3-3. 違和感の正体

「アンタにこの書庫、全部やるよ」

 ある日のこと。屋敷の二階奥の書庫を開けて、イーリスはそう言った。

「えっ、ここを……全部?」

「あぁそうさ。ここにある本は、アンタが好きに読んだらいい。でもね、アンタのものってことは、片付けもアンタがしなきゃあいけないよ」

「します! 片付けでもなんでも!」

「おおげさだねぇ。……アッシュ、一つだけ覚えておいておくれ」

「……なんですか?」

 そして、言い聞かせるようにアッシュの紅茶色を撫でて穏やかな口調で言った。

「自分のものであることと、独占することは別物なんだ。アンタがいつか、それを学んでくれることを願ってるよ」



 アッシュにとってそこは、唯一独占を許された場所だった。

 屋敷の二階奥──書庫。

 それほど大きくはないものの、少なくとも数千冊はあろう本の山に囲まれて、アッシュは今日三冊目になる本を置いた。数年かけて書庫の全てを読破し、ほとんど内容は頭に入っている。中でも特に気に入っているのは、百年前──魔族の感覚では三十年程度──に実際に起きたシュネーヴ革命に関わるものだった。

 ブラックにまみれたこのラクーナを救ったかの英雄ハデスの活躍は、アッシュにとって特別なものだ。――物語に書かれることのない、もう一人の英雄のことも。

 アッシュは積み上がった本をそれぞれ棚に戻しながら、ちらりと開いた扉の方を見た。扉の外では少女が先程からずっと渡した絵本を読んでいる。

 何冊か年相応の本も渡したが、彼女はどうやら簡単な読み書き程度しかできないらしく、難しい小説などは渡しても首を傾げるだけだった。

 渡した絵本は十冊。何度も声をかけられるのが嫌で適当に見繕ってまとめて渡したが、時間が随分経過しているにも関わらず、彼女は何も言ってこない。

 何か気に入った本でもあったのだろうかと、さすがに不思議に思っていると、アッシュの目に明らかに不審な行動が映った。

「何やってるの」

 とんと、彼女が背を預ける壁に拳を預け、アッシュが言った。すると、少女はきょとんと彼を見上げ、首を傾げる。

「不思議だなぁって思いました」

 相変わらずいまいちかみ合わない返答に鼻で笑って返してから、アッシュはその不審な状況に顔をしかめた。

 少女の足元には貸した本が開かれたまま置いてあり、いずれも最後のページだった。少女は膝に抱えた一冊をアッシュに差し出し、尋ねる。

「これは、なんて書いてあるんですか?」

 彼女が指したのは、所謂締めの言葉だ。

 めでたし、めでたし。

 どうやら彼女は、どの本の最後にも同じ文字列が並んでいるのが不思議だったらしい。

「まるくおさまってよかったねって意味」

 アッシュはめんどくさそうに肩を竦めて適当に答えた。

 すると、ルクレツィアが納得いかない様子で、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せる。

「……かぞくと」

 伏し目がちに、少女は色素の薄い紅の瞳を持ち上げる。

「かぞくが一緒にいるのは、めでたしめでたし、なんですか?」

 アッシュはふと、少女が手に持っている絵本を見た。確かあれは、捨てられた子供が両親を探しに旅に出て、最終的に親の元で幸せに暮らす話だ。

 当たり前だろ──そう口にしかけて、アッシュは閉口した。

 わからないのだ。家族と暮らすというのことがどういうことか。

 それに、アーサーのように虐待を受けてきた話だって聞く。かつて喉が出るほど強く望んだ存在であったが、現実はそう優しくもないのだとがっかりしたことを覚えている。

 アッシュは心に落ちる黒いしゃぼんを一つずつ潰しながら、

「一般的には」

 と当たり障りのない言葉を選んだ。

「じゃあわたしは、おうちに帰ったら、めでたしめでたし、なんでしょうか」

 ちりと、アッシュの胸がざわめく。

 そうだよ、だからさっさと帰れよ。そう言ってしまえばよいはずなのに、本能がダメだと告げる。

「お父さんといるのは、嫌なわけ?」

 ようやく絞り出した質問は、先日聞きそびれた言葉だった。

 なぜ、父親がいるのにここへ来たのか。なぜ、死んだ母親は彼女へ手紙を遺したのか。

 整合性の取れない存在──まるで、彼女の言動のようだとアッシュは思う。

「お父さんは、わたしのこと愛してるって言います」

「それならいいんじゃないの?」

 実親からの愛が得られるのに、こいつはボスの愛まで奪おうとしているのか。

「でも」

 ルクレツィアが不思議そうな顔をして、並んだ絵本に視線を落とした。

「こんな風にしたことは、ないです」

 こんな風に。そう言われて、アッシュは渡した絵本の最後を改めて確認する。

 ある物語は両親と共に眠り、ある物語は両親と食事をとり、ある物語は手を繋いでいて。

 どれもかつてアッシュが憧れた家族の姿で、一般的に見られるはずの光景だ。

「……じゃあ、どんな生活してたわけ?」

「お父さんが呼ぶまで、お部屋にいました」

 違和感が少しずつ膨らんでいく。

「……呼ばれたら?」

「ええと」

 そう、彼女が頭を上げたその時だった。前髪がさらさらと横に流れ、隠れていたはずの額が覗く。

「お父さんのとこに行って、気づいたら寝てます」

 答えるルクレツィアの言葉が、咀嚼する間もなく通り過ぎていく。

 胸が激しくざわめく。

 アッシュは喉が渇くような感覚を覚えながら、少女が再度口を開くより前に、以前から躊躇っていた問いをかけた。

「……お前を改造したのは、誰?」

 少女は答えた。

「お父さんです」

 大きな瞳を瞬かせるその少女の額には、ダイヤの花が咲いていた。



 テオドールの屋敷は、メンバーであればどこでも自由に──ボスの部屋ですら行き来が可能だ。

 ここは家であり、帰る場所であると、最初に言ったのは果たして誰だったか。

 行き場を失った彼等にとって、この場所は間違いなく家であり、共に住まうメンバー達は家族も同然だった。

 そんなテオドールの中で、近づくなと言われている場所が二つだけある。

 一つは二階奥、アッシュの書庫。そして、もう一つは──地下室だ。

 窓のない地下の一室で、アッシュは小さな木の椅子に腰掛けた。

 目の前には同じく椅子に腰を掛けた──否、座らされた男。口から泡を吹き、憔悴しきった顔のまま、腕をだらりと垂らして動く気配もない。彼に生えた真っ白な髪は、つい数日前まできれいな金色だったと聞いても、誰も信じないだろう。

もぬけの殻と化した男の隣に、二つ同じ顔が並んでいた。

 さっくりと切りそろえられた山吹色の髪に、色違いの同じ服。違うのは眼帯の位置とピアスの位置だけだ。

 紫色の服がトール、緑色の服がトゥーラ。二人は見ての通り双子である。

「あのね、違うんだ。聞いて次期ボス」

「思ったより喋ってくれないから、こうせざるを得なかったんだ」

 仕方なかったんだ。

 目が合ったと同時に二人揃ってそう弁解を始めたのを見て、アッシュはやれやれと首を振った。

 目の前でもぬけの殻と化しているのは、先日捕らえた裏商人だ。たった数日でここまで廃人においやるとは、まあ個人的恨みはあろうがやりすぎである。

 しかし、彼等の注意したところでなんら変化ないことは、アッシュ自身がよく知っていた。

 拷問を楽しむのはいいが、せめて相手に話すだけの気力は残しておいてほしい。

 アッシュはわざとらしく大きなため息をついてから、

「それで?」

 と彼等に問いかけた。

 いつも先に口を開くのは緑の帽子──トゥーラだ。

「イミタツィオ」

 そして、まるで示し合わせたかのように、紫の帽子──トールが滑らかに言葉を繋ぐ。

「改造済みの傭兵を貸した組織の名前だって」

 右に左に小首を傾げる彼等を視線だけで交互し、アッシュが眉間に皺を寄せる。

「改造済みの傭兵集団が、裏商人に手を貸したってこと?」

 舌触りの悪い、強烈な違和感を覚える言葉だった。二、三度舌の上で転がして、それでも飲み込みきれず、アッシュはくしゃくしゃと長い髪に手ぐしを入れる。

「うん、そうやって言ってた」

「それでね、次期ボス。もう一個」

 視線だけで言葉を促す。

「子供の仕入先がね」

「ラクーナで売ったら人間の子供も売らせてやるって言ったみたい」

「破格で人間買ったんだって」

「でも、こいつ何も知らないって」

 トゥーラ、トールの順は崩さず、最後に揃って役に立たないね、と顔を見合わせた。

「わざわざラクーナを指定?」

 アッシュが控えめに驚きの声をあげた。

 裏商人は、ラクーナの街で商売をすることはほとんどない。

 それは一つは国としての取り締まりが厳しい為。そしてもう一つは、テオドールのテリトリーである為である。

 魔界各国各地から商人の集まるこの国は、無論裏商人にとっても大きな意味を持つ地だが、邪魔をされては元も子もない。少しでも襲撃されるリスクを減らす為に、裏商人達はいつもラクーナから離れた場所に拠点を構え、秘密裏に商売を行うのだ。

「人間が高値で売れるのは知ってるけど、ずいぶんとリスキーな話だな」

 考えを巡らせながらぶつくさとアッシュが呟く。トールとトゥーラは、そんなアッシュを見て肩を竦めた。

「とりあえずわかった」

 二人の報告を一度消化し終えた後、アッシュはそう言って立ち上がり、二人に向かって、処分しておいてと木偶と化した商人に指をさす。

 二人は利口にはーいと返事をしたが、なぜか手の平を上に向けアッシュに差し出した。

「お前らまだほしいの?」

「だって」

「ご褒美」

 悪びれた様子もなく笑うトールとトゥーラの手に、呆れ顔のアッシュはポケットから可愛い包みの飴玉を二つ取り出し乗せた。

「僕、魔獣の血味」

「僕、魔妖花味」

 飴の味を確認し合い、どうやらトレードが成立したらしい。飴を口に放り込んで満足した二人は、ようやくずるずると廃人となった裏商人を引きずり下ろす。

 アッシュがやれやれと息をつき、部屋を後にしようと踵を返した。直後、思い出したように二人が口を開く。

「ねぇ、アッシュ兄」

「ランスロットが次期ボスになるかもって本当?」

 それは、最近テオドール内でまことしやかに囁かれている噂だった。

 アッシュは即答した。

「知らない。ボスが決めたらそうなるかもね」

 すると、二人は心底嫌そうな顔をして、

「ランスロットが次期ボスは嫌だ」

「拷問できなくなりそうだもん」

 そう、どこまでも身勝手に呟く。

 そんな二人の反応を背に、アッシュはそのまま黙って地下室を出て行った。

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