噂の怪物たち
ヴェヌイが水の都市と呼ばれるのには理由がある。
流れる川が都市を貫いて、広大なオリーヴァ海へ向かっているからだ。
この都市は豊かな水源に恵まれ、あちこちに枝分かれした水路には何歩かで渡れるちいさな橋がよくかかっている。人々の足としても使われており、水路には小舟を見つけることが難しくない。
素晴らしい景観の街は、またスイーツが有名らしい。
この国のスイーツはヴェヌイで生まれたといっても過言ではないとか。
「そっちのケーキと俺のケーキで交換しましょうか、セイ」
「師匠やっぱり、私が選んだやつのほうが食べたかったんですね」
「いいや、そういうわけじゃないですよ」
指男はセイラムから甘くて白いケーキをフォークで割って頂戴する。
セイラムは指男の手元のケーキから茶色くて苦みのあるケーキを手に入れた。
「師匠のケーキ、苦いです」
セイラムは不服を申し立てる。苦いものはあまり好きじゃなかったようだ。
「にゃー」
フワリはテーブルの横でうれしそうに魚をかじる。言うまでもなく大好物らしい。
「指男、お前はなにしてるんだ」
ブラッドリーは眉をひそめ、たずねた。
セイラムは「あ」と言って、いつからそこに立っていたかわからない彼を見上げる。さきほど指男が無線を手に取ってからわずかな時間しか経過していない。
ブラッドリーのすこし後ろにはイグニスは付き従っている。
「観光ですよ」
「こっちが路地裏で情報収集している時にか」
「仕事はしました。ある程度は。というか、フワリを連れて歩くと目立って仕方がないんですよ。そのせいでいちいち面倒くさくて」
指男はげんなりしたようにため息をついた。
ミズカドレカでの顔パスに慣れてしまったせいか「なんと偉大な怪物なのだ!」「このような獣を手名付けるとは一体どれほど高名な英雄さまなのか!」「ぜひお名前をお聞かせいただけますでしょうか?」──聞き込みをしようにも、毎回そんなやりとりをしていては面倒くささが勝つというものだ。
「冒険者組合とか、酒場とかまわったら、物騒さの理由はわかりましたよ。そっちはなにかわかりました?」
「俺は大聖堂に入ることをやんわり断られた」
「無能かなにかですか」
「言わなくていい。はぁ、大聖堂のまわりで物騒な噂について聞いたが、イグニスが収集した以上の情報は手に入れられなかったな」
ブラッドリーがイグニスを見やると、彼女は自信ありげに一歩前へでた。
「オリーヴァ海から怪物の軍団が上陸したらしいです。背の高い人型の黒い化け物で、濡れていて、恐ろしく素早く、強い力をもっていると。それが港を襲撃して、封鎖したのが1週間以上前のこと。オリーヴァ・ノトス大聖堂はこれを侵略攻撃と考え、火教の代行者を招集したのです。港を解放するために」
「俺たちが集めた情報より具体的ですね。イグニスがいてくれてよかった」
指男はそう言うと、イグニスは「当然の働きをしただけです」と、嬉しそうに応じた。理解を越えた上位者に認められることは、人間を越えた存在──神に近しいものの認証を得たという高揚感を彼女にもたらしたのだ。
「いろいろ引っかかることだらけですし、期待値も微妙ですけど……とりあえず、いってみますか」
(怪物の軍団て。侵略攻撃て。そんなことダンジョン財団の残留メンバーはしないと思うなぁ。今回もはずれかなぁ)
ヴェヌイをでて、川の流れに沿ってオリーヴァ海のほうへ歩みを進める。
フワリのネコタクシーにより、指男たちは迅速に目的地付近にたどり着いた。
森のなか、ブラッドリーはムゲンハイールから双眼鏡を取り出して、港町の方角を観察する。
「この位置から観察する限りでは港町はみえないな。あれのせいで」
「あれなら双眼鏡使わなくても見えてますよ」
指男はふわりの頭に寄りかかり、地平線にそって築かれた黒い壁を眺める。
「イグニス、あれは元からあったものですか」
「いや、たぶん、ないかと」
イグニスは港を完全に封鎖する異質な光景に困惑する。
「ふむ。となればあれもまた港を占領したっていう手勢の仕業なのか。……こんなところで観察しててもなにも得るものないと思いますけどね、ブラッドリーさん」
「ターゲットの情報を可能な限り集めるべきだ。あの壁を見ろ。あんなものを人間の手ですぐに築くのは不可能だ。相手の戦力は俺たちが想定しているより──」
「ちょっと見てきます。待っててくれますか」
「指男、なにをす──」
ブラッドリーがたずねる前に、指男の姿が消えていた。
暴風と衝撃波を残して、彼は港のほうにいってしまったようだ。
イグニスは衝撃と風圧に耐えながら指男の規格外さを地味に再認していた。
「イグニスさん、これが英雄的ダッシュです」
フワリのお腹のしたに隠れるセイラムは「ふふん」っとしたり顔をしていた。
数秒ののち、指男は港をとりまく黒壁のまえに到着していた。
指男は壁をしげしげと見上げる。
(ヴェヌイとオリーヴァ港をつなぐ街道上にも壁がある。この壁には門がない)
「相手は怪物の軍団だって話だったか? 怪物の軍団が街を占領してるなんてろくなことにならんだろ」
指男はそれなりの道徳をもっている。
常識的に悪いことは悪いと思ってるし、良いことは良いと考えている。
だからこそ、怪物に占領された港街があるなら、可哀想なことになる前に解放してやったほうがいいんじゃないのかな、と思っていた。
ゆえに彼は街道上に横たわり、道を塞ぐ黒い壁を拳でたたいた。
素早く拳が放たれたことで空気が押しつぶされ、圧縮熱が周囲の地面を焼き焦がした。拳が接着した瞬間、黒壁は粉砕され、爆発とともに巨大な穴が穿たれた。
そのすぐ直後だった。
粉塵の向こうから指男めがけて、黒い影がとびかかった。
それは鋭利な槍をもちいて、ひと突きで喉仏を貫通させようと、的確に穂先を放ってくる。
指男は穂先をつかんで握りつぶして止めると、指を鳴らそうとし、やっぱりやめて、拳骨でおそってきた黒い影を殴り飛ばした。
襲撃者は1体ではなく、7体もその後つづいて彼に襲い掛かった。
だが、数の問題など、指男にとってはたいした問題ではなかった。
素手で軽くいなし、叩いて、敵を簡単に破壊した。
黒い影たちが地面に転がって動かなくなる。
指男は粉塵の手ではらいのけ、いましがた無力化した敵たちを確認する。
「これは……」
指男は自分が倒したそれらのそばで膝をおり、顎に手をそえる。
彼が困惑していたのは、それらに見覚えがあったからだ。
(これが黒い怪物? 港を占領している海の侵略者?)
指男は足元に横たわる怪物たち──それは、彼自身の軍隊、黒き指先たちだった。
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