イカロニクの災難

 ━━イカロニクの視点


「うああ!」


 イカロニクは滝のような汗を流しながら、ベッドを飛び起きた。

 荒く息をつき、あたりを見渡す。暗い静かな夜中の自室。

 泊まっている高級宿の一室には危険なものはなにもない。


「夢か……」


 イカロニクはあの日以来、たびたび悪夢にうなされる。


「くそっ、あの地下闘技場……なんども、何度も夢に出てきやがる」


 エンダーオ炎竜皇国へ派遣されたイカロニクは、謎の勢力によって全滅させられた『震える瞳の教導師団』について調査するため、本国より遥々ミズカドレカ近郊へ足を運んだ。

 調査は順調で、『アカギ・ヒデオ』という存在がパール村で英雄的救済をおこない、その結果として『震える瞳の教導師団』が滅んだことがわかった。


(蒼い火の予言まで見つけたというのに、俺はこんなところで何をしてる……)


 イカロニクはミズカドレカを離れ、本国側に戻り、地底世界を脱出し、国境の都市フラストパールまで後退していた。

 いまは暗い部屋で日夜、酒をあおる日々だ。恐ろしい悪夢から逃げるために。

 

(全部やつのせいだ。……黄金の指鳴らし、フィンガーマン。あいつは次元が違う。俺にはわかる。あの地下闘技場で”ただ一瞬”だけ、やつの黒く澱んだ覇気を受ければ、本能で理解できる。いまも手の震えが止まらない。あの恐怖の根源は俺へ向いたものではなかった。もし俺に向いていれば……)


 酒をグラス一杯にぐびりと飲む。

 恐怖症候群を浴び、意識こそ失わなかった。

 だが、蝕む怖気から人間の身で完全に逃れることは不可能だ。

 イカロニクは悪夢にさいなまれ、もはや自分の任務は続行不可だと考えた。


「蒼い髪の少女、あれには手を出せない。ミズカドレカにはもう戻れない。アカギ・ヒデオ、恐るべきフィンガーマンがいる。あのふたりには一体どんな関係が……だめだ、アレのことを考えるだけで頭痛がする。最近は抜け毛がひどい」


 すっかり憔悴しきってしまった。

 それゆえに彼は今日もこうして酒場で現実から逃れるのだ。


 そんなある日、魔導教団から新しい通達があった。


「あなたがイカロニクか」


 悪夢で目覚めた朝、彼をたずねる者がいた。

 宿屋の一階に降りてくると、小綺麗な聖堂騎士服に身をつつんだ女がいた。

 

(この鎧、聖堂騎士のものか。紋章は教導師団。『神殿の教導師団』と判断するのが自然だが、エンダーオとの国境近郊のフラストパールまで出向いてくることはあまりない。神殿は都市近郊の集会や、背教活動を取り締まるのが仕事だ。首都から離れてここま来てるとなると……『首枷の教導師団』あたりかな)


 『首枷の教導師団』はモンスターの使役術に優れ、英雄クラスの怪物の討伐、また捕獲を専門とする魔導教団の暗部であった。


「どうして首枷が俺に」

「優れた洞察力ですね」


 女は自分の所属する組織を言い当てられ、びっくりしたような顔をする。

 イカロニクは自分の推測があたってすこし満足そうにした。


「部屋にいれてくださいますか」

「私に興味があるのかな」

「まさか。タイプではありません」

「じゃあだめだ」

「レブナイト卿よりの勅令です」

「私はいまえらく大変な任務に従事している最中なんだが……」


(レブナイト……魔導教団のNO.2……無視するわけにはいかない)


 イカロニクの散らかった部屋。

 女は部屋を見渡し、イカロニクはベッドに腰掛けて水筒をかたむけ、喉を潤す。


「ナイル・ヨセフスカです。首枷の教導師団で長をしています」

「……イカロニク。深みから派遣されて仕事中だ」

「そうは見えませんが」


 女━━ナイルは散らかった部屋を見渡す。


「我々はミズカドレカ近郊の英雄級の怪物『地底河の悲鳴』の使役のために、地底世界へ足を運びました」

「『地底河の悲鳴』か。あのあたりじゃもう100年以上も語り継がれる怪物ですな。よその国の怪物だが、わざわざ足を伸ばすわけで?」

「対応が必要ですから」

「対応が必要? 『地底河の悲鳴』に?」

「ヴァン・リコルウィルがいるでしょう。危険分子の魔術師です」

「厄介な男だ。やつの出身の魔法学校もこの近くにある」


(何度か深みを拓く教導師団でスカウトに動いたが、結局一度も見つからない。痕跡を隠すのもうまい男だ)


「古い記録では『地底河の悲鳴』は作られた怪物のようでして。近年の動向から、リコルウィルは高度なマジックアイテムを手に入れたようなんです。使役術にまつわるアイテムのようでして、もしかしたらそれを用いて、強力な怪物を手中に収めようとしているのではと、レブナイト卿は危惧しておられたのです」

「それで狙われる可能性が高い『地底河の悲鳴』を獲られる前に獲るというわけですか」

「そのとおり。教団は強大な怪物を揃えることに執心のようですから。リコルウィルが何を考えているかはわかりませんが、彼は教団からは独立した武力勢力『進化学会』を率いています。不穏分子にはこちらも事前に対応しなくてはいけないので、使役の領域を担当する我々はずっと働き詰めなのです」

「リコルウィルに振り回されてるようで、ご苦労なことだ。だが、残念ですな。『地底河の悲鳴』ならつい最近、討伐されてしまいましたよ」


(あの恐るべきフィンガーマンが倒したんだ)


「その情報は掴んでいます。名もなき英雄が倒したとか」

「黄金の指鳴らし」

「はい?」

「『黄金の指鳴らし』フィンガーマン。覚えておくんだな、お嬢さん」


 イカロニクの瞳は真剣の光を帯びていた。

 声の雰囲気が変わったことにナイルは困惑する。


「無駄足だったようですな。どうぞお帰りになっていただいて」

「そうでもありません。実は我々は凄まじい発見をしたのですよ」

「凄まじい発見?」

「『地底河の悲鳴』を手中に収めるために国庫より国宝級のマジックアイテムを解放したのです」

「さぞ強力なものなのでしょうな」

「ええ! 素晴らしいものでした! 克明に神のチカラを感じました。それにより、およそ本来の獲物より遥かに強大な怪物を洗脳状態にすることができたのです」


 ナイルは興奮しながら語った。

 瞳はキラキラと輝き、幼い少女のように純粋な喜びを宿していた。


(『地底河の悲鳴』より遥かに強大? 私はミズカドレカ近郊の任務が長いが、あれよりも強いネームドモンスターなんかいたかな)

 

「ヴォール湖にて、我々は湖の精霊なる怪物を”ほぼ”使役しているのです」

「ほぼ?」

「はい。残念ながら完全には洗脳できませんでした。特別なマジックアイテムを用いて洗脳を成功させたのですが、その使用者は湖の精霊に反撃され、命を落としてしまったのです。かの怪物は非常に強力なので、我々は一時退却し、準備を整え、今度こそ完全に使役を成功させようと考えています」

「ふむ。頑張ってください」

「あなたにはその協力を依頼したい、イカロニク」


(ヴォール湖、つまり地底世界へ行くってことだ。それはこのフラストパールから、ミズカドレカ方面へ戻れって言ってるんだ。いやだ。行きたくない。フィンガーマンは俺のことを探してるはずだ。私はあの蒼い髪の少女をたしかに誘拐してしまった。きっと私のことを言いつけている。会えば最後、あの恐怖の覇気が私へ向くんだ)


「いまは私も重要な任務に就いている。残念だが、首枷の教導師団に協力はできそうにないですな」

「あなたは教団への忠誠心を疑われている立場なのでしょう。断ることはできないはずです。いまもこうしてどういうわけか、エンダーオ炎竜皇国へ入らず、油を売っているではないですか」


(お前になにがわかる。生娘が。私はもうとっくにミズカドレカへ行き、任務をほとんど完了へ導き……あとは報告するだけなんだ。だが、報告の仕方がわからないだけだ。敵の正体までわかっていて、さらに蒼い髪の少女まで見つけて、私は教団の私への評価を大きくあげる手柄を持っているのに……それでも逃げている。『フィンガーマンが恐いからです』と報告するわけにはいかない。いまこうしている間も、葛藤しているんだ。ミズカドレカへ戻り、任務を続行するか、ここで任務を切り上げるか)


「レブナイト卿はあなたがミズカドレカ近郊に詳しく、土地にも慣れていると聞きます。どうか協力を。もちろんその件はレブナイト卿へ報告させていただきます。それにフラストパールでサボってることも黙っておきましょう」


 イカロニクはナイルの要請を断ることができなかった。


(普段の怠惰がこんなところで災いするとは。まったくこの世はうまくできてる)


「わかりました、首枷の教導長殿。微力ながら助力させていただきます」

「本当ですか? ありがとうございます。『深みを拓く教導師団』の英雄に協力いただけることを光栄に思います」


(大丈夫だ。戻ると言ってもミズカドレカまで戻るわけじゃない。その手前までだ。偶然にもフィンガーマンがマーロリ方面へあがって来ていないかぎり、運悪く鉢合わせることなんてない)


 こうしてイカロニクはイヤイヤながらも戻ることになった。

 エンダーオ炎竜皇国へと。恐怖をごまかしながら。


 ━━赤木英雄の視点


 意識が不確実な夢の世界から、一気に現実へと浮上する。

 瞳をゆっくりあける。ドリームから戻ってきた。


「師匠、むにゃむにゃ」


 布団をめくると、俺のお腹あたりにおでこをこすりつけるセイがいた。なんだその可愛い動きは。よしよし、と蒼い髪を撫でる。


「ちー(訳:やつの気配がしたちー……! あの女ちー……! 修羅道ちー……! どこかにいるかもしれないちー……!)」


 シマエナガさんは何かを悟ったように、警戒心マックスであたりをキョロキョロしていた。


 小屋をでると、むわっとした湿気に襲われた。

 おしゃれ女子なら前髪がキマらないこと発狂する湿度である。


「おはようございます、フィンガーマン様」

「どうも、村長。朝から活気がありますね」

「ええ、今日は村をあげての祭りを催す予定ですからな。長老衆で企画して、華やかに貴方様の偉業を讃えようと思っているのですよ」


 今夜はお祭り。湖の精霊を打倒した宴だ。


「一番心配なシマエナガさんとレヴィを捕まえられて、本当によかったです」

「ちーちー(訳:わざわざ聞こえる声で言わなくていいちー。というか、ちーは一番安心できる子ちー。超後輩とかのほうがずっと心配ちー。どっかで『我は大古竜っきゅ!』とか言いふらしてトラブルを起こしてそうっきゅ)」

 

 語尾が移っちゃってますねぇ。


「そういえばまだ言ってませんでしたね。実は修羅道さんからドリーム通信がありましてね」

「ちーちー(訳:すごく頭の悪そうな通信技術ちー)」

「しー! だめですよ、そんなこと言ったら。こちらがドリーム修羅道さんを見ていないときも、ドリーム修羅道さんは見ているんですから!」

「ちーちーちー(訳:英雄の頭がおかしくなったちー。ちーたちが今ここであの女をバカにしたところで、伝わるわけがないちー。やーい、負けヒロインちー、敗北が決定しているざこざこ修羅道ちー♪)」

 

 なんとなく次のドリーム通信が血祭りになる気がした。


「とりあえず、カクカクシカジカンっということになってるんです」


 異世界に突入した直後、空間系の攻撃を受けたせいで、多くの者が弾かれて押し戻されたこと。フィンガーズギルドのメンバーはそこそこ残留していること。

 修羅道さんとドリーム通信した情報を共有してあげた。


「ちーちーちー(訳:大変なことになってるちー)」

「まじで大変ですよ。帰る目処もたってないし……もしかしたら一生こっちで暮らさないといけないかも」

「ち、ちー!(訳:厄災島の経験値生産工場だけでもこっちにもってきてほしいちー! あれなしではもうちーはやっていけないちー! いまこうしている間も、経験値禁断症状でおかしくなりそうちー)」


 この世界では俺たちが満足できるだけの経験値を摂取することは難しいからな。シマエナガさんのような経験値クズにとっては地獄に違いない。可哀想に。


「ちーちー(訳:今後の予定はどうするちー?)」

「とりあえずミズカドレカに戻ります。フィンガーマンの名声を聞きつけて、誰かがやってきてるかもしれないですから」


 この村でお祝いしたら、ミズカドレカに戻る。

 明日か、明後日くらいには旅立とうと思う。

 ここにいる理由もない。


「そ、大変です!」


 シマエナガさんと村のなかをブラブラしてると、若者がバシャバシャと水飛沫をあげながら駆け、村長の元までやってきた。何やら騒ぎの予感がする。

 

「どうした」

「この前の騎士たちが戻ってきんです。いまは自警団が対処していて」


 この前の騎士たち? なんの話だろう?


「あの厄介者たちか。わかった、私が行こう」


 村長はそう言うと、スタスタと足早に向こうへ行ってしまった。

 俺とシマエナガさんは顔を見合わせ、残された若者へ「あの」と声をかけた。


「この前の騎士たちってなんの話ですか」

「フィンガーマン様、シマエナガ様……っ、よかったあなた方がいればあるいは!」


 いや、あるいはじゃないくてですね。

 なんの話かたずねているのですがね。


「いっしょに来てください!」


 面倒ごとに巻き込まれる予感がした。





















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 こんにちは

 ファンタスティックです


 書籍作業に手こずってて更新が遅れています。

 ご了承くださいませ。

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