イカロニクの災難 2

 ━━イカロニクの視点


 ミズカドレカ近郊の地理は複雑だ。

 慣れない者には地底世界と地上世界のふたつが重なる得意なこの土地の地図の見方にとまどうことになる。

 もっともミズカドレカに限った話ではない。この土地はたしかに少し複雑だが、ここよりも厄介な場所や文化、風習を持つ場所はほかにもいくらでもある。


 肝要なのは教団が教導師団員に任務を与える際、その者の前歴を頼りにすると言う点だ。つまりはその土地をどれだけ知っているかということが、その任務に抜擢されるか否かの要素の一つになる。

 

 イカロニクという男は訳あって、ミズカドレカ近郊、エンダーオ炎竜皇国とマーロリ原典魔導神国の国境あたりの地理に慣れていた。そうなると、この近郊での厄介ごとは、低くない確率でイカロニクのもとへやってくる。


 教団に依頼をされれば、拒否する選択肢は彼らにはない。

 必然、ミズカドレカから離れようにも彼は離れられない運命にあるのだ。

 

(そんなことはわかってはいる。わかってはいるが、どうしてよりによって私が選ばれてしまったんだ。もっと他にもいるだろうに)


 首枷の教導師団とともに、逃げてきた道を戻ることになったイカロニクは、出発前の夜、自分の運命を呪った。うっすらと、なんとなく、嫌な予感がしていたのは、不運続きのせいで自分の運命を信じられなくなっていたからだろう。


(最近ツイてない)


 翌朝。

 身支度を整え、隊服と鎧を着込む。

 剣を下げ、宿を出た。


 フラストパールはエンダーオ炎竜皇国との国境の街というだけあって、教団の聖職者たちの熱心な布教活動が日夜行われている。

 国境とは文化の隣接点でもある。文化の隣接展は教義の前線でもある。ここではマーロリの『魔導教まどうきょう』とエンダーオの『火教かきょう』が混在している。


 ローブに身をつつみ、星のルーンを模ったシンボルを掲げる聖職者がいる一本隣の通りでは、たいまつを掲げ火を崇拝する者たちがいる。


 イカロニクは魔導教の聖職者たちがいる通りを抜けて、聖堂の門を開いた。少年達の歌声が響く礼拝堂の真ん中を避けて、袖の側廊の扉を静かにあけ、隣接した部屋に廊下をまわって、聖堂の奥の部屋へと足を運ぶ。


 首枷の教導師団がそこで作戦行動の計画を練っていた。

 強者の香りをもつ者たちが、各々、出発の準備をしている。

 剣を磨く者、ルーンを刻んだ礫の数を揃える者、スクロールを巻く者。

 強者だけあって、マジックアイテムの類いも所有しているらしい。

 

 異質なのは揃いも揃って、みんなボロボロだということだ。

 各々作業するなか、自身の体に包帯を巻き直している者もちらほらいる。

 苦しそうな顔して、薬草や特殊な効能を持つ実を口に放りこむ者もいる。


「おい、見ろよ」

「あれが教導長の言っていた……」

「”深み”だ」


 イカロニクが部屋に入ると、皆の視線がチラチラと向いた。


 『深みを拓く教導師団』━━伝説的な彼らの存在に刮目しているのだ。


 イカロニクはまわりの視線を一瞥し、気にせず教導長ナイルのもとへ。


「私が思うに、かなり疲弊してるように見える。数も少なくないかな」

「そうですね。いまは少し数は減っています」

「どうしてだ。最大の獲物を手に入れるのでは?」

「湖の精霊に反撃をもらったのですよ」

「その被害だとということか。何人やられたんだ」

「7名ほど帰らぬ者となりました。11名が重症で、軽傷まで含めれば団の半数がダメージを負ってます」


(思ったより反撃されてるな……大丈夫なのか? いや、だからこそか。湖の精霊とやらは、ただの1匹で首枷の教導師団に深刻なダメージを与えることができる。ナイルたちはここで引いて、おめおめとゲブライカ大神殿へ戻るわけにはいかないわけか)


「私の経験上、視野が狭くなっている時は危険ですな。博打で損失した金をとりかえそうと、友人に借金をするのは終わりの始まりというやつでして」

「なにが言いたいのですか、イカロニク殿。はっきり申せばいい」

「一度、痛い目に遭わせられて、このざまで撤退するしかなかった。残る師団員はせいぜい20人かそこいら。素人目にもあまり好ましい戦況には思えない。相手が強大な怪物ならばなおのことだ」

「深みを拓く教導師団のイカロニク殿の言葉と受け取れば、耳を傾けざるおえません。しかし、ご安心を。我々はプロフェッショナルだ。あなたは個人の武勇ではこの場にだれであろうと、否、三大国を見渡してもその腕前に比肩するものは指を折るほどしかいないでしょうが、モンスターの捕獲に関してはなにもわかっていないでしょう」


(そりゃあそうだな。私の仕事じゃない)


「大丈夫。洗脳中立状態ははじめてのことではないです。いまなら接近できます。あの怪物が反撃を開始するまえに仕事を終えて、大神殿へ花々を帰還することができるんです。史上類を見ない最強の怪物の捕獲・使役を成功させた英雄として」


 ナイルは腰に手をあて、ふふんっと得意げに胸を張った。

 

 イカロニクの説得虚しく、ナイル率いる首枷の教導師団はその日のうちに地底世界へ降り、エンダーオ炎竜皇国へと入った。


「フロストパール方面から入ると、すぐに霧の湿地帯だ。ここにも厄介なモンスターがいる。『死霊使い』と呼ばれる名のある古い怪物で、近隣の村ではひどく恐れられてる存在だ」

「知っていますよ。おそらくその村には行っていますので。もともと私たちの狙いはそちらの『死霊使い』でしたから」


(『地底河の悲鳴』がいなくなって、無駄足になった首枷は行きがけの駄賃に『死霊使い』を捕まえて帰ろうとした。だが、より魅力的な『湖の精霊』を見つけたというわけだ)


「苦労の末、ようやくたどり着いた霧のなかにある集落で、聞き込みをおこなったのです。その際に見つけたのですよ。村のすぐ近くで我々が休息をしていると、湖からあがってきて近づいてきたんです」

「奇襲を受けたと言うことか。どうりで甚大な被害を受けてると思った」

「いえ、その時はなにもされませんでした。友好的ですらあった。『シマエナガさん、知りませんか』とあどけない顔でたずねてくるのです」

「待て。湖の精霊は喋るのか?」

「ええ。言っていませんでしたか? これくらいの青い肌の妖精なのです。人間ではないのは確かですが、人間にとても似ている姿をしているのですよ」

「……それで友好的な湖の精霊とどうしてこんなことに」


 イカロニクは疲弊した師団員たちをチラッと見て言った。

 ナイルはその時のことを思い出すように遠くへ視線をやりながら話す。


「彼女の力をみれば欲しくならない怪物使いはいませんよ。彼女が腕を振れば波が返事をするんです。だから、奇襲をかけたんです。干し肉をわけてあげたら、油断しました。まあ、別にお肉がなくてもずっと隙だらけだったので、いつでも仕掛けることができたのですが。まさか反撃されるとは思いませんでしたが……あの巨大な力は確実に私たちの手中におさめなければいけません。深みのイカロニク殿、頼りにしていますよ」

「深みを拓く教導師団が俺たちにはついてる。今度は大丈夫さ」

「荒ごとになっても深みがいれば対処できるだろう」

「英雄級の強者とともに戦えるなんて光栄だ」


 皆、イカロニクを頼りにしていた。


(深みを拓く教導師団はずいぶん期待される。要人暗殺、密偵、内偵、誘拐、討伐……普段は陽の目をあびない仕事ばかりしてる。こうして見ると、期待にも応えたくなるものだな)

 

 イカロニクのなかで「進みたくない」気持ちがすこしずつ弱くなり、「いいところを見せたい」という承認欲求がすこしずつ強くなっていた。

 

(なにを怯えてる。フィンガーマンがいつでもどこでも現れる神出鬼没の怪物だとでも? この広い世界でたまたま遭遇する恐怖に震えるなんて馬鹿げている)


 明るい気持ちになりながらイカロニクは先導し、霧のなかを進んだ。

 霧の漁村にはまっすぐついた。


「助かりました。以前来た時はずいぶん道に迷いましたし、フラストパールへ撤退する時も時間がかかりましたから」

「不慣れならそうだろうな。……相変わらずさびれた陰湿な村だ」


(この村の住人は私のことを覚えているかもしれない。良い感情でも悪い感情でも、向けられるのは面倒だ。顔は隠させてもらう)


 マントに付属した分厚いフードを越しにイカロニクは変わってない漁村を睥睨する。


「止まってください、そこで!」


 ナイルとイカロニクのいく手を阻む者がいた。

 モリを持った男と、剣を腰にさげた少女のふたり組だ。


「またいらっしゃったのですね。どうかこの村は迂回してくださればと」

「我々は原典魔導神国が聖堂騎士である。この地の邪悪なモンスターを討伐するために、派遣されている。苦しめられているお前達を守ってあげましょう」

「そんなことを言って……マーロリの騎士たちに村に入ってほしくないと、以前はっきりと申したではないですか」


 少女はハキハキと言って、腕を横に広げて通さない姿勢を貫く。

 ただ、重厚な騎士たちのまえでは、その姿はちいさく弱々しく映る。

 少女ひとりでとどめ切れるような状態ではない。


 辺境も辺境、領主からの徴税に苦しめられている霧の漁村の村人達にとって、騎士の集団など、野盗団や傭兵団などの荒くれ者とおおきな違いはないものだった。

 旅の途中で休息地として利用されれば、家を貸して寝床を提供しなければいけないし、食べ物も差し出さなければならない。若い娘は男の相手をさせられることもある。力があり、体がおおきく、なにかされれば「やめてください!」と祈るばかりで、抵抗できないちいさなコミュニティにとって、力ある者の集団というのはいつだって恐ろしい存在なのだ。

 それが他国の得体の知れない騎士たちならなおさらである。


「我々はすこし聞き込みをおこないたいだけですよ。面倒はおこさないさ。それに君たちは『死霊使い』に先祖代々苦しめられているのだろう。我々は精鋭だ。聖堂騎士の力にかかれば、土着の伝説にうたわれる怪物だろうと討ち取ってみせよう」

「必要ないです。もうその件は片付きましたから」

「どう言う意味だ?」


 ナイルは首をかしげてたずねる。


「もう『死霊使い』はいないんです! 『湖の精霊』だっていません! だから、あなたたちはここから立ち去ってください!」


 少女は涙をこらえながら言った。

 身体が震えていた。騎士達をまえに恐怖を禁じ得ないのだ。


 ナイルはイカロニクへ首だけ向け「どういうことでしょうか」とたずねる。


「私にわかるはずがないだろう。村人に話を聞けばわかるはずだ」

「そうですね。より一層聞き込みをする必要が出てきたようです」


 ナイルは背後の騎士達に合図し、進みはじめる。

 少女は「入らないで、やめてください!」と震えた声で言いながら身体をスライドさせて行く手を阻もうとする。だが、脇の男に肩を抑えられた。「無理に止めるな、どんな目に遭わされるかわからないぞ」とやるせなく言った。


「お待ちを! どうかお待ちを!」

「おや。あなたは村長ではないですか。団を率いる者として正式に依頼をしたい、いくつか家を借りられないだろうか」

「それはすぐには承諾できかねます、どうかまずは長であるあなただけと話をさせていただけないでしょうか?」

「その必要はないですよ。少し聞きたいことがあるのと、陣を敷くためのまともな家屋があればいいだけなのです。この湿地はどこもかしこも水に濡れていて、何をするにも不便極まりない。だから、この村の建物を借りたいのです」

「いえ、ですから、それは……」


 ちょっとだけ協力を要請するナイルと、村を守る責任をもつ村長の不安━━こういうのってちょっとで済まないのよなぁ━━がぶつかりあう。

 

(村人に丁寧にせっする必要なんてねえのに。弱者に付き合うとだるいだけだ)


 気怠げなイカロニクは、ふと視線を泳がせる。

 すぐそこの小屋からマントに身をつつんだ赤い髪の少女が出てきた。

 

(あ? こいつは……闘技場の?)


 特徴的な髪色はイカロニクの記憶を刺激した。

 拳闘大会で無双していたクゥラの姿と重なって、その正体に気づく。


 クゥラのあとから身長がちいさくなったバージョンのクゥラが出てくる。

 妹のエリーである。


(こっちのちびは地下闘技場の……なんでこいつらがここにいる……)


 動悸が激しくなり、イカロニクは体温があがる。

 どくどくどく。心臓が鼓動がはやくなる。


 時間がゆっくりに感じられ、音が耳から入ってこない。

 話している村長とナイル━━彼らの肩越しに、奥からそいつは近づいてきた。


 分厚いマントに身を包み、頭のうえに白い玉っころを乗せた青年。

 目鼻の整った顔立ちと鋭い眼光が、イカロニクを一瞬見た。気がした。


「はぐああッ!」


 突然、頭を抑え、苦しみ出し、吐血するイカロニク。

 震え出す手足。目眩にいまにも膝から崩れ落ちそうだ。

 深刻なトラウマ発症であった。


「我々は与えられた仕事を完遂する。村長殿、手荒な手段を我々にとらせないでいただきたい」


 ナイルは凛とした表情でキリッと凄み、村長を怖気させようとする。


「ちょまちょッ!!」

「ど、どうしたのですが、いかろに━━」

「村長の言うとおりだ、こんな迷惑なことはやめるべきだ……!」

「え? え?」


 奇妙な裏声を使って支離滅裂なことを言い出したイカロニク。

 ナイルは首を傾げ、困惑し、なにをそんなに焦っているのか疑問をいだく。


「言いから、私の言うとおりに今は撤退するんだ……っ、取り返しのつかないことになる」


 イカロニクは顔を近づけて耳打ちする。目を充血させ、割れるような頭痛に頭をおさえ、脂汗を滲ませながら、必死の形相でナイルへ訴えた。


「やつだ、やつがいる……ここにいたらまずいんだ……っ」

「やつ?」

「あいつの恐ろしさをわかってない、やつがその気になればすべては消し炭だ、ひと睨みするだけで相手を殺すことだってできるだろうっ」

「なんの話をしているのですか? 一体だれのことを?

「言っただろう、『黄金の指鳴らし』だ! 恐るべきフィンガーマンだ……! 滅びの火を守ってるんだ、あいつがァっ!」

「滅びの火ですと? あの予言の?」

 

 イカロニクは失言したことに気づき、痛恨の表情になった。


(しまった、こいつに滅びの火のことを言うべきじゃなかった。それにまだこの場にいるかもわからないじゃないか)


「師匠、なにごとですか?」


 指男の側、蒼髪の少女が並ぶ。

 騎士達に気づくとハッとしてフードを深く被った。


(いや、いるぅぅ!)


 イカロニクの混乱は加速する。


「いったいどういうことです、イカロニク殿、フィンガーマンと、滅びの火と何の関係があるのですか?」

「あああ! もううるさい、うるさい、そこをどけ、どけどけ、どっけーい! どっけーい!」


 ナイルの肩を押し除け、ほかの師団員たちも押し除け、イカロニクはついに単独で逃走をしはじめた。


(イカロニク殿、急に挙動不審に……よほどフィンガーマンが怖いようですね。彼が滅びの火を守っている。ということはもしやここに例の予言の少女がいるのかも? フィンガーマンを倒せばその滅びの火まで手に入る?)


 ナイルは山のような手柄が転がっていることに気がついた。

 

「くくく、イカロニク殿、あなたは臆病な方のようですが、私は違います。私は勇敢で、だからこそ最大級の仕事をして国へ帰ることにしましょう」


(それで団を半壊させた失態と相殺できるはず)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る