2-3. 情報収集

「お前、なんでそんなに一般常識ないの?」

 再び人波を潜り抜け、〈サイファーのため息〉の裏口を出たところで、心底呆れた声でアッシュが言った。ルクレツィアはそんな彼を不思議そうな表情で見上げている。

 出会ってまだ一日も経っていないが、彼女の異質さにアッシュは頭を抱えていた。

 挨拶、買い物、握手──この真白な少女はそんな基本的なことすら知らないのだ。

 ラグナのように小さな頃からテオドールにいる者ならまだしも、聞けば歳は一四。通常であれば一通りの生活知識を得ている頃だ。

 あまりにも欠落した少女の知識に、さすがのアッシュも首を傾げずにはいられなかった。

「一般、常識……」

 ルクレツィアがうーんと困った顔で呟いた。

「……聞き方変えるよ。お前、今までどんな生活してたの?」

 やれやれと肩を竦め、アッシュは少女の手を引き歩き出す。

「うんと、お父さんと、おうちに住んでました」

 的を射ない返答。アッシュはさらに尋ねる。

「親いるの? なら、なんでテオドールに来たんだよ」

 人体改造を受ける子供達は、アッシュのように孤児であったり、アーサーのように虐待をされていたなど何かしら問題のあるケースが多い。その為、親と暮らしているにも関わらずこのようにテオドールに来るということは、アッシュにはいまいちピンとこないのだ。

「お母さんが、テオドールに行きなさいって、書いてあったから」

「お母さん? お母さんもいるの?」

「はい、いました」

 いました、と言われアッシュは余計混乱した。この口ぶりであれば、母親は既に他界しているだろうが、それにしては少女の言葉に言い淀みがない。

「……お父さんの方は、生きてるの?」

 再度聞いた。

「はい、お父さんは生きてます。とっても元気です」

「はぁ? 意味わかんない……」

 路地を抜け、噴水広場まで戻ってきたところで、アッシュはがっくりと肩を下ろす。

 彼女の言うことをそのまま理解すると、父親がいるのにも関わらず、死んだ母の言いつけでテオドールまで来たということになる。

 父親がいるのであれば、父親と住めばいい話ではないか。いや、そもそも。

「お前、改造されたんだよね?」

 今更な問いを口にする。

「はい、ほら、こうやって」

 少女が手のひらを合わせ魔力を込めると、赤い色の宝石が現れる。

「でも……」

 ルクレツィアが、困った顔で眉尻を下げた。少女がすっとその宝石を手から溢すと、赤い輝きを放っていたそれは、瞬く間に黒いただの石と化した。

「わたしは完成してないんだって、言ってました」

 ちり、とアッシュの胸で何かが引っかかる。違和感の正体をうまく自分の中で消化できず、アッシュは首を傾げた。

 何かとても大切なことを見落としているような、そんな違和感。

「あれっ」

 しかし、そんな彼の思索はルクレツィアの発した言葉にかき消されることとなる。

 門をくぐり、屋敷の庭園に足を踏み入れたところで、ルクレツィアは突然その場にしゃがみ込んだ。玄関まで続くレンガ道の脇に、大きな足跡が続いている。

 ここを通った人物が身体の大きい者であることは間違いないが、レンガを踏み外すほどのサイズではない。ということは、別に隣を歩く者がいたはずである。

「おっきな足跡ですねぇ」

 と、のんきな声で感嘆するルクレツィアをよそに、アッシュは一目散に駆け出した。

 色とりどりの花が咲く庭園を抜け、大きな玄関の扉を開く。

 乱暴に音を立てて開いた扉の正面には、階段と──山があった。否、男だ。色の黒い大男が、階段下で目を瞑って立っている。

 アッシュは、その男を見つけるなりすぐにずかずかと近寄り、目を吊り上げた。

「何しに来たんだよ!」

 開口一番そう告げたアッシュを遥か上から見下ろし、男は困り顔を返す。

「俺は仕事以外でここには来ないと、何度言ったら」

「うるさい! 俺はお前がここに入ることを認めてないぞ、バーサーカー」

 バーサーカーと呼ばれた男、名はグリズラという。

 二メートルを悠に超える――ランスロットよりも遥かに大きな身体を持つ彼は、アッシュ達と同じ人体改造を受けた被害者だった。身体の中に狂戦士化する魔鉱石が埋め込まれており、とあるきっかけで理性を失い全てを破壊するバーサーカーと化す。

「そう、言われてもな」

 グリズラが苦い笑みを溢していると、追いついたルクレツィアが屋敷へと入って来る。

 見慣れない少女を視界に認め、彼は驚いたように目を丸くした。

「新入りか?」

 上から降ってきた言葉に気づき、ルクレツィアが思わず口をぽかんと開けた。

「えっ、と」

 悠に自分の倍もありそうな大男の存在に、彼女もさすがに驚いたらしく、咄嗟に言葉が出てこない様子だった。

 すると、騒ぎを聞きつけて食堂の扉から現れたリチュエルが、焦げ茶色の髪を揺らしながらやって来る。そして、ぽんと少女の肩を叩くと、にっこりと微笑んだ。

「ルクレツィアちゃんですよ、昨日からここに」

 そこでようやく状況を理解したルクレツィアが、ぺこりと頭を下げて口を開く。

「ルクレツィア、です」

 グリズラは緊張の混じる少女の表情にふっと目を細めると、床に膝をついて視線を下げた。

 それでも大男の顔は少女よりも高く、ルクレツィアはほんの一瞬だけ怯む。

 グリズラはそんな少女の頭を優しく撫でると、

「グリズラだ。アレスター商会の傭兵をしている」

 穏やかな声でそう言った。

「グリズラさんは大きいですけど、とっても優しくて頼もしい方なんですよ」

 ほらほら、とリチュエルに促され、ルクレツィアがぺこりと頭を下げる。

「よろしくお願いします」

「そんな奴に挨拶なんていらないよ」

 ふん、とアッシュ。

「だめですよ、アッシュさん。挨拶はきちんとしなきゃいけません! あ、あとでゼランさんにもご挨拶しましょうか」

 と、注意するリチュエルの言葉に、アッシュははたと顔を上げた。そして、慌てて階段を駆け上り、叫ぶ。

「リチュエル、後は頼んだよ!」

「はーい」

 ぱたんと階段上のイーリスの部屋の扉が閉まり、残された三人は顔を見合わせる。

「三人で、おやつの時間と参りましょうか」

 くすくすと人差し指を口に当て、リチュエルが声を潜めて微笑んだ。



「それで、ツケの代金はどんな感じだい?」

 どかりとソファに腰かけて、イーリスが口を開いた。彼女の向かいには常盤色の髪の男──アレスター商会の元締めゼラン・アレスターがふんと鼻を鳴らし座っている。

 ゼランは先程リチュエルが持ってきたコーヒーに口をつけると、ちらとイーリスの後ろに立ち並ぶランスロットとアーサーを一瞥した。

「一人足りんような気がするが、始めても構わないのか?」

 イーリスが煙草に火をつける。

「あぁ、あの子は今任務から外してるんだよ。それ以外に心配事がないのなら始めとくれ」

 甘い煙を吐きながらそう告げると、ゼランは興味なさげに視線を動かす。

「……本人はそう思ってはいなさそうだがな」

「あんだって?」

 イーリスが思わず聞き返した直後。凄まじい勢いで階段を登る足音が響いた。

 数秒後、バンッ、とノックもなしに扉が開き、イーリスが頭を抱える。

「ボス! 何で俺のこと呼んでくれないんですか!」

 肩で息をしながら現れたアッシュは、第一声そう言い放った。

「今朝、アンタは任務から外すって言ったはずだったと思うんだけどねぇ」

「俺は納得してません」

「アンタの納得を待ってたら、命がいくつあっても足りないよ」

 アッシュの文句を呆れた顔で躱(かわ)しながらイーリス。

 ゼランは、アッシュがアーサーを押しのけてイーリスの後ろに立ったのを確認すると、カップを置いた。

「始めても構わないか」

 かちゃりと品のいいカップが音を立てる。

「あぁ、早速お願いしようかね」

 そう言ってイーリスが煙草の火を消すと、ゼランはおもむろにカバンから地図を取り出した。

 地図に描かれているのは、ラクーナの街から隣国エリュシオンに伸びる――そう、渦中のラーデン街道だ。地図の数か所には、赤いインクでバツ印がついている。

 そのバツ印を順に指し示し、ゼランがじろりと視線だけをイーリスに送った。

「ここが例の商隊を襲撃した地点だ。いずれも近くに森があり、身を隠すのには適している」

 すっと、彼は指を北へと動かす。

「ラクーナはここだ。そして、ティラン地区はここ。……移動距離があまりにも長い」

 バツ印とラクーナは、一番近い地点であっても半日以上はかかる距離だった。

 いくらテオドールのメンバーが魔族離れしているとはいえ、傭兵を相手取り商隊を襲撃し、荷を奪って帰ってくるには少々過酷すぎる行程である。

 ゼランが続ける。

「襲われた連中の荷は、数人で長距離運べるようなものじゃあない」

「そのテオドールを名乗る不届きな連中は、そのバツ印の近辺に住んでるってぇことかい?」

「想像に過ぎんがな」

 イーリスの問いに、ゼランはあくまで淡々と返す。

「で、その荷を運んだ数人の情報は得られたんだろうね?」

 ゼランが上体を起こし、背もたれに体重をかけた。イーリスが二本目の煙草に火をつける。

「三人だ」

 と、ゼラン。彼は長い常盤色の髪を払うと、一つため息をついた。

 切れ長の双眸がイーリスを見つめ、やがて視線を落とす。

「一人目は、ノワールだ。身体中に魔鉱石が埋め込まれていたと聞いている」

 ノワールとは、ブラック中毒者の別称である。瘴気を過剰摂取した彼らは白目の上半分が黒く染まる為、このような事件が起これば身体的特徴として真っ先に上がってくるのだ。

「ノワールか……」

 アーサーが、ぼそりと苦い顔をする。

 ブラックの根絶を目指す彼らにとってノワールとは、敵ではなく救うべき相手だ。

それが敵に──しかも、自分達と同類とあれば、複雑な心境になるのも致し方ない。

 アーサーとランスロットが視線で複雑な胸中を共有しているところで、

「二人目は」

 ゼランの低音が空気を割った。

 彼はすっかり冷めたコーヒーで喉を潤すと、アーサー達に視線を向けることなく口を開く。

「二人目は、姿が明確ではない。……ただ、ノイズがかった声だったと聞いている」

「ノイズがかった声? 性別は?」

 アッシュが、肘を指でトントンと叩きながら聞き返す。

「生憎襲撃されたのが夜でな。姿は見えなかったそうだ。声からは先の通り性別の判断が困難だ」

「ふぅん。で、三人目は?」

「女だ」

 少し間が空いた。

「これも情報が曖昧だ。ただ、異様に冷たい……まるで、死人のような冷たさだったと聞いている」

「氷の魔鉱石でも埋められてるんだろうか」

「あー、触ったら凍る、みたいな?」

「そんな単純な話ならいいけど」

 ランスロット、アーサー、アッシュ。三者三様、敵の能力を想像しながら言葉を交わす。

 ゼランはその様子を黙って見つめ、時折眉間に皺を寄せては苦い息を吐いていた。その様子に気づいたイーリスが、煙草を灰皿で捻り消す。

「何だい、何か言いたげじゃあないか」

 ゼランが重たいため息をついた。

「この件、思った以上に大事になった」

「大事ってぇ、どういうことだい?」

 全員がゼランを正視する。再度、間が空いた。

「商人達が今回の件で、テオドールに対して憤慨していてな。……テオドールへの金銭授受、取引を打ち切ることになった」

 ゼランの発した言葉に、その場の全員が絶句した。イーリスも咄嗟に言葉が出てこず、目を丸くしたまま固まっている。

 重苦しい空気が流れる中、ゼランはやや申し訳なさそうな顔で話を続ける。

「ラクーナ中の商人の署名と嘆願書を上げられては、俺もこれ以上の対応ができん。ここへ来ることもしばらくないだろう」

「……わかってるよ」

 ようやく事の次第を理解したイーリスが、口を開いた。

「アンタが下手に戦っちゃあ、アイツにも迷惑がかかる。……ところで、ちょいと聞きたいんだけど、サイファーのため息って食堂とミスルトーっていう宿があるらしいんだけど。アンタ、何かそこ二つについて知ってるかい?」

 杖代わりの曲刀に顎を乗せ、イーリスがじっとゼランを見据える。ゼランはあくまで事務的な口調で答えた。

「……聞いたことがないな。俺が把握していないだけで取引はしているかもしれんが」

「そうかい。把握してないなら仕方ないねぇ」

 イーリスがとんと曲刀を床につく。ゼランが椅子を立った。

「用件は以上だ。これでツケは返したからな」

 そして、鞄を持って扉まで行くと、ドアノブを回しながらちらりと顔だけ振り返る。

「……そういえば、どこぞの医者がそろそろ健康診断をしたいと言っていたな」

 その言葉にアッシュが眉根を寄せたが、ラクーナ一の大商人は構わず部屋を出て行った。



 ゼランがグリズラと共に屋敷を去った後、イーリスは分厚い帳簿を引っ張り出し、ここ数か月の支出を確認していた。

 テオドールの支出のほとんどは食費である。これは、毎日の食事を必要としない魔族では珍しいことなのだが、もう十数年に渡り一日三食を続けてきた彼らにとってはすっかり必要経費と化している。

 ラクーナを束ねる大商人から突きつけられた事実上の経済制裁。これをいかに乗り越えていくかが、今後彼らの命運を握っていると言っても過言ではない。

「サイファーとミスルトーから食料を融通してもらうとしても、こりゃあだいぶ厳しいねぇ」

 イーリスが帳簿を閉じ、重苦しく息をついた。

「下手に仕入れを増やせばバレる可能性がありますからね」

 アッシュは、そう言いながら帳簿を受け取ると本棚へと戻す。

「早くテオドール名乗ってる連中潰して濡れ衣を晴らさないと」

「あぁ、そうだね。……ランスロット」

 期待の眼差しを向けるアッシュを受け流し、イーリスがランスロットを呼んだ。アッシュが悔しげに下唇を噛み、ランスロットを睨みつける。

「はい、ボス」

 一方、言葉を返すランスロットは、いつになく落ち着かない様子だった。先程からちらちらとイーリスを見ては、発言を躊躇うように首を横に振っている。

「何だいランスロット、随分とそわそわしてるじゃあないか」

 イーリスが声をかけると、彼は困った顔で頭を掻いた。そして、横目でアッシュを見てから、おずおずと口を開く。

「あの、ボス。この件、本当に俺が?」

 あぁ、とイーリスが頷いた。

 ランスロットは、アッシュに次いでラグナと共にやってきた古株のメンバーだ。アッシュとは年が近いこともあってか組むことが多く、鋼鉄の身体を活かし、皆の盾として活躍をしている。優しい性格から彼を慕う者も多いが、彼は今まで一度も現場を指揮したことがなかった。

 ゆえに、今回いきなりテオドールの存亡に関わる大仕事を任されたことが、どうやら彼は不安でならないようだった。

「そんな顔するんじゃあないよ。だからアーサーも一緒に組ませたんじゃあないか。二人で協力して、うまくやっとくれ」

 イーリスがぽんとランスロットの胸を叩いた。

「……はい、ボス」

 と、なおも頼りなさげな表情を返す彼の横で、アッシュが鼻で笑う。

「だったらさっさとその指揮権返してよ。お前の好きな子守と代わってやるから」

 すると、ランスロットはむっと眉間に皺を寄せる。

「それとこれは話が別だ、アッシュ。そもそもお前に問題がなければこういうことにはならなかったはずだ」

「……なんだって?」

 二人の間に亀裂が走った。

 ちょうど真ん中にいたアーサーが「ひえっ」と声をあげそっと後ずさる。

「せっかくの機会だから言わせてもらうよ。お前は何でもかんでも甘いんだよ! 甘やかしてどうせいい人ぶってるだけだろ!」

「お前こそいつもやり方が自己中心すぎる! みんなはお前の道具じゃない!」

「馬鹿じゃないの? 脳筋馬鹿で俺の苦労も知らないくせに!」

「やめな!」

 ごん、とイーリスが曲刀を強く床についた。二人はしばらく睨み合ってからそっぽを向く。

「なぁにやってんだいお前達は! 今がどういう状況かわかってるんだろう?」

「だって、ボス!」

「黙りな、アッシュ! アンタにはルクレツィアの面倒を見るように言ってるはずだよ」

 反論するアッシュにぴしゃりと言い放ち、イーリスはランスロットを見る。

「アンタもだよランスロット。アタシは今回アンタに指揮を任せたんだ。こんなくだらないことで喧嘩してる場合じゃないだろう!」

「……すみません」

 イーリスは最後にもう一度曲刀を床につく。

「いいかい。今ここが正念場だよ。テオドールが食われるか、生き残るかのね。情けない姿なんて見せないどくれ」

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