1-2. アレスター商会

 その来客を、アッシュは仏頂面で出迎えた。

 昼食を終え、食後のコーヒーでも、という時間である。常磐色の髪をした男が、煌びやかな服を纏いテオドールの屋敷へと訪れた。

 魔界一の商人ギルド〈アレスター商会〉の元締めゼラン・アレスター。

 それが男の肩書と名前である。

 彼はイーリスの向かい側に足を組んで座ると、眉間に皺を寄せて第一声。

「当然金になる話なんだろうな」

 と、不機嫌さを隠すことなく言い放った。

「そう言わんどくれよ。ちょいと嫌な話を耳に挟んでね、アンタなら詳しいだろうと思ったのさ」

 いっそ清々しいほど横暴な態度の男を前に、イーリスはあくまで笑みを崩さず膝の上で手を組んだ。その後ろでは、アッシュが不快感を顕わにしながらも黙って立っている。

「あぁ、どこぞの裏組織が商隊を潰したという話か」

 ソファの背もたれに腕をかけ、ゼランが一笑を付した。

「相変わらず話が早いねぇ、それで?」

 イーリスが尋ねると、ゼランの紫水晶のような瞳が鋭い光を放つ。

「迷惑極まりない。こちらは大損害だ。潰された商隊だって、一つや二つじゃない。この二か月で悠に十は超えている」

 彼が所有するアレスター商会は、ラクーナで取引を行う上で窓口のような存在だ。他国や地方から運ばれてくる商品は必ずアレスターを通っている為、入ってくる商隊の数が減れば、当然その分実入りは少なくなる。

 更にこの男、商人である一方で国の財政を預かる官僚でもある。彼からしてみれば、今回の騒動は、商売への直接的な打撃であると共に、国交へも影響しかねない大事件なのだ。

「疑ってるのか」

 アッシュが今にも飛び掛かりそうな表情で、目の前の商人を睨みつける。

「やめな、アッシュ」

 イーリスが厳しい声音で諫め、煙草を手に取り火をつけた。ゼランが鼻を鳴らす。

「ふん。本当にお前達の仕業だと思っているなら、わざわざ一人でここへは来ん。もっと別な手段で潰しにかかっているところだ」

「何?」

「やめなって言ってるだろう」

 敵意むき出しのアッシュにぴしゃりと言い放ち、イーリスはゆったりとした動作で煙を吐いた。

 テオドールとアレスター商会。

 この二つの組織の間には、表沙汰にはできない密約が存在している。

 それは、アレスター商会がこの国の商人達を守る為の手段であり、テオドールもまた、このティラン地区で生きていく為の契約だった。


 一つ、アレスター商会及びその傘下の商人は、ブラックの売買、人身売買に一切の関わりがなく、疑われることがないこと。

 一つ、テオドールは前項が守られる限り、アレスター商会及びその傘下の商人に対し、手を出さないこと。

 一つ、アレスター商会はその証明金をテオドールへ支払うこと。

 一つ、もしアレスター商会及びその傘下の商人に、ブラックの売買、人身売買の疑いがある場合は、必ず代表者ゼラン・アレスターに報告を行うこと。

 一つ、前項が守られない場合、テオドールはティラン地区を退去すること。


 契約は数か月に一度、テオドールのボスであるイーリス、そしてアレスター商会元締めであるゼランの二者が対面の元で更新される。

 無論、この密約は商人達にとっても周知の事実であり、いわば公然の秘密というやつだった。彼らにとっては、面倒ごとを全てゼランが引き受けているようなものだ。思うことはあろうが、今のところ反論はない。

 最もこの男からすれば、テオドールは食事の定期摂取が必要のない魔族の中で、高額な食料を大量に購入してくれる上客であるのだが、それはそれである。

「聞きたいのは二つだ。なぜアタシらが疑われているか。そして、なぜその噂が今立ったのか。呼ばれるまま来たってぇことは、違うと言える根拠があるんだろう?」

 イーリスが指を立てて尋ねると、間髪入れずゼランが答える。

「一つ目。今回商隊を襲っていた連中は、自らテオドールを名乗っている。認めがたい事実だが、お前はそこまで馬鹿ではないと思っている」

 一呼吸、間が空いた。

「二つ目。連中は、お前たちと特徴が一致する」

「特徴って……」

 困惑気味に呟いたアッシュに一度視線を送ってから、ゼランは言葉を付け加える。

「商隊を襲ったのは、いずれもお前たちと同じような連中だったそうだ」

 アッシュが大きく目を見開いて、声にならない叫びをあげた。

 ──同じような。

 この言葉は、彼らテオドールの者にとって大きな意味を持つ。

 単なる裏組織というだけではない。同じというのは、つまり。

「人体改造を受けた連中が、テオドールを名乗って商隊を潰してるってことで間違いないかい?」

 イーリスが煙草を灰皿で捻り消した。燻る煙草の煙が、すっと流れるように天井へ立ち昇る。

 魔族でありながら、魔族非ざる姿を持ち、魔族非ざる力を持つ者達。

 そう呼ばれる彼らの真実は、過去に人体改造を受けた子供達の集まりだった。

 アッシュの両手のひらの口、ランスロットの鋼の身体、アーサーの擬態能力──いずれも人体改造によって得たものであり、その改造に本人の意思は一切介在していない。改造の種類はそれぞれであるが、皆理不尽な改造の結果居場所を失い、ここテオドールにたどり着いたのである。

「俺ら以外に、そういう組織があるってこと?」

「さてな。俺も全て知っているわけじゃあない」

 アッシュの問いに、ゼランは肩を竦めた。そして、床に置いてあるカバンから何やらごそごそと取り出すと、イーリスへと差し出した。

 イーリスが思わず、はじまった、と眉間に皺を寄せる。

「注文を聞こうか」

 紙にはやや大きめの字がびっしりと書かれており、イーリスは内容を確認すると躊躇いもなくゼランに突っ返した。

「まったく、最初っからわかってんなら今日この場に持ってきてほしいもんだよ。あぁもうやだねぇ、ほんとアンタは商売の話ばっかりだ」

「商人が商売をせずにどうする。今回の件でこちらも商売あがったりなんだ。まさか契約なしで帰らせるつもりじゃないだろうな」

 それを心外そうな顔で受け取り、ゼラン。イーリスがニヤリと笑った。

「そうさ。今回アンタは商売に困ってる。アタシらもない罪被ってる状況だ。等価交換としちゃ十分成り立ってると思わないかい?」

「足りん。こちらの分が悪い」

 なおも食い下がるゼランへ、イーリスが今日一番に意地の悪い笑みを浮かべた。

「それじゃ、この前のツケで払っておいとくれ」

 絶句だった。ゼランが切れ長の双眸を見開いて完全に停止している。

 アッシュが思わず吹き出した。

 二の句を継げずにいる彼に向かって、イーリスはさらに追い打ちをかける。

「いいかい? テオドールを名乗ってる連中の特徴だ。気にすることはないよ、アタシゃ、優しいからね。おまけまでつけてくれとは言わないよ」

 あっはっはと豪快に笑って見せると、ようやく戻ってきたゼランが口惜しそうに項垂れる。

 営業の余地なし。商人にとってこれ以上の屈辱は他にない。

 ゼランはややしばらく考えを巡らせているようだったが、これ以上の抵抗は無駄と判断したのか、最終的には苦々しく長いため息をついた。

「これでツケはチャラだ」

 そして、そう言って乱暴に立ち上がり──しかし、扉は静かに閉めて──部屋から出て行った。

「頼んだよ」

 扉越しに叫んだ一言はどうやら届いたらしい。ちっという舌打ちが二人の耳にしっかり飛んできて、イーリスとアッシュは顔を見合わせ声を殺して笑った。

 やがて玄関が閉まる音を最後に、屋敷がしんと静まり返る。

「まったく騒がしいったらありゃしないよ」

 イーリスがソファに深く腰をかけて言った。

「騒がしくさせたのボスじゃないですか」

 そう文句をつけながらも、アッシュは先程のゼランの表情を思い出しにやけ顔である。

 あの大商人の間抜け面など早々見られるものではないのだ。楽しまずしてどうしようか。

「しかし、面倒なことになったもんだねぇ」

 そんなアッシュを横目に、イーリスが深くため息をついた。

 今回の事件は思ったよりもずっと事態は深刻である。商隊を襲っている連中が単にテオドールを騙っているだけならば潰してしまえば済む話だが、敵に改造済みがいるとなると話が変わる。

 事情をよく知る者達ならともかく一般人からすれば、改造済みと言えばテオドールだ。ここまで噂が流れてしまうと、最悪国が何らかの形で自分達へと動く可能性も考え得る。そうなってしまえば、否定する材料のないテオドールには打つ手無しである。

「悠長にやってる暇はなさそうだからね。いいかいアッシュ、あのジジイが動くよりも前に、片を付けるんだよ」

「はい、ボス」

 イーリスの発する空気がほんの少し尖ったのを感じながら、アッシュは頷いた。そして、彼女の側に跪くような形で腰を下ろす。

 蜂蜜色の瞳が、不安の影を落としたままイーリスを見つめた。

「ボス、俺」

 そう口を開きかけたアッシュの頭を、イーリスがぽんと撫でた。柔らかい紅茶色の髪の毛が指に絡みつく。

 アッシュは目を閉じ、嬉しそうにイーリスの手に頭をすり寄せた。

「そんな顔するんじゃあないよ。アンタがそんな顔してたら、他のみんなも不安がるだろう?」

 ぴくりとアッシュが肩を強張らせ、顔を上げる。

「いいかいアッシュ。よーく聞いとくれ」

 イーリスの手が耳を撫で、頬へと降りた。アッシュは右手をその手に重ね、ほんの少しだけ力を込める。

「アタシがアンタに守ってほしいのは、アタシじゃあないんだよ。アタシはアンタに、……テオドールを守ってほしいんだ」

 切々と、イーリスはアッシュを見つめてそう告げた。いつもの笑みは無く、緋色の瞳は真剣な光を宿している。

 アッシュは一度目を伏せてから、

「俺が守るのは、ボスだけです」

 やはり今朝と同じようにきっぱりと見つめ返した。

 イーリスは明らかに落胆した表情でアッシュを見下ろすが、

「俺にはボスしかいないんです」

 と念押しされ、それ以上言葉を紡ぐことを諦めた。

 数秒、彼女は真上を向いて目を閉じる。

「アッシュ、悪いんだけどランスロットとアーサーを呼んできてくれるかい? アンタ達三人に頼みたい仕事があるんだよ」

 再び目を開いた時には、表情から苦みは消え去っていた。

 アッシュは名残惜しそうにイーリスの手に触れてから、立ち上がる。

「はい、ボス」

 そして、いつも通りの表情で言葉を返し、くるりと背を向け部屋から出て行った。

 イーリスは一人残された部屋で、煙草を咥え火をつけた。特別に調合してもらった煙草からは、甘い香りが立ち昇る。

「ちょいと甘すぎたかねぇ……」

 灰皿に灰を落とすと、燻る炎がちりちりと指先へと進んで行った。

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