開かない扉はない

 ━━マーシーの視点


 冷たい笑みマーシーは校長室より自室に戻り、誰よりも早く、地下牢へと足を運んでいた。

 

(学校が備えている防御魔術、分断する星の霧。相手を異空間へ一定時間飛ばし、その後、任意の場所へ再出現させる魔術だったかな)


「みんな地下牢に移動させたって話だったけど……」


 マーシーはヴァン・リコルウィルに指示された侵入者の再出現場所へやってきたが、そこに人影を見つけることはできなかった。

 長いこと使われていないために積もった埃と、かび臭い空気が澱みを生み出すばかりだ。誰かがいた気配すらない。


「本当にここであってるのかな」


 少し待ってみて、一向に姿を現さない侵入者に、マーシーは「なんらかの理由で星の霧が作用しなかった」と判断し、地下牢をあとにした。

 

(久しく使われていない古い魔術だろうし、ルーンが劣化していたのかも。あるいは魔術にレジストを成功させた? ありえない。そんなこと)


 魔術へのレジストは正しい手段で対抗することでしか成功しない。

 この世界に一体何人ヴォールゲート魔導魔術学校の古い防御魔術へのレジスト方法を知っている魔術師がいるのか。あるいはそれに代わる代替案を持っているのか。おそらくはひとりもいない。それがマーシーの見解だった。


(可能性があるとすれば、拓く者バルサラックくらい、か。でもここ来るわけもないし……本当に何者なのだろう、今回の侵入者は)


 マーシーはひとつ見落としていた。

 直接の攻撃魔術でない対象へ神秘を作用させるタイプの魔術は、本人の精神力によって無力化できる場合があることを。


(学校への侵入者はどこにいるんだろう。霧が作用しなかったとすればまだ正門のあたりに?)


 マーシーは学校の昇降口からまっすぐに伸びる植え込みの整えられた正面道をいく。その先、巨大な門がある。魔導魔術学校の南正門であり、いまは固く閉ざされている学校の数少ない出入り口だ。

 マーシーは「回廊の上から姿だけでも確認してみよう」と、城壁へ登ってみることにした。


 その時だ。

 ズガゴぉおおおンッ! と鼓膜を破壊するような巨大な破裂音が聞こえた。

 同時に視界が一瞬で黄金の輝きに支配される。マーシーは立っていられないほどの未曾有の衝撃に襲われて、誇張なくすっ転んだ。


「い、いたた……一体なんだっていうのよ……」


 顔をあげる。巨大な粉塵が雲のように立ち登っている。

 押し戻されたせいで、城壁側の全体像がよく見えた。

 その外側、城壁ごと学校を覆い尽くしていた青白い光の壁が儚く解けていく。

 

「……へ?」


 超複雑な魔術式の刻まれた結界は、散りゆく花のように、頑強な盾を粉々にして崩壊していき、その崩壊は南正門を起点に、学校全体へ広がっていく。

 マーシーは呆けた表情でその様を見つめることしかできなかった。

 理解が追いつかず「わあ、きれい〜」なんて脳の出力を使わない感想しか出てこない。


 無に還りゆく天上の結界から、南正門へ視線をそっとおろす。

 粉塵はいくばくか晴れ渡り、ゲートハウスが完全に消失しているのがわかる。

 崩壊したのだ。大部分が赤熱の溶岩のようなものに飲まれている。

 未知の破壊現象は現在進行形で、左右の城壁に伝播し、ドミノ倒しのように連鎖崩壊を及ぼし、ヴォールゲート魔導魔術学校を丸裸にしようとしている。


「ヒューデリー要塞守護壁が……死んでいく……」


 言葉にしてみて、目の前の現象と理解がようやく互換性を取り戻す。

 背筋を突き刺すような痺れが襲った。

 全身の毛穴が開いて、冷たい汗が噴き出した。


 一体だれが、どんなやつが、こんな馬鹿げたことを成し遂げたのか。

 

 ━━カツカツカツ

 

 石畳を踏む、靴底の音。

 マーシーは視線を外さず、目を見開いた。

 解けゆく青白い最大防御魔術と堅牢な城壁を、ことごとく破壊した者。

 壮大なる崩壊を背景に、ポケットに手を入れて、傍にモッフモフの巨獣をつれ、その男は12時のお昼休憩にちょっと腹ごなしの散歩をするかのような軽い歩調で、悠然と昇降口へつづく正面道を歩いてくる。


 マーシーはそっと立ちあがる。

 生まれてこの方、出会ったことのない覇者へ感謝を述べた。


(これまで抑圧ばかりされてきた人生だった。学校は愚か、進化学会でも私の全力を放つふさわしい魔術戦を行えた敵対者はひとりもいなかった)


「お前のような魔術師こそ、我がルーンの生贄にふさわしい」


 ローブをバサッとひる返し、透き通った水晶を握りしめた。

 いつも無感情な氷のような顔には、嗜虐的で、凶暴な笑顔があった。

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