ライトブルーを襲った異常

 エンダーオ炎竜皇国最東の地カイリュウ港よりのぞめる広大なオリーヴァ海には、地上を支配する人類とはことなる海の存在たちが暮らしていた──。


 ──1か月前


 その朝、ライトブルーに激震がはしった。

 比喩的なものではない。文字通りの衝撃だ。


「うわあああ! なんだ、いますごい揺れたぞ!?」


 ハザドの視界いっぱいを泡が覆う。

 ここは1ミリの隙間もなく海水が満たす世界。

 慌てて動けば気泡がぶわっと湧いてなにがなんだかわからなくなるものだ。


 ハザドは双槍の勇者とうたわれるほど腕が立つ武芸者であったが、その実、みんなが期待するほどの剛の者ではない。地震が起きれば誰よりも動揺する。


 そんな地震ビビりに定評のあるハザドをして、その時の揺れはただ事ではないとすぐわかった。振動の系統がちがったのである。


「あれ、もう収まっちゃったけど……これ地震?」


 ズドンッ! っと一回凄まじい衝撃が抜けたあとは静かなものだった。

 

「まあいっか。収まったのなら寝なおすか」


 そう思い、ハザドは再び寝床に横たわる。


 ──ガン! ガン! ガン!


「ハザド、いるんでしょ、ここを開けなさい!」


 扉が執拗に叩かれ、彼を呼ぶ声がした。

 その声の主を知っているハザドは、すぐさま扉を開け放つ。


 玄関前には美しい女の子がいた。

 青白い肌と宝石のような青瞳。鮮やかな青い髪と、可憐なヒレ──特に耳元のヒレは薄いピンク色をしていて、それは男を惑わす。とても魅力的だ。

 人間族なら手足があるだろう箇所はヒラヒラしたヒレがついている。人間世界から持ち込まれた流行のスカートがよく似合ってる。


 ハザドは「可愛いなぁ」と思いながらだらしない笑顔を浮かべる。

 

「どうしたの、ルアーナ」

「『どうしたの、ルアーナ』? あなたがどうしたのよ、ハザド! あんな衝撃があったのに、呑気に寝てるなんて信じられないんだけど」

「い、いや、いまちょうど家を出ようと思ってたところでさ」

「嘘。ドアをノックする前に小窓からあなたが寝てたのを確認してるんだから!」

「え、あぁ、あーん、うん……そっかぁ……」


 ハザドは決まりが悪そうに視線をそらす。

 幼馴染であるハザドとルアーナの関係はいつも変わらない。

 いつだって彼はこの少女に強くは出れないのだ。


「ほら、いくわよ。さっさと槍持ってきなさいよ」

「どこかいくの?」

「さっきの衝撃を調査しにいくに決まってるでしょ。まったく寝ぼけてないでよ」


 ハザドは急かされるままに着替えて武器をたずさえ、ルアーナとともに家を出た。

 

「さっきの揺れ、ライトブルー全体を波が叩いたみたいなの」

「それは……すごいね」


 泳いで里のうえにあるサンゴ礁にやってくると、すでに武器を備えた里の戦士たちがそれなりの人数あつまっていた。

 

「ルアル族の勇者ともあろうものが、一番最後にくるとはな」

「相変わらず呑気なやつだ。危機が迫ったときしか率先して動かん」


 ルアル族の戦士のなかでも重鎮たちは、呆れたようにハザドを評価する。

 

「しかし、ルアーナ様まで行かれなくても……調査は我々だけでもことたります」

「族長はあなた様に危険な目にあってほしくないと言っておられましたよ?」

「私のほうがあなたたちより達者に戦ってみせたでしょう? 自分の身は自分で守れるわ。お節介はけっこう。子ども扱いしないで」


 ルアーナの反論に大人たちは言いよどむ。

 ルアーナはルアル族の長老の娘、つまり姫であった。

 勇ましく村を守ろうとする彼女を、昔はみんなで押しとどめてなんとか危険から遠ざけてきたが、最近は抑制が効かずちょこちょこ戦場についてくるようになった。


 しまいにはルアル族の熟達の戦士たちよりも、ずっと武芸に優れる英雄であることを、先日の鮫たちとの戦いで証明してしまった。こうなれば彼女を止めることはもうだれにもできない。


「おい、ハザド、ルアーナ様から離れるなよ」

「ルアーナ様を守れるのはお前だけだ」


 重鎮たちに恐い顔で任されてしまえば、ハザドはうなづくしかない。


 かくしてルアル族の異変調査がはじまった。

 数日に渡り近海を調査した結果、彼らは原因を突き止めた。


「あんなところに島、なかったよな……?」

「ライトブルーの真ん中にいきなり現れた……?」


 ルアル族はずっと遠くの海面から顔だけだして未知の島を観察しつづけた。

 根気よく観測をつづけたところ、島には黒い生き物たちがいるらしいとわかった。と、そこへハザドたち以外にも海面から顔をひょこっとだす者たちがいた。


「む、お前たちはルアル族か」

「そういうそちらはシール族ではないか」


 大陸棚ライトブルーに起きた異変は、そこに住む魚人諸族たちすべての関心と強い警戒をひいていた。


「鮫どもの動きが活発になっている」

「あの島が現れたせいで海が荒れているんだろう」


 突如出現した謎の島は、ライトブルーとその近海に混乱をもたらしていた。

 ルアル族やシール族をはじめとした諸族は、普段から海の怪物たちと狩り食料とし、襲ってくれば戦って里を守り、営みを続けてきた。


 だが、謎の島出現以降は、ライトブルーの怪物は住処を追われ、住処を追われた怪物は、別の場所に移動し衝突をおこし、そして衝突に負けた怪物が別の場所へ逃げ──そうして連鎖的な混乱が魚人たちのもとにも響いていた。


「あの島にもっと近づいて調べるのかいかんのか?」

「このままじゃライトブルーは荒れ放題なんじゃないか?」


 そういう声が戦士たちの間で頻繁にあがってきたが、島に近づくことは里長夫人が決して許さなかった。特別な力をもつ里長夫人は青ざめた顔で「決してあの島に近づいてはいけません。海の混乱ならまだ対処できます。励みなさい」と戦士たちにいうばかりだった。


 いったい何が里長夫人をあそこまで怯えさせるのか、この時はまだ戦士たちにはわからなかった。


 謎の島出現より、2週間ほどたったある日。

 戦士たちもだんだんと混乱に適応してきていた。


 ある日、ライトブルーの隅っこ──大陸棚の終わりにある”深く虚へつづく絶壁”にあるルアル族の関所で、伝説の盟主の姿が目撃された。


 瞳は白濁した様相をもち、頭からは光る球体をそなえた竿のようなものが伸びている。牙は無数に生え不揃いで、朽ちのなかに収まることを知らない。

 巨大な体躯は10mを越え、全身が分厚い鱗に覆われていた。


「超アンコウだ……本物か?」

「ライトブルーの皇帝……」


 観測所にきていたルアル族の重鎮たちでさえ息をのむ超存在の降臨だった。

 実に半世紀ぶりに深海世界よりライトブルー領地に戻ってきたのだ。

 

 超アンコウ皇帝のもとライトブルーの魚人諸族は集められた。

 半世紀ぶりとなる超アンコウ招集であった。場所はルアル族の里だ。


「すごい! 諸族の長と勇者たちが集まってきてる……!」


 ハザドとルアーナは超アンコウ招集のために、ライトブルーの各里から集まってくる魚人たちの姿に息をのんでいた。普段、同じライトブルーに住んでいる魚人諸族であるが、それぞれが特別に仲が良いということはなく、また里の場所も近しいわけではないことから、ほとんど交流らしい交流は行われていないのだ。


 ただそれでも、多少は往来がある。

 旅する魚人や、特産を運んで儲けようとする商人などなど。

 そうした者たちはほかの里の噂や強者の武勇伝を持ち帰って語り聞かせてくれる。


 話に聞いていた他里の有名人にハザドとルアーナだけでなく、ルアル族の里全体が緊張感に包まれていた。超アンコウ皇帝の権力と、それを発動させるほどの事態であることも、物事の深刻さをあらわしていた。

 

「吾輩の領海でなにやら不穏なことが起きていると聞き及んだが……まさか島とはな。エンダーオ炎竜皇国がまたなにか仕掛けてきたのかのう?」


 超アンコウ皇帝のもと、5つの里の長たちが会議を開いた。

 あの島はなんなのか、どういう勢力なのか、なんの思惑をもっているのか。

 そしてあれは敵なのか否か。


 会議は会議であるようで会議ではなかった。

 超アンコウ皇帝はすでに意志を固めて深海よりあがってきていたのだ。


「ライトブルーに住まう魚人族らよ、吾輩の軍下に加われ。わが領海へ侮辱的なふるまいをするあの島を沈める」


 会議の開かれていたルアル族の広場が緊張とどよめきに包まれた。

 

「お待ちください、皇帝陛下、わが里の祈祷師たちの話では、あの島に住まう黒き怪物たちは、想像を絶するほどの力を宿しており……」


 ルアル族族長であり、ルアーナの父であるルービン老は、緊迫の表情で進言する。彼は長年連れ添った妻を見やる。里長夫人はルアル族でももっとも祈祷にすぐれた術者であった。


 魚人族の祈祷師は、地上の魔術師たちとはルーツを他にする神秘の使い手たちであり、彼らの技は祈祷と呼ばれていた。

 神秘の使い手である祈祷師たちのなかでも最高の使い手である里長夫人は、特に”力を視る術”に長け、例えば魚人の赤子を見て、そのものが将来偉大になる器かどうかを見極めることもできるとされていた。

 同様に戦士や怪物たちを視ることで、それらがどれほど強大な存在かもおおよそ判断できた。この里長夫人の”力を視る術”により、ルアル族は災いを退けてきたのだ。


「そこの女。答えよ。吾輩とわが軍があの島の者どもに負けうると思うか?」

「それは……恐れながら、皇帝陛下、私の視たものをそのままお伝えいたします。あの謎の島には、私が生涯を通じて初めてみるほど恐ろしい怪物が住んでいると思われます。ただ、怪物単体にそういった力を視たのではなく、あの島全体とその周囲に、抗いがたい巨大な力の渦が巻いているのが視えるのです……近づくことすら危険だと思われます……」

「つまり、吾輩が敗れる、と言いたいのだな」

「……」


 里長夫人は震えながら頭をさげつづける。

 超アンコウは頭部のチョウチンをびくりと震わせたかと思うと、目にもとまらぬ速さで里長夫人へ、その淡く光る球体を叩きつけた。


 その場にいたすべての者が里長夫人の死を確信した。

 だが、運命の死は回避されていた。受け止める3本の槍によって。


 うち2つの槍は青ざめた表情でチョウチンを先端をおさえるハザドのもの。

 うち1つは地面に穂先を突き刺し、勇ましい顔で根元を受け止めるルアーナのものだ。


 ハザドは「やっべぇ……死んだ……ぶっ殺される……」という顔をしているのに対して、ルアーナは「やるなら、やってやる!」くらいの気概を見せているのが対照的であった。


「ほう……吾輩の撃を止めるか。その意味がわかっているのか?」

「こ、皇帝陛下、謹んでもうしあげ、あげます、どうか我が部族が犯した無礼をおゆ、お許しください!」


 ハザドは噛みながら、隣のルアーナの頭をおさえて下げさせ、地面に額をこすりつけた。その肩はぷるぷると増えていた。


(ハザド……)


 母を殺そうとした超アンコウに決死の覚悟で戦いを挑むつもりだったルアーナは、ハザドの震えを感じ取り、ぐっと怒りをこらえることにした。


「ふっ、よかろう。吾輩は強い者が好きだ。おぬしたち、名前はなんという」

「ル、ルアル族の勇者、双槍のハザドと申します」

「……ルアル族長老の娘、ルアーナです」

「同族を守るため、吾輩に槍をむけれる勇気。今回ばかりはそれに免じて無礼をゆるそう。次はないぞ」

「ご恩赦ありがとうございます」

「……ありがとうございます」


 ハザドとルアーナは深く息をつき、そっと顔をあげた。

 直後、ふたりはチョウチンでぶっ飛ばされて広場の隅まで転がった。

 サンゴ礁が一部崩れ、ふたりはその下敷きになってしまった。


「これで勘弁してやる。魚人諸族よ、1週間後、わが深海アンコウ軍は浮上し、島を攻撃する。ライトブルーに住むものとして、秩序を乱す愚か者どもを放っておくことは許さない。期日までに所定の人数を徴兵し、軍を編成せよ。仔細は配下を残していくからそこで決めるように」


 超アンコウ皇帝は戦争準備をはじめた。

 キングがそうと決めたのなら、魚人たちに逆らうことは許されない。


「いってぇ……」

「ハザド、大丈夫……!?」


 ハザドとルアーナは瓦礫を押しのけてひょこっと顔をだす。

 ハザドだけが重症だった。どうやら吹き飛ばされるときに、ルアーナのことを抱きかかえて衝撃と瓦礫から守ったようだった。


「ルアーナこそ、けがはなかった……?」

「……もう」


 ルアーナはため息をつき、そっとハザドの胸に頭をあてた。

 見つめあうふたり。ロマンチックな雰囲気だ。


「姫様ぁぁああああああ!!」

「ご無事ですかぁあああ!」

「おい、ハザカス、姫さまと密着しすぎだ、離れるんだ!」


 心配で駆け寄ってきた大人たちの勢いにムードなどかき消されてしまうのだった。


 翌日から魚人諸族は戦争準備を進めることになった。

 食料調達に、武器製造に、回復の祈祷具の量産に、戦士の訓練。やることはいくらでもあった。


 今回、超アンコウ皇帝がノルマとかした戦士の数は、実にそれぞれの里の人口の半分であった。老人子供を抜けば、女までかりだされる規模だ。

 普段、まったく戦いに関わっていない者たちまでなんとか戦力として、形にしなければいけなかった。


 ハザドもルアーナも、ベテランの戦士はみんな新兵の訓練に忙しかった。

 

「はぁ、まじで戦うのかよ」

「母さんがあんなに怯えてるの初めてみた……。母さんだけじゃない。”力を視る術”を多少ともおさめてる祈祷師たちみんな、あの島は災いの巣だっていってる」

「災いの巣、か……俺たちはなにと戦わされるんだろうな……近海の混乱だって、ようやく対処できそうな雰囲気がでてきたっていうのに」

「全部、あの皇帝のせいよ。自分の縄張りで好き勝手されてるのが許せないんだわ。傲慢で、横暴で、自分勝手なアンコウ。本当に迷惑極まりない。ブスだし」

「やめろって、ルアーナ、どこでアンコウ軍が聞いてるかわからないぞ……」

「その時はアンコウ軍なんてぶっ殺して逃げてやればいいよ!」

「でも、それじゃ懲罰を受けるのは残されたルアル族のみんなだ……」

「……はぁ、戦うしかないんだね、私たち」


 祈祷師の術を知り、賢いものほど、この戦いが無謀なことを感じていた。


「ハザド、ルアル族の勇者よ。これを受け取れ」


 ルアル族長、ルービン老はハザドに魔法の槍と鎧を授けた。


「かつて勇者が里にせまった災いと戦ったときにつけていたものだ。祈祷師らが17年間絶やさず祈り鍛えた緋色サンゴの宝槍と、深海のもっとも深いところで闇を凝縮した不破のアーマーコートよ。これらこそまさにルアル族の至宝だ。お前にやる、ハザドよ」

「これ『お前には絶対やらん』って長老言ってませんでしたっけ……?」

「……。1日の貸し出しで鮫肉4つ。戦が終われば必ず返却するように」

「あぁレンタルなんですね……」


 ハザドはその日からルアルの宝槍と防具をまとい鍛錬をはじめた。

 

(なんだこの槍? 斬るも貫くも自在だ……)


 硬い岩盤でさえ、まるで柔砂に穴をあけるかのように簡単につらぬける。

 ルアルのアーマーコートは、ルアーナの突きを正面から受けても穴が空くことはなかった。


「その装備、私がちいさい頃からずっとリビングに飾ってあったけど、そんな強かったのね!」

「これ着て、槍を持てば誰でも勇者なれるよ」

「なに言ってるのよ、それを扱える資格を持つ者でなければ、槍は真の鋭さを発揮せず、そのアーマーコートは鉄塊のように重たくなって潰されてしまうそうよ。それらを使えるのは、ハザドが伝説の宝具たちに認められてるからこそよ!」


 ハザドが宝具を見事に使いこなすさまは、ルアル族の士気を大きく向上させた。

 

「どうやらシール族の勇者も、宝貝の継承に成功したらしいぞ」

「バブル族の姫もかの有名な『牙の槌』をもちあげることができたらしい」


 各地からうれしい報告が伝わるたび、諸族連合の士気は大きく高まった。

 必要にせまられた英雄たちが、先人の偉大な力をふるう資格を示したのだ。

 最初は得体のしれない恐怖と戦うために、暗く淀んでいた雰囲気もすこしずつ明るくなっていた。


 ただ、相も変わらず祈祷師たちの表情だけはひどく暗いままだった。

 そうして戦の時はすぐにやってきた。


「あそこはいまは地上だが、やがて海に沈む。すべての理は大量の水のなかでは意味を失うものだ」


 超アンコウ皇帝は先陣をきって、大いなる力を行使する。

 皇帝の呼び声に世界が呼応し、風が吹き、海が荒れだした。

 次第に高波が押し寄せ、謎の島を直撃した。


「吾輩の領海にあって、挨拶もなし。この海の王を侮ったことを悔いるがいい」


 超アンコウ皇帝は率いる深海アンコウ軍1000体。

 ルアル族300人。シール族250人。バブル族250人。

 ドルニー族200人。カイリュウ族200人。

 

 合計2200を超える巨大な海の軍隊は、その日、謎の島に攻撃をしかけた。

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