精霊喰らいのイグニス・ファトゥス
ミズカドレカの街を女が歩いていた。
黒髪に赤い毛束が混じった短髪を、白いフードに押しこめた美しい女だ。
黒い刺繍の入った聖衣は、火の代行者に与えられる特別なものだ。
彼女は精霊喰らいのイグニス・ファトゥスと呼ばれていた。
火教が誇る最強の代行者である。
「ここですか。件の精霊がいるという屋敷は」
(ノウの言っていた屋敷精霊。特別な精霊。こんな街中で放し飼いとは。魔術の心得のないフィンガーマンでは制御しきれない。問題が起こる前に始末しましょう。精霊は精霊。正しい知識を修め追求した精霊術師が首輪をつけなければ)
「大砲、ですか」
イグニスは物騒な玄関お風体を見て疑問をいだきながら玄関扉をノックもせずに押し開けた。鍵は開いていた。
玄関では少女が待っていた。メイド服を着た少女だ。白い綺麗な髪におおきなウサ耳を生やし、瞳は赤かった。色白でおよそ日の下であまり活動していないのだろうと推測がたつ。
イグニスは儚げなその立ち姿に見て、ひと目で精霊だと気づいた。
「いらっしゃいませ、お客様。当屋敷の主人はただいまご不在です」
ウサ耳メイドはハキハキと明るい声でそう言った。
どこか嬉しそうな顔だった。メイドとして家外のお客を迎えるのが楽しいのか、あるいはもっとシンプルに、人間に会えて喜んでいるのか。犬が知らない人間に興味津々で尻尾を振り乱して近づいていく時のように、何がそんな楽しいのかわからないほどに嬉しそうだった。
「私は当屋敷のマスターハウスキーパー、ラビと言います。当屋敷の偉大なお方フィンガーマン様の専属メイドにして、当屋敷に住まうすべての方々のお世話をさせていただいております。ちなみにご主人様と私は、近所の方々にはよく『夫婦のようだ』と言われるほど仲が良いです」
(名前がある。やはり名付けたのか。フィンガーマンとかいう男は何者なのでしょう。あの偏屈で頑固な秘文字の魔術師ノウもずいぶん気に入っているようでしたし。ただの地方の腕自慢というわけではなさそうですが)
「こちらでお待ちください、お客様を玄関で待たせるわけにはいきません」
「いいえ、待つつもりはないですよ」
「はえ?」
ラビは目を丸くする。
「フィンガーマンが戻ってくる前に仕事を終えて、それで私はミズカドレカを離脱します。それだけです。私は南東の戦線に加わらねければなりません。こっちにきたのは野暮用を済ませるためです」
「えっと、ご主人様にご用がないのなら、一体どういうご用件でしょうか」
「用件は言葉を使うより、見てもらったほうがはやいでしょう
イグニスは脳裏に刻まれた火のルーンの力を呼び覚ます。
周囲の温度があがり、赤いオーラが漂う。
絨毯が焼け、壁紙が焦げ、ガラスが熱膨張で弾け破れた。
急激な温度変化はイグニスのあつかう神秘のただの余波にすぎない。
「
イグニスが手を前へ突き出した。
オーラが収束し、火炎の塊を形成すると、無反動で射出され、ラビに命中した。いともたやすくその体は吹っ飛ばされ、奥の広間の扉を破って、その向こうまでぐーんっと飛距離を伸ばしていってしまう。
「軽いですね。こんなものですか。屋敷精霊」
イグニスは退屈そうにつぶやき、奥の広間に移動する。
彼女の歩く足元は燃えあがり、壁は真っ黒に焦げ、発火する。
奥の広間まで移動してくる。
陥没した壁が見受けられた。いましがた吹っ飛ばしたラビが叩きつけられ、形成された破壊痕だろうと思われた。だが、そこに彼女の姿はない。
「ここはご主人様の帰る家。世界で唯一の場所」
イグニスは視線を横へやる。
ラビがいた。綺麗な姿で。メイド服には焦げ跡ひとつない。
精霊術で編まれた火炎弾をまともに受けた姿には見えない。
(なんらかの術で防いだと。でも直撃だったはず。けっこう硬いですね)
「私は戦いが好きなのですが、フィンガーマンが帰ってくると面倒なので、次は本気で叩かせていただきますね。本当は手札をひとつひとつ確かめながら、味わいたいところですが、こちらも時間がないので」
イグニスはフードを外して、艶やかな髪をパサッを手ではらう。
「せっかくお掃除したのに……ご主人様に褒めて欲しくて、なのにどうして邪魔するんですか……招かれざる客とはこのことですね。本で読んで知っていましたが、ラビはいま始めてこの言葉の意味を理解しました」
(全精霊解放……)
イグニスの身体に赤いオーラがまとわりついた。
それはカタチを持っていた。燃える鳥のカタチだ。火の鳥の霊体がイグニスの背後から、衣のようにして覆い被さっているのだ。
屋敷の天井も、床も、壁も赤熱に飲まれていく。
(精霊術の奥義。精霊を纏い、一心同体となり神秘の力を振るう。
「あなたを食べます、屋敷精霊。私はこれでも聖職者なので、モラルを学んでいます。知性あるあなたには遺言くらい聞いてあげます」
「私を食べてどうするんですか」
「いいでしょう、答えてあげます。子供を産むんです。精霊が」
イグニスは手をかざす。
彼女の手のひらに燃え盛る鳥がひょこっと生成される。
「私の本精霊は数を増やすことで無制限に力を増加させることができます。私が契約している精霊はメインとサブ合わせて、火の精霊22体。最初は1匹でしたが増やしました。世界をまわって精霊たちを集めて喰らい、おかげで今では炎竜皇国最強と言われてます」
「それじゃあもっと増やして強くなりたいからラビを食べたいと」
「そういうことです。私は向上心が強いのです」
イグニスは言って、無表情のまま火の鳥を握りつぶした。
火の鳥は火炎となって霧散し、彼女の燃え盛る衣の一部になる。
「子供を産む。ふふふ、ふふ、なるほど、それはいいですね……つまりは繁殖ということ。あぁきっと幸せでしょう」
「? なんの話をしているのですか。……まあいいです。おしゃべりはおしまいにしましょう━━
(爆炎の噴射は空駆ける翼。地上で使えば、熱噴射を利用して高速で移動する脚となる。焼き切る爪は敵をころす至上の一撃。扱いをあやまれば手首からさきを炭にかえますが、近距離ならばこれを上回る火のルーン魔術は存在しません)
焼き付ける炎が膨らんだ。イグニスは火炎を噴射し、瞬間的に加速し、刹那のうちにラビに接近、燃え盛る不死鳥の鋭爪で、白い細首を掻き切ろうとする。
「さようならです、屋敷精霊」
イグニスは澄ました顔で腕をふりぬいた。
ばしっ。
ラビは素手で燃える裂爪を掴んで止めた。
掴まれた側は「へ?」と素っ頓狂に目を丸くする。
「ラビも子供を産みたいです。たくさん産みたいです」
ラビは熱に浮かされたように、頬を染め、イグニスの手を掴んだまま、巨大なウサギへと変身していく。イグニスは腕を引いて、必死に離れようとするが、強い握力で捕縛され、一歩も離れることができない。
「え? あれ? ちょ、全力の火の裂爪だったのに、普通に止め……、あっ、待って、ちょっと、待ってくださいよ、お願いします、一旦仕切り直し━━━━」
「いただきます」
大きな口を開けたラビはイグニスをもきゅっと丸呑みにし、そのままお腹に納め、ひとつ息を吐いて、人間形態に戻った。
「ごちそうさまでした」
「にゃあ?」
フワリが2階から降りてくる。
「フワリ様、すみません、お昼寝の邪魔をしてしまいましたね。少し騒がしいお客様が来ていましたが、もう片付きました」
「にゃあ〜♪」
フワリはのんびり鳴いて2階へ戻って行った。
きっと寝直すのだろう。
「お掃除をしますか。やれやれ散らかしてくれましたね」
ラビは箒を手にとり、粛々と散らかった屋敷のお掃除をはじめた。
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