隔絶された戦力差

 黒く濡れた怪物が逃げる。

 追い詰めるのは代行者たちだ。


 ”火剣のリナ”は焼け焦げる幾何学的模様を宿す剣で斬りつけるが、黒く濡れた怪物はねじれた槍でそれを受け止め、力を流してやりすごす。


「いま」


 リナの作りだした隙に、”怪腕のバーチカル”は黒く濡れた怪物の首根っこを後ろから掴み、地面に頭部を押し付けると、引きずり、地面ですりおろし、放り投げた。


 それを待ち受けていたのは”鬼斧のマルマ”だ。マルマの重厚な斧『クリムゾンオーガの戦斧』は、火炎を帯びると、放られた怪物を打ちかえした。


 強力な攻撃を続けて叩きこまれ、息もできない怪物は、宙を舞い、赤い燃える鎖にとらえられた。まるで蜘蛛の巣にかかった蝶々のように。


「捕まえたぁ」


 代行者序列4位”呪縛のカバス”は、冷ややかに笑みを浮かべ、手で印を結び直す。彼だけが扱う特異な第四等級マジックアイテム『火の鎖』は、原型をもたぬ純熱の鎖である。一度とらえられれば逃れる術は存在しない。


 四肢を『火の鎖』で拘束され、首すら鎖で巻きつけられ、もはや身動きとれない怪物は、鎖との接触部位を熱で焼かれていく。怪物は背中から生える触手で鎖を破壊しようとするが、それは叶わない。


「火に還れ」


 ”崩壊の炎テレジー”は、その右腕を紫色に燃え盛る結晶で鎧化すると、恍惚と目を輝かせ、身動きのとれない黒く濡れた怪物の胸へ突き刺した。黒く濡れた怪物の背面から、燃える結晶が氷柱の群となって生え、肉質をぶちまける。


 怪物はテレジーへ触手を使って反撃しようとしたが、彼女が攻撃範囲から素早く離脱したがために叶わなかった。怪物は紫色の炎に焼かれて息絶えた。


 絶命が確認されたのち、”呪縛のカバス”は『火の鎖』による拘束を解除した。


「やれやれ、恐ろしい怪物がいたものだ」


 テレジーは手をはらい、眉をひそめ、鎧化された部位の結晶を魔力に還元する。

 それを見ていたリナは、彼女の手の甲から袖のなかへと続いている紫輝のルーンをみやる。


「崩壊のルーンを使ったのですか」

「あぁ気づいたのか、リナ」

「ええ、あなたがその火を使うのは珍しいので」


 高等な火の使い手ならば、火の判別はたやすい。

 特にテレジーの火は特別だ。『崩壊の炎』と呼ばれる火のルーンの一種。それは危険な火であり、本来なら異端視される火だ。代行者序列2位に数えられる実力者であり、燃える結晶派の天才だからこそ学院の秘術を託された。


(『崩壊の炎』……テレジーだけが制御できるエンダーオの秘宝。以前の彼女は戦闘下の興奮状態で使用することをためらっていたように思いますが)


「心境の変化ですか」

「コレを使うことを受け入れただけだ。何よりコレを使わないと不良の精霊喰らいに序列1位を譲り続けることになる。それはエンダーオの不利益だ」

「それはそうですね。あの子は調子に乗らせないほうがいい」


 リナは「どこをほっつき歩いているのやら」と、きっと遠くで精霊探ししてる友人に思いをはせる。


「なにより、あの怪物は確実にしとめたほうが良いと思った」

「それにも同意します。あれは極めて危険な怪物です」


 ふたりは燃え尽きる怪物を眺める。

 

「接敵した感触的に代行者単騎で討伐できるかどうか怪しいレベルだ。戦等級にして320は下らないだろう。ニーヂスタン司教の側近『竜騎士』ルブレスはこれが多く見て数万いると見積もったようだが……」

「英雄の怪物級が数万、ですか。それはなんというか、幼い子供の考えた冗談のようですね」


 リナは自分で口にしておきながら、そんなこと端から信じていないかのように楽観的に肘を抱く。でも、態度とは裏腹に表情は険しかった。むしろ自分に言い聞かせるかのように、あえて緊張をしてない風に装っているかのようだ。


 テレジーは燃え尽きた遺骸のそばに落ちている黒くねじれた槍をひろいあげる。


「そうさ、そんなことはありえない。見ろ、この武器を。強力な魔力がこもったマジックアイテムだ。こんなもの初めてみた。レッドアダマス魔法院に在籍してる時でさえ、これほどの品は見たことがない」


 魔術師として非常に興味深そうにテレジーは槍を見つめていた。瞳は好奇に溢れている。自分の手のなかに間違いなく歴史的な逸品があることを疑っていない。


「十中八九、敵の大将クラスないしは最上位の戦士を討ち取ったとみていい。そうでなければこの超絶の装備の理由がみつからない」

「ですが、テレジー、海の種族には詳しくないですが、それほどに身分の高い、武功を積んでいるものならば、部下や付き人を近くに連れているものではないでしょうか」

「さてな。我々とは違う文明をもつ怪物たちだ。同じ尺度で考えるべきじゃない」


 リナは顎に手をあて「……それもそうですね」と同意をする。しかし、彼女の表情はどこか納得してなさそうだった。


「テレジー、これはまずいことになった」

「どうした、シャーマン、いきなり口を開いたかと思えば」


 代行者の最年長の老人へ、テレジーは向き直る。普段は物静かで穏やかな彼の表情はいまや、驚愕に見開かれ、その額には冷汗が浮いている。


 老人の視線の先、生い茂る草木の影に人影があった。

 1体や2体ではない。すべてで40体以上はいるだろう。

 それらはまるで最初からそこに置き物として配置されていたかのように棒立ちして、火教の代行者たちのことをじーっと傍観している。


 それらはすべてが黒くねじれた槍を持ち、濡れた触手の集合体のような身体をもっていた。とても静かで、だからこそ考えの読めない底知れぬ恐怖を感じた。


「シャーマン、やつらはいつからあそこに?」

「わからん。わしも今しがた気づいた」

「テレジー、彼らの装備……」

「……言うな。見えてる」


 リナは己の嫌なほうの予感があたったと悟った。

 代行者たちがその力を振るい、ようやく討ち取った怪物。

 常軌を逸したマジックアイテムをもつソレは、決して特別な個体ではなかったのだ。


(いや、そんなわけがない。それじゃあ、なんだルブレスが観測したという数万単位のこの黒くてヌルヌルした種、そのすべてにこのねじれた槍が配備されていて、同様の戦等級をもつとでも? それでは、この地上の、どんな国家、どんな種族、どんな武器であろうと、打ち倒すことができない無敵の軍隊になってしまう。まさかこれこそが、予言の、山脈よりきたるという『絶望の軍隊』なのか?)

 

 テレジーは初めて直面した絶望に心をえぐられそうだった。

 それでも気をしっかり持ち、ほかの代行者には情けない姿を見せなかった。

 

「こいつら攻撃してこないのか?」


 緊張から下着がぐっしょりと汗で濡れたころ、テレジーはリナへ疑問を共有した。


「……見たところ、こちらを観察しているだけのようですが」


 同様に汗で前髪がピタッとしてきたリナも、注意深く声をしぼりだした。


「同胞を殺されて黙ってみているだけ……これもこいつらの習性、あるいは文化? なんでもいい。ぶつかってどうにかなる物量じゃない」

 

 老人シャーマンの気づきから、3分21秒後、テレジーは火のルーンの力で巨大な火炎の幕をしくと、黒い怪物たちの視界をふさいだ。

 その隙を使い、火教の代行者たちは、心臓を潰されそうなプレッシャーから逃げるようにヴェヌイ方面へ壁を越えてひきかえした。


 以降、彼らは直面した超越的な侵略者たちについて慎重な調査をおこなうことになった。


 敵を知るほどに絶望は重なるばかりだった。

 あまりにも隔絶された戦力差がそこにはあったのだ。

 

 まるで神のいたずらだと──極めて悪質ないたずらだと、代行者たちは嘆いた。

 悪神はこの世の道理に従っていない存在をいきなり地上に出現させたのだ。


 序列1位、真の最強たるイグニス・ファトゥスを含めて自分たちでこの状況をどうにかできるのか。どのように物事が上手く運んでもとてもとても侵略者を追い返すことなどできない。それが代行者たちの出した結論だった。


 とはいえ、なにもしないという選択肢はありえない。

 なんとかするしかない。なんとかこの脅威からエンダーオを、否、この世界に生きとし生きる人間すべてを、あの恐ろしい神の黒き軍隊から守らなければいけない。


「これは最終戦争だ。エンダーオだけじゃない。三大国すべてを含めた問題だ。人類が生き残るか、それともあの黒くてぬめぬめした怪物どもが生き残るかのな」


 最悪の結論にたどり着いた次の日、寝不足で顔色の悪いテレジーは、まだ壁の向こうにいてくれている怪物の軍隊を偵察しにいくことにした。


 そんな時だ。

 爆発が起こり、黒い壁が砕け散った。

 黒い壁まわりでフィールドワークをはじめて以来、初めてのことだった。


(まさか怪物どもが出てきたのか!?)


 テレジーはいよいよ覚悟を決める、

 恐る恐る異変が起こっただろう壁を目視すると、黒い壁はカイリュウ港方面に砕けていることがわかった。


 それはつまり、外側から内側へ、侵入しようとしている者がいるということだ。

 一体だれがそんなことをしたのか。

 そもそも、どうやってこの頑強な壁に穴を空けたのだろうが。


 疑問尽きぬ間に、テレジーは巨壁を乗り越えた。塵埃の舞う街道に、黒いサングラスをかけた男がいた。怪しげな風体のその男は、代行者たちを震え上がらせた怪物たちを複数体しばき倒しているところであった。

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