精霊術師 前編
ニールス商会からの帰り道、プロフェッサーの屋敷に向かう。
「レヴィ、それ何持ってるんです」
「お水」
うちの子が大事そうにバケツを抱えている。
ニールス商会に行った時は持ってなかった。
木製のバケツでなかではチャプチャプ水面が揺れている。
「キンバルさんがくれた」
俺がビリーに書類を渡しにいっておしゃべりしてる間にキンバルがレヴィとシマエナガさんの相手をしてくれていたのか。
「そのお水も?」
「うん」
「ちーちーちー(訳:池ができた話をしたらキンバルがくれたちー。商会の井戸で汲んだお水ちー。レヴィはお水があると安心するちー)」
「見て」
レヴィはバケツをおもむろに逆さにする。重力に従ってこぼれるはずだが……奇妙なことに透明のゼリーがポトンっと出てきた。ちょうどバケツと同じ大きさと形の透明のゼリーだ。ぷっちんぷりんみたいになってる。
「すごい、波紋法の師範代ロギンスが水の入ったコップに指を刺して逆さにして、ゼリーみたいに保持してるみたいです」
「ちーちー(訳:その例えこの世の誰がわかるちー?)」
プロフェッサー・ノウの屋敷にやってきた。この屋敷には何人もの弟子たちがいて、魔術師ノウのもとで日々ルーンについて学んでいる。授業を見せてもらったことがあるが、黒板と教壇、並んだ椅子と机の様相はまんま学習塾みたいな雰囲気だ。地味にこの空気感が好きだったりする。
「いらっしゃいませ、よくぞ参られました、偉大なフィンガーマン様。プロフェッサーは魔術工房にいらっしゃいます、少々お待ちください」
弟子のひとりに言われ、玄関先で少し待っていると、中から人が出てきた。
白いフードを被っている。
こちらに気付き顔を向けてくる。
フードの下には綺麗な顔があった。
女性だ。年齢は俺と同い年くらいだろうか。
紅色のメッシュの入った黒髪をしており、聖職者然とした白い衣を着ている。
豊かな胸元が衣服を押し上げているせいで、視線誘導性能が高く、思わず膨らみと丸みの魅力に目が吸い寄せられる。
だが、この赤木英雄、巨乳に負ける男ではない。わずか1秒だけ釘付けにされるだけで我慢し、女性の顔へ視線を戻す。バレていないな。よし。
「ちー(訳;見たちー)」
「お父さん、見た」
「シャットアップ」
女性は首を傾け、目を細めてまじまじと観察してくる。
「不思議な香りがしますね。異質な火の香り。あなたは何者ですか?」
香り。臭ってるだろうか。ちゃんとお風呂に入ってるんだけどな。
「俺はフィンガーマンです。この街で冒険者をしてます」
「フィンガーマン……そうですか、あなたが例の勇者ですか」
女性は俺の横で水バケツを抱えるレヴィ━━厚生地の外套に身を包んでいる━━と、レヴィの肩のうえでバスケットボールサイズのふっくらボディを晒すシマエナガさんを見やり、どこか納得したような風になる。
「例の勇者とは」
「オリハルコン級冒険者だと聞いていますよ。なんでもこの前たったひとりでバジリスクを撃退したとか。その前はこの地で伝説的な存在だった地底河の悲鳴を討伐したとか。そのほかいろいろ聞いていますよ。破天荒な噂を」
いいですね、結構著名になってるじゃん俺。
冒険者としても活動頑張ってたからな。バジリスクとかいう石化能力がある怪物が出た時は、冒険者組合とベルモットから直接お願いされて、俺に白羽の矢がたったから、みんなの期待に応えてしばき倒したんだ。おかげで今はオリハルコン級冒険者。最高等級のリオブザル級への昇級に王手をかけている。
『強さ議論』最新版の出版準備も進んでいるらしいし、俺の名声が遠くの地まで轟くのも、時間の問題って感じだな。
「大したことじゃないですよ。この街い住むよき市民として当たり前のことをしたまでです」
「謙遜なさるのですね。それは美徳です。しかし、だからこそ、できれば、あなたとは仲良くしたかったですね」
女性はそんなことを言って、俺たちの横を抜けて行ってしまった。
「フィンガーマン、待たせた、よく来たね」
声のほうを見やれば、不健康そうな肌色の中年男性が玄関にたっていた。
この屋敷の主人プロフェッサーだ。
「ご機嫌よう、プロフェッサー。ラビの件でお話をしたくて」
「そうだろうとも。さあ上がりたまへ、友よ」
シマエナガさんへの苦言を止めて、彼の案内で屋敷のなかへ。
魔術工房に通してもらい、俺はプロフェッサーと机を挟んで向かいあった。
「うわあ、すごいでっかい鳥だ」
「信じられないくらいふっくらしてる」
「本物のシマエナガさんだ。フィンガーマンの特級テイムモンスター!」
「この丸み……さてはデブなのか?」
「ちーちーちーッ!!(訳:デブじゃないちーッ! これは可愛いちーッ!)」
「シマエナガさん、静かにしないとダメ」
向こうではうちの子たちが、弟子たちに遊んでもらえている。あっちは目を離していても大丈夫そうかな。騒がしいのは置いておいて、俺は配膳された茶の香りを楽しみつつ、納品受領書を渡し、魔力物質をラビに与えた効果を伝えた。
「魔力を蓄え、魔術を行使したか。精霊ならばなるほど納得の結果だ。予想通りとも言える」
「あの魔力物質、素晴らしいです。ぜひもっと融通していただけますか?」
「あぁそれは構わないが、入手には少し手間取るかもしれない。あれは私の屋敷にあったもので、長らく眠っていたものを提供させてもらっただけだからね。再調達の目処は現状立っていない」
「そうなんですか。あれは具体的にはなんなんですか」
「精霊だ。より具体的に言うなら、スライムの精霊が残した残留物と言うべきかな」
「残留物?」
「スライムの精霊が動き回る時、地面や木々に体がこすれて、ゼリー状の残留物が形成されることがわりとある。精霊の身体は保存期間が半永久的だから、非常に高価な素材でね。こうした魔力物質は力を失ったルーンに魔力をリロードしたり、各種霊薬の作成などに利用されるのだよ」
「結構、貴重なものを融通してくれたのでは」
「謙遜せずに言うならその通りだ。貴重な魔力物質だった。あれは100年経っても使える純度の高い精霊産魔力物質だったからね」
「これはお金を追加徴収される流れですか」
「まさかそんなことはしないさ、フィンガーマン。君は友達だ。偉大な力を宿し、それを正しく使い、人々の英雄になっている。君がいなければバジリスクにこの街は滅ぼされていただろう。あるいはあの精霊に」
「ラビはそんなことしませんよ」
「まあなんにせよ、私は君が好きなんだ。地底河で秘文字を録音したあの時から、君のファンなのさ。それに高価な素材ほど、使うタイミングというのは訪れない。貴重な手段ほど、慎重になりすぎて、結局は埃被るだけだったりする。魔力素材なんかは、倉庫の隅で腐らせておくより、タイミングが来たらさっさと使ってしまったほうがいいんだよ」
彼は気難しいことで知られる魔術師だったのだが、いまではすっかり俺に心を開いてくれている。
この2ヶ月間、プロフェッサーとは良好な関係を築いてきた。
その成果が明確に今回は現れたと言って良いだろう。
なんていうのかな。誰にでもシャーって威嚇する野良猫が、俺にだけは猫撫で声で可愛い姿を見せてくれるみたいな達成感よ。
「私も話したいことがあった。実は精霊の専門家から詳しい話を聞けたんだ。君のところの精霊……屋敷精霊ラビについてな。まずは君が行った名付けという行為について話しておきたい。君が結んだ精霊契約、その代償について君は知らなければならない、フィンガーマン」
プロフェッサーは丸メガネを取り出してかけ、手元のメモ用紙に視線を落としながら話を続けた。
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