1-4. 宝石を生み出す少女
アッシュの現在の機嫌は、至上最高に悪いと言える。
テオドールの屋敷イーリスの部屋の前。彼は今、ランスロット、アーサーと共に事実上締め出されるような形で階段の手すりにもたれかかっていた。
本来であれば、今頃彼はボスへの報告を終え上機嫌の予定だった。それがなぜ正反対の事態に陥っているかといえば、時刻は少し遡る。
「戻ったか」
例の蛇との戦闘の後、人目を避けてティラン地区まで戻ってきたアッシュとアーサーは、ちょうど引き返してきたばかりのランスロットと合流した。
「一戦交えた以外は予定通り。特にケガもないよ」
「ケガがないならよかった」
と、心配性な友人へと軽く状況を告げ、さて屋敷に戻ってボスに褒めてもらおう、というタイミングのことだ。
「あの、すみません!」
ティラン地区のシンボル噴水広場で、彼らに突如声が飛んで来た。
こんな時間に、こんな場所で、そして自分達に声をかけて来るなど、どう考えてもまともではない。敵かそれともよほど馬鹿なのか。そんなことを考えながら声を向き──アッシュはまず目を疑った。
第一印象は、白だ。
明かりのない漆黒の中で、少女はまるでほの白く輝いているように見えた。水晶のように透き通った白い肌と白い髪が、何色にも染まらず噴水の傍らに佇んでいた。
年は十二、三くらいだろうか。自分と頭二つ分くらい背の違う少女を見下ろし、アッシュは思わず眉間に皺を寄せた。
アッシュと視線が交うと、少女はほっとした表情で色素の薄い赤い瞳を細め微笑んだ。
「よかった、テオドールの人……ですよ、ね?」
少女の視線はランスロットを向いていた。何で確信を得たのかは一目瞭然である。致し方ないとは思いつつも、否が応にも突きつけられる自分が異形という事実に、僅かに握り拳へ力がこもる。
「そうだったとして、こんな時間に何の用? 子供は寝る時間のはずだけど」
少女の態度にやや違和感を覚えながら、アッシュはそっと手袋の口に指をかける。
目の前の少女が明確にテオドールの存在を認識している以上、警戒を解くわけにはいかない。
しかし、少女はそんなアッシュの鋭い視線にも怯むことなく、ぐっと胸の前で両手を結ぶ。
「わたし、ルクレツィアっていいます。テオドールに行きなさいって言われたから来ました!」
「はぁ?」
意味が分からず首を傾げると、ルクレツィアと名乗った少女はハッと顔を上げた。
「あ、そっか」
そして、何度か深呼吸の後、パンと両手のひらを合わせる。
「これを見せたら、わかってもらえるって聞きました」
差し出された両手が徐々に開かれ、アッシュ達は思わず目を見開いた。
「宝石を生み出す力、ね」
階段の手すりに体重を預けたまま、アッシュが鼻を鳴らす。
──少女が開いた手のひらには、美しい宝石が輝いていた。
無から有を作り出す。一般的には不可能とされる能力である。たとえ魔法の力を借りたとしても、炎や雷などを疑似的に展開するのが関の山で、それを物質として固着させるのは困難とされる。
目の前の少女が見せたそれは、まさに不可能を可能にさせる力であった。どんな高位の魔導士であったとしても成しえない力。
三人が奇跡を前に思い浮かべたことは一つだった。
「あーんな小さい子がねぇ」
階段の一番上に腰を下ろし、アーサー。その隣で、ランスロットがやや心配げな表情をして扉を見つめている。
今、その奇跡の少女はテオドールのボスであるイーリスと面談を行っている最中だった。
これはテオドールに入る際の通例行事で、この先どうやって生活をしていくかの方針を決めるものだ。上半身が刃に覆われたラグナのように、身体的事情で生活が困難な者や、能力的事情で対処が必要な者など、自然と改造済みが集まるテオドールでは詳細な相互理解が必要となる為だ。
「俺は反対」
そして、こうしてアッシュが反対することも、通例行事だった。彼はテオドールに人が増える度に不機嫌をまき散らしては、周囲から苦笑を買っている。
「またお前はそうやって。あんな小さい子にまで」
「だからだろ!」
ランスロットがそんなアッシュを諫め、アッシュもまた鼻息荒く睨みつける。その横でアーサーがまたやってる、と顔を引きつらせていると、
「なぁにやってんだい、アンタ達」
面談を終えたらしいイーリスが、呆れた顔で部屋から姿を見せた。
「ボス!」
慌ててアッシュが姿勢を正しイーリスを向くが、イーリスの背中から顔を出したルクレツィアを見てすぐに眉根を寄せる。
とん、とイーリスが杖代わりの曲刀を床についた。
「今日からこの子はテオドールの一員だよ」
「ボス!」
下された決定に、アッシュはやはり抗議の声をあげた。
彼が反対することはいつものことであるが、今回はいつになく烈々たる有様だった。イーリスに対し執拗に理由を問い質し、返答の一つ一つに反発している。その激しさに思わず、ランスロットとアーサーが諫めようと声をかけるが、アッシュは耳を貸す素振りすら見せない。
「ボスは、今がどういう状況かわかってるんですか!」
アッシュがここまで反発するのには理由があった。
今朝話題に上がったテオドールを名乗る商隊襲撃事件に加え、ちょうど今しがた同じ改造済みが裏商人達についている場面に遭遇したばかりだ。このタイミングで、しかも自分からテオドールへとやってきたとなれば、警戒をして然るべきだろう。
しかし、イーリスは彼の言葉を一切退け、彼の瞳をまっすぐ見つめて言った。
「この子は、テオドールで引き取る。これは決定事項だよ」
アッシュがわなわなと震え、拳を握る。
「そして、この子の世話役は、アンタに任せる」
イーリスから発せられた思わぬ追い打ちに、今度はアッシュだけではなく、他の二人も素っ頓狂な声をあげた。
「本気ですか、ボス」
ランスロットが信じられないといった顔で、イーリスを見た。
テオドールは、こうして新しいメンバーを迎え入れることになった場合、必ずここにいる三人とラグナ、ルーヴを加えたコアメンバーのうちの誰かが、慣れるまでの世話役としてつくことになっている。しかし、アッシュだけは排他的な性格が災いし、新人に攻撃し始めることから余程のことがない限りはこの役回りから外されていた。
「何で俺が!」
「黙りなアッシュ、これは命令だよ」
命令と言われてしまうと、アッシュは黙る他ない。唇を噛み締め、鋭く先程から黙っている白い少女を睨みつける。
対して、渦中にいるはずのルクレツィアはというと特段怯えた様子もなく、きょとんとした表情で一切を見守っていた。
「部屋はアンタの隣だ、いいね?」
と、イーリスが告げたちょうどその時。
「ボス、準備できましたよー」
イーリスの部屋の二つ隣──つまり、アッシュの部屋の隣──の部屋から、一人の女性がひょっこりと顔を出した。彼女の名はリチュエル。イーリスを除いたテオドールの中で、唯一の普通の魔族であり、屋敷の家事を取り仕切っている女性だ。
リチュエルは後頭部でまとめられた焦げ茶色の尻尾をゆらゆらと揺らしながらやって来ると、ルクレツィアの前に屈んで目を合わせる。そして、ぎゅっと彼女の手を握り締めると弾かれたように口を開いた。
「初めまして、リチュエルと申します。リチュでもエルでもお好きな方でお呼びください。ちなみに、テオドールはリチュ派とエル派でなんと二十五対二十五対一です。一はボスです!」
一気にまくし立てられて、ルクレツィアがぽかんと口を開けた。
「リチュ、お前まだそのカウントしてるの……」
すっかり見慣れた光景に、アッシュが思わず不満を忘れて呆れた顔をする。リチュエルは立ち上がり、拳を握ると、
「えぇ、もちろん! 私が死すべきその時まで! 毎回半々になる名前の謎に立ち向かっていく所存です!」
と決意を表明して見せた。
「あ、そ……」
聞くんじゃなかったとアッシュがため息をついたが、そんなことを気にも留めず、リチュエルは再びルクレツィアの目線まで腰を落とす。
「それで、ルクレツィアさんはどちらで呼ばれますか?」
「え、う……それは」
ルクレツィアが少し困ったようにアッシュを見上げた。適当に呼べばいいのにと肩を竦めると、隣のアーサーが助け舟を出す。
「おいおい、いきなりそれはビビるって。エルでいんじゃね? エルで」
「はい、じゃあ、エルさんで」
躊躇いもなく少女がそう呼ぶと、リチュエルはやや不満げに眉尻を下げた。
「ぬぬっ、ちょっとばかりさんづけは不服ですね。あ、じゃあエル姉にしましょう! 一度呼んでみていただいても?」
「エル、ねえ……?」
「あー! いいですね、いいです! 一度そうやって呼ばれてみたかったんです、私!」
彼女はぱんと一つ手を打って、嬉しそうにルクレツィアの手をぶんぶん横に振る。
「リチュエル、アンタその辺にしときなよ」
「あ、ボス、はい」
イーリスに咎められ、リチュエルがハッと申し訳なさそうに頭を下げる。
イーリスは一度ルクレツィアの頭を撫でると、全員の顔をぐるりと見回した。
「さて、そういうことだからね。アッシュ、くれぐれもよーく面倒を見るんだよ」
「……はい、ボス」
アッシュは不服そうに口を尖らせ、ルクレツィアを睨みつける。
「とりあえず今日はさっさと寝ろよ。説明はまた明日」
「はい、わかりました。寝ます」
素直な少女の返事に違和感を覚えながらも、アッシュは考えないことにして、リチュエルに顎で指示を出す。
「お部屋はここ使ってくださいね。お着替えお持ちしますから」
「はい」
リチュエルの後に少女がたたた、と小走りに続く。
「はっ」
突然、リチュエルが立ち止まり振り返った。
「二十五対二十六になりました!」
「心底どうでもいい!」
アッシュは盛大に切り返してから自室に入り、ばたんと扉を閉める。ルクレツィアもリチュエルに連れられ部屋へと入り、廊下にはイーリス、ランスロット、アーサーの三人が残された。
「……なぜアッシュに?」
一部始終を黙って見ていたランスロットが、最初に口を開いた。
「女の子ならルーヴでもよかったんじゃ?」
と、アーサー。
二人共心配なのは同意見のようだった。
イーリスは小さなため息の後、二人とそれぞれ目を合わせると、
「アンタ達に、話しておくことがある」
声を潜めてそう言った。
扉の奥から、リチュエルが何やら説明をしている声が聞こえてくる。三人は一度アッシュの部屋を見つめ、音を立てぬよう静かにイーリスの部屋へと入って行った。
テオドールの夜は、まだ終わりそうもない。
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