ラビ誕生
家の所有者になったことをビリーに伝えるためニールス商会に戻ってきた。
セイとフワリは屋敷に残っている。わざわざついてくる意味もないからだ。
レヴィもお留守番してていいと言ったが「お父さん、一緒がいい」と甘えられてしまったので離れる訳にいかなくなった。そのため護衛のシマエナガさんもくっついて来ている。レヴィの身辺は常に大きく膨らんだシマエナガさんのでかでかふわふわボディによって守られなければいけないのだ。
「精霊が宿っていたのですか?」
ビリーはガタっと椅子をずらし、机に両手をついて前のめりに聞いてくる。
「可愛らしい少女の精霊が」
「まじですか……?」
「まじですね」
「……そう、ですか。それはまたとんでもないことですね」
「とんでもないことなんですか」
「ええ、そりゃあ。だって精霊ですから」
「精霊」
「ちーちー(訳:ビリーくん、英雄はなにもわかってないちー。教えてあげてほしいちー)」
「シマエナガさんも無知識ですよね。俺だけ無知っぽく言うのやめてもろて」
「あの、フィンガーマン殿、どなたとお話しされているので?」
「あぁ、いや気にしないでください、鳥と話してました。それで精霊について教えてくれますか。なにぶん始めて聞いたもので、精霊がなんなのか俺はまったく知らなくて」
「僕も詳しいわけじゃないですが、これでも冒険者ですし、商会を預かる長ですからね、ある程度の知識はあります。少し待っててください」
ビリーは言いながら奥に一度引っ込み、本を2、3冊抱えて戻ってくる。
分厚いページを開き、挿絵を示し、精霊について語りはじめた。
「精霊は自然の魔力が何らかの動機のもと、意志をもった存在だとされています。偉大な存在です。彼らについては深くはわかっていないです。ただ、古い文献から現在まで語られている情報によれば、多くは自然のなかで暮らしていて、人里には降りてこないようですね」
「俺の新居が人里離れた僻地だって揶揄してます?」
「深読みしないでください、そんな迂遠な揶揄しませんよ。きっとフィンガーマン殿の屋敷にいるのは、特別な精霊なんですよ」
「え? もしかしてそれで説明終わらせようとしてます?」
「すみません、終わるつもりでした」
ビリーは眉尻を下げ、申し訳なさそうにする。
なんか知識あります風を装ってたけど、ほとんど何も知らないな。
「とりあえず不思議な存在とだけ思っててください。あとこれがもっとも重要なことですが、精霊は恐ろしい力を秘めていると伝え聞いてます。それこそ人の街なぞ簡単に滅ぼせてしまうとか」
「危険な存在だと?」
「ええ。まあ本当かどうかは知りません」
「まじでフワフワした知識しかないじゃないですか、ビリー殿」
「精霊もピンキリだとは思いますが、とにかく接し方を誤れば大きな悲劇を招く恐れがあると覚えておいてください。もしかしたら、フィンガーマン殿の手にも余る存在かもしれないのですから。決して怒らせないようにお願いします」
「ちーちーちー(訳:その時はちーがカルヒネ━━軽く捻る━━してやるちー。すぐに美少女化する新人をわからせるちー)」
まーた返り討ちにされるフラグ立ててるよ、このシマエナガ。
「ご安心を。わざわざ事を荒立てようなことしませんよ。この俺フィンガーマンは交渉の達人としてだけでなく、スマートに紛争を解決に導くことでも知られていますから」
「流石はフィンガーマン殿、件の精霊に関してはお任せしてよろしいですね」
「ちーちーちー(訳:英雄もすぐに建物を更地にするフラグをたてるちー)」
精霊がいたことはビリーにとって想定外だった。
本来、人里にいては危険極まりない災害のような怪物だというが、件のウサ耳メイドは穏やかな性格で俺を主人として従属してくれていること、屋敷から出ることができないことを伝えると、管理を俺に一任してくれる流れとなった。
「でも、一応、ベルモット男爵には伝えておきます。万が一があった場合、それは街全体を巻き込む有事ですので」
「いいですよ、ビリー殿の納得のいく形で手を打っていただいて」
ビリーへの報告を終え、我が新居へと往復して戻る。
相変わらず外観はボロボロだ。これなんとかしたいな。
「帰りました……ん? なんだかいい匂いが……」
腹の虫を刺激するたまらない香りに釣られて歩を進める。
長机と椅子が並ぶ食堂の先、キッチンでせっせと作業するセイとウサ耳メイドの姿があった。
「師匠、おかえりなさい!」
「おや、お帰りになられていたのですか、ご主人様」
「ええまあ。それは?」
「セイラム様がお食事がまだとおっしゃっていましたので、簡単なものですが、食事をこしらえさせていただきました」
そういえばニールス商会に行く前に「師匠、魚出してください!」とセイに言われて、魚を呼び出して渡したのだった。ちなみに丸々太った鮭を渡している。我がスキル『デイリー魚』は日々進化しているのだ。
「もうしばらくお待ちください、ご主人様。すぐに料理をお持ちします」
「すみません、何からなにまで。よろしくお願いします」
食堂に戻る。フワリが椅子をひとつどかして、そこにお座りしている。彼女もごはんを待っているようだ。
「にゃあ」
レヴィとシマエナガさんも椅子に腰を下ろす。
こうして長机を囲むと、敵幹部の会議みたいな雰囲気でる。
特に人外が並んでいるあたりマジでそれっぽい。
そんなこと思って待っていると、料理が運ばれて来た。
見覚えのある料理だ。鮭の塩焼き。庶民飯。
まあ鮭の塩焼きと白いパンが並んでいる絵面は始めて見たが。
「セイラム様がご主人様のお好きな料理を教えてくださいました」
「セイラム見えるようになったんですか」
「ハッキリとは見えないです。でも、ぼんやりと姿が見えるようになりました。それに声も」
「私がすこし調整しました。新しい知見を得られましたので……まあ、そのことはあとにしましょう。どうぞ冷めないうちにお召し上がりください」
「師匠は少し前まで毎日これ食べてましたよね? ふっふっふ、このセイラムには師匠の大好物はお見通しなのです」
得意げに薄い胸を張るセイラムさん。
鮭の塩焼きは普通に好きだ。でも、毎日アルミホイルで包み焼してたのは、食料問題があったからなんだ。それを今訂正する必要はないが。ここで訂正するのはコミュ障。俺はコミュ強なので訂正しない。コミュ強なのでね。
「うま」
「ちーちー(訳:うまちー)」
「にゃあ♪」
料理はめちゃ美味かった。
「失礼します」
ぱくぱくしてる最中、コップが空になればスッと手が伸びてきて、水を注いでくる。ホスピタリティ。流石はメイドさんです。鳥にも猫にも真似できない。
名前を呼ぼうとし、言い淀む。完全に相手の名前を呼ぶイントネーションで言葉を切ってしまった。
「ウサ耳メイドさんでは呼びづらいですね。何か呼び名、そうコードネームでもつけていいですか?」
「ちーちー(訳:格好つけなくていいちー)」
「ええ、構いません。ご主人様がそれを望むのならばお好きに命名してください」
ウサ耳メイドは無表情でじーっと見つめてくる。
その顔を見つめかえし思案する。
白い髪、大きなお耳、赤い瞳。ゴシックでモノクロなメイド服。
「ラビとかはどうです」
「ラビ……なんだか力強い響きをもつ名前ですね。気に入りました」
「本当ですか、それはよかった」
「ええ、とっても気に入りました。私はラビです」
「ちーちー(訳:英雄のネーミングセンスが成長しててよかったちー。以前までだったら名前がウサギさんになってたちー)」
シマエナガさんにはバレている。
俺の中でよぎった名前候補はウサギ、うっさー、ウサミ、ウサ、ミス・ウサギなどだった。だけど、ハリネズミさんからのクレームがあがっている件を思い出し、思考を一度やりなおした。種族名をそのまま固有名にするのは、パーソナリティの危機になるらしいのだ。
なので今回は新展開を見せた。
ラビ。美しい名前である。
「ん?」
視界が傾く。足元が揺らぎ、天と地があべこべになる。
「大丈夫ですか、ご主人様!」
気づけば俺は崩れ落ちていた。
ラビが肘と肩を支えてくれて倒れずに済む。
体重を思い切り預けたせいで、いろいろ柔らかいものがあたってる。これは精霊のお胸……? すごい、あっ、すごい、おお、すごい、あっ。
「ちーちーちー(訳:大丈夫ちー? いきなりどうしたちー?)」
「いえ、めまいがいきなり……どうしたんだろ」
情欲に流されてる場合じゃなかった。
俺は惜しみながらもラビの柔らかさから離れる。
ごっそりとした喪失感がある。俺のなかから何かが失われた。
しかし、一体なにが。
━━ラビの視点
長い時間、ひとりだった。
誰もいなくなった屋敷のなかで、私はひとり待ち続けた。
私は屋敷精霊。この屋敷を大事に使ってくれた前家主さまの心と意志から生まれた精霊。私が生まれた時にはもう家主さまは姿を隠されていて、だけど私の存在意義はその瞬間にはじまって……だからずっとひとりだった。
だけどついに現れた。私を使ってくださる新しいご主人様が。
フィンガーマン様。ひと目見てわかった。
果てしない力。限りない存在感。底知れぬ覇気。
物腰柔らかなお方だ。人間の姿形もしている。
しかし、その正体はおそらく想像も及ばないものなのだろう。
人の上に立つ存在、上位者、超越者、あるいは神? 次元を超えたところを起源に持っているに違いない。
彼の仲間たちもまた途方もない存在感を放っている。
蒼髪の女の子だけは普通だ。今までと同じ。私が見えていない。
だけど、だからこそ何が差なのか考えることができた。
普通の人間には観測できず、フィンガーマン様たちのような高次元の存在には観測できる理由。
調整するべきパラメータにアタリをつけることができた。
結果、蒼髪の女の子セイラムにも私の姿を捉えさせることに成功した。
今まで誰も私を認識できなかったのに、こんなにも多くの存在が私を見てくれる。それだけで嬉しかった。
だというのに、フィンガーマン様は名まで与えてくれた。
自分の存在が補強されたのを感じる。湯船を揺蕩う膜のような曖昧な存在だったのに、今は形を確立し、名前を持ち、色を確かにしている。
力が増している。
強大な魔力が流れこんできて、それが共振し、精霊としての私の存在力を増加させ、より強力に世界に根っこを張らせていく。
屋敷との一体感もました。この家のなかでならなんでもできる。そう思うほどの全能感だった。
「ご主人様、すこしお疲れのようですね」
ふらつくフィンガーマン様を支えながら、私は、いえ、ラビはしっかり伝えておくことにしました。
「大丈夫です、ご主人様にはラビがついております」
このお方たちを手放してはいけない。
この屋敷に住まう者のお世話をすること、健康を守り、身の安全を守り、快適に過ごしてもらうこと、苦労をかけないこと、それが私の使命なのだ。
やっと手に入れた幸福。使命を果たせる喜び。
絶対に手放さない。
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