1-3. 蠢く

 ラクーナ南東ストラナ地区。月の落ちた魔界の夜、彼らは実に静かに蠢いていた。

「さあて、本日は特に活きのいいのが入っておりますよ」

 そこは小さな舞台だった。雑な木の骨組みに、適当な板を張り合わせ、適当な布を被せただけの小さな舞台。舞台の前には三十人程度の商人達が、食い入るように前方を見つめている。

 舞台上には、シルクハットをかぶった紳士と檻。そして、檻の中にはまだ年端も行かない魔族の少年が、自分に向けられる好奇の瞳から逃れるように顔を伏せていた。

「元々スラムにいた少年でございます。毎日町中駆けまわっていた為、御覧の通り身体は丈夫でございます」

 檻が開き、紳士が少年を無理矢理立たせる。両手両足は鎖に繋がれ、身体中には赤い跡が走っている。すっかり抵抗する気もなくした少年は、言われるがままに舞台の中央へと歩み出た。

 スポットライトは魔鉱石で灯る辛気臭い炎ただ一つ。晴れの舞台というには、あまりにも残酷な光景だった。

「五万オーブ」

 一番前に陣取った男が手を上げた。

「六万五千」

 右手後方、白い外套を纏った男。

「七万」

「十万オーブ」

 次々と商人が、我こそはと目の前で震える少年に値をつけていく。

「十五万」

 後ろ側でひっそりと立っていた男が声をあげると、商人達が即座に口を閉じた。

「それでは、十五万オーブで決まりでよろしいですね」

 シルクハットの男が後ろに控えていた男に指示を出す。会場にまばらな拍手が響いた。

「……反吐が出る」

 そんな闇市の様子を建物の上から窺っていたアッシュが、不快感を顕わに呟いた。隣にはランスロット。少し離れた屋根の上にはアーサーが待機している。

 彼らの今日の仕事は、人身売買の阻止と子供達の救出である。

 人身売買はブラックと共に国で厳重に禁止されているが、今でも裏商人達の重要な財源の一つだった。それは偏に売り先があるからであり、その売り先がどこであるか知っているアッシュ達にとって、この場にいる連中は仇と言っても差し支えない。

「一体どこから湧いてくるんだか」

 憎々しげに吐き捨て、アッシュは注意深く視線を巡らせる。

 下では既に二人目の少年が運ばれてきており、商人達は再び我先にと金額を叫び始めた。

「二人だな」

 と、隣で同様に様子を窺っていたランスロットが小声で言った。アッシュもランスロットと同じ方向を見つめ、小さく頷く。

 舞台の両サイドに、それぞれ一人ずつ大柄の男と細身の男が立っていた。彼らは先程から運ばれてくる子供達には目もくれず、目線だけで周囲に注意を払っているようだった。おそらく、今回護衛として雇われた傭兵であろう。

 幸い彼らの監視の目からは、今のところ外れているようだ。

 アッシュはもう一度売買会場を見回し、

「それじゃ、手筈通りに」

 と二人に合図を送る。ランスロットが裏手からするすると下へ降り、アーサーは跡形もなくその姿を消した。

「それでは、本日の目玉です!」

 舞台上から、高揚した声が響いた。運ばれてきたのは少女。──しかも、人間だ。瘴気の影響ですっかりやせ細った少女が、胸を押さえて咳き込んでいる。

「……わざわざ地上から攫ってきたのか」

 ぎりと下唇を噛んで、アッシュは静かに手袋を外す。

「三十!」

「五十!」

「百!」

 魔界においては希少な人間とあって、商人達は破格の金額を我こそはと叫んだ。

「二百!」

 その金額と共に再び静けさが訪れ、刹那。舞台が崩れ落ちた。

「な、何事だ!」

 商人達が想定外の出来事に慌てて立ち上がる。売買会場が一斉に騒然となる中、崩れた舞台上に鋼鉄の男が滑り込んだ。

「テ、テオドールだ!」

 なんとか廃材の山から這い出たシルクハットの男が、ランスロットを見るなり叫んだ。商人達がぎょっと舞台上を見上げ、弾かれるように一斉に狭い路地へと逃げ走る。

 しかし、逃走の甲斐もむなしく、彼らは突然壁から倒れこんできた材木により退路と失うこととなった。

「やあこんばんは、ご機嫌いかが?」

 音もなく、アッシュが商人達の後ろに降り立った。唯一の逃げ場を塞がれ、商人達が腰を抜かし口をぱくぱくさせる。

 アッシュは屋根を見上げた。すると、屋根の一角に一瞬だけひまわり色の花が咲き、すぐに闇へと溶けていった。

 かん、と重たい靴音を鳴らし、一歩進む。

「色々聞きたいことがあってね、協力してくれる?」

 蜂蜜色の瞳が冷たく微笑んだ。

「ね、商人の皆さん?」



「はいはーい。少年少女、こっちこっち」

 時刻は既に日付を跨ぎ、瘴気にまみれた夜。

 十数人の少年少女を引き連れ、アーサーは暗い路地裏を先導していた。

 子供達を狙う商人共は、今頃アッシュ達が食い止めてくれているはずである。自分の役割は、このまだ幼い彼らを安全な場所に誘導することだ。

 アーサーは最大限に注意を払いながら、黙々と目的地を目指した。

 ちらりと振り返れば、半信半疑と言った表情の少年少女達。ここに至るまで散々痛めつけられてきた彼らは、アーサーのことも信じていいのかわからないようだった。

「ったく、嫌なこと思い出させてくれるぜ……」

 ポリポリと頭をかいて、アーサーはぼそりと呟いた。

 そうこうしているうちに、辛気臭い路地にも終わりがやってくる。夜であっても魔鉱石の光が灯る、中央街への出口だ。

「よし」

 アーサーが路地を出る手前で止まり、子供達に向けてしっと指を口に当てた。子供達は、やはり不安げな表情でアーサーを見つめている。

「いいか。このままあの噴水のところまでまっすぐ走れ。それで、助けてって叫ぶんだ」

「おにーさんは?」

 そう尋ねたのは人間の少女だった。おそらく立っているだけでも辛いのだろう。胸を押さえ、肩で息をしながら、彼女は不思議そうに首を傾げる。

 アーサーはできる限り優しく微笑み、

「おにーさんにゃ、あの光はちょっと眩しすぎんだ。わりぃな」

 と片目を瞑って答えた。そして、一度屋根上に視線を向けてから鋭く叫ぶ。

「行けっ! 振り返んな!」

 子供達が押し出されるように路地裏から走り出た。最後に、人間の少女が軽く目線だけでお辞儀をしたのを見て、アーサーは小さく手を振りその背を見送る。

「さて、と」

 子供達の助けてという叫び声が街中に響き渡り、遅れて少しばかり暑苦しい兵士の声を聞きどけると、アーサーは緊張した面持ちで路地裏の奥に蠢くそれを睨みつける。

「目的、子供達じゃあなさそうね」

 夜よりも遥かにどす黒い気配を纏い、猛禽類の目をした男がゆらりと姿を現した。

「どちらかというと俺系かと思ったけど、まっさかねぇ?」

 じりじりと距離を取りながら、四方に視線を巡らせる。そして、一呼吸。

 アーサーが──跳んだ。



 ランスロットは腹腔から息を吐き出し、思い切り右腕を前方に向けて振るった。

 鈍い音が響き、壁に叩きつけられた男はあっけなく事切れる。

「……まさか、同類とは思いもよらなかったな」

 憐憫を含んだ表情で、彼は事切れた男を見た。男の腕は銀色をしており、その様はランスロットによく似ている。そう、彼もまた人体改造を受けた者の一人だった。

「改造した側につくなんて、気でも狂ってるとしか思えない」

 そう呆れた声で言ったのはアッシュだ。彼は、戦闘が終わったのを確認すると、シルクハットの男を引きずりながらランスロットの元へとやって来る。

 思わぬ同類の出現に、さすがの彼も少しばかり驚いたようだった。改造を受けた者が傭兵をしていること自体はそう珍しくもないが、このように裏商人側につくケースは稀である。

 裏商人は人体改造の研究所と繋がっていることが多いのだ。彼らのような改造済みからすれば、協力するなど正気の沙汰ではない。

「まぁ、いいや」

 アッシュは、ショックで気絶したシルクハットの男をランスロットに投げ渡す。あまりにも乱暴な受け渡し方法に、ランスロットが思わず眉をひそめた。

「アッシュ、お前はもう少し……」

「トールとトゥーラに渡しておいて」

 ランスロットの苦言を遮りアッシュが用件を告げる。

 不意に、二人が同時に子供達の向かった路地裏へと振り返った。石壁から反響して、二つの足音が慌ただしく近づいてくる。

「時間あんまりなさそう。急いで」

 アッシュに促され、ランスロットは男を担ぎ頷いた。彼が器用に壁をよじ登り姿を消した頃、今度は路地裏からひまわり色の少年が飛び出してくる。

「ヘルプへループ!」

 やや前のめり気味にアッシュの隣へと滑り込んだアーサーは、軽く咳き込みながら引き攣った顔で路地裏を振り返る。

 ──形容するならば、蛇だ。

 暗い石畳の上を、赤黒い蛇のようなものが音もなく這いずり回っている。

「何だよ、これ!」

 アッシュが叫んだ。

「俺が知りたい! 子供達んこと興味なさそうだったから、俺らに用があるっぽいけど!」

 早口でそう告げて、アーサーはアッシュの背に隠れてしがみつく。

 彼は諜報スキルには長けるが、臆病な性格も災いしてあまり戦いは得意ではない。お願い、と顔の前で手を合わせるアーサーに、アッシュは舌打ちして前方を睨みつけた。

「これ、魔法?」

 ぐるぐると二人を囲むように蛇が数匹。それは影のようであり、炎のようでもあった。目の前のそれから強い魔力を感じつつも、アッシュはいまいちピンとしない顔をする。

 今まで魔導書を何百冊も読み、そのほとんどを暗記しているが、この蛇は彼の記憶のどこにも存在していなかった。新型の魔法なのか、それとも全くの別の代物なのか、現段階では判断しかねる様子で、しかし、彼は両手のひらに力を込める。

「……術者は?」

 ほとんど唇を動かさず尋ねると、アーサーは囁くようにあそこ、と西側の通路を指さした。路地裏の影に一人、男が佇んでいる。よく見ると、男の足元から這い出るように蛇達の尻尾が繋がれているようだった。

「夜でもよーく見えるみたい」

 瞼を指でトントンと叩きながら、アーサー。

「よく見える、ね」

 蛇の描く円は徐々に小さくなり、二人にいつ飛び掛かろうかと様子を窺っている。アッシュは心の中で三つ数えると、

「跳べ!」

 合図と共に、アーサーが後方に跳躍する。

 何匹もの蛇が鎌首をもたげ、一斉にアッシュへと飛び掛かった。赤黒い光が彼に向かって食らいつき、燃やし尽くさんと炎を上げる。

「アッシュ!」

 目も開けていられない程凄まじい熱線に、アーサーが思わず名前を呼んだ。

突如、蛇が内側から破裂した。

 間もなく、炎の中から現れたアッシュが前方に向けて距離を詰め、両手のひらから、それぞれ別の言葉を紡ぎ出す。

 煌々と炸裂する炎が路地裏の影を照らし出し、驚愕に見開いた人影を氷と雷が同時に捉える。

 ──多重韻律。口が三つあるアッシュにのみ許された、魔法の同時発動である。

「悪いけど、時間がないんでね」

 逃げ場を失った人影が慌てて新たに蛇を出すも、それよりも先に彼の身体を氷の塊が貫いた。

「せっかく……手に入れ、た、のに……」

 男は事切れる前にそう言い残すと、ずるりと壁に倒れこんだ。

「……せっかく、手に入れた?」

 血だまりを見下ろして、アッシュが眉をひそめる。

 魔法でできた氷がぱりんと割れて、消えていった。

「いやー、死ぬかと思ったぜ」

 と、緊張感のない声でアーサーがゆるゆると腰を下ろした。途中何度かあの蛇に噛みつかれたのだろう。何か所か服に燃えた跡が残っている。

「子供達は?」

「手筈通り。って、少しは心配して?」

「手足がなくなってるなら考えてもいいよ」

 アッシュの辛辣な言葉に、ですよねーとアーサーが眉尻を下げた。

 彼らの後ろ側では、残された裏商人達があんぐりと口を開けたまま震えている。

「……行くよ、来た」

 もう一つくらい文句くらいと口を開きかけたアーサーへ、アッシュが視線で後ろを指した。

 路地裏から暑苦しい男の声と共に、複数の足音が近づいてきている。

「もう少し猶予欲しかったぜ……」

 さっと身を翻し屋根へと跳躍するアッシュの背を見ながら、アーサーがぼやいた。そして、先程まで追いかけっこをしていた男を見下ろし、何かを見つけて屈みこむ。

「なんだこれ」

 事切れた男の足元に、黒い宝石のはめ込まれたバングルが落ちていた。見たところ何の変哲もないアクセサリーのようだ。

「まあいいや、持って帰ろ」

 どかどかと乱暴な足音がすぐ近くまで迫っている。アーサーはバングルをポケットに押し込み、静かに闇夜へと溶けていった。

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