完全発現形態マーシー=グレイシアドラゴン

 普段は生徒たちに見向きもされない学校長の銅像がゆっくりと倒れていく。

 同じようにマーシーも昇降口の冷たい床の上に静かに横たわる。

 マーシーは胸部を打ち抜いた衝撃と、それに伴う激痛に白目を剥く。手足が痙攣し、思うように動かなくなってくる。


 口内を血の味が満たす。

 床に手をついて裂ける痛みに耐えながら、なんとか起き上がる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 荒く息をつく。

 青い瞳が見つめる先は南正門の方角だ。

 正確に言えば南正門があった方角だが。門はもうない。

 散歩でもするかのような歩調で歩いてくる、異質な男な睨んでいるのだ。


(どういう、理屈なの……魔術を全てレジストしている……? 杖も使わずに……? いや、そのことは問題じゃない。杖の代替案は別に珍しいもじゃない。私だって結晶を使っている。やつだってなにか触媒を使っているはず……これはトリックだ……、相手を必要以上に怯えさせるための、脅かすための、トリック……)


 マーシーは血を噛んで、結晶を握りしめる。

 透き通った美しい結晶は、滴る鮮血によって染まっている。


完全発現形態モンスタフォリオ……」


 苦しそうな声でつぶやかれた。

 マーシーは水晶を両手で握りしめ、祈るように額に当てた。

 尖った水晶は失われた世界と残された世界を隔てる氷のルーン山脈から持ち帰られた貴重な品だ。強い氷のルーンの力が宿っている。


 マーシーの体は白い風に巻かれていき、周囲には凍てつく突風が吹き荒れる。

 近づくだけで血も肉も凍りつき、冷たい死を経験できるデスゾーンだ。 


「トリックだとしても、確かに素晴らしい魔術だ。事実、自分の身を守れているのだからな。そのことは認めよう。だから感謝する、フィンガーマン。私のすべてを使わせてくれて━━」


 渦巻く突風が晴れた時、世界は一枚のガラスが砕けたように軋んだ。

 パキパキっと空気が悲鳴を上げて、空気中の水分が凍りつき、輝く粒子を世界に降り注がせる。

 小さな氷の嵐から姿を現したのは、白い鱗を纏った竜であった。

 鱗の隙間から冷気が漏れ出ている。尋常の生物ではありえない構造だ。強大な魔力に満ち満ちる姿は威厳に溢れていた。


 大きな翼をたずさえ、冷気あふれる鱗に包まれた胴体。

 鋭い爪を生やした四足と、長い首に尻尾。尖った牙が生えそろった口からは、鱗と同様に白い冷気はもくもくと溢れ出している。


 そこに儚げな少女の面影はない。

 残っているのはどこか女性らしいしなやかな曲線だけで、あとは人間を完全に逸脱した伝説の生物━━氷のルーン山脈に住まうとされるグレイシアドラゴンそのものである。


「私は共犯者のなかでも随一の才覚を持っているのだ。この通り、私の魔術を持ってすれば完全なる竜化も可能だ! もっともやつらにもこのことは伝えていないがな。これを知られてはやつらは恐れるだろうからな」


 竜━━マーシードラゴンはニヒルな笑みを浮かべる。


「このグレイシアドラゴンの力でお前を屠る、フィンガーマン」

「知ってるか。先に必殺技を使ったやつは負けるんだ」

「ははは、強気だな。だが、残念、私は必殺技は使ってない」


 マーシードラゴンは力強く翼をはためかせる。

 空を駆る速さにおいて竜を凌ぐ生物はいない。

 昇降口を盛大に破壊しながら、地上スレスレを飛行して高速移動する。彼女が飛んだあと、地表は風圧によって捲れあがって追従していく。


「ヴォラア!」


 マーシードラゴンは棒立ちの指男を片手に鷲掴みにする。

 竜の手はおおきい。指男の体はすっぽりおさまってしまう。

 ついでにフワリも鷲掴みにされる。

 マーシードラゴンは1人と1匹を握り潰さんと力いっぱいぎゅーっと両手に力をこめた。


「ははは、耐え難いだろう」


 マーシードラゴンは指男の「もうやめてくれ!」「た、頼む、助けてくれ!」「俺の負けだぁ!」という情けない命乞いが見たかった。


 だが、どんなに力一杯握っても指男は顔色ひとつ変える様子を見せない。

 フワリのほうも「にゃんにゃあ〜!」と鳴いているが、大きなダメージは受けていなそうだ。


 マーシードラゴンは不機嫌になり「本当の竜の力を見せてやる!」と、翼をおおきく広げて、地底の天を目指して一気に上昇しはじめた。


「にゃにゃにゃにゃにゃにゃ〜!?」


 急上昇の風圧で小刻みにゃんにゃんが奏でられる。

 マーシードラゴンはヴォールゲート魔導魔術学校で最も高い塔の屋根まで飛んで、無慈悲に手を離した。指男とフワリの体が重力に従い落ちていく。


 竜は翼を大きく広がると、空中を落ちていく指男たちめがけて、口を大きく開き、凍えるブレスを吐きつけた。

 ドラゴンブレス。人間が魔術を使うのとは違うプロセスからなる神秘の技。長い生物進化の過程で少しずつ少しずつその力は培われていった。天然のルーンが生み出す絶対零度の息吹は、すべてを凍て付かせる威力を持っている。


 空から落下する指男たちへ吹き付けられたドラゴンブレスによって、南正門と昇降口の間━━今は荒れ果てた正面道━━に氷の塔が突き立った。

 マーシードラゴンは氷の塔を旋回するように飛び、満足げな表情をつくる。

 

「やっぱり、私って天才。それに最強。竜になれちゃうんだもん。本気を出したら私にもヒューデリーくらい壊せたのかな」


 強大な己の力に自惚れるマーシードラゴンであったが、氷柱が中腹あたりで砕け、飛散し、猫が飛び出してくるとは思わなかったようだ。

 

「にゃあー!」


 ノルウェーの猫又フワリはその大きなシルエットに見合わず、恐るべき跳躍力と素早さで持って、マーシードラゴンへ反撃しかけてきた。

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