旅する大聖女と道端の指男
非常にまずいことになった。
魔導のアルコンダンジョンに来てこのかた、優しかったはずのデイリーくんがいきなり牙を剥いてきた。
まるでそれまで優しかった夫が結婚を機に豹変して今ったかのように。否、デイリーくんの場合、結婚してないのに豹変しているからなおタチが悪い。
「どうしたんだよ、デイリーくん、何をそんなに不機嫌になっているんだい」
語りかけても本日のデイリーミッションが差し替えられることはない。
もしかしてボーナスタイムは終了ということだろうか。
随分と楽をさせてもらって来たが……目を覚ませということか。
海賊黒髭は理由なく仲間の船乗りの足を撃ったという。
訳を訊けば「俺の恐ろしさを忘れちまうから」と答えたそうだ。
ああ、そうだったな。
俺は忘れるところだったよ、君の恐ろしさを。
では聞いてください。デイリーくんで、きみは黒髭。
「さてと、にゃんにゃんしちゃいますか」
「師匠、何か言いましたか?」
「何も言ってないです」
デイリーミッション『俺の名はネコ』。
100人に対してにゃんにゃんするのが目標だったはず。
とにもかくにも、にゃんにゃんターゲットを確保しないことには始まらない。
遠くに見えた湖と城。そこにならたくさんの人間がいるやもしれん。
目的地は変わらないが、ただ行く理由が増えてしまった。
俺たちは早朝、野営地を畳み、城の方角へ足を進めた。
途中で行き先を見失わないようにセイが得意の木登りでてっぺんまでスイスイ上がっては、随時、方向を修正してくれた。
「まだ街は遠そうですね。……ん? 師匠! 何やら人影が見えます」
セイが木から降りてくるなり報告をしてくる。
森のなかに人か。野盗とか嫌だなと思いつつ、にゃんにゃんカウントを稼いでおくかという思惑も働く。
熟考の末、俺はにゃんにゃんミッションの進行状況を稼いでおくことにした。
必要な犠牲者は100名。
無視されてしまったらノーカウントなので、進められる時に進めておきたい。
なお、セイやエリー、クゥラといった身内へにゃんにゃんしてもカウントは進むだろうが、そうはしない。なぜか。普通に嫌だからである。
クレイジーソルトの一件でただでさえ俺の尊厳がやや揺らいでいるのに、これ以上失ったら「師匠、やっぱり弟子入りの件は無かったことに」とか冷めた表情で言い出されかねない。それは流石に悲しい。
「フィンガーマンの名において厳命します。決してここを動かないように。この先からやってくるという人影、俺が確認してきます。危ない人間でないか、とか」
「師匠がいくことはありません。このセイラムが見事にお役に立ってみせましょう」
「ダメです。相手は野党かもしれない。武器を持っているかもしれない。セイたちを危ない目に合わせるわけにはいきません」
「しかし、フィンガー、ずいぶんと今更な話ではないか。これまでの旅路で私たちは4回ほど爆風の巻き添えを食らっているが」
「そのことは地底河に流したでしょう。ノーカンですよ。とにかく、ここで待っていてください。来ちゃダメですよ」
セイとクゥラが俺の横を抜けようとしてくるので反復横跳びで行く手を塞ぐ。
そんな攻防を数秒続けて、ようやく二人は「では、師匠におまかせしまう」「フィンガーがそこまでいうなら」と観念してくれた。
俺はネクタイを締め直し、襟を正す。
セイたちを置いて少し進むと、確かにこちらへ向かってくる人影があった。
人数は2名。
重厚な黒い鎧を着た騎士が目につく。やたらシルエットがでかい気がする。どんだけ大柄なのだろうか。両腰に差してある剣も幅広で大きい。
もうひとりは、騎士の前を歩く華奢なシルエットだ。
地味な色のマントに身を包んでおり、頭はフードにすっぽり収まって伺えない。なんとなく女性かなと思う。
騎士の方が少し怖い感じがするが、女性が一緒にいるならきっと大丈夫。
だって女の子は猫が好きだから。
道端でにゃんにゃん言っていれば見過ごせないはずだ。
俺は彼らが通りそうな道にそっと横たわった。
足音が近づいてくる。サングラス越しに見える90度傾いた世界を、奥の方から通行人がやってくる。前をいくマントに身を包んだ女性がはっとして俺に気が付く。すぐさま駆け寄ってきた。
「大変です。ヴィトランド、人が倒れています」
「メルセデス様、迂闊に近づくのは早計です。あれほど目立つように道の真ん中に人が倒れていることがありましょうか。きっと何かの罠に違いありません」
「私は人を助けたいからヴラの地を旅立ったのです。多少の危険があろうと、旅に倒れた者を救うことに何も迷うことはありません」
なんだかいい人そうだ。
迷惑をかけるのは気が引ける。
だが、こっちもデイリーミッションが掛かっている。
継続日数を失うわけにはいかないのだ。
「大丈夫ですか、そこのあなた、私の声が聞こえますか?」
「にゃんにゃん、にゃんにゃんにゃん〜!」
可憐な声の主へ俺は猫手をつくって、ブーツをちょんちょんする。
「下がってください、メルセデス様━━この変質者めい!」
「にゃん? ━━ゴボへッ!?」
側頭部に走る激痛。
頭上から剣で思い切りぶった斬られた。
こめかみを撫でる。血は出てない。でもズキズキする。
すくっと起き上がる。これにはさしもの俺も黙っていられない。
「っ、お前、なんで普通に起き上がって……いま確かにこの剣で斬ったはず」
「いきなり何するんだよ、剣で斬りつけるなんて。不審者か」
「どの口が言っている」
「にゃんにゃんしていただけだろう」
「自覚はあるようだな、変質者」
「やめてください、ヴィトランド、彼は悪人には見えません」
「ですが変質者です。それに故意の犯行だ。ヴラの大聖女に断りなく気持ち悪い所作で触れた罪科があります」
黒い騎士はさらに剣を一本抜いて、両手に持つと、ザッと踏み込んできた。
「覚悟しろ変質者!」
斬り込まれる十字の斬撃。
手で軽く払って、黒鎧のチェストプレートを掴む。
掴める場所などないが、握力に物を言わせ鋼を指の形状に歪ませればホールドできないことはない。
掴み所ができたので、力任せに持ち上げて、地面に叩きつける。
足元が砕け、四方八方へ放射状の亀裂が広がった。
死んではない、はず。
「確かに俺に悪いところもあったかもしれない。だとしてもいきなり斬りかかるなんて酷いことしちゃダメだ。俺じゃなきゃ死んでたぞ」
「なんて怪力なのですか……」
黒騎士を叩きつけた衝撃波ですぐ横にいた彼女のフードが捲れていた。
ゆるふわな桃色の髪をした声通りの可憐な少女であった。
金色の瞳は大きく見開かれ、驚きにこちらを凝視している。
「あ、えっと……斬られた場所は本当になんともないのですか?」
従者の騎士より俺のことを心配してくれるの……?
え。可愛い。優しい。好き。
「大したことはないですよ。剣で斬られただけです」
「上段から振り下ろされた剣に頭を斬られるのは、おそらく最大級の傷に数えられると思いますが」
少女は言いながら「失礼します」と俺のこめかみに触れる。
じんわりと優しい光が広がり、俺の中に温かさが入り込んでくる。
「本当に傷はないようですね。しかし、少しお疲れだったようです。差し出がましいようですが癒させていただきました」
「シマエナガさんみたいな力をお使いになるんですね」
「はて、どちらさまでしょう?」
「いえ、気にしないで」
こめかみを撫でる。
ズキズキとした痛みが消えている。
まさかこの世界に俺の傷をどうにかできる手段があるなんて。
自動回復でも蒼い血でも回復できなかったというのに。
ステータスをチラッと確認する。
────────────────────
赤木英雄
レベル357
HP 8,000,710/8,725,000
MP 1,231,000/1,384,000
スキル
『フィンガースナップ Lv9』
『恐怖症候群 Lv11』
『一撃 Lv11』
『鋼の精神』
『確率の時間 コイン Lv2』
『スーパーメタル特攻 Lv8』
『蒼い胎動 Lv6』
『黒沼の断絶者』
『超捕獲家 Lv4』
『最後まで共に』
『銀の盾 Lv9』
『活人剣 Lv7』
『召喚術──深淵の石像Lv7』
『二連斬り Lv7』
『突き Lv7』
『ガード Lv6』
『斬撃 Lv6』
『受け流し Lv6』
『次元斬』
『病名:経験値』
『海王』
『海の悪魔を殺す者』
『デイリー魚』
装備品
『クトルニアの指輪』G6
『ムゲンハイール ver7.5』G5
『蒼い血Lv8』G5
『選ばれし者の証 Lv6』G5
『メタルトラップルームLv4』G5
『迷宮の攻略家』G4
『血塗れの同志』G4
────────────────────
HPが800万を上回っている……。
「ヴィトランドも悪気はないのです。どうか無礼をお許しください」
「いえ、構いませんとも。人は誰しも過ちを犯しますから」
フッと笑み、個人的にイケメンだと思っている表情で応じる。
「寛大なお心お持ちなのですね。ところでお名前を伺っても。さぞ名の知れた英雄殿とお伺いしますが」
「まだ無名もいいところですが……『黄金の指鳴らし』フィンガーマンということで通してます」
「黄金の指鳴らし、フィンガーマン……」
思案げな顔をする少女。
すまんね、知らんよね。
「畏敬の腕前でございました。十分な対価をお支払いします。どうか私たちを見過ごしてはくださいませんか」
「別に何も払わなくとも見過ごしますよ」
もうにゃんにゃんは失敗しているのだ。
彼女たちに用はない。
「ぐっ、うっ!」
黒騎士が苦しそうにうめきながら、剣を杖がわりに起き上がった。
丈夫なやつだ。蒼い血で回復しなければ動けない程度にはダメージを与えたつもりだったのだが。こいつ……この世界の基準において、相当な手練れだったのかも知れない。ともすれば、そんな者を従者に連れている彼女は一体……。
「名前を伺ってもいいですか、お嬢さん」
「これは申し遅れました、寛大な英雄様。私はメルセデス・アブソライツと申します。旅の聖職者です。大聖女という役職を示した方が良いでしょうか。ヴラの国より救世の途中なのです」
聖女さま? なんだか高貴そうだ。
むむ、では、この騎士は聖女をにゃんにゃん変質者から守った……?
要人警護中だったなら過剰な反応もまあ納得できる……?。
あれ? ん? もしかして悪いの俺のほうじゃね……?(今更)
「なんだか大変そうな旅ですね」
「ええ、大変な旅です。この奇跡をせっかく天より授かったのだからと、多くを救うために出国したはいいものの……外の世界は厳しいことばかりです。思うようにはいきません」
メルセデスは黒騎士のヘルムを手で撫でる。
光が騎士を包み込む。
すくっと真っ直ぐ立てるようになった。
回復させたのだろう。
「それでは、フィンガーマン殿、寛大なお心遣いに感謝を申し上げつつ、私たちはこれで失礼させていただきます。さあ、ヴィトランド、このお方へ謝意を」
「…………それほどの力一体どのようにして」
「ヴィトランド」
「……貴公の情け、感謝しよう」
黒騎士━━ヴィトランドとメルセデスはぺこりと頭を下げて行ってしまった。
「師匠〜! あれ? あの方達は? 危険なことはありませんでしたか?」
「何もないですよ。旅の大聖女さまとその従者でした」
「聖女さま、ですか? あんまり私はピンとこないです」
「つまり聖職者の女性ということか。旅をするものなのだな」
「フィンガーさん、なんだか嬉しそう……」
セイもクゥラもエリーも聖女なる存在については知識ゼロなようだった。
まあみんな世間知らずなので仕方ないだろう。
俺がとやかく言えることはない。
あれがどこかの偉い人とかだったら後で面倒なことになりかねないけど……まあすべては後のまつり。過ぎたことを気にしても仕方がない。
「ところでみんな、ちゃんと待ってましたよね? こっそりついて来てさっきのやりとりを覗いていたり」
「そんなことしませんよ。師匠の言いつけを守れてこそ一流の弟子ですから」
「フィンガーが主人なのだ。命令は聞くのが道理だろう」
「フィンガーさん、恐い……」
意外と統率取れてるな。
でも、俺はセイとクゥラはあんまり信用してない。
さっきちょっと抵抗してきたし。
その点、エリーはちゃんと言うこと聞けてえらいねえ……(ニチャア
「ひぇ」
エリーちゃん、クゥラの背後に隠れてしまいます。悲しみです。
その後は真っ直ぐに森を抜けた。
丘陵地帯は長閑な雰囲気でこれといった障害もなかった。
まだ空に光の球が出ているうちに俺たちは湖の沿岸にある街にたどり着くことができた。
人がいっぱいいるじゃあないか。
もうにゃんにゃん出来そうな場所だね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます