『魔導傀儡』

「ナイル様っ!?」


 師団員たちは吹き飛ばされた教導長をいっせいに見やる。

 

「教導長はいい、いまはこいつを仕留めることに集中しろ!」


 冷静な者が叫び、慄く者たちは意識を指男へ向けた。


「なんなんだ、こいつは……」

「いま何をしたんだ?」

「やつが指を鳴らして、それでナイル様が飛ばされて……」


 誰ひとりとして指男のマジックを理解できるものはいなかった。

 皆、異質な彼の振る舞いと、その技に埒外の恐怖をいだくばかりだ。

 しかし、今更あとに引くことはできない。

 剣を抜き、斬りかかり、命を奪おうとしたならば、命を奪われる覚悟をしなければいけない。原理原則は揺るがない。なにより眼前の異質な指男が、敵対者を見逃してくれるほどやさしいようには見えなかった。


 だから、師団員たちはルーンブレードでその首を断とうとした。

 

「うぎゃあ!」


 攻撃を仕掛けた師団員から黄金の炎に焼かれた。

 指が一回鳴らされるたびに砕けた。

 

 ルーンブレードの刃は通らず、動きは素早い。

 指を鳴らす挙動は見えず、気がつけば「パチン」と軽やかな音が響いている。

 そしてまたひとり仲間が消し炭に変わるのだ。


「なんなんだ、こいつはぁあ!?」

「火のルーンなのか!? こんな魔術見たことがねえ!?」

魔導の星ラガウェイ!」


 師団員のひとりが黒い流星を放った。

 光の尾を引き、飛翔し、指男の顔面に命中した。

 ぱこんっと黒い星が砕け散った。指男のおでこからじゅーっと煙が昇る。


 指男は攻撃してきた師団員へのそっと視線を向けた。

 魔導の星ラガウェイを放った師団員はあとずさる。

 パチン。火炎に飲まれ、またひとつ消し炭ができた。


「うぎゃああ!」


 勝負にならない戦い。

 全滅するのも時間の問題なのは誰の目にも明らかだった。

 

 ナイルは朦朧とする意識をゆっくりと取り戻し、顔をあげる。

 部下たちが蹂躙される様を見て、絶望の陰に覆われる気分だった。

 自分の胸を抑える。先の攻撃で、鎧は砕けていた。そばに落ちている彼女の愛剣は折れていた。


(何らかの神秘を用いた攻撃……速すぎる、見えなかった……。フィンガーマン、まさかこれほどなんて。一体なんなの? 格が違う、強者として別の段階にいる。およそ我々が想像できる環境で鍛えたわけじゃない、何か決定的に違う、異質さを感じる……)


 ナイルは血を吐きながら、腰のポーチよ包み紙を取りだした。

 包みを開く。ナメクジが包まれていた。黒いナメクジだ。

 ナメクジの背中には奇妙な文字が彫られており、淡い輝きを保っていた。

 

 遥か古い時代より受け継がれてきたマーロリ原典魔導神国の国宝だ。

 超常の生物を触媒とし作成されたマジックアイテムは、長い時間を超えてなお、魔導神が刻んだ秘文字『魂』の効力を維持し続けている。


 未熟な術者であろうと、その強大な秘文字の力を引き出せば、いかなる怪物であろうと手中に収めることができる。


(国宝『魔導傀儡まどうかいらい』……その力を使えば、たとえ人間相手であろうと完全な洗脳を行えるはず。私のことを殴った罪を精算させる、這いつくばらせて、命乞いをさせて、豚小屋で飼ってやる!) 


 屈辱を味合わされ、黒い感情が溢れだす。

 ナイルは黒いナメクジを手に乗せたまま、掲げ、秘文字のチカラを解放した。

 ナメクジの周囲の空間が歪み、黒い触手が飛び出した。

 太く逞しい触手が、師団員をあしらう指男を貫いた。


 触手の束に強力に叩かれ、吹き飛ばされた。

 指男は水面を水切りのように飛んでいく。

 家屋につっこむ。激しい物音を立てて建物が崩れた。

 

「やっ、た……」


 ナイルは驚きとともに、痙攣した笑いをうかべた。


「ごほっ!」


 ナイルは膝を折り、心臓を締め付ける痛みに顔を歪めた。

 強力な秘文字の力を使ったことで、魔力が枯れてしまったのだ。


「はぁ、はあ、でも、これで指男を倒せた、いや、それどころか私のモノに」


 苦しさのなかで達成を支えとし、ナイルは立ち上がった。

 同時に崩れた家屋のしたから、指男がのそっと立ちあがった。


「し、師匠……?」


 セイラムは不安の顔で指男を見やる。

 指男は弟子に目もくれずに、まっすぐにナイルのもとへ歩みよる。

 

「フィンガーマン、あなたは私のもの……これは大きな収穫ですね」


 指男が目の前までくる。ナイルの肩をつかむと、拳を固めて腹へパンチした。

 ふわっと身体が浮いて、水辺に膝をつく。ナイルはお腹を抑えてうずくまる。


「精神への攻撃力か。そのナメクジ……ふむ、シマエナガさん」

「ちーちー!(訳:任せるちー)」


 厄災の禽獣は指男の頭のうえにぽふんっと着地する。

 スキル『冒涜の眼力』を使い、ナイルの使った『魔導傀儡』へ鑑定をかけた。


──────────────────

『魔導傀儡』

魔導神の恩寵が与えられた黒沼の貴族

秘文字『魂』が刻まれている

対象へ強力な精神系攻撃『洗脳』を行える

──────────────────


「なんだ、ぎぃさんじゃないのか。目元が似てると思ったんだけど」

「ちーちー(訳:他人の空似というやつちー)」

「ど、どうして……『魔導傀儡』が、通じないの……」

「精神への攻撃に対抗するためには、己の精神を鍛えるほかない。俺はデイリーミッションを欠かしていない。そこいらの探索者とは精神の鍛え方が違う」


 そう言うと指男はその場で四つん這いになり「にゃあ!」と鳴いた。

 空気が凍りつく。寒気の塊が爆発し、周囲1kmに氷河期を持ってきた。

 指男はなおも「にゃあ、にゃあ」鳴き、猫手をつくり、顔を洗ったり、ごろーんとしてお腹を見せて、ナイルの足にじゃれついてくる。


 一体なにが起こっているのか、まるで訳がわからない状況。

 ナイルは「なんだこいつ……」という顔をし、エリーとクゥラは「え……」と衝撃に固まった。


「フィンガー、いったい何を……」

「フィンガーさん、とうとうおかしくなった……?」

「ふたりとも、まだまだ師匠のことをわかっていないようですね」


 動揺するエリーとクゥラに対し、セイラムはいつの間にか解説ポジションで訳知り顔をしていた。まるで自分だけはわかっているとでも言いたげな顔だ。


「あれは英雄的誇示です」

「「英雄的誇示……?」」

「見てください、周囲の皆さんを」


 指男の猫化によって空気は凍りつくと同時に共感性羞恥の地獄になっていた。

 もうすぐ24歳になる成人男性による、恐るべき猫活動。

 それは見ているだけで、身体が熱くなり、1秒でもその場から離れたい衝動を呼び起こし、目を向けることすら憚られる気持ちにさせる。


「なんて恥ずかしいことを堂々とやるやつだ……っ」

「見てられねえ……!」

「だれかそいつを止めてくれえ!」


 共感性羞恥に焼き尽くされた頃、指男はすくっとたちあがる。

 真顔で堂々と立ち尽くす。


「羞恥心を感じる脳の機能が壊れているのか……?」

「俺にとっては猫活動など造作もないことさ」


 指男はナイルの疑問に簡潔に答えた。

 ナイルは悟った。指男の高みに。


(これが精神力……っ、フィンガーマンは並大抵の修行などやりつくし、ついには精神の領域での高度な修練を積んでいるんだ。だから、『魔導傀儡』による洗脳をはじきかえした! あれだけ恥ずかしいことをして、なぜかこの場で一番堂々としているのがその証!)


 勝てるわけがなかった。

 こんなバケモノに。


 指男はナイルの顔を掴み、もう一度腹パンした。

 ナイルは「ぐへ」と再び崩れ落ちた。

 

「ち、ちー!(訳:なんでわざわざ暴力を振るうちー!?)」

「こいつはうちの子に洗脳攻撃をした。俺に力がなければセイも俺も殺されてた。容赦はできないですよ、シマエナガさん」

 

 国宝すら通じず、教導長すら敗れた。

 首枷の教導師団が瓦解するのも必然であった。

 師団員たちは武器を放り捨て「許してくれ……っ」と命乞いをした。


「俺たちが悪かった……!」

「もう2度とあんたへ危害は加えない!」

「お前とは敵対しない、間違えていた!」

「約束する、やり直す機会をくれ!」

 

 指男はわずかな生き残りたちへ手を向け、指を鳴らそうとする。

 頭を押さえ「あぁああ!」と師団員たちは震えながら丸くなった。

 

「俺は敵対者へ容赦しないことで有名だ」


 指男は手をおろす。師団員たちは顔を明るくし、腹パンされて、痛みに丸くなっているナイルを担ぐなり、急いで引き上げていった。

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