アダムズの聖骸布 

 ぬるっとしてる。

 むせ返るほどの生臭さ。

 公園の鉄棒とか使ったと手を嗅ぐとこんな匂いがするっけ。


 これは血だな。それも温かい血だ。

 目を開けるまでにそこまで認識にし、俺はそっと瞼をあげる。


 視界が悪い。赤い……赤い煙?

 これは血の蒸気か。どうりで臭いわけだ。


 遠くへ目をやれば血煙のなかに大きなシルエットが見えた。

 それは人の形をしている。両膝を地につき、胸を天より長大な槍に穿たれている。高層ビルみたいなサイズの槍だ。あんたものを振るう人間はいない。


 血だまり、否、血の湖から俺は腰を上げる。

 服装が俺の最後の記憶とがっちしない。

 焦げ茶色のコートを羽織っている。もうずいぶん愛用している品だ。

 しかし、これは儚いレヴィのためにあげちゃった物のはずだが……。


 俺はドクターがダンボールから作りだしたアダムズの聖骸布を羽織って……そして気を失ってしまったんだ。最後に見えたのは赤い雷。


「現実世界ではない、か」


 神秘にも慣れてきた。

 ここが不確かな空間なのも感覚で把握できる。


 ピチャ。ピチャ。

 それは血の湖を踏む足音。


 前方から聞こえてくる。

 血煙を越えて姿を現したのは黒髪のちいさな女の子だ。

 半眼でこちらを睨んでいる。非常に不愉快そうな表情だ。


「痴れ者め。聖域を汚すとは。恥を知るのじゃ」


 俺は周囲を見やる。

 血でべっとり濡れたコートの裾をもちあげてみせた。

 

「元々クソ汚いみたいですけどね」

「それは聖なる赤い血じゃ。汚れは貴様のことじゃ」

「どこののじゃロリか知らないが、初対面の人間にそんな口の利き方しちゃいけません」


 教育がなっていないようだ。


「ここは一体どこですか。教えなさい、野生ののじゃロリ」

「命令、じゃと……とことん不遜なやつじゃ」


 少女は手をパンっと叩きあわせ、手で奇妙な印をつくった。

 次の瞬間、四方八方から血錆びた鎖が飛んできた。

 四肢をからめとり、各々の方向へ引っ張ると、俺の身動きを完全に封じた。


 俺の周囲を取り囲むように血に濡れた石像が降ってくる。4本の腕を持っている者、8本の腕を持っている者、16本の腕を持っている者とそれぞれ形状がちがい、握っている武器もそれぞれで異なる。表情はだいたい怒りを浮かべた鬼のようだ。


 一体どこからあんたものが。

 天を見やる。血の湖がひろがっていた。

 あそこから落ちてきたようだ。血が降ってこないのが不思議だ。


 石像どもは危険な雰囲気をはなっている。

 今にも動き出し襲い掛かってきそうだ。 


「いかにして聖域に触れたかを答えろ、痴れ者」

「ダメだ、さっきからあんたが何を言ってるのかひとつもわからん」

「赤い血の力を求めてここに来たのじゃろう。しらを切ろうと無駄じゃ」

「アダムズの聖骸布を着込んだらこの身の毛もよだつ場所にいた。以上だ。俺の言えることは」

「それはありえないことじゃ」

「どうして?」

「赤い血を包んだ布はまだそこにある」


 少女は自身の背後を見やる。

 向こうには件の槍に穿たれた巨人がいる。

 しかし、よく目を凝らせば、巨人のだいぶ手前に台座があるのに気づく。

 台座のうえには赤い布地が置いてある。あれがアダムズの聖骸布かな。


「でも、うちのドクターが御手製でつくったバージョンもあるぞ。世の中にはいろんな聖骸布がある。それじゃだめか?」

「訳のわからないことを。どういう意味か説明をするのじゃ」

「いや、俺もよくわかってないというか」

「話にならんのう。去れ」

「帰り方を教えてもらえるか」


 血煙の彼方から槍が飛んできた。

 俺の胸を刺し、背中から穂先が飛び出した。


「お前は帰るのではない。死ぬのじゃ」


 俺は四肢を拘束する鎖をひきちぎり、拘束から逃れ、胸に刺さった槍を抜く。

 少女は驚いた様子で俺を見ていた。


「ほう、おぬし、旅を終えた者か。資格があると見た」

「この槍で刺されて死なないことが資格か?」

「神殺しの槍の力で死なないということは、おぬしが導きに従い、布を集めて聖遺物を完成させたということじゃ」


 厳密には集めてないが、言及する必要はないな。


「かつて多くの者が布集めの旅に挑んだ。ここまでたどり着いた者もおった。じゃが、だれも試練を終えることはできなんだ」

「それはどうして」

「ここは終点。おぬしの旅の終わり。神の力を求めるのならば、力を示さねばならん」


 少女は俺に手をかかげる。俺の身体が温かくなる。

 ステータスを開いて見やれば、すべての数値が回復していることに気づく。

 彼女の力で回復してくれたようだ。優しいところあるね。


 槍がぐいぐい引っ張られる。どうやら彼女の手から引力が発生していて、この槍を手元に呼び戻しているらしい。クトルニアの指輪で具現化した黄金のつるぎも同じように、手元に引き寄せれる便利な能力があるのでわかる。


「試練には万全な状態で挑ませてやれる」

「ありがとう、のじゃロリ」

「じゃが、その先は過酷じゃ。非常に過酷じゃ」

「何がどう過酷なんだ」

「過酷な試練なのじゃ」

「あぁ」

「この最後の試練を越え、神の残した力を継承した者はいない」

「どんな試練なんだ」

「それはな……」


 少女は語りながら、眉根をひそめる。

 ちいさな手をより大きく開いた。

 俺が握る槍がひっぱられる力が増していく。


「……それは、わしを倒すことじゃ。この血の乙女ルー・ウルをな」

「ルー・ウル? 呼びにくい名前だな」

「偉大な名じゃ。おぬしのちっぽけな価値観ではかれるものではない。このっ、うぅ」


 少女ルー・ウルは眉間にしわを寄せ、口端をぴくぴくさせる。

 手に力がこもっている。俺が握っている槍はより強く引っ張られる。


「わしは強く、勇敢で、忍耐力がある。永劫の時、この地を守る続けてきた。資格なき者、力無き者に、大いなる遺物が渡らないように」

「でも、俺、着たんだけどな。アダムズの聖骸布」

「形だけの物に意味は、ない。わしを倒すことで、ようやく聖骸布のもたらす恩寵を受け取ることができるのじゃ」

「まじか。じゃあ、あれパッケージだけかよ。レジに持っていて商品と交換するタイプか」


 それじゃあ、試練を受けないといけないか。


「何を言ってるかわからんが……いいから槍を離せいっ、試練が始まらんじゃろうが!」


 少女は額に青筋を浮かべ、ブチぎれてきた。

 恐ろしいので槍を手放す。びゅんっと飛んでいく。


 思うにここは精神世界とかいうやつだろう。

 夢のようなものだ。何もかも虚構の不思議空間。

 ならば構うことはない。ここは異世界と違って絶好調みたいだしな。


 ポケットからコインを取り出してはじく。

 くるくる回転して落ちてくる。手の甲でコインを受ける。

 手で上から押さえ、結果を確認すれば表になっていた。


 最大HP11,980,000にスキル『確率の時間 コイン LV2』が乗り、まず40%のステータス強化を得た。最大HP16,772,000となったのち、スキル『黒沼の断絶者』を発動。HPMPを即座に最大まで回復させ、コストをリロードしておく。


 『一撃Lv11』ダメージ7.0倍

 『確率の時間 コイン LV2』ダメージ2.5倍

 『クトルニアの指輪』ダメージ2.0倍


 2つのスキルと1つの異常物質のちからを乗せ、 発動するのは『フィンガースナップ LV9』だ。

 転換レートATK1,000,000:HP1の指鳴らし。俺は自分のステータスのHPの数字が、ガソリンスタンドの給油メーターのように高速で変化するのをぼーっと眺める。もっとも急速に数字が増えるのではなく、減っているのだが。


 HP11,670,000/11,670,000が、HP10/11,670,000になるまでかかった時間0.2秒。


 俺は視線を少女にうつす。

 少女は顔をぱーっと明るくさせていた。

 槍がちいさな手に戻ってきて嬉しい~って顔だ。


「ふふーん! よしよし戻ってきたな! これで最後の試練をはじめられる!」

「もういいか? 倒しても?」

「はは、自身家じゃな。この血の乙女ルー・ウルを倒すつもりでいるようじゃ。若者、まぁせくでない」


 少女は槍を手元でくるくる回しながら言った。


「この聖域に人が来るのもずいぶん久しぶりだといったじゃろう。わしはずっとひとりで守り続けていた。おぬしにも物語があるはずじゃ。いかにしてアダムズの聖骸布を求めることになったのか」

「いや、深い理由はないというか、デイリーミッションに出てきたからなんとなく成り行きで集め始めたというか」

「おぬしは少なからず古い神にゆかりがあるはず。きっとその秘密に興味をもっているだろう。わしは少しばかり詳しい。おぬしが知りたいことも知っている。アダムズの逝去、偉大な繁栄の歴史を聞かせてやろうではないか──」


 意味深な笑みを浮かべる少女。


「興味ねえな! いいから商品をよこせッ! エクスカリバァァア────!」


 パチン。指が擦り切れそうなほどの重たい一撃。しばらく糖質制限みたいな指パッチンしかしてこなかったので非常に気持ちがいい。愉快な気分だ。力みなくして解放のカタルシスはありえない。たしか高名な格闘家の言葉だったか。


 やはり力は解放するために存在するのだと、そう思いました。ええ。


「ぴぎゃぁぁぁぁああ─────!!」


 少女の甲高い鳴き声をかき消して黄金の破滅はすべてを飲み込んでいった。


 ──指男の放った指パッチン。そのダメージ約408兆。南極の氷を容易に溶かしきり、周辺の海すら蒸発させ、数世紀にわたり地球に雨季をもたらせるだけのエネルギー。世界を終わらせる指パッチンは不思議な空間内でおこなわれたことにより誰にも迷惑をかけることはなかったのであった。

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