ミズカドレカの日常 後編
ニールス商会の客間のソファでくつろいでいると、金髪の美少女が無手のまま奥からやってくる。健康的な太ももの露出した短パンは、窓から差し込む陽の光を受けて輝いている。
彼女は薄く微笑みながら、すぐそばにやってくると、俺の隣に腰を下ろし、背もたれに片腕をついて頬杖をつく。手足が華奢で、指先も細いし、やたら艶めかしい。しかし、騙されることなかれ。生物学的には男性なのだから。
「昨晩見せた情報以外はこれといってめぼしいものはないかな」
そう言ってキンバル・ニールスは眉尻をさげた。
「まぁですよねぇ……」
「ボクとしてはシマエナガさんで、びゅーんっと空を飛んで、街をめぐって探したほうが手っ取り早いと思うんだけどなぁ」
「まあ、そうなんですけどねえ、いろいろ上手くいかないものでして」
俺たちはシマエナガさんの背中に乗って、たびたびダンジョン財団南極遠征隊の捜索に繰り出していた。ラビの屋敷に住み着いてから1ヶ月ほどは、朝から近くの街に出かけ、1日後、2日後くらいに帰還するという行動を繰り返していた。
結果から言えば、何の成果も得ることはできなかった。
得た成果と言えば、南極遠征隊の残留者たちはミズカドレカの近郊にはいないという事実がわかったことくらいである。
現在、俺たちはミズカドレカで呑気に暮らしているのには理由がある。
1つ目はキンバル報告で有益な情報が得られてないこと。
シマエナガさんに関する情報は一撃でびびっとくる正確性を持っていたが、あれほどまでにわかりやすい手がかりがニールス商会に入ってきていないのである。キンバルは奇妙な噂を俺の耳に入れてくれるが、今のところどれも外れだ。捜索は行き詰まっている。
2つ目はシンプルに疲れた。
こう空振りが何度も続くとやる気も削がれてくる。どっかで上手いこと会えないもんかね。世界広過ぎるだろ。
3つ目はリソースの問題。
俺のHPもMPも無尽蔵にあるわけではない。ラビと暮らし始めたあの日、いつの間にかMP100万くらい吹っ飛んで以来、俺はこの世界での活動限界を意識するようになり、リソース浪費を抑制しようと真剣に考えるようになった。
ちなみに現在のステータスはこんな具合だ。
────────────────────
赤木英雄
レベル386
HP 91,700/11,980,000
MP 322,010/1,850,000
スキル
『フィンガースナップ Lv9』
『恐怖症候群 Lv11』
『一撃 Lv11』
『鋼の精神』
『確率の時間 コイン Lv2』
『スーパーメタル特攻 Lv8』
『蒼い胎動 Lv6』
『黒沼の断絶者』
『超捕獲家 Lv4』
『最後まで共に』
『銀の盾 Lv9』
『活人剣 Lv9』
『召喚術──深淵の石像Lv8』
『二連斬り Lv8』
『突き Lv8』
『ガード Lv8』
『斬撃 Lv8』
『受け流し Lv8』
『次元斬』
『病名:経験値』
『海王』
『海の悪魔を殺す者』
『デイリー魚Lv3』
『選ばれし者の証』
装備品
『クトルニアの指輪』G6
『蒼い血Lv8』G5
『メタルトラップルームLv4』G5
『迷宮の攻略家』G4
『血塗れの同志』G4
────────────────────
2ヶ月前から比べればわりと成長している。
レベル378 → レベル386
最大HP9,320,000 → 最大HP11,980,000
最大MP1,470,000 → 最大MP1,850,000
剣術の鍛錬をしているおかげで、俺の技量も上昇している。
結果として剣術系スキル全般のスキルレベルもアップしていたりする。
もっともどれだけステータスが成長しようと、リソース回復ができない以上、俺の総合的な能力や、限界値は低下する一方だ。この世界には俺たちに特殊なチカラを授けてくれているアダムズの加護が届きにくい。そのため何もしてなくてもMPもHPも減退していく。何らかの対処をしなければ時間切れで息絶えるのは目に見えている。
それがミズカドレカで呑気している4つ目の理由だったりする。
ラビだ。彼女こそが俺たちよそ者らの命を繋ぐカギなのだ。
「何か面白い噂がつかめたら教えてください、キンバル殿」
「もちろんですとも。フィンガーマン殿、君はボクの友だちだからね」
キンバルは薄く笑み、顔の横で指をたて、可憐にウィンクした。
もう男の子でいいや。いいよね。いいな、よし。
「それじゃあ、また来てくださいね、フィンガーマン殿」
そう言ってキンバルは踵をかえして奥へ引っ込んでいった。
寄り道せず屋敷に戻る。
我が家の立派な外観が見えてきた。
高い壁に囲まれた、煉瓦作りの屋敷で、壁に生い茂るツタがおしゃれだ。
新築かと見間違うほどにピカピカで、とてもボロ屋だったとは思えない。
その通り。最初からこんな綺麗だったわけじゃない。
2ヶ月前、この屋敷に初めて足を踏み入れた時は、幽霊屋敷という言葉がふさわしい外観だったのだが……気づいたらピカピカになっていた。
ラビいわく「ご主人様を迎えて家も喜んでいます」とのこと。
原理はわからないが住む家が綺麗になったので特に気にしてはいない。
「お帰りなさいませ」
我が家に惚れ惚れしてから、玄関の扉を開けると、ラビが出迎えてくれた。
どうやって俺の帰宅を察知しているのか少し興味があるが、あんまり知りたくないような気もする。
「帽子とコートを」
「これくらい自分で━━━━」
「ご主人様、帽子とコートを」
ラビは目元に影をつくり、ギンっと目力を強くする。瞳がちょっと澱みだすの怖すぎる。俺は帽子を渡し、大人しく背を向けてコートを脱がしてもらう。嫌なわけじゃないが、いまだに慣れないなこれ。
「何か情報は得られましたか」
「いいえ、なにも。このところびっくりするほど収穫なしですよ」
「そうですか。それは残念です」
ラビは少し嬉しそうだった。彼女にとって俺たちが屋敷を出ることは、不安そのものなのだと思う。それが最近はわかってきた。
俺は複雑な思いになりながらも「心配しなくても、この家を捨てたりしませんよ」と赤い瞳を見て言った。
「心配などしておりません。ご主人様が家を捨てるなんてありえませんから。全然まったく疑っていないです。信じていますとも、ええ」
瞳を見開いて言われると、ちょっと釘を刺される気分になりますね。なんででしょうか。俺のこと信じてるんですよね。それを信じていいんですよね。
俺は居間に行き、お昼寝してるフワリを見つけてモフりながら、ラビのことを考える。
ちょっと病んでるところがあるのが、ラビという屋敷精霊だ。
屋敷を長く空けるとすこし精神が不安定になる傾向があるので、この屋敷を長い時間空けることはできない。できるけど、あとが怖いのでやりたくない。
これは恐怖という意味でだが、より純粋に彼女に悲しい思いをしてほしくない気持ちもある。長い時間を一緒に過ごしたことで、ラビに対しては、仲間だとか、友達だとか、そういった”身内感”を感じているのである。
それともうひとつ、俺たちがこの屋敷を絶対に離れない理由もある。
これは先ほどの『俺たちがミズカドレカで呑気している理由』その4つ目でもある。
「ん、この香りは……?」
フワリをモフってると、良い香りがしてきた。
焼き菓子の香りだ。小麦を焼いたやさしい匂い。
どこか懐かしさすら感じるそれが鼻腔をくすぐり、やたらお腹を刺激する。
「ご主人様、クッキーを焼いてみたのですが」
ラビがお盆を持ってやってきた。
挙動はややたどたどしく、耳が垂れ、自信のなさが声調に表れている。
彼女は平静を装うのが下手だ。すべてが身体に表れてしまう。
本人に不安が顔に出てることを伝えても「何のことですか」とキリッと言い返されてしまうので、たぶん彼女のなかでは上手く平静を保ってるつもりなのだ。
「いただきますね」
「にゃあ!」
クッキーをかじる。ふむ。程よい歯応え。
素材が生かされた素朴な味わいだ。
「にゃあ♪」
フワリも喜んでます。
「流石はラビさんですね、美味しすぎていくらでも食べれますよ」
「本当ですか?」
ラビはパァっと表情を明るくすると、大きなウサ耳をピンっと立てた。
元気がみなぎってきたな。よかった。
ステータスを確認する。
HPとMPが地味に回復している。
HP 91,800/11,980,000
MP 322,110/1,850,000
このクッキー一枚でHPとMPがともに100くらい回復したかな。
これが精霊の力なのか、ラビ固有の力なのかは、判明していない。
肝心なのはラビは他にはない特別な能力があり、たとえアダムズの祝福に依存している”よそ者”であろうと、力を回復させることができるのだ。
つまりラビという精霊は、身内関係という意味でも、利害関係という意味でも、付き合いを大事にしたい相手なのである。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまです。ご主人様もフワリ様も綺麗に食べましたね」
「にゃーん♪」
美味しくクッキーをいただき、陽が登り始めた頃、俺は庭にでる。
庭ではセイが剣を振り回していた。すでに鍛錬を始めて時間がたっているのか、剣を振り抜くたびに、玉の汗が飛び、美しい蒼髪が空に揺らめいていた。
「今日はエリーは来てないみたいですね」
「師匠、おかえりなさい。エリーとクゥラさんは少し遠出するみたいですよ。なんでも3つ隣の街まで行くんだとか」
そうか。あの姉妹は順調そうだな。
冒険者として生計をたてる術を手に入れ、剣闘士ではない普通の生き方を知りつつある。もう彼女たちだけでクエストを受けて、彼女たちだけで報告をし、報酬を受け取り、生活できる。いわゆる自立というやつだ。
「今日も稽古よろしくお願いします、師匠!」
「うむ。では、昨日の続き、バインバインズドンからのちゅぴちゅぴぱんから行きますよ。さあ構えてセイ」
我が弟子に剣術の稽古をつけ、一緒に筋トレをし、午後になった。
小腹が空いた頃、庭にラビの姿が現れた。それを見て、俺はギョッと身構えてしまった。
ニコニコと楽しげなラビは期待に満ちた顔で、山盛りのクッキーが盛られたバケットを庭先の椅子のうえに置いた。
なぁにこれぇ?
洗濯カゴに1週間分の洗い物溜め込んだみたいになってますが?
「ご主人様、どうぞ、いっぱい焼きました!」
「えっと、ラビさん……? これ全部クッキーですか?」
「もちろんです。ご主人様、”美味しすぎていくらでも食べられる”とおっしゃっていましたので、頑張って焼きました」
あぁ、しまった……確かに言ったような気がする……。
「魔力をつかって温かさを保ってますので、焼き立ての味わいをお楽しみいただけます!」
豊かな胸を張り、自信に満ちた表情をしていらっしゃる。
赤い瞳は淀みとはかけ離れた、輝きと期待に満ちている。
だめだ、食べられないなんて言い出せるわけがない。
「セイ、せっかくだから頂きましょうか」
「え……師匠、私もですか……?」
「疲れた身体には山盛りのクッキーが効くんですよ」
「はじめて聞きました、それじゃあちょっとエリーのところ遊びいってこよっかなぁ」
「エリーは遠出してるんですよね。セイちゃん、座りなさい」
俺は逃げようとするセイの肩をがしっと押さえ、隣に座らせた。
腹をくくれ。もう食べるしかないんだ。
セイは小声で「絶対無理ですよ……っ」と泣きそうになりながら言ってきたが、俺は聞こえないふりをして、クッキーを口に放り込んだ。
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