極めて危険な怪物
火教の代行者たちは黒壁を乗り越え、カイリュウ港方面へ素早く侵入を果たした。そして、その先で見たこともない怪物に遭遇した。
彼らが出会ったのは黒い怪物だ。
触手で全身を構成した人型のそれは、毛玉をクシャクシャにして無理に人の形に成形したように、触手の束で構成されており、手には歪にねじれた槍をもっていた。
「情報にあった黒い怪物ですね」
そう言い、剣を抜くのは若い女だ。
腰や肩にスリットのはいった白い修道服を着こんでいる。赤熱の輝きが浮かぶ黒髪は短い。輝く瞳は夜のなかでさえ熱と明るさをもっている。
彼女の名は”火剣のリナ”。炎竜皇国聖火司教を代々世襲する家柄をもち、特別な剣士の称号『火剣』を継承している武人である。武と知、品と格を持つ、果てしない才女は、代行者たちの実質的なリーダーであった。それだけの器が彼女にはある。
「さっさと駆逐しちまおう」
「久々にシャバの肉を掴める」
言うのは暴力的な香りをひと際放つふたりの男だ。
より体躯に優れる巨漢の名はマルマ。”鬼斧のマルマ”だ。
もうひとりの手をワキワキと握る男は”怪腕のバーチカル”である。
最初に飛び出したのは”鬼斧のマルマ”だった。
身長2m20㎝あるマルマでさえ小さく見えるほどの、身の丈を越える巨大な戦斧をふりまわし、黒く濡れた邪悪な怪物をたたいた。
彼の扱うその規格外の武装こそ第四等級マジックアイテム『クリムゾンオーガの戦斧』だ。先祖が討伐した英雄の怪物クリムゾンオーガから得た強力な武装は、常人には振るう事すらできないが、マルマならばそれを使うこなすことができる。
黒く濡れた怪物は槍で攻撃をガードしており、地面のうえに跡を残しながらズザーっと滑っていく。マルマは怪訝な顔をする。
「こいつ強いぞ」
斧を背負いなおし、マルマはぼそっとつぶやいた。
「情報通りですね。『竜騎士』ルブレスが手を焼いたというのは」
”火剣のリナ”は油断なく怪物の側方へ移動しながら言った。
「どいてろ、マルマ。俺が掴む」
「囚人風情が、でしゃばるな」
「誰に指図してる? お前から千切られたいのか、マルマ」
”怪腕のバーチカル”は”鬼斧のマルマ”へ挑発的に目線をおくり、手のひらを向け握るジェスチャーをした。マルマはスンッと冷めた眼差しをし、バーチカルへ向き直る。
「頭悪いことやめてよ、ふたりとも。大人でしょう?」
呆れたように言うのは赤いローブの魔術師の女だった。綺麗な顔立ちの、紫と金色の毛束が混ざった頭髪をするこの魔術師は”崩壊の炎テレジー”という。
「バーチカル、お前が引け。マルマはお前より遥かに立派な人間だ。そしてさっさとあれを殺せ。それがお前の外にでれた理由だ」
”崩壊の炎テレジー”は瞬きひとつせず、”怪腕のバーチカル”へつげると、彼は肩をすくめ、すぐさま走りだし、黒く濡れた怪物へ掴みかかった。
バーチカルはこの世界における奇跡のひとつ『恩寵』、なかでも『怪腕の恩寵』を与えられた生まれながらの奇跡保有者だ。多くの悲劇と惨劇を生んだ懲役400年を科せられた怪腕は、神に与えられた腕力ですべてを破壊することができる。
ズイッと伸びる悪魔の手。
怪物はバーチカルの野暮ったい攻撃を槍でいなす。
バーチカルに洗練された戦闘技術はない。
しかし、そんなものは必要ない。
なにか掴めればそれでいい。なので、怪腕は構わず槍を掴んだ。
(まずはこれから壊すか)
ちょっと力をこめるだけだ。
それで十分。あぁ、まったく十分なのだ。
怪腕のまえでは万物は等しく脆い。
肉も骨も、木も岩も鋼も、怪物の鱗も甲羅も。
すべて柔らかい赤子の柔肌に過ぎない。
そのはずだったのだ。
その槍も簡単に潰れて、半ばから折れてしまうはずだったのだ。
しかし、二つの黒い棒がねじれてあわさった異形の槍は、まるでその形状を変化させることがない。怪腕に血管が浮き上がるほど力がこめられてもビクともしない。
(は……? なんで、この槍壊れない?)
人生初めての体験。
バーチカルに動揺が走る。
黒く濡れた怪物は槍をひく。
バーチカルの体勢が崩れる。
崩れたところへ、黒掌が伸びる。
燃える刃が黒腕を叩き斬らんとふられた。
”火剣のリナ”の迅速な踏み込みと斬撃。
しかし、腕は断たれなかった。
リナは足刀蹴りを素早く放ち、黒く濡れたの腹部を蹴って押しやった。
「バーチカル、なにをしてるのですか?」
リナは呆けるバーチカルへ苦言を呈する。
バーチカルは冷汗を顔底に伝わせながら、リナへ向き直る。
「隊長さんよ、あの怪物の武器、尋常じゃないぞ。信じられないことだが……あの”黒いねじれた槍”、リオブザル鉱より上位の魔力鉱石でつくられてやがる」
「リオブザル以上の鉱石は存在しないはずですが……ふむ、『怪腕の恩寵』で破壊できない武器、ですか」
”火剣のリナ”は目を細め、警戒心を高めて、黒く濡れた怪物をにらんだ。
(武器だけではないでしょうね。あの怪物自体の強さも尋常ではない。いま確実に肘から先を切断したつもりなのに断てなかった。ルブレスの言葉は正しいかったですが、間違っていた。これは”危険な怪物”ではなく、”極めて危険な怪物”のようです)
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