ミズカドレカの日常 前編

 朝、とんとんっと胸を叩く振動で目を開く。

 むにゃむにゃしながら瞳を開けると、白い髪がハラリと揺れていた。

 大きなお耳がひよひと動き、血のごとき赤瞳がじーっと見下ろしている。

 

「おはようございます、ご主人様」


 ラビだ。あの日から欠かさず毎朝起こしてに来てくれる。

 大きなあくびをしながら「をはぁう」と伸びをし、窓の外へ視線を向ける。外は薄明るい程度だ。布団をまくれば薄ら寒さを感じた。


「お食事が出来ております」

「ありがとうございます、いつも」


 俺はのそっと布団から出る。指を鳴らし、空間から捻りだすように普段着を取りだす。向こうの世界の白シャツと黒のボトムスではない。こちらの世界で調達した服装だ。以前、ヴォールゲートで調達した服である。


 ラビを見やる。俺の肩に手を伸ばそうとしているところだった。ピタッと動きを止める。俺は赤い瞳を見つめ「大丈夫です」と言った。


「でも、メイドは主人のお着替えを手伝うものです」


 ムッとして抗議の視線を向けてくるが、ここは譲れない。


 理由はシンプルだ。恥ずかしいからである。

 自分より年下っぽく見える女性━━厳密には精霊なのでたぶん年上━━に、服脱がされたり、下着ぬがされたりされるのは、まあ、見ようによっては羨ましいと思われるかもしれないが、いや、実際俺も自分がその立場になる前ならば「ご褒美プレイかよ」と思ったものだが、楽しさや、興奮や、エロさ、とかそういうのを感じるより先に、圧倒的な拒否感が出てしまうので、普通に無理なのだ。


 そう、普通に厳しい。

 緊張するし、なんで着替えで緊張しないといけないのとか思うし、でも、なんなら起床直後ということは……つまりそのいわゆる息子も起立しているわけで、そんなものを見られようものなら気まずさで俺は俺の家から家出しなくてならなくなる。


 あとは他にもいろいろ問題がある。

 シマエナガさんに白い目を向けられるとか、いつか訪れるドリームが恐ろしいとか、セイに変態だとか思われないだろうかとか、レヴィに軽蔑されないかなとか、なんか偉そうで嫌だなとか、些細なものまで数えたらいろいろだ。


「ラビさん、本当に大丈夫です。気持ちだけで」

「ご主人様、遠慮なさらなくてよいのですよ。すべてこのラビがお世話してあげますから」


 ラビはトコトコ距離を詰めてくる。俺は後ずさる。


「遠慮とかじゃないです、マジで。デリケートなので」

「デリケートな部分、すべてラビがお世話します」

「自分でやれます。これまで23年間そうやって来ましたので」

「ではこれからはラビがお世話しましょう。さあ服を脱いでください」

「脱がないです。自分で着替えられます。本当にありがとうございます」

「むぅ……やはり頑なですね。ご主人様は私にとって特別なだけでなく、おそらく外の世界においても特別なお方。ご主人様自身にお着替えをさせていては、メイドの不手際とみなされてしまいます」


 この2ヶ月ずっとこの調子だ。

 ラビは毎朝のように着替えを手伝おうとし、そして交渉を試みてくる。

 この世界では、身分ある者は些細なことをすべて使用人にやらせるものだそうだ。かつては文字の読み書きでさえ、使用人を介することで行わせていたとか。いかなる労働でさえ、俺自身が動けば、それはつまり”卑しい”ことなのである。


 俺もすでにわかってる。

 でも、だからといってこんな俺の寝室の一室で行われている出来事で、外側からの見られ方が変わるとはとても思わない。


「だとしても! 大丈夫です」


 俺の朝は、ラビとの交渉を制するところから始まるのだ。


「わかりました。ご主人様がそこまで言うのでしたら」


 ラビは渋々と言った様子で部屋を出ていった。

 着替えて食堂へと降りる。

 

「おはようございます、師匠。いい朝ですね」


 セイとラビが朝食を配膳してくれる。朝食はスープとパンと卵にベーコンだ。

 ラビが俺の意見を聞き、積極的に献立を追及してくれたおかげで、見慣れた食事ばかりがこの屋敷の食事には出てくるようになった。


 セイはそのまま椅子に腰を下ろす。

 ラビは配膳台のそばでピンッと背筋を伸ばして待機。

 

「ラビさんも座って食べてください」

「いえ、私は結構です。ご主人様はお気になさらずお食事をお楽しみください」


 ラビは絶対に座らない。俺の手元の水か茶の量が減ったら、一瞬で飛んでくるつもりだ。おかわりにもいつだって反応する。秒で反応する。

 

「ちーちーちー(訳:いい朝ちー♪ 美味しそうな匂いがしてるちー♪)」

「いっぱい食べる」

「にゃあ〜」


 食堂が騒がしくなった気配を察知して、続々と降りてくる。


 ラビはキリッと反応し、素早く配膳台からおぼんを移動させる。シマエナガさんとレヴィは俺たちと同じものを。

 スープは鍋からだ。あらかじめ皿に移しておくと、冷めてしまうから、わざわざよそってくれる。


「どうぞ、シマエナガ様、温かいスープです」

「ちーちーちー(訳:なかなかやるちー。どれどれ味は……おいちー!?)」

「喜んでいただけているようで何よりです」


「にゃあ」

「フワリ様はこちらをどうぞ」


 ラビは赤いブツが山盛りになった皿を取りだす。あれは俺がスキル『デイリー魚』で呼び出したクロマグロである。毎日スキルを使い、我がスキルコントロールは何段階も進化し、ついにはマグロを召喚できるようになったのだ。

 こちらに関してもラビが一手間加えてくれる。食べやすいように巨大なマグロを解体し、骨を除き、ああしてマグロのたたきを大量にこしらえてくれているのだ。これはフワリの要望を体現した結果である。

 

 俺は朝飯を食べながら、手際よく動くラビを見つめ、少し不安になった。

 彼女の住まうこの屋敷にやってきてから、2ヶ月が経過した。

 あの日から彼女は休みなく毎日毎時間俺たちに尽くしてくれている。ブラック労働なんてものじゃない。そうだな。ダブルブラック労働といっても過言じゃないだろう。


 気遣ってくれること自体嬉しいことだ。

 だけど、働きすぎで、尽くしすぎて、疲れてしまわないのか不安になる。

 いつか倒れてしまうんじゃないだろうか。無理してるんじゃないか。

 俺は日8時間、週5日の労働が嫌で探索者になったことを思えば、朝から晩まで家事能力のない俺や、姑気取りのいじわる豆大福、そこらじゅう毛だらけにしちゃうイタズラねっこ、気づいたら儚死してるレヴィら、お世話するのはいろいろ大変すぎると思うのだ。


 唯一セイはラビを手伝える。

 彼女はなんでもひとりで出来るくらい有能だ。

 だから、ラビも手が掛からないとは思う。


「ラビさん、週休完全二日制については考えましたか?」

「その件については吟味させていただきました。ご主人様のお気遣いはすごく嬉しいです」


 ラビは真顔のまま続ける。


「丁重にお断りさせていただきます。私に休めというのは、生きる意味を手放せと言っているようなものなのです。ご主人様はお優しいお方です、それが私のことを思って言っているのはわかりますが、その慈愛は私には刃なのです。せっかくご提案してくださったのに、申し訳ありません」


 寂しげな顔をされてしまう。眉尻が下がり、大きなウサ耳までも垂れ下がる。


「あぁ、それなら……はい、それならいいです」

 

 頼むからそんな顔しないでほしい。

 めちゃくちゃ悪いこと言っちゃったような気分になる。

 いや実際たぶん悪いことなんだろう。人間の尺度で、それも別の世界からやってきた俺の定規ではかった”良かれ”を彼女に押し付けるべきではない。


 異世界に来てから80日ほど。俺はいろいろ学びを得ている。

 この世界にはこの世界の道理があることをもう知ってる。

 また精霊には精霊の道理がある。


 俺が彼女に抱いている申し訳なさは、俺が勝手に抱いている負目からくるものだ。それを完全に拭いさることはできないが、それを彼女にわざわざ見せる必要はないように思う。彼女に気遣いを見せるのは、本当の意味で彼女のことを思っての行動ではなく、あくまで俺が自分の心にふりかかる負目から解放されたいがために、言っているに過ぎないのだから。もちろん、そんなつもりはないのだが、客観的に分析すれば、そういうことになってしまうのだと言うことを、最近になって気がついた。


 朝食が終われば、すこしゆっくりする。

 食堂で温かい紅茶を飲みながら、本に視線を落とし、ラビの気配に注意する。

 タイミングを伺い、俺は玄関へ向かう。そっと、静かに移動し、フックにかけてあるコートを手に取ろうとし━━━━


「どちらに行かれるのですか」

「ひぇ」


 耳元で囁くようにたずねられ、俺は背筋を震わせ振りかえった。

 光を宿さない赤い瞳がじーっと見つめてきていた。濁り、澱み……そういった形容がこれ以上ふさわしい物もないほどにジトっとした瞳だ。


「……に、ニールス商会に行ってきます」

「昨晩も行かれましたよね? 午後10時12分に行って、帰ってきたのが午後11時34分。嘘だとは思いませんが、流石に何度も行きすぎでは?」

「ラビも知っての通り、仲間を探すためには商会の力が必要不可欠でして……なにか進展がないか確かめにいかないと。この2ヶ月進展がないので」


 ラビは湿度の高い瞳で、なにやら思案げにしてる。

 彼女は少し不安定なところがある。俺がこの外に出かけることを極端に嫌がるのだ。


「帰ってきますか……?」

「もちろんですよ」

「本当に? そのままどこかへ行ってしまうおつもりではないですか?」

「まさか」

「………………わかりました」

「すぐ、帰りますから。本当に、本当に」

「では、コートと帽子を」


 ラビはコートを手に取り、引き寄せ、首をかしげる。

 俺が背中を向けると肩にコートをかけてくれた。袖を通すのも手伝ってもらい、最後に帽子をちょこんっと乗せてもらって、ネクタイがずれてないかチェックしてもらう。


「いってらっしゃいませ、ご主人様。お帰りを心よりお待ちしております」


 俺は生唾を飲み込み「すぐ戻ります」と行って、ニールス商会へ出かけた。

 扉の閉まる瞬間まで、その隙間からこちらを見つめる赤瞳に、背筋をなぞられたような気がした。






















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 こんにちは

 ファンタスティック小説家です


 デイリーミッション漫画版第3話前編更新されました

 面白く描いてもらってます よかったら確かめてみてください!

 よろしくお願いいたします!

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