出た。これほど大規模な魔法だ。必ず近くに術者がいるはずである。

 魔法で矢を消滅させながら、アッシュは術者を探す。

 ところが、アッシュの予想は大きく外れた。

「あっ」

 先ほどまで自分に向かっていたはずの黒い羽根は、突如狙いを変えて路地裏からこちらを覗いていたルクレツィアへと一斉に飛び掛かる。

 アッシュが慌てて魔法の方向に修正をかけるが、間に合わない。それにも関わらず、ルクレツィアは全く逃げようとせず、こちらを向いて指示を待っているようだった。

「逃げろ!」

 少女に迫る黒い矢は、詳細な指示を許さない。

「間に合え!」

 アッシュが放った氷が凄まじいスピードで石畳を駆ける。ルクレツィアがようやく身を翻した。

 数秒の、間。

 肩で息をしたまま、アッシュは少女と黒い羽根の間に立ちふさがる氷の壁を見てほっと胸を撫でおろす。

 壁から広がる冷気が、黒い矢を昇華し消滅させていく。

「……いない?」

 アッシュが後ろを振り返ると、いつの間にか黒い矢は消え去り、赤い空が二人を見下ろしていた。

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