共犯者、竜爪リジェクタイル
━━リジェクタイルの視点
巨人が歩いても頭をぶつける心配のない回廊は、普段なら学生たちの賑やかな声が聞こえる主要な廊下のひとつだ。闇の魔術師に占領された現在、物音ひとつしない寂しい静寂に支配されている。
カツカツ。足音が響く。ブーツの靴底が石造の床を踏む音と、チャカチャカという獣の爪が床を擦る音だ。
足音の主人は灰色のローブを着た男だ。
フードはかぶっておらず、二枚目の顔立ちと黒い髪、見る者を威圧する黄色い瞳がうかがえる。捲り上げられた袖からは筋肉質な前腕が見えた。
男の名はリジェクタイル。
禁忌のヴァン・リコルウィルの古い友人であり、禁忌を探求する共犯者だ。
「まさかヒューデリーへダメージを加える手段があったとはな」
リジェクタイルは深刻な顔つきで腰のベルトから杖を抜き、握りしめる。
地下方面への階段を降りていき、星の霧が分断し招いた敵対勢力がいるだろう地下牢のひとつの近くまでやってきた。
(ヴァンのあの様子。実力者が襲撃者のなかに混ざっている。城門街の貴族どもにそんな兵力はなかったはず。まさか”拓く者”がヴォールゲートへ赴いた訳もあるまい。敵勢力は謎に満ちている。確かなのは英雄級の魔術師がいて、そいつがヒューデリー要塞守護壁に攻撃を加えたことだけか)
「
ジューっと水の蒸発するような音が聞こえた。
肌をむわっとした熱気がふれる。
闇の魔術師のそばを固めていた、5匹のキメラ━━異質な角と翼が生えた黒犬━━は体から白い蒸気をだしながらも、微量の輝きを放っていた。
高等な使役魔術師のみが行える、使役のルーンによるテイムモンスターたちへの強化魔術である。
リジェクタイルは脳裏のルーンが熱を持ち、強化魔術が施されたことを確認し、戦闘準備を万端に整えて地下牢の扉を押し開けた。
右から左へ見渡すほど広い地下牢には誰もいなかった。
数秒後、魔力の動く気配がリジェクタイルの知覚に引っかかった。
「来るか」
地下牢の奥、カビ臭さと湿った空気が澱んだ空間に、突然と膨大な霧が発生した。霧はすぐに晴れる。
赤毛の少女が四つん這いの姿勢で周囲を伺っていた。
まるで獣のようだなとリジェクタイルは思った。足は広く開いて、地を捉える両手はしなやかに広げられ、付近を観察する鋭い眼光は狼のようだ。
褐色の肌に筋肉質な肉体、肩から垂れ下がる半身を隠すマントのような布以外は、あまりにも生地の面積が少ない服を着ており、よく鍛えられた腹筋に、健康的すぎる太ももが大胆に露出している。
神秘の霧で空間を移動させられた元戦士・クゥラであった。
クゥラの獣のごとき視線はすぐにリジェクタイルを見つけた。
ひと目見て敵意を察したのか、腰の剣を抜き放つ。
(魔術師には見えないな。こっちは本命ではなかったか)
リジェクタイルは小さなため息をつく。
ヴァン・リコルウィル率いる進化学会の幹部のなかで、彼は自分が一番腕が立つ魔術師であると自負していた。故に最大の獲物は自分が相手するべきであると考え、高度な魔術戦を行えることを心待ちにしていたのだ。
蓋を開けてみれば、ひと目でハズレだとわかる。
本命とは魔導魔術学校の強固な結界へダメージを与える英雄級の魔術師のことであり、決してくだらぬ暴力に時間を費やした乱暴者のことではないのだ。
(デイヴかマーシーが対処しに向かった方に本命はいったか。奴らで対処できればいいが……まあいい、俺は俺の仕事をするか)
「何者だ、貴様、嫌な気配をしている。乱暴な気配だ。冷たい恐怖を使う側の匂いがする」
「お前に名乗る名前などない。お前はここがどこか知らず、何が起こったかを悟れず、ただ死にゆけ」
リジェクタイルは腕を横にピッと薙ぎ払う。
5匹の冒涜的なキメラたちが走りだした。
目を見張るほどの素早さだ。既存の生物を掛け合わせ、融合させたこともさることながら、使役者の施した強化魔術の効果がおおきい。
まさしく迅雷のごとき動きであった。
獣たちはクゥラの四肢を食い千切らんと襲い掛かる。
クゥラは目をスッと細め、鋼剣をタイミングよく振り抜く。
バギン! っと激しい音を立てて、キメラの肉体と刃がぶつかった。
キメラの体は淡い光のヴェール━━ひび割れ、砕け散っていく━━に包まれていた。
(
リジェクタイルは獣の狩りをニヤリと笑みを深め静観する。
クゥラは眉をピクっとさせ、首を落とせないと判断するなり、力のままに剣を振り抜いて、獣の体を魔力のヴェールごと吹っ飛ばした。
「ルーン使いめ、変な技を」
「叡智の結晶と呼びといい、無学な娘」
再び、襲い掛かるキメラ。
振り抜かれるクゥラの鋼剣。
受け止める魔力のヴェール。
豪快に斬り飛ばされる獣首。
ねちゃっとした熱い血が、地下牢の冷たい空気に湯気をたてる。
リジェクタイルは目を丸くする。
キメラが死んだ。1匹死んだ後も絶え間なく襲い掛かるキメラたちを、クゥラは巧みにいなし、力強く反撃し、始末していくではないか。
「なんだと……どうやって、対応した、そんなに速く」
「一度で死なないなら、それを踏まえて動くだけだ」
クゥラはごくシンプルな解決法を行った。
一度斬って首を落とせないのなら、二度斬ればいい。
ゆえに一回めで獣を守る魔術の守りを確実にこわすイメージで剣を叩きつけ、すぐさま二度目の斬撃を浴びせたのだ。
「……達人級の闘争者だったか、なるほど、一流の魔術師の従者なだけある」
(面白い。魔術師ではないが、価値のある戦いになりそうだ)
リジェクタイルは生き残っているキメラ2匹をすぐさま呼び戻し、同時に灰色のローブを脱ぎ去った。筋肉質ながら引き締まった体が露わになる。
「
リジェクタイルは杖を振って、黒い星を撃ち出した。
クゥラは難なくかわし、駆け寄り、男の首を落とさんとする。
鋼剣が風を巻き込みながら、凄まじい速さで叩きつけられる。
ガヂン! 刃が受け止めれた。灰色の硬質な巨角に。
「俺が竜爪と呼ばれる所以を教えてやろう、光栄に思うがいい」
共犯者、竜爪リジェクタイル。
進化学会のなかで彼が自分を最強だと思う理由には明確な根拠がある。
彼は最強の生物ドラゴンの力をその体に取り込んでいるのである。
肩から隆起したのは竜の角だ。
「俺は変幻自在に竜の身体を発現させることができるのさ。こんな風にな」
受け止めた剣を押し返し、リジェクタイルは腰から竜の尻尾を生やし、勢いよく周囲を薙ぎ払った。クゥラは剣で受け流しながらも、刺々しい硬質な鱗に肌をかすめられ、ズシャッと鮮血を散らした。
(速い、強い、硬い)
クゥラは敵の戦力を認めた。
こいつは強大だ、と。
リジェクタイルはさらに竜の身体を発現させていき、身長も2m近くまで巨大化、全身は硬質な鱗に覆われ、背中からは片翼が生え、顔つきも変わった。
口から高火力の火炎を吐き出し、クゥラを焼き尽くそうとする。
「ははは、素晴らしかろう!」
「奇妙な術の数々。闘技場の外の世界は本当に不思議なことでいっぱいだ」
クゥラは力を使うことにした。
ヴァーミリアンの英雄だけが覚醒させる太古の巨人の鼓動だ。
火炎放射に焼かれる寸前、クゥラはカッと目を見開き、炎をかわす。
瞳はあわく炎のようにゆらめく光を持っていた。
リジェクタイルは違和感に気が付く。彼が優れた魔術師であり、聡明であり、竜の優れた知覚を発現させていたからこそ気がつけたことだ。
(魔力を纏っている、心臓の鼓動が……速い? いや、鼓動だけじゃない、こいつ動きが変わった……!?)
それは暴力的な変化であった。
技術体系のことなる身のこなしという意味ではない。
もっと野生的であり、本質的であり、根源的である。
クゥラは全身から蒸気を放ち、火炎放射の横をなぞるように駆け、凄まじい足力で竜化したリジェクタイルに迫った。
両手で握った鋼剣で思い切り、火炎を吐く口元を狙ってくる。
慌てて口を閉じる。牙に刃がぶつかった。火花が散り、強靭な牙と、鋼剣の刃が砕ける。
力任せに叩かれ、折れ、砕けた数十本の牙。
激しい痛みに悶える暇なく、腹部を強烈な衝撃が襲った。
リジェクタイルは肺の空気をすべて吐き出し、血と牙の破片をこぼす。ボフッと鳴る燃焼ガスも少し漏れた。
(ばか、なッ! この娘、素手で竜の鱗をぶん殴りやがったのか……!? なぜダメージが通る、ありえない、人間の腕力では、不可能なはず……!)
クゥラは血まみれの拳引く。
硬い鱗を殴ったせいでボロボロだ。
だが、彼女はそんなこと気にした風もない。
刃こぼれした刃を両手でしっかり握ると、牙を破壊され良いボディショットをもらって、完全に戦意喪失した哀れな竜モドキへ刃を叩きつけた。
執拗に何度も、何度も、何度も。恐ろしい攻撃は相手が死ぬまで続く。
「うが、やめ、やめろ、やめて、やめてくれえぇ……!」
リジェクタイルは身体を丸めて、硬い鱗と翼で全身をガードする。
間抜けな格好だったが、竜の耐久性能を持っており、クゥラが鋼剣の刃を完全に潰してしまうまで叩いても、その命を絶つことはできなかった。
とはいえ、鱗はところどころ剥げ、ツノは折れ、牙も折れ、翼も折れ、かわいそうなほどにボロボロにされてしまった。
リジェクタイルが「もうダメだ……っ、殺される……!」と思った時だった。
城全体を揺らすような激しい衝撃がふたりを直撃した。
クゥラが剣を振り上げた瞬間だったので、思わず転がるように、盛大に体勢を崩してしまった。リジェクタイルは床の上で丸まっていたので、大きく体勢を崩すことはなかった。そこに差があった。
(攻撃がやんだ!)
リジェクタイルは隙を見逃さず、脱兎の如く地下牢を飛び出した。
反撃するという発想すらでて来ない、全力全開の逃走だ。
(死んでたまるか、なんなんだ、あいつは、あんな化け物がどうして! 強大な戦力は本命の魔術師だけじゃないというのか……!)
この日、リジェクタイルは初めて敵に背を向けて敗走した。
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