「やや、やりすぎじゃな」

 帆船が港に到着する。

 ここから先はいよいよ別世界の人類が待ち受ける文明領域だ。


 ドクターと李娜はエージェントGを見やる。「安心していい。危険なことにはならない」冷静沈着な横顔がそうつぶやく。ふたりの非戦闘員はそれだけで「彼女が言うのなら大丈夫だ」と全幅の安心感を得れた。


(そんなに凄いんだなぁ、この女の子)


 ハザドはこの怪しげなサングラスの美少女と多く関わったことがなかった。魚人族と人間族では年齢の概念がやや異なるが、それでもこの少女が若いことはわかる。

 横顔をじっと見つめる。微動だにしない表情。あらゆる事態に即座に対応する心持ができているのだろう。あるいはそれだけの現場を乗り越えてきたか。


(言葉にできない凄みがある。これがエージェントG。エージェントの意味はわからないけど、なんかカッコいい響きだ)


 スーパーエリートの覇気は異世界においてもその効果を十分に発揮していた。


「ここがカイリュウ港です。エンダーオ炎竜皇国の最東で、オリーヴァ海と陸を繋いでます」


 使節団は帆船を停泊させ、ついに上陸し、ハザドは彼らを案内した。


「んあ? 魚人がいやがるぞ」

「あっ、どうも……遊びにきました」

「なんで船なんかに乗ってる? それに妙な船だ。見たことがねえ」

「ええと、俺は、海で困ってるこちらの聖神王国からの旅人を助けてあげまして──」


 ドクターと李娜は、ハザドが港で呼び止められるのを心配そうにみていた。ハザドはあらかじめ考えておいたストーリーを語る。聖神王国からカイリュウ港を目指していた船が航路を外れて漂流していたところを助けてあげたところであり、彼らはヴラから漫遊しにきた資産家一家であり、怪しい人間ではないという設定だ。


 男たちはハザドの後ろをみやる。

 白衣の老人。寡黙な少女。にぱーっと無邪気な笑顔を浮かべる子ども。

 たしかに資産家の老人と孫娘たちにみえなくもない。


「妙な格好だが……ヴラの上流ではそういうのが流行ってるのか? わからんなぁ」

「まぁ、この魚人は以前にも何度かきてる。双槍のハザド。港のルールも把握してるはずだ」

「も、もちろんですとも、兵士さん」

「前回はカインザッツとずいぶん揉めたみたいだが、まぁ、能動的には問題も起こしていないし、取り締まることでもない。行かせていいだろう」


 ハザドを止めていた身なりの良い男たちは去っていく。


「はぁ、危ないところでした」

「いまのやつらは何者じゃ?」

「彼らはカイリュウ港を治めている都市長の兵です。街中だけじゃなく、こうして港でも怪しいやつがいないかチェックしてるんですよ」

「領主の兵、か」


 ドクターはこの世界の構造をうっすらと想像し「あまり目をつけられないほうがいいじゃろうな」と、用心することにした。


(わしらは海の反対岸にある聖神王国からの旅人じゃ。目立たないように世の中を学び、そのなかで指男を探す算段をつける。上手くやらねば、うずうずしているぎぃさんに実力行使を許してしまうことになるじゃろう)


 使節団はハザドの案内のもと、港に船を停泊させる貨幣を支払った。ドクターはこの世界の貨幣が綺麗な結晶であることに関心をよせつつ、市場をめぐったり、街中を歩く武装した冒険者たちに探索者と似た香りを感じ、街のことを知っていった。


「わあ! すごいすごい! これが異世界なのね!」

「この結晶通貨、やや構造にちがいはあるが、ダンジョンで産出されるクリスタルと同質のものじゃのう。つまり経験値の塊じゃ。まずいのう。はやく指男たちを見つけねば、やつと白玉でこの世界の貨幣経済を破壊してしまう……!」

「冒険者組合だってさ、ドクター! すごいわ、きっと荒くれ者がたくさんいるんでしょうね!」

「つまりダンジョンキャンプとあまり変わらないという意味じゃな」

「ねえ、ドクター、あそこ行きましょ! この世界の傭兵システムを理解するべきだわ」

「わしは構わんが、ハザドに判断してもらったほうがいいじゃろ」

「ねえ、ハザド、あそこは入ってみてもいい?」

「えーっと、たぶん大丈夫だと思います。はい」


 ハザドは使節団の行動を監督する任も期待されていた。近づくべきではない場所などの判断も彼の仕事だ。


「まぁ、わざわざ近づく必要がないなら近づかないほうがいいかもですけど……」

「科学はいちいち調べることから始まるのよ! さあ行きましょ!」


 見るものすべてが新鮮だった。

 次元を超えた先に存在する異文明。

 若き科学者の探求心はだれにも止めらないのだ。


「おうおう、魚人野郎じゃねえか、のこのことまた来やがったな」


 そして、探求心がトラブルを招くことも止められることではない。

 

 分厚いマントでその特徴的すぎるヒレなどを隠しているハザドであるが、子どもだましの変装が虚しくなるほど、速攻で冒険者たちに注目されてしまった。


「あれ、なんかまずいじゃねぇ……?」

「でも、私たちじゃないわ、ハザドにみんな気をもってかれてるみたい。私たちは意外と溶け込めてるわよ」


 ハザドのまえに一人の巨漢が立ちふさがる。


「魚人のハザド、先日はよくもやってくれたな」

「のう、このミスター・巨漢は知り合いかのう?」

「えー、一応。以前、カイリュウ港に来た時、『決闘賭博』で稼ごうと思って、その時、戦った人間です……」


 ハザドは気まずそうな顔で耳打ちする。


「魚人、前回は卑怯なマネをしやがって。おかげで恥をかいたんだぜ。そのあとすぐに逃げやがったよな?」

「そういう風な捉え方もあるんだ……あれは普通に決闘が終わったから帰宅しただけなんだけどさ」


 ハザドはどこか調子の抜けた声で、穏やかに話すが、それが余計に巨漢の神経を逆撫でするようで、ついにハザドは胸倉をつかまれて、持ちあげられてしまった。


「ちょ、ちょま、落ち着いて……」

「人間社会を学びにきてるんだったよなぁ? なら元リオブザル級の冒険者をあんまりおちょくらないほうが良いって今日学んで帰れや、魚野郎」


 ドクターは近くの飲んだくれに「リオブザルってなんじゃ?」と問いかける。


「うひぃぃ~? じいさん、カインザッツを知らんのかぁ? このお方は解散しちまった最強のパーティ『激流』の斬りこみ隊長よ~? いまは領主さまに抱えられてて──」

「あれ? わしいまリオブザルについて聞いたと思ったんじゃが?」

「ドクター、飲んだくれからちゃんとした答えが返ってくること期待しちゃだめよ」


 ドクターは李娜とともに、飲んだくれから辛抱強く聞きだし、そして、リオブザル級の冒険者とは、冒険者のなかでも最高位とされる伝説的な存在だと知った。


「ほう! それはすごいのう! 探索者で言ったらSランクではないか?」

「そうねえ。それじゃあ、ハザドはそんな冒険者に胸倉を掴まれてて……」


 李娜とドクターは顔を見合わせる。

 そして、大慌てて「ゆ、許してやってくれぇい!」「はわわ、うちの子がご迷惑を!」と、巨漢カインザッツに懇願した。


 カインザッツはハザドの胸倉を掴んで揺らしすぎており、「うへぇ」とハザドはすでに顔色を悪くしていた。


(うっ、反撃したいけど、使節団の皆さまに迷惑はかけられないし……)


「ハザド、すまんのう! すぐ降ろしてやるから!」

「あ? てめえがこいつをすぐ降ろしてやれるのか?」

「え? あれ? ヘイトわしに向いてね? ジョーダンじゃて。ジョーダン。ほら、もっとその魚人野郎を揺らしてていいぞ。わしは一向に構わん!」


 カインザッツの凶悪な眼差しは、いたいけな老人に向けられる。

 ドクターは震えながらはにかみ笑いを浮かべ「ぁぁ、けっこう、ハンサムじゃのう、おぬし、ぃ」と金魚のフンにも劣る機嫌取りを口にする。当然、効果はなく、カインザッツはハザドをぽいっと捨てて、その手を振りあげた。


「じじぃはすっこんでろ」

「ぎゃぁああ! 助けておくれぇぇぇ!」


 振り下ろされる手のひら。

 ドクターの顔面ほどもある大きな手で殴られれば、首くらい平気で折れそうだ。


 しかし、惨劇は阻止された。岩石みたいなゴツイ手を止めているのは、比較すれば華奢すぎるエージェントGの手であった。黒手袋に包まれた指先は摘まむように、カインザッツの腕をピタリと制止させている。


 ざわつく周囲。否、先ほどからずいぶん注目はされていた。ざわつきの意味合いが変わったというほうが正しいだろう。冒険者たちはこんな細い少女が、カインザッツに歯向かう意志を見せたことを不幸に思っていたのだ。


 あぁ、彼女は知らないのだろう。

 この男の嗜虐性を。きっとひどい目に遭う。


「おうおう、勇ましいねえ、嬢ちゃん」

「じじいなんか捨てておけばいいのに。カインはメスに厳しいんだぜ」


 同情するような声ばかりだが、彼らの内心はあの面の良いよそ者の女が、その澄ました表情を後悔と、許しを請うものにはやく変わることを期待していた。


 俺たちのカインザッツ。気に喰わないし、威張っててうぜえやつだが、こいつはリオブザルだ。カイリュウ港の誇りであり、エンダーオ炎竜皇国でも指折りの猛者だ。虎の威を借る狐とはこのことか。この場の大勢、カイリュウ港の冒険者というだけで、カインザッツと同郷というだけで、偉くなったつもりになっているのだ。

 

「んあ? カイン、どうした、そんな顔中、脂汗を浮かべて?」


 笑い声を喧嘩を煽る声のなか、誰かが気づいた。

 

 この場でもっとも深い感情のなかにいたのはカインザッツであろう。

 抱く感情の名は恐怖である。

 

 最初はどうして自分の腕が、こんな少女の細腕に止められたのかわからなかった。

 腕を引こうとしても引けない。少女につままれた部分が千切れそうになるのだ。

 まるで山だ。押しても引いても動かない。未知との遭遇である。

 

 未知にはやがて理解がおよぶ。

 強いのだ。指圧が。腕力が。否、もうすべてが。

 シンプルな話だ。これ以上にないほどシンプルな話。

 

 大人が赤子と腕相撲して負けるわけがないのといっしょだ。

 相手を完全に掌握できるだけのパワーの差。それがあるだけなのだ。


 カインザッツにもこうした経験はあったから理解できた。

 身長2m34cm。体重141kg。巨漢のなかの巨漢である彼は、華奢な女をベッドのうえで支配するとき、抵抗してくる弱い力をどうとでもコントロールできた。


 それ。これは、”それ”なのだ。


「う、ぁ、ぁあ!」

 

 脂汗にまみれた血の気の引いた顔は、歯をくいしばった。利き腕を完全に押さえられたカインザッツは、草食動物が明日をつかみ取るために、肉食動物に決死の反撃をくりだすかのように、丸太のような足で少女の涼しい顔を蹴りあげた。


 ハイキックへの返礼品は、利き腕の解除だった。

 少女はつまんでいた手を緩めた。カインザッツはようやく解放される。


 刹那ののち、少女のジャブが巨漢の腹筋を打った。


 デカい身体は張力を限界まで溜めたゴムが弾けるみたいに、すっとんでいき、冒険者組合の壁を破り、向こう三軒お隣さんの家をトンネルで開通させ、さらに向こう広大なオリーヴァ海へと消えていった。

 

 あとに残るのは悲鳴ではなかった。

 ひたすらの静寂だけだった。


「ドクター、もう大丈夫だよ」

「あぁ……そうじゃなぁ……」

「最強って聞いたから強めに打った」


 エージェントGは褒めてほしそうに薄い胸を張っている。

 ドクターは片目をつむり、痛恨の表情をする。


 老人は知っていた。厄災島で一緒に過ごしている時間が長いとわかってくる。

 この少女はスーパーエリートエージェントだが、ごくたまにおポンコツ様の顔ももっている、と。


「ありがとうのう、エージェントG。でも、やや、やりすぎじゃな」

 

 ドクターはなるだけ笑顔をつくって優しくそう言った。








────────────────────────

こんにちは

ファンタスティックです


お待たせして申し訳ないです!

いろいろとひと段落したので更新していきます!


そしてサポーターの皆さんへのお礼を。

サポートいつもありがとうございます。マジで助かってます。

デイリーミッション関連の近況ノートを更新しましたので報告します。


今回は1巻について短編小説が2つほど増えております!

よかったらどうぞ!


短編小説『俺だけデイリーミッションがあるダンジョン生活』

  ──『修羅道は先を読む』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817330668115396196


短編小説『俺だけデイリーミッションがあるダンジョン生活』

  ──『修羅道の下調べ』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16818023211868656328




過去の設定資料・短編小説は下にまとめておきました。


───短編小説


短編小説『俺だけデイリーミッションがあるダンジョン生活』

  ──『シマエナガさんと四つ目の結末』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16816927861073643882


短編小説『俺だけデイリーミッションがあるダンジョン生活』

  ──『絶滅の戦争とちいさな勇者』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817330651294695033


短編小説『俺だけデイリーミッションがあるダンジョン生活』

  ──『魔導のアルコンダンジョン編、トリガーハッピー視点 その1』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817330654157915234


短編小説『俺だけデイリーミッションがあるダンジョン生活』

  ──『魔導のアルコンダンジョン編、トリガーハッピー視点、その2』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817330655942334563


短編小説『俺だけデイリーミッションがあるダンジョン生活』

  ──『魔導のアルコンダンジョン編、トリガーハッピー視点、その3』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817330657826549939


短編小説『俺だけデイリーミッションがあるダンジョン生活』

  ──『魔導のアルコンダンジョン編、トリガーハッピー視点、その4』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817330659087760669



───設定資料


『ダンジョン財団について その1』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16816927863203083521


『探索者』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817139554640586146


『7つの指輪』『クトルニアの指輪』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817139555399515817


『魔法剣』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817139555884073697


『魔法銃』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817139556406527142


『魔導の遺した世界 アズライラの地の地図 第一版』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817139558740939693


『魔導の遺した世界 アズライラの地の地図 第二版』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817139559147250204


『魔導の遺した世界 アズライラの地の地図 第三版』

https://kakuyomu.jp/users/ytki0920/news/16817330649340114339

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