神話の軍隊
超アンコウ皇帝ひきいるライトブルーの軍勢は、高波とともに謎の島へ急接近した。
この海の軍勢は、精強なアンコウ軍の第一軍~第四軍と魚人族のそれぞれの部族の将がとりまとめる5つの軍で構成されている。
海の軍勢が謎の島を包囲するのはあっという間だった。
包囲完了後は、槍の戦士と祈祷師をバランスよく有するルアル族とアンコウ軍第一軍と横並びになり、最初に島に突撃する運びとなった。
ここまでは予定通りだ。ルアル族の勇者であるハザドは、ルアーナを横におき、ルアル族の先頭で謎の島に波とともにつっこむ。
「奇妙だ。なにもしてこない」
ハザドは二振りの槍をそれぞれの手にたずさえ、油断なく、じっと謎の島の浜辺、その奥にある黒く巨大な城塞を見つめる。
この世の光をすべて呑みこみそうなほど、邪悪で、近づきがたい威容を放つ建物は、あの島にそれだけの砦を築けるものがいて、軍隊を有していることの表れである。
防衛戦力もそれだけ有しているはずだ。
ならば超アンコウ皇帝たちの軍隊の動きにも注意をはらってしかるべきだろう。
「かっかっか、所詮は陸の者だ。海の者の戦いに慣れてないとみえるな」
ハザドの横、アンコウ軍第一軍の将は、不細工な歯並びの口をけたけた動かし、不気味に笑う。このアンコウは”残酷な槌のアンコルド”と呼ばれており、超アンコウ皇帝の息子であり、深海の国を守る勇者である。魚人族より体格がおおきく、サンゴとフジツボだらけの穢れた大槌をもっており、大変に恐い風貌をしている
ルアーナとアンコルド率いるそれぞれの軍は、何の障害もなく、浜辺に到達した。波が押し寄せ、浜辺を席巻しながら、魚人とアンコウたちは上陸する。
「本当に大きな砦だわ……」
「でっけええ……」
ルアーナとハザドは巨大な黒い城塞を見上げて思わず声をもらした。
浜辺からほど近いところに暗黒の門をもつその城には無数の塔が見受けられ、遠目に見ているよりも、さらに迫力をもっていた。アンコルドも同じような気持ちをいだいていたようで、彼は上陸するなり、すこし表情が固くなっていた。
「っ」
黒い城塞の周辺、緑の木々の奥から黒影が躍りでてきた。
一言で表すのなら異形の怪物だ。
それらは黒い触腕が折り重なり、人型を形成しており、全身がヌメッと艶めいている。背中からは余った触手の先端が生え散らかしており、それらは優しくうごめいている。見るからに邪悪な生き物で、目を合わせた途端──といっても目がどこにあるかはわからないが──それと距離を置きたくなる怖さを感じさせた。
「怪物の住む島か」
「……人間じゃない、みたいだな」
遠目に観測されていたこの島の住人だろうと想像できた。
黒い蛸たちは数えたところ100匹程度しかいない。
持っている武器は槍だけだ。
ハザドとルアーナは油断なく黒い蛸たちと間合いをはかる。
(陸地なんて手に入れても仕方ないのに……でも、これは皇帝の戦いだ。逃げることは許されない。ルアーナを必ず守り切る。それが俺の役目だ)
「我らの海を守るため、いくぞぉおお!」
雄叫びとともにルアーナが突撃命令をだし、ハザドたちルアル族は姫の背中をおって黒い蛸たちにいっせいに襲い掛かった。
黒い蛸たちを殲滅するのに時間はかからなかった。
不思議なことに蛸たちは一斉の抵抗をしなかったのだ。
ヨタヨタと後ずさるばかりで、槍を振ることもなく、魚人族の槍に貫かれ、浜辺のうえで動かなくなった。
ハザドは双槍で黒い蛸に風穴をあけて最後の1匹を仕留め、制圧完了した浜辺を見渡す。向こうでアンコウ軍も黒い蛸たちを叩き潰したところだった。
(簡単すぎやしないか……? 被害ゼロ?)
「島は包囲されてる。各海岸からほかの軍が上陸して、砦以外の制圧をはじめてるわ。私たちの仕事はこの砦を押さえること。あの城の門を破壊しましょう。城塞のなかに敵は潜んでるはずよ。やつらは私たちの奇襲にまったく対応できてないわ。攻めるならいましかないわ」
「門なら私たちが破壊しよう」
アンコウドは軍を率いて黒門のまえに陣取ると、その巨大な槌で門を砕かんとふりかぶった。
「ん、門が開くぞ!」
アンコルドたちはサッとさがる。
門は勝手が内側から開きはじめたためだ。
門の奥からは、先ほど倒した人型の黒い蛸たちが、のそっとした足取りで出てくる。さっきとまったく同じ風貌と雰囲気の個体だ。
「かっかっか、雑兵が。お前たちがどれだけ出てこようと我らの敵ではないわ」
アンコルドは巨大な槌をふりあげ、黒い蛸を叩き潰そうとした。さっきと同じように。
ズドン! アンコウ族の勇者がはなった会心の一撃は地を揺らす。
上方から振り下ろされたその槌撃は、黒い蛸をそのままぺちゃんこにする。
そんな結果、だれからしても想像に難くなかった。
だが、想像は裏切られた。黒い蛸は槍持つ手をだらんとさげたまま、空いた片手をひとつで、自身を潰そうとした大槌を受け止めていたのだ。
足首が砂浜に埋まっている。
衝撃は本物だった証明だ。
アンコウ族の勇者、残酷な槌のアンコルドはたしかな攻撃を放ったはずだ。
浜辺に押し寄せたアンコウ軍はもちろん、ルアル族たちでさえ、現実を疑った。
もちろん、アンコルド本人も。
(こんなバカなことが……!)
困惑と動揺のすぐのち、アンコルドの槌を引き戻し、瞳を見開き、その目に未知への恐怖を宿し、得体のしれない黒い蛸をにらみつけた。
黒い蛸がサッと動いた。速かった。
アンコルドは咆哮とともに槌をふりおろした。
浜辺を力強く叩き砂煙を舞いあげるなか、腹部を黒い槍が貫いていた。
(いつの間に刺されて──)
自分が最初に攻撃を受けたと認知した直後、黒い蛸は刺さったままの穂先を水平に動かし、掻っ捌き、アンコルドの内臓を浜辺にひろげた。
悲鳴と苦痛の声で、たまらず膝を折るアンコルド。
恐怖と惨劇の戦いがいっきに動き出した。
黒い蛸たちは門前に陣取っていたアンコウ軍に襲いかかった。
ルアル族のほうにやってくる個体もいる。最初に襲われたのはルアル族の将で、部隊の先頭にいたルアーナだ。
「ルアーナ!」
ハザドは叫び、浜辺を蹴りあげて一足飛びに黒い蛸を迎え討つ。
双槍の片方で黒い蛸の横腹を穿とうとするが、黒い蛸は反応が非常によく、ピタッとルアーナへの攻撃をためて、ハザドの槍を回避してみせた。
(速すぎるッ)
反撃の穂先がハザドの顔をとらえる。
ハザドは紙一重で穂先を受け流す。
槍を受けた手ごたえに驚愕した。
想像を絶する重たさだったのだ。
(なんだこの黒い槍は……! いや、この黒い蛸の膂力が異常なのか!?)
槍の攻撃力を流すだけで精一杯だった。
ハザドはのけぞりながらも槍先で放ち、追撃してこようとする黒い蛸を思いとどまらせる。その隙にルアーナは鋭い突きを放つが、黒い蛸は死角からの攻撃にも反応し、これを回避し、ルアーナへ反撃の槍をお見舞いする。ルアーナは頬と耳ヒレを裂けながらも紙一重で致命の攻撃を避けた。
(こいつ……!)
(強い!)
ルアル族最高の戦士であるルアーナとハザドのふたりかかりでも、黒い蛸1匹に拮抗することが精いっぱいだった。
ルアル族の熟練の戦士たちでさえ、戦いに介入する余地がないほどの高度なやりとりを、息を呑んで見守ることしかできないほどだ。
「戦士長、私たちも加勢を!」
「わしらでは無理だ……」
大人たちはわかっているのだ。優れた戦士だからこそ、手をだせば足手まといになり、それどころか簡単にあの黒い蛸に殺されてしまうことを。
ハザドは熱く滾ったからだから深く息をはき、したたる汗の軌道すら感じるほど意識を集中させる。彼ははっきりと認識していた。
目前の黒い蛸は、数いる雑兵などではないことを。
ましてや、自身が本気で挑んだところで勝てる相手ではないことを。
最初の槍の一撃を受けた時にわかっていた。
その時にハザドが抱いたのは絶望だったから。
周囲を見やる。
門の近くに陣取っていたアンコウ軍はすでに黒い蛸たちに蹂躙されている。
逃げ去ろうとするアンコウたちは背中から貫かれ、海にたどり着けない。……いやちがう、海のほうではもっと恐ろしいことがおきている。
海が凍っているのだ。
向こう数十メートルにわたって凍結してるのだ。
正確には黒い蛸たちは凍らせているようだった。
何匹かの黒い蛸が海に手をいれて、そこから凍結が広がっているのだ。
(なん、だよ……なんだよ、それ……)
ハザドたちは知らない。
この島の主は、ジョン・ドウから手に入れた新しい力を、すでに配備しはじめていることを。凍結させる能力が複製され、特殊な能力を有する部隊が編制されていることを。その力を折り重ねれば海域を凍らせることが可能であることを。
黒い砦の門を見やれば、同型の黒い蛸たちがどんどん出てきている。その数は100に増え、200に増え……まだまだ増えそうだ。
これは何の冗談だ。どんな悪夢だ。
自分たちは何を攻撃しているんだ。
この島はいったいなんなんだ。
確かなことはこのままではルアル族が滅ぼされるであろうこと。
(祈祷師たちの不安の正体か……災いの巣とはよく言ったものだな。俺たちは自分たちの足で滅びへ向かってたわけだ)
「まずい、このままじゃ逃げられなくなる! 撤退よ!」
ルアーナは叫び、ルアル族は海にひきかえしはじめた。
「俺がこいつを足止めする、ルアーナは早く海に!」
「ひとりだけ恰好つけさせるわけないでしょ!」
ルアーナはハザドを置いて撤退するつもりはないようだった。
どっちかが背を向ければ、その途端、眼前の黒い蛸との拮抗崩れ、逃げたほうが背中を刺されてしまう。たしかにこのままでは撤退できない。
ハザドは黒い蛸との戦いのなか、ルアル族の至宝のちからを解放した。
(こんなはやく使うことになるなんて)
里長から授かった緋色サンゴの宝槍が光をまとった。赤い光は穂先をより鋭利に強化する。常時でさえ、岩石を柔砂のように穿つ鋭さをもつ宝槍は、この解放状態では貫けないものはなくなる。
「『
ハザドは燃える赤い魔力につつまれ、宝槍で黒い蛸へ全霊の一撃をお見舞いした。黒い蛸は穂先をかるくいなしてやり過ごそうとする。
だが、黒い蛸は知らない。宝槍の魔力を。
槍先を受けた途端、黒い蛸は放たれた衝撃にふっとばされた。
緋色サンゴの宝槍にみなぎる魔力を放つことで、強大な衝撃波を生みだす必殺技だ。この槍を受け流す、あるいは受け止めようとした時点で相手を確実に屠ることができる極めて奇襲性の高い奥義である。
だが、ひとたび使えば宝槍のちからを大きく減退してしまう。
ここぞという場所でのみ使える一度限りの最後の手段である。
ハザドは緋色サンゴの宝槍が力を失っていくのを感じていた。
「ハザド、やるじゃない! そんなことできたの!」
「今までありがとう、俺みたいなのに構ってくれてさ」
「え? ハザド?」
ハザドは優しい顔で笑み、呆けるルアーナの腹へ強烈な膝蹴りをおみまいした。肺の空気をすべて押しだされ、苦しみながらルアーナはハザドを見上げる。ルアーナは察した。彼の行動の意味を。「なんで、私も……いっしょに……」声を絞りだし意識を失った。
「ルアーナをお願いします」
ハザドは背後へバッと視線をむけ、ルアル族の戦士長と熟練の戦士たちへ叫んだ。戦士たちはハザドと視線を交差させ……その覚悟へ敬意をあらわした。
気絶したルアーナを抱え、ルアル族が撤退していく。幸い、向こうの海はまだ凍っていない。アンコウ族がおとりになってるおかげか、ルアル族のほうを追撃する黒い蛸は少ない。
(アンコウたちはたぶん壊滅的だが、ルアル族はほとんどが海に逃げ込めるはずだ……)
ハザドはホッとし、正面へ向き直る。
解放の一撃を受けてふっとんだ黒い蛸が槍をもちなおし立ち上がっていた。
肩に穴が空き、黒い液体を流しているが、まだまだ動けるようだ。
「宝槍の奥義でも倒せないのか……」
ハザドは全身全霊で黒い蛸と戦った。
勇者装備であるアーマーコートは黒槍の攻撃をいくらかしのいでくれたが、攻撃を受けるたびに、魔力が失われ、ボロボロになっていくのがわかった。
傷が増え、血塗れになった頃、ハザドはついに致命の一突きでもって黒い蛸の心臓を穿った。動きがとまったところへ、さらにもう一本、槍を突き刺しとどめをさす。
「うおぁおおあおあああッ!」
穂先をひねり、傷口をめいいっぱい広げ……決着がついた。
どうにか1匹、黒い蛸を倒すことに成功した。
ハザドは荒く息をつき、もうろうとする意識をぎりぎりで保つ。
(恐ろしい敵だった……)
周囲では、遠目にハザドのことを眺める黒い蛸たちがいる。
ハザドは呆れてしまい乾いた笑みをうかべる。
こいつらはわざと加勢しなかったのだ。
いつだってハザドを殺せたのに。
(終わり、だな……ここまでだ……俺にしては頑張ったような、たとえお情けでもらった勝利でも、一矢報いることはできたんだ……)
黒い門のほうを見やる。
それまでただの黒い蛸たちを排出していた絶望の虚から、今度は純白の美しい鎧をまとった黒い蛸たちが出てきていた。
ひと目見てわかる危険性。黒い蛸たちでさえ破壊的な力をもっているが、あの純白の鎧をまとったやつらはもっとやばい。ハザドの戦士としての勘が言っていた。
さらには、黒い蛸たちよりもデカい四つ腕の怪物まで出てくる。
風貌と雰囲気は似ているが、体躯がでかく、ボロボロの黒く濡れたマントを纏っており、四つある腕のそれそれに武装を握りしめている。
(あの武器……あの鎧……マジックアイテムだ。人間の世界では、ごく稀少で選ばれた者だけがそれらを装備として身に着けることができるんだったかな。それを、この黒いやつらは惜しみなく配備されてるのか……)
一個体をみても、勇者の武装をしたハザド以上の武力をもっているというのに、そんなやつらが超高品質のマジックアイテムで武装し、かつ続々と、絶え間なく出てきては、隊列を正確に整えて、浜辺に並んでいく。
まるで乱れのない隊列である。
高度に訓練されていることの証明だ。
(数……質、装備、練度、どれもルアル族のそれとは話にならない……俺が里長に授けられた勇者装備よりも、やつらの一般兵のほうが良い装備してそうだ……神の軍隊かなんかなのか?)
すべてのスケールが違う。
まるで戦争にすらなっていない。
ハザドは満身創痍のまま、槍を構えなおす。いましがた倒した黒い蛸の槍をひろいあげ、緋色サンゴの宝槍と二槍流の構えをとった。
(ルアーナは逃げてくれた。ルアル族も滅びはしない。思い残すことはない。やつらにとっては茶番だとしても、すこしでも俺に意識を向けさせてやる……)
「よかった、生きてる子がいるじゃん!」
「すごいのう、魚人間といったところか……不思議じゃのう……」
飢えた獣ように鋭い眼光で、どいつに襲い掛かろうか考えていたハザドの耳元に、知性ある声が聞こえてきた。黒い蛸たちが発声しなかった人間の言葉だ。
ハザドは声のしたほうへ視線をやり、白衣をまとった人間の少女と老人を見つけた。
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