ブラッドリーの軌跡 in 異世界

 ──数か月前


 ブラッドリーは殺し屋だった。昔は別の名前をつかっていた。

 

 ブラッドリーという名前は彼が新しい自分を手に入れるためにつくったものだ。

 闇の世界で仕事をしてきた彼にとって偽名は珍しいものではないが、この名前に関しては探索者としての自分のアイデンティティが詰まったものだった。


(探索者になってからというもの人間を殺すのが下手になったかと思うことばかりだった。たいてい同じ超人を相手にしてるから、常人狩りしていた頃に比べて敵が強くなるというのは当たり前だったんだがな。しかし、なんというか)


「ここの連中はそうでもないな」

 

 これはブラッドリーがヴラ聖神王国のある町の、夜の闇で3名の男衆からなる追いはぎ団に襲われ、そしてぶちのめした時に抱いた感想である。


 南極遠征隊を謎の巨大な力が引き裂いてしまったあと、ブラッドリーは幸運にも街中の路地で目を覚ますことになった。

 突然の出来事にひどくあせった彼だったが、慎重に行動し、情報を収集し、分析し、自分がアルコンダンジョンの向こう側にたどり着いたことを確信した。


 ブラッドリーにはかつて殺し屋の仕事で国を渡り歩いた経験があった。それにより芽生えた『翻訳』スキルを活用し、彼は異世界でそうそうに南極遠征隊の行方を追いはじめた。


「強者の情報を探してる。何か噂を知らないか」

「へへ、この町の冒険者のなかじゃ俺が一番腕がたつぜ」


 そう言って挑発してきたプラチナ級冒険者を拳ひとつで静かにさせてから、いわゆる強者探しの旅がはじまった。求道の道に目覚めたわけではなく、もちろん南極遠征隊とこの世界の強者の水準に差があることを活かした捜索方法である。


 それから2か月以上、ブラッドリーは冒険者という身分を手に入れ、冒険者組合の掲示板を利用したり、役場の掲示板などを活用してメモを残した。例えばAの町を発つときには「ブラッドリーだ。次はBにいく。Bの町にもメモを残す予定だ」などと自らの足跡をしるしていき、誰かが自分のメモを見つけた時に、追跡できるように細工を施していった。これらのメモは英語で書かれており、異世界の者たちには読めないが、南極遠征隊ならばひと目で仲間のメッセージだとわかるようにもなっていた。


 そんなこんなでブラッドリーは強者たちを探してまわった。

 強者には一定の身分を持っている者──高位冒険者や熟達の騎士、魔術師や腕利きの傭兵など、ほかの強者に関しての情報に通じているものも少なくなかった。


 ブラッドリーは自分の力を示し、尋常の実力者ではないことを教え、相手と敵対しないように努め、平和的に情報提供に応じてもらっていった。


「あんたが噂で聞く”黒纏い”か」

「黒纏い? そんな呼ばれ方をされたことはないが」

「異邦の顔立ちに長髪の男。特徴は珍妙な銀色のバッグを持っていることらしい」


 2か月もすればブラッドリーの噂はすこし広まっていた。

 積極的に噂を広めていたわけではないが、謎の実力者”黒纏い”が強者を探し回っているという話は人間の興味をひくものだったため、自然と人伝いに話が伝わっていたのだ。


 またひとつの町で調査を終え、次の町へ向かうことにした。


「いまだ収穫はなし、か」


(南極遠征隊より離脱し、異世界で遭難し70日が経過した。まだ誰とも合流できていない)

 

 ブラッドリーはその夜、町に蔓延る悪党たちのアジトを叩き、旅立つ予定だった。

 正義の心に目覚めたわけではない。人攫いの現場にたまたま遭遇し、それがブラッドリーに不快な気分を抱かせたのだ。


(俺はいまさら善性の人間になれるとは思っていない。だが、それでも惹かれるものがある。やつならばきっと指先ひとつの気まぐれで悪党など消し去る。俺もああいうあり方でいたい)


 悪党のアジトで万が一の身の危険すら感じることなく、理不尽なまでの暴力で悪を撲滅していると、おかしなやつに出会った。


 暗い廊下の突きあたり、悪党の死体から剣をぬく男がいた。

 緑色の髪をくせっ毛の男だ。気だるげな表情で、片目を閉じている。

 

 ブラッドリーは、


「お前は何者だ」


 とたずねた。直観でしかなかったが、目の前の男が悪党たちの仲間ではないような気がしたからだった。


「俺が何者なのかなんて関係ないさ。あんたを殺してこの町をまたすこし平和にする」


 緑髪の男からすればブラッドリーの風貌は悪党の仲間以外のなにものでもない。


(この凶相。只者ではないな)


 緑髪の男はブラッドリーを一瞥し、深く踏みこんだ。

 ブラッドリーはちいさくため息をつき、そっと手をもちあげる。


 ピシッ

 

「人の話は聞いたほうがいい」

「……なッ」


 緑髪の男は、ブラッドリーの常軌をいっした挙動に己が目を疑った。

 緑髪の男によって振られた鋭い剣先は、ブラッドリーによって軽くつままれて止められてしまったのだ。

 

 親指と人差し指と中指、3本の指で優しく押さえられている。

 緑髪の男は剣を引いても押してもビクとも動かないことに絶望を抱いていた。


(バカな、バカな、バカな……!? ありえない、こんな芸当ができるなんて、どういうパワーなんだ!?)


「やめておけ。俺と戦えば、お前は死ぬことになる」


 ブラッドリーの静かな警告。

 けれど、それは優しいものではなく、ある意味では脅迫するものだった。なぜならブラッドリーは抑えていた覇気を解放し、精神的な圧力をかけていたのだから。


 ブラッドリーの圧を目の前で喰らい、緑髪の男は激しい焦燥に駆られるのと同時に、ひどい既視感にも襲われていた。


 絶望の既視感だ。決して敵わないと悟れてしまう絶対的な実力差。

 身体の細胞のひとつひとつが、服従したがっているのがわかった。


「い、いや、だ……っ」


 緑髪の男はポタポタと涙をこぼしていた。無意識にあふれてきていた。

 かつて覚えさせられた恐怖の味を、またしても味あわされて、もう二度と遭遇したくなかった「自分が弱者」だと思わされてしまう実力者に、精神的な苦痛とストレスを急速にかけられた結果、彼の精神は壊れ、涙がこぼれだしたのだ。


「なんでえ、どうしだぁ、俺は、なんでこんな目に……っ、やり直して、今度はいいやつになろうって……新しい場所でやりなおそうって、そう思って、ようやくちょっとアレのことを忘れていたのに、なんで、こんな場所でも、恐い思いしなくちゃいけないんだ……うぐ、ひぐ、ぅぅ……っ」


 ブラッドリーは剣を放してやった。

 目の前の男の命は見逃すつもりだった。

 不憫で可哀そうだからという理由だけじゃなく、悪党たちの仲間でもないことからそもそも殺す理由がないからだ。


(斬りかかられた瞬間に、こいつを殺す理由はできたが、まあ、いいだろう。勘違いのようだしな)


「おい、お前に聞きたいことがある。ここで話すのもなんだ、外に出よう」


 夜の酒場に、ブラッドリーは緑髪の男を連行した。

 連行される頃には男は泣き止んでいたが、それでもひどくブラッドリーにおびえていることは変わりない。酒場の者たちからは異様なものを見る目で見られていた。


「俺はブラッドリー。お前の名前は」

「い、い、ひぃ、いかろ、にく、です」

「イカロニクか。どうしてあんなところにいた。なにをしていた」

「あいつらは、この町で問題になってる人攫いなんです……だから、俺が、やっつけてやろうと……」

「確かにお前は強いな」


(このイカロニクとかいう男、異世界の水準でいえば高い戦闘能力を有している気がする。つまるところ強者だ。なにか情報をもっているかもしれない)


「強者の、情報……ですか」

「そうだ。俺は強いやつに会いたいんだ」

「もしかして、あんたが黒纏い、とかいう求道者……?」

「そうとも呼ばれてるみたいだな」


 イカロニクは顎に手をあて思案する。


(このブラッドリーという男の圧力、アレに似ていた。圧倒的な絶望。段階のちがう実力。とんでもない男だ、黒纏いのブラッドリー。この男ならあるいは……)


「俺に情報を隠そうとしても無駄だ。なにか知っているのなら正直に吐いたほうがいい」

「隠すなんて、するわけないです……でも、もしあれに戦いを挑むとしたら、あんたみたいなヤバイやつでも、殺されるかもしれない、です。あんたは、かなり怖いが、でも、あの人攫い団を壊滅させようとしていた。悪い人間じゃないように見える。だからこそ、死んでほしくは、ないといまは思って、ます」


 イカロニクはたどたどしくも、素直な気持ちを放した。

 

「構わない。俺はどんなやつにも負けはしない。聞かせてくれ」


 ブラッドリーは手を組み、真摯にイカロニクを見つめる。

 イカロニクは唇を舌で湿らせ、間違いのないように口を開いた。


「黄金の指慣らし、フィンガーマンという名前の冒険者がエンダーオ炎竜皇国にいるん、です。あれは超越的な……想像を絶する力の持ち主、です」

「はぁ……ようやく、か」

「黒纏い……?」

「いや、なんでもない。その話、より詳しく教えてほしい」


 この夜、ついにブラッドリーは『指男』に関する噂をつかんだ。しばらく滞在したヴラ聖神王国を離れ、エンダーオのミズカドレカへの旅を決めた。


 一晩、イカロニクと酒を飲みかわし、すこし仲良くなっていた。

 互いに言えない過去を持つもの同士、通ずるところがあったのだろう。


「あんたには無事でいてほしいな、黒纏い」

「互いにな」


 翌朝、ふたりはそれぞれの道に戻った、

 イカロニクの情報をもとにミズカドレカ近郊にやってくると、次第に「フィンガーマン」に関する情報を拾うことができるようになっていた。


 期待は確信にかわり、ついにミズカドレカに到着した。


「フィンガーマンなら向こうの通りにある、幽霊屋敷に住んでるよ」

「いまは幽霊屋敷じゃなくなって綺麗になってるけどねえ」


(……住ん、でる? あいつ、家をもってるのか?)


 聞き込みをもとにフィンガーマンの家にたどり着く。

 ようやく仲間に会えるのだと、内心それなりにワクワクしていたブラッドリーだったが、彼を待っていたのは、指男との再会ではなく、謎のウサミミメイド2名と、蒼髪の少女と、ノルウェーの猫又による心温まる歓迎であった。

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