ヴォール湖の漁村
「流石は師匠の英雄的魔術……濃霧だろうとお構いなしとは!」
「フィンガーさん……恐い……」
「お前の異常さは理解していたつもりだったがな」
フワリの影から皆がひょこっと出てくる。
「指鳴らしの光以外にも、秘術を修めているわけか」
「師匠はなんでもできるんです。すごいでしょう」
セイラムは腕を組んでしたり顔で代弁する。なんでもというほど万能ではないのだがな。我が弟子にはやや過大評価されているようだ。
「だいたい力で解決しているのですがね」
「力、か」
腑に落ちてない感じなクゥラ。
力で解決……だけだとちょっと説得力がないか。
「力とはパワーです。パワーはすべてを解決します。例外はありません」
「英雄的解決ということですよね、師匠。わかります!」
「なるほど……? ふむ、深いな……(訳:私にはむずかしい話だな。とりあえずフィンガーにできないことはないということだろうか)」
神妙な面持ちでうなづくクゥラ、完全に理解した顔のセイラム。
うまく伝わってくれたようでなによりである。
「濃霧はいずれ戻って来るとおもいます。いまのうちに進みますね」
俺たちは視界が晴れているうちに歩みを進めた。
曲がりくねった黒い木々が途切れている地点を発見する。
その少し手前から、水深が増し、ぬかるみもネバ付きが出て来た。
「ここから先は深いみたいですね」
湖の輪郭にたどり着いたわけだな。厳密には俺たちが歩いているこの浅い湿地も湖なのだろうが、これより先には木々が生えれないくらいの水深がある。
「しかし……すごい光景だな」
クゥラが見やる先。ヴォール湖の方角。木々のあいだから見える広大な水源のなかに、人工物のようなものが見受けられる。水面から突き出したそれらはひどく風化していて、朽ち果てた建物たちだ。噂に聞いていた繁栄の名残りというやつなのだろう。この地には都市があったが、いまは深き湖に沈んでしまったというわけだ。
「セイラム、これ……」
「どうしたの、エリー。ん、これは舗装された道?」
セイラムとエリーが足下に埋め込まれた石畳みを発見する。ミズカドレカや城門街のように綺麗に整備されたものではないが、人の手が加わった道だ。
「方角的に湖岸の集落はこのさきかと、師匠」
「でかしましたよ、セイ」
「私じゃなくてエリーが気がついたんですよ、師匠」
「そうだったんですか。それじゃあ、でかしました、エリー(ニチャア」
「ひえ……っ」
また怖がられてしまった。エリーとは仲良くなりたいから、人一倍やさしい笑顔を心がけているのだがな。友達への道のりはまだ遠いか。
「フワリなに遊んでるんです、もう行きますよ」
「にゃあ!」
モンスターを猫パンチで遊び殺していたフワリに声をかける。
ボロ布をまとった変な幽鬼ような怪物がたびたびこの湿地帯には出現するが、こうしてフワリさんが気がついたらしばき倒してくれているので、道中まったくと言っていいほど脅威を感じなかった。
俺たちは道沿に進んだ。木々の隙間に建物のようなものが見えてきた。流石はセイラムだ。頼りになる。彼女がいてたすかった。この湿地帯”ヴォールの濃霧”は霧なしでも視野が確保できない。闇雲に進んでも、決して目的地には辿り着けなかっただろうから。
「にゃあ〜」
「ああ、フワリさん、だめだよ……! フィンガーさんより先にいっちゃ!」
「エリーも追いかけるんじゃない」
集落にテンション上がって駆け出したフワリを、エリーが追いかけ、そのあとをクゥラがついていく。連鎖反応のようにみんな行ってしまった。
もうすぐ、シマエナガさんに会える。普段はうっとおしいとさえ思ったあの鳥の鳴き声が、いまやとても恋しく感じられる。異世界に来て離れ離れになり、どうすればいいかわからなかったが、どうにかここまで辿り着けた。
「パール村でセイに会えてよかった」
「師匠……」
「たくさん助けられました」
「文字も地図も、領主さまにいろんなことを教えてもらえていたので。役に立てて私も光栄ですよ」
しばらくこの世界で生活してわかったこと。セイラムは平均的な水準からしたらわりと高度な教育を受けている人間だということ。
「いまにして思えばあの特別扱いも私が竜皇の血を継いでいるからだったんですけど、ね」
セイラムはそっと蒼髪のふさを握る。
彼女がたびたび見せるどこか悲しげな表情だった。
国の為政者の娘という出自を気にしているのだろう。彼女が俺について来ているのもそれが理由だ。彼女はたびたび俺の役に立っているかを気にする様子を見せる。自分が足手纏いだと思っているせいのだと思う。そんなことはないと伝えないとな。
「セイだからこそ、助かったんです。セイじゃないとだめでした」
「師匠……っ」
蒼い瞳がきらきらする。彼女は気恥ずかしそうに頬を染め、それを隠すそうにフードを寄せるとひょいっとそっぽを向いた。
「私が領主様に大切にされたことが、めぐりめぐって師匠のお役に立てているのなら、よかったなって思えます……えへへ」
前向きになれたようでよかった。
「さあ、行きましょう。フワリを見失っちゃいます」
「はい」
先を行った三者を追いかけ、集落へとたどり着いた。
薄く水の張った湿地に、簡素な石造りの家屋が、水に浸からないように台座のうえに築かれている。ただ水辺のなかにあばら屋が建てられているのも珍しくない。どちらかといえばそういうう家の方が多いか。
「うあああああー!」
「でかい化け物がでたぞー!」
「にゃん、にゃん言って襲いかかってくるぞぉー!」
村の景色を眺めている場合ではなさそうだ。
声のする方へ駆けていくと、道のまんなかで村人を押し倒しているフワリの姿が目についた。にゃんにゃん言っている。人喰い猫に覚醒したとでも言うのか。
クゥラとエリーがフワリの尻尾を引っ張って、人喰いをやめさせようとしている。だが、ノルウェーの猫又の膂力をとどめるには姉妹では足りないようだ。
「フィンガー! フワリが大変なことを! 止めないと血に塗れたにゃあだ!」
血に塗れたにゃあ。
「これはいったい……ん?」
騒ぎ立てる野次馬の村人たちの垣根の向こうから物騒な一団が走ってくる。
「父様ー!」
「お前たち下がれ、下がれ!」
「なんておおきなモンスターだ……!」
「死霊使いじゃない! 見たことないやつだぞ!」
切羽詰まった声と、ばしゃぱしゃと足音。水飛沫をあげて駆けてくるのはモリを手にした集団だ。先頭には剣を手にした少女の姿がある。はっきりした顔立ちで、黒い目をくわっと見開いて、フワリ目掛けて切っ先を突きつける。
「村長をたすけるんだー! であえー!」
「そこどけ化け物ッ!」
「なんだこのもふもふは……ぐ、ぐあああああ!」
屈強な男たちはフワリを取り囲み、モリで攻撃を仕掛けるが、フワリは「にゃん!」と二股のしっぽを使ってたやすく男衆をたたいてふっとばし、猫パンチでわからせ屈服させていく。無慈悲なるにゃんにゃん無双の開幕後、10秒ほどで閉幕がはじまる。勝負アリ。はやかった……。
「こ、この化け物めぇ……っ!」
一番最初に猫パンチでしばかれた先頭の少女は、水につかった剣を拾いあげ、ふらふらしながら立ちあがる。だが、フワリに抱きつかれ、押し倒された。少女の顔に大きな鼻が近づき、くんくんと動く。
「ひええ……っ、食べられる……っ」
あまりの恐怖に少女は気を失ってしまった。フワリはぺろぺろと少女の顔を舐めはじめた。美味しそうだな。美味しそうだけど、このままでは村人たちの悲鳴が増すばかりだ。なんとかしないと。
むむ。そういえば、そこかしこに魚が転がっている。丸々と太ったおおきな立派な魚だ。これはいったい……そうか、わかったぞ。この村の名は霧の漁村。漁を生業とする村、村中で魚の山を運んでいる人間がいてもおかしくない。
つまるところ、フワリは欲に負けたのだろう。さっき集落に興奮して飛び込んでいった理由がわかった。猫ゆえ魚に目が無いのだ。
フワリは少女の顔を舐め終わると、また最初の男のもとへ。腰を抜かしていた男は「また私か……!?」と恐怖に染め上げられた表情をする。
見やれば最初の男性のそばにも魚たちが密集して散らばっている。なるほど。狙われるわけだ。俺はフワリの背中を撫でて「こら」と言ってたしなめる。
「めっ、ですよ、フワリ」
「にゃんにゃあ」
口にまるまる太った魚を咥えているな……これはもう返しても仕方あるまい。マネーで解決しよう。拳闘大会の優勝で大金は手に入っているのだ。
「この魚たちは買い取ります。申し訳ないです」
「ひ、ひえ……」
「恐がらないで。怪しい者じゃあないですよ」
言って微笑み、襲われていた男性の手をとって立ち上がらせる。
「こ、このデカいモンスターは……あんたのものなのか?」
「そうですよ。危ない子じゃあないんです。美味しそうな魚たちに我慢できなかったのでしょう」
男性は魚をうまそうにぱくぱくしているフワリを見て、とろけた表情をする。
「あぁ、まあ、たしかに美味そうに食べているな……むむ、よくよく見れば、おそろしく可愛いな……こんな可愛い生き物が邪悪なわけがなかった」
ふわふわ、もふもふの無害フォルムに説得されたようだ。
またひとり猫派を増やしてしまったか。
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