3-4. 小さな意思表示
疑問は全部で四つだ。
一つ。なぜ商隊を襲っている連中が、テオドールを騙っているのか。
二つ。なぜ改造済みの傭兵が、人身売買に加担しているのか。
三つ。なぜ子供を売ったブローカーが、ラクーナを売買の地に指定をしたか。
四つ。なぜルクレツィアが、ここへやってきたのか。
それに対するアッシュの予想はこうだ。
一つ。テオドールに罪をなすりつけることで捜査を撹乱させること。テオドールへ個人的恨みがあることも考えたが、少なくとも改造済みの連中に恨まれる覚えはない。
二つ。それしか食い扶持がなく、やむを得ず裏商人相手に傭兵業を営んでいる。ありえない話ではない。ランスロットやラグナのように、見た目として隠しきれない改造であった場合、一般人相手に傭兵業を行うのは余程でなければ難しいからだ。
三つ。これは正直なところ理由がわからない。売買のキーパーソンがそこにいたのか──にしては、警備が薄かった上にそれらしき人物も見当たらなかったはずだ。
そして、四つ。ルクレツィアの父親の件である。考えられるのは二つだ。改造した張本人である父親から逃げてきたパターン。もう一つは、スパイとして送り込まれてきたパターン。しかし、反応を見ている限り、後者である可能性は限りなく低いと見ている。
これら全ての考えは、限りなく優しい回答である。そして、全てが別々の事象として起こったと仮定した場合だ。
しかし、アッシュは先程ルクレツィアの額を見た時から、一つの強い疑念を抱いていた。
──これらの、全てが繋がっている可能性。
もしルクレツィアの父親が、全て裏で糸を引いていたとしたら。
アッシュの脳裏に黄土色の目の紳士が過(よ)ぎる。
まだ同一人物と決まったわけではない。
階段を登りきったアッシュは、一度頭を冷やそうと深呼吸をして顔を上げ──青ざめた。
柔らかげな銀毛。ふさふさとした三つの尻尾。悠に自分の倍はあろう巨躯。
ルクレツィアは、目の前にいるそれを見てぽかんと口を開けた。
「ボスー、どう? どう? 全身ふさふさになりましたー?」
と明らかに人語を喋っているのは、人ではなく銀狼だった。決してテオドールで飼っているペットなどではない。彼女はれっきとした魔族である。
「全く、アンタのシャンプーは腰に悪いったらありゃあしないよ。──ルーヴ」
バケツ片手にイーリスがため息をつくと、銀狼──否、ルーヴは伏せの姿勢で顔をすり寄せる。
「いいじゃないですかー。最近、本当に疲れてるんだから!」
「それは認めるけど、アタシも若くないんだから多少は労わっとくれって言ってんだよ」
「じゃあ、今度ケーキ食べに行きましょう! あ、それともピアノ弾きます?」
「アンタが楽しいことばっかりじゃないか」
「一石二獣ってやつですよ、一石二獣」
「まったく。調子いいもんだね、アンタは」
「ボスのシャンプーのおかげー」
目の前で交わされるごく普通の会話から、彼女らにとってこの光景が日常であることは理解できた。ただ、どうにも落ち着かないのは、待てというアッシュの指示を無視してここにいるからだ。
もちろんボスであるイーリスの指示が重いのは理解している。しかし、彼の指示に反した行動をしていることも同時に理解しているつもりだ。
ルクレツィアは、ちらちらと屋敷の方を振り返りながら、曖昧に二人の様子を見守っていた。すると、先程からシャンプーの為にバケツを運んでいたリチュエルが、そんなルクレツィアに気が付いてよいしょと隣に屈みこんだ。
「大丈夫です。アッシュさんは怒りませんよ」
「ほんとうですか?」
「はい、私が自信をもってお約束します」
頼もしげに胸を叩くリチュエルに、ルクレツィアは少しほっとしたように息をつく。直後、リチュエルがほら、と屋敷の方を指さした。
「あー、もう。連れてくなら言ってよ」
きれいに手入れされた草木の道を潜り抜けて現れたのは、アッシュだ。ルクレツィアは一瞬身構えるが、彼は呆れた顔で見下ろすだけで特に何も言わなかった。
「げー、アッシュ来た」
依然狼の姿のルーヴが露骨に嫌そうな声をあげる。
「別にお前に用があって来たわけじゃない」
「あたしはあんたの顔も見たくないのー」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
「この美少女を見て感謝しないのなんて、あんたくらいよ!」
馬鹿にするようにアッシュが一笑を付し、ルーヴもふんとそっぽを向いた。
「美少女って、あっほくさ……」
わざと聞こえるように呟いて、アッシュはリチュエルに向き直る。
「連れてくんだったら言ってってほしいんだけど」
「ごめんなさい、忘れてました」
答えながらリチュエルが、ね? とルクレツィアへとこっそりウインクして見せる。
言った通り、彼はそれ以上何も追及しなかった。
二人はルクレツィアには聞こえない小さな声で数言交わし、その後少し神妙な顔できょとんとしている彼女に視線を落とした。
「あの──」
「ルーヴ、ここにいたのか」
何か言わねばと口を開きかけたちょうどその時。アッシュとは反対の方向から、ぬっとランスロットが姿を見せた。アッシュの蜂蜜色の視線が鋭くなる。
「あ、ランス。もう行くの?」
と、いつの間にやら元の姿に戻ったルーヴが、黒いワンピースの裾を軽くほろいながら尋ねる。
「え、何。お前、これからどうせ汚れるのにシャンプーしてもらったわけ?」
ランスロットがここに来たということは、これから任務に向かうということだ。戦闘になればどうせ魔獣になるのに、とアッシュは呆れ顔である。
しかし、ルーヴはランスロットの腕にしがみついて見せると、
「いいじゃない、最近ストーカー被害でストレスたまってるんだから」
つーんとそっぽを向いた。
「ストーカーねぇ」
「なによ!」
「別に?」
再びバチバチと火花を散らし始めた二人を見て、ランスロットが困った顔で口を開く。
「アッシュ。最近は女性の連続失踪事件もある。そのくらい許してやれ」
「でた、過保護」
火花の導火線が移ったことに気づき、ルーヴがしまったと顔を強張らせた。
「家族を心配するのは当たり前だろう」
「俺は家族になったつもりはない!」
はー、とイーリスがため息をつき、リチュエルがルクレツィアを引き寄せる。
「この際だから一つだけ忠告させてもらう。優しいのと甘いのは全く別物だからな」
「何?」
「お前のやったことが、テオドールに返らないことを心底願ってるよ」
そう吐き捨てて、アッシュはくるりと身を翻した。そして、ルクレツィアの手を引くとそのまま屋敷から出て行く。
「……俺の、やったこと?」
皆がアッシュの背を見送る中、ランスロットが一人ぽつりと呟いた。
「お前さ、もう少し自分で物事考えろよ」
ラクーナのメインストリート・グルッグ通りを歩きながら、アッシュはそんなことを言った。
隣で手を繋いだまま歩くルクレツィアが、突然の苦言にぱちりと目を瞬かせる。
「自分で、考える?」
「そう。服自分で選ぶとか、行くとこ自分で決めるとか、……苦手な珈琲を無理に飲まない、とか」
ルクレツィアが来てからというもの、風呂と用を足す以外の時間はほとんど一緒に過ごしているアッシュは、自分で何一つ決めようとしない少女に対して苛立ちを覚えていた。
朝起きて着る服も、読む本も、果ては食事に手を付けるタイミングすら彼女はいちいち確認を取る。彼女の境遇を思えば致し方ないのであろうと、先程ようやく理解をしたところではあるが、だからこそこの状況が煩わしいのだ。
しかし、肝心のルクレツィア本人はといえばやはり、
「よく、わかりません」
と眉尻を下げるだけで相変わらず要領を得なかった。
アッシュは頭を抱えた。自分が彼女の世話役から離れるには、最低限彼女が自分一人で屋敷での生活が成り立つことが条件だ。こんな調子ではいつまで経っても自分は子守番である。
「あぁもう! 今そんなことしてる場合じゃないのに」
そう大げさに嘆いてから、ふと、アッシュはルクレツィアを見た。
少女の真白な髪に隠されたダイヤの花。
もし、あの黄土色の目の紳士と、ルクレツィアに何らかの関係があるのだとしたら。
「……ねぇ」
「はい」
ルクレツィアがお利口な返事をしてアッシュをまっすぐ見つめた。少女の色素の薄い紅には、何の色も見えない。恐怖も、怒りも不安も、喜びも。不気味なほどに無感情な無色透明は、一体何を考えているのか。
アッシュは、ほんの少しだけ眉間にシワを寄せると、ルクレツィアの白い前髪を指で横に分けた。
さらりと細い髪の隙間から、ダイヤの花が覗く。
「お前のお父さんの名前は?」
リーベ・マリス。かつて自分を買い取り、改造した張本人の名前を心の中で呟き、少女の無色透明を見つめる。
ルクレツィアは、もう一度ぱちりと瞳を瞬かせてから口を開き──。
「アッシュ?」
第一声を放ちかけたちょうどその時、聞き覚えのある声が背後からかかった。
何で今なんだ、とため息を一つ。アッシュは不快感を心に閉じ込めてから振り返る。
「やあ、ソル」
「やあ、アッシュ」
振り返った先には、数年来の友人の姿があった。彼は昔と変わらない穏やかな笑みを湛えて、窪みがちな左目を細める。
今日も例の人捜しだろうか。相変わらず小奇麗な格好のソリテールを見つめながら、アッシュは後ろ手で少女を引き寄せる。
「あれ? そっちは?」
ソリテールが引き寄せられた少女を見つけ、ひょいと身体を傾けた。
「あぁ……ほら、この前言ってた」
「あぁ、例の子守?」
「そう、例の」
と、アッシュがルクレツィアの背中を押すと、ルクレツィアが突然ぎゅうとアッシュに抵抗するようにしがみついた。
「ちょっと、おい!」
思わぬ反抗にアッシュは引き剥がそうと頭を掴むが、少女はいやいやと首を振って離れない。
「あれ、嫌われちゃったかな。……昔から、子供には好かれないし」
ソリテールが困ったように首を傾げた。
アッシュは初めて少女が見せた小さな意思表示に眉をひそめ、先程リチュエルと交した会話を思い出しながら顔を上げる。
「……そういえば、同じ部屋の子からも避けられてたっけ?」
努めて冷静に、努めていつも通りに。
アッシュは、口元にかすかな笑みを浮かべて返す。
ソリテールが口の端と眉尻を思い切り下げて項垂れた。
「やめてよ、結構ショックなんだから」
「あぁ、ごめん。……ところでソル。捜し人は見つかった?」
話を強引に反らし、アッシュはルクレツィアに視線を落とす。彼女は依然とアッシュに顔を押し付け、ソリテールを見ようとしない。
「ううん、まだ。これがなかなか難航しててさ」
「へぇ、大変だね。まぁ、ラクーナは人が多いし。……手伝おうか?」
「あはは、大丈夫。それよりもアッシュ」
ソリテールの瞳がぎらりと輝いて見えたのは気のせいか。アッシュは何? と、少女の頭を軽く撫でながら首を傾げる。
「この前の話、考えてくれたかなって」
──僕と一緒に来ない?
そう尋ねられてから、既にそこそこの日数が経過していた。
子守は嫌だ。イーリスも最近はすっかり自分には構ってくれなくなった。ランスロットとは変わらず喧嘩したままだし、周囲の目は冷たい。それもこれも全部ルクレツィアが来なければ、起こり得なかったことだろう。
しかし。
「……ごめん、ソル。もう少し時間くれないかな。まだやらなきゃならないことが多いんだ」
それとこれは話は別だ。この一連の騒動が片付くまではテオドールを離れるわけにはいかない。
何より、今新たに生まれたばかりの懐疑心を胸に抱いたまま、彼に応じるわけにはいかなかった。
アッシュの返答にソリテールは心底がっかりした顔をした。
「わかった。そのやらなきゃならないことが終わったら教えてほしいな。なんなら、僕も手伝おうか?」
「早く終わるならそれもいいかもね」
本気が嘘かわからない冗談は昔から変わらない。
アッシュは肩を竦め、そろそろ、と話を切る。
「うん、それじゃあ僕も仕事に戻らなきゃ。またね、アッシュ」
再び穏やかな笑みを顔に戻し、ソリテールは思いの外あっさりとその場を立ち去った。最後にちらりと、ルクレツィアに視線を送って。
彼の背が完全に見えなくなると、ルクレツィアはようやく顔を上げた。先程まで無色透明だった瞳には怯えが色づき、縋るように少女はアッシュを見つめている。
アッシュは少女に目線を合わせると、物言いたげな彼女の言葉を促す。すると、ルクレツィアはきゅっとアッシュの袖を引っ張り、小さな声で言った。
「わたし、帰りたくないです」
「……帰りたくない、ね」
少女が初めて口にする主張を受け止めながら、アッシュは先程リチュエルと交した言葉を思い出していた。
『ツィアちゃん、ルーヴ姉が姿変えたときも全く怯えていませんでした』
雑踏に紛れたかつての友人の姿はもう見えない。
アッシュの中で、少しずつ点と点が繋がり始めていた。
「遅かったな」
月が落ちる頃、ようやく屋敷に戻ってきたマルセルを出迎えたのは、アルコールの香りといかにも怠そうな夫──ゼランの声だった。
ソファに横になっているらしい彼は、ひらひらと手だけ上げて存在を示すが起きてはこない。どれほど飲んだのかは、床に転がる酒瓶の数を見れば想像がついた。
マルセルは呆れたようにため息をついてから、先に換気の為に窓を開ける。
「見つからないように遠回り帰ってきたの。感謝してほしいくらいだわ」
やや文句を言いたげな視線にそう返し、マルセルは水差しからコップに水を注ぐと、気持ち悪そうに横たわる夫に手渡す。
ゼランは上体を持ち上げて座り直し、一口に水を飲み干した。そして、頭を抑えたまま背もたれに寄りかかり第一声。アルコールの香りと共に文句が飛び出した。
「あいつめ、どれだけ飲めば気が済むんだ!」
「付き合わなきゃいいじゃないの」
「飲まされるんだ!」
自分の出した声にずきりと頭が痛んだらしく、頭を押さえて呻く。
マルセルはソファの空いたスペースに腰を掛けると、彼の頬にひんやりとした白い手を当てた。
「ただの飲みすぎね。心配いらないわ」
「この程度で心配なんてしていない」
「貴方のために確認したわけじゃないわ」
頬を冷ましていた手がするりと離れていく。ゼランは追ってその手を掴んで、マルセルの身体ごと引き寄せた。
お互いの息が触れる至近距離。
ゼランは彼女の腰を反対の手で引くと、まっすぐ目を見て囁いた。
「国軍が動くぞ」
マルセルが酒の匂いに一瞬眉をしかめてから、トパーズの瞳を細める。
「いい加減に看過できなくなったってことかしら」
「動かさない方がデメリットが大きいと判断した」
「……そう。ところで」
「何だ」
再び、冷ややかな手がゼランの頬を撫でる。
「何徹目?」
ぴたりとゼランが動きを止め、即座に目を反らした。その様は、さながら魔獣に睨まれたネズミと言ったところだろうか。
魔界一の商人とは思えぬ狼狽えっぷりにマルセルは僅かに口角を上げ、そして、細長い指で頬を思い切り抓りあげた。
「……さんて。痛い! やめろ、痛い!」
「徹夜はやめなさいって言ってるじゃない!」
思わず悲鳴を上げたゼランに、マルセルは構わずもう一方の頬も抓りあげる。
「わかった、わかった! 今日は寝る! だから、やめろ!」
「言わなかったら寝なかったのかしら?」
ゼランは何とか退避して頬をこするが、妻の視線は手と同様に冷たい。
「……寝る予定では、あった」
「貴方の予定ほど役に立たないものはないわね」
「そうは言ってもだな、やることが」
「あーら? 良質な仕事は、良質な睡眠と休息により作られるんじゃなかったかしら?」
「それは、上に立つ者として下に対する心構え……痛いっ!」
ピンっとマルセルの細い指がゼランの額を打つ。ゼランが再び悲鳴をあげた。
マルセルは、ゼランの腕をとって立たせると、彼の首に腕を回して顔を近づける。
「貴方のすべきことは貴方じゃなきゃできない。だから、貴方はまず自分の体調管理をなさい」
ゼランは妻の忠言に呻きながら、そのまま彼女の首にもたれかかる。
「……お前には敵わん」
「なら、さっさと寝るのね」
くすりとわずかに微笑んだマルセルが、ゼランの常磐色の髪をすくい、撫でる。そして、しばらくの間見つめ合い、軽く口づけを交わした。
「おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
妻の背を見送り、ゼランはひとつ身震いをする。開けっ放しの窓から顔を出し、明かりのない宵闇を見上げた。
「……正念場だな」
ぽつりとそう漏らし、窓を閉めたゼランは胃の底から上がってくる気持ちの悪さに一度呻き、寝室へと向かって行った。
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