王のにゃあ

 戦等級。それはモンスターの脅威を端的にわかりやすく示したもの。冒険者組合をはじめ世界中で共有される概念であり、その数値で人々は数多いるモンスターの専門知識なくとも、それが危険なのかそうでないのかを判断する。


 戦等級100。強者の怪物。この規模の怪物になると、村ひとつ一晩のうちに滅ぼすことは容易く、名うての勇士でなければ太刀打ちできない。

 戦等級200。大怪物。ただ1匹でも街へ侵入を許せば領主の抱える全兵力を動員する規模の緊急事態であり、達人の位にたどり着いた強者だけが相対することができる。

 戦等級300。英雄の怪物。伝説に謳われる遥かな化け物であり、文明を滅ぼすことすら可能とする。村も、町も、都市も終わりを迎え、真の英雄だけがこの恐るべき怪物をどうにかすることができる。


 ヴァン・リコルウィルは自分のこれまで生きてきた固定概念を揺るがされていた。彼の視線の先、青色の液体で汚れたふわふわの獣。全体的にフォルムが無害そうだが、それはフェイクに過ぎなかった。攻撃方法も前足をペシペシするだけで一見して大した攻撃力がなさそうだが、それもフェイクだ。


(戦等級300……私の傑作たちがいともたやすく……!)


 ヴァンは目を見開き、喉を開き、唇を震わせる。

 鼻腔に届く匂いが希薄になっていって、鼓膜を揺らす音もどこか遠のいていく。現実離れした事実に気が遠くなった。


 ヴァン・リコルウィルは確かな価値基準を、持って生きてきた。

 自分が人間世界においてどのような立ち位置にいるのか、たしかめながら生きてきた。

 強者の関心を寄せる奇書『強さ議論』によれば、ヴァンは『7つの英雄』という世界を見渡して最強の7人のひとりに数えられていた。そのことは当然、ヴァン自身の耳にも届いていた。むしろ関心を寄せていた。


(順位に興味があったわけではない。自分の順位などどうでもよかった。魔術の真の価値は戦闘能力という単一的なパラメータで測れるものではなく、強さとは魔術を極めていく過程で、結果として手に入るものだ。私が興味があったのは、そこに載っているさまざまな英雄の名前だ。ひとつずつ頭に刻んだ。大いなる使命を持つ私を打倒するならばどんな強者になるだろうか。私に敵対する可能性があるのはどんなやつか。私が苦手とするのはどんな敵対者だろうか)


 ヴァン・リコルウィルは基本は慎重な男だった。奇書『強さ議論』を読み込んだ。どんな強者が現れようとも対処できるように英雄の怪物たちを用意した。極大の戦力にして、切り札のひとつ。

 

(私の最高品質のキメラたちを相手にすれば、たとえ7つの英雄だろうと敵ではないと思ったが……そうか、この世界はそんなに広く、まだ知れぬ深みを持っていたのか)


 ヴァンは充血した瞳で、ふわふわで今は汚れた巨大猫を見やる。フワリと名付けれられた猫。それはこの世界の生物ではないが、そんなことヴァンにはわかるはずもなかった。


(戦等級300をもしあしらう存在がいるとすれば、それはもう英雄の怪物ではない。その先━━王の怪物。史上最高の英雄が相手するべき、大いなる怪物)


 ヴァンは結論を得た。

 目の前のふわふわ生物の正体は、


「王の猫」

「にゃあ〜♪」


 王のにゃあ。


「これほどの驚愕が待っていたとはな……ルーン山脈を超えてきた絶望か、いずれしろ、興味深いことこの上ない……だが、参ったな、このままでは殺されてしまいそうだ」


 ヴァンは素早く打開策を思案する。

 

(私は戦力を見誤っていたようだな。王の怪物が主力なことに変わりはないだろう。やつを抑えることができれば、フィンガーマンを詰ませることができる。私にはその策がある。残存召喚可能キメラ17体。上級キメラ7体。プラン1、アレイスターの指輪2つで、インスタントテイムを成功させる。プラン2、術者フィンガーマンを仕留める。プラン3、逃走。いずれかのアクションを行うのに私のキメラは使う。敵の戦闘能力を考えるにいずれかしか選べないだろう。あるいは試すだけの猶予はあるか━━)


 ヴァンは本を片手に、杖をもう一方の手に駆け出した。

 プラン3は放棄。彼は逃げるつもりはない。

 キメラたちが瓦礫のなかから次々湧いてきた。

 フワリは前足を素振りして「にゃあ!(訳:いつでも掛かってくるにゃあ〜!)」と待ち構え、指男はテクテク歩いてヴァンを迎えにいく。


(我がテイムモンスターたち、フィンガーマンを噛み殺せ)


「がるうう!」


 キメラたちが3匹、一斉に指男に飛びかかる。

 指男は足を止めずに、腕をひと振り。空を切った。キメラたちの首が落ちた。通常、腕をA地点からB地点に動かした場合、その間にあったものに腕は当たり、少なからずの抵抗が発生する。

 ただし、移動物体が天文学的なエネルギーを保有していて、衝突物を破壊しながら進んだ場合、そこに抵抗は発生しないように他者の目に映る。


 だが、指男に腕を振らせ、露払いさせる程度には意識を逸らさせることができた。ヴァンの目的は多少なりとも達成されていた。

 キメラを猫パンチで破壊する王の怪物フワリへ、ヴァンは杖先と嵌めた指輪を向ける。中指と薬指に、銀色の指輪と人の目玉があしらわれた金色の指輪が嵌っている。


(インスタントテイム。使役魔術の奥義。第四階位。アレイスターの遺物で魔術を補強すれば、一時であれば王の怪物すら我が手中に入るはず)


服従せよスーミル!」


 使役のルーンを活性化させた。突き刺すような痛みとがヴァンの脳裏を貫いた。目と鼻から血が溢れ、猛烈な眩暈によろめき、倒れそうになる。指輪が砕け、魔導書が燃え上がった。


「ぶはぁッ!」


(術をレジストされた……ッ!)

 

「にゃあ?」


 フワリは自分が服従の魔術をかけられたことすら認知していない。


「なんか勝手にダメージ受けてるな。……マゾヒストだったのか」


 ヴァンはたたらを踏み、燃え上がる本を投げ捨て、砕けた指輪で血まみれになった手を拭うように振る。歩いて近づいてくる指男。血に咳き込みながら、キメラたちを殿として立ち向かわせ、背を向けて逃げだした。


(ば、化け物だ、あの王の猫……っ、私のレジストによるバックファイアで触媒を全部破壊しやがった……!)


 魔術には常にリスクが伴う。高度な魔術を使用するほど、それに失敗した際の反動は大きくなるのである。ヴァン・リコルウィルとフワリには隔絶した壁があった。ゆえにその反動は最大だったのだ。

 ヴァンは自分の推測ですら甘かったのだと理解させられていた。あれは王の怪物━━さらにそのさきにいるの神話のもふ猫なのだと。


 死に物狂いで曲がり角に手をかけ、なんとかその向こうへ。


「やあ」


 指男が腕を組んで壁に寄りかかり、ヴァンを待っていた。英雄的先回り。

 ヴァンは一瞬で冷や汗が毛穴という毛穴から湧き出し、咄嗟に杖を構えた。

 

魔導の星ラガウェイ!」


 黒い星が指男の顔面に命中、砕けた、星の方が。

 おでこに命中したらしく煙がジューッと上がっている。

 指男は腕を組んで寄りかかったまま動かない。


「あ、あ……ばか、な……」


 喉が引き攣り、変な声がでた。

 あり得ない現象、説明できない現実。

 ヴァンは自分の積み上げてきた自信や知識が意味を喪失していくような絶望を感じた。意味があると思ってやってきたこと、その全てが無意味で、重みがると思って一生懸命に集めてきたものが実は空気より軽いと分かったかのようだった。既存の概念、尺度、常識、学問、武力━━その全てが関連性を持たない、完全に別のところにある異質さを、天才ヴァン・リコルウィルだからこそ感じ取ったのだ。


「魔術師じゃない……お、お前、お前は、どこ、から、どこから来たんだ……」

「埼玉県」

「サイタマケン……」

 

 指男は澄ました顔で、指を擦りあわせる。

 パチン。軽快な音が鳴り、黄金の灼熱がフロアを焼き尽くした。

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