Side:Shimaenaga San 湖の精霊

「この骸骨はまさかリッチ! リッチが死霊使いの正体だったのか!」

「お前たちは見てなかっただろうが、俺は見ていたんだぜ、豆大福さまは疾風迅雷の空を駆け、村の霧ごと暗黒の衣を切り裂いたのさ! あんな光景は見たことがない!」

「豆大福さまのおかげで先祖代々、怯えてきた死霊使いに怖がる必要がなくなった!」

「すごいぞ、豆大福さま! かっこいいぞ、豆大福さま!」


 厄災の禽獣を称賛する言葉は祝宴の最中ずっと絶えることがなかった。

 古い湿地帯ヴォールの濃霧でもっとも恐れられてきた存在が討ち取られたのだ。なんの前触れもなく現れた英雄の鳥に。素性の知れなさ、見た目の不思議さ、なにより真っ白で、ふわふわで、どこまでも善性に満ちていて、悪という存在から遥か遠いイメージのビジュアルが、村人たちの心を鷲掴みにした。


「ちーちー(訳:でも、豆大福と呼ばれるのはいささか心外ちー。しっかりと名前を伝えておくちー)」


 厄災の禽獣は羽を一枚むしり取ると、その根本の硬い部分で、紙に「シマエナガ」と歪な文字で記した。ヴォールゲート魔導魔術学校でステラ・トーチライトに地味に言語を教えてもらっていたため、自分の名前くらいは書けるのである。


 霧の漁村の村人たちは、厄災の禽獣の名前を夜通し呼び続けた。


「ちーちーちー♪(訳:ちーの可憐な姿なら当然の反応ちー。ヒロイン力の差をここでも見せつけてしまうなんて罪な鳥ちー♪)」


 厄災の禽獣はご機嫌であった。

 その晩はみんなに感謝され、崇められ、かわいいと誉められ、村の特産をこれでもかと振る舞われ、もてなされ、非常に気分良く眠りについた。


 翌朝、目覚めても、VIP待遇は続いた。

 美味しい太った魚は、鳥の大好物であった。

 

「ふええ、転んじゃったよ……」

「ちーちー(訳:どれ、見せてみるちー。これくらいのかすり傷どうってことないちー)」


 癒しの力も自慢するように披露した。気分がよかったからだ。

 そのたびに村人たちは「すごい! すごい!」ともてはやしてくれた。

 だが、ふと、自分はなにをしにこの地へやってきたのかを考えるタイミングがあった。力を自慢して村人にチヤホヤされるため? みんなにたくさん感謝されていい気分になるため? 白くてふわふわだ、可愛い最高! とヒロインとしての承認欲求を満たすため? いずれも否である。


「ち、ちーーー!!(訳:こんなことしてる場合じゃないちーーー!!)」


 霧の漁村に到着した翌日のお昼になって、自分がやらなくてはいけないことがあると思い出した。儚い子が儚く散るまえに保護しなければならない。


「ちーちーちー!(訳:村長の娘! バチ当たり娘はどこにいるちー!)」


 村長の娘であり自警団のリーダーを大慌てて探し、湖の精霊の話を詳しく聞き出すことにした。


「湖の精霊さん? うーん、数日前から村に来なくなってしまったから。どこにいるかは……あっ、でも、いるとしたらあそこかも」

 

 少女はそう言って、ヴォール湖の中央を指で示した。


「精霊さんは村のみんなにきつくあたられて悲しそうにしていたの。だから、きっと誰も近づけないあの”水没の廃墟”にいると思うんだ」


 ヴォール湖の底に沈んだ繁栄の都市。その名残である、水面から突き出した朽ちた建物群のどこかに、湖の精霊はいるだろうとのことだった。厄災の禽獣は少女に礼を告げ「ちーちー(訳:ちょっと行ってみるちー)」と、水没の廃墟へ飛んだ。


 深い霧と静かな雨を渡り、ヴォール湖の上空へやってきた。


 水没の廃墟は名前のとおりの場所であった。湖岸から遠く、船でもなければまず辿り着けない。華やかな装飾の建物の屋根飾りや、当時の匠の技がつめられた彫刻、高い鐘楼に立派な聖堂のステンドグラスなどが見つけられる。それらは長い年月と、霧の湖によって風化して、色褪せ、苔とフジツボが好き勝手に侵食しているが、それでもかつての時代の隆盛を感じさせるには十分であった。


 厄災の禽獣は静かな、水没の廃墟をパタパタ飛行する。

 

「ちーちーちー!(訳:レヴィー! ちーだちー! お前の保護者のシマエナガちー! メインヒロインちー! はやく顔を見せて安心させてほしいちー!)」


 大きな声で探したがすぐには見つからない。なにせ水没の廃橋は広大なのだ。人間ほどのサイズの迷子を見つけたいのならば根気が必要とされる。


「ぐすん、ぐすん」


 捜索開始からしばらく。

 厄災の禽獣の耳に声が聞こえてきた。

 すすり泣くような寂しげな声であった。

 声を頼りに、水没した聖堂へとパタパタ、割れた窓からなかへ。


 聖堂は半分ほど水に浸かっている。屋根にしとしとと絶え間なく降る雨音が、屋内に奇妙な反響音を響かせていた。ゆっくりと滅びへ向かっていく世界のなかで、いっときの美しさが内包された空間であった。

 

 退廃的な魅力をそなえた水没聖堂の奥には、おおきな石像がある。当時の為政者を象った石像か、崇拝対象の神かは不明だが、やたらと立派だ。

 その石像の前、浅く水に浸かったままの姿勢で、青い肌の娘が膝を抱えている。髪にあたる部分にはにゅるんっとしたイカともタコとも形容できる、白い触腕がたらーんっと生えている。肩から焦茶色の外套も羽織っている。指男が儚い愛娘のために贈った『アドルフェンの聖骸布』だ。


 記憶のなかにある厄災の魔海そのものだ。

 寂しげな啜り泣きは彼女のもので違いない。


「ちーちー!」


 水没聖堂にうれしそうな高い鳴き声が響いた。厄災の禽獣は1秒でもはやく、悲しみに沈んだ彼女を元気づけたくて、翼をひろげて精一杯元気に鳴いたのだ。もう大丈夫だよと。

 

 ビュン。


 高速で水面から撃ち上がったのは水の輝線。高圧で撃ち出された水鉄砲は、レーザーとなって、白い翼に風穴をあけて、その背後の壁にも穴を穿つ。厄災の禽獣は「ち、ちー……っ!?」とぷるぷる震えながら啜り泣く乙女を見やる。


「お母さん、じゃない」

「ち、ちー……(訳;お、落ち着くちー……レヴィはこんなことする悪い子じゃないちー……)」


 水面がざわめく。水没した聖堂が揺れ始める。地響きがはじまり、轟音をたてている。まるで湖そのものが怒りに震えているかのようだ。乙女のまわりの水が蛇のようにうねり、意志をもって動きだす。穏やかな雰囲気ではない。


「ち、ちー!(訳:レヴィが反抗期ちー! 英雄、たいへんちー!)」


 厄災の禽獣はおっかなさに震えあがり、思わず逃げだした。

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