ニールス商会の新しい仕事、そして修羅
ビリー・ニールスは小鳥の囀りで目を覚ます。
起きればベッド脇に掃除をする使用人姿があった。
丸眼鏡をかけたふくよかな老婆だ。
ビリーはしょぼしょぼする眼を擦り、大きくあくびをした。
「ビリーお坊っちゃん、おはようございます」
「おはよ、シャーロット、勝手に掃除しなくていいって言ってるでしょう」
「寝ている時くらいしか安全な時間がありませんからね。ビリーお坊っちゃんも年頃なのですから」
シャーロットは幼い頃からビリーの面倒を見てきた。親のような存在なのだ。
ビリーは決まり悪そうに咳払いをし「もういいから、自分で掃除するから」と追い出すようにシャーロットの背中を押した。
「まあ、これは失礼なことを言ってしまいましたか」
「もうこの話は終わりだよ、シャーロット」
頭の上がらない使用人をあしらったあとは、支度は済ませ、商会の仕事を行いに行く。朝早い時間だ。まだ商会の開く前である。
ニールス商会の1階に降りてくると、すでに従業員たちが業務に取り掛かっていた。朝は得に忙しいので、皆が、テキパキと動いている。
「ビリー様、おはようございます!」
「ビリー様、おはようございます!」
「ビリー様、おはようございます!」
ビリーの顔を見るたびにカウンターの裏で忙しなく働く少年少女が元気よく挨拶をしてきた。少年少女たちが手にするのは使い古された木の小箱である。
小箱には主に銀貨、銅貨、鉄貨などが、しきりで分けられて10枚ワンセットで綺麗に整頓されて入っている。たまに白透明な石を運んでいる者もいる。クリスタルと呼ばれる古い時代の貨幣であり、今だに大きなお金を取引する際には運用される結晶通貨である。商会ではこういったものも扱うのである。
お金をせっせと運ぶ少年少女らは一般に小間使いと呼ばれる仕事についていた。商会で行われる商取引に使われる銭をカウンターへ運んだり、物品を奥へ運んだり、掃除をしたり、とにかく雑務を全てこなすのが小間使いの仕事である。
言うなれば一番の下っ端である少年少女らにとって、ニールス商会のボスの息子であるビリー・ニールスは神のような存在だった。ビリーという人間の経済的弱者を進んで雇う人柄の良さも相まって、彼は大変に慕われていた。
ビリーの業務は主に大物取引相手の接客である。
特に商会レベルでの取引を行う場合は、商会長の息子であるビリーが相手しなければならないのだ。
(面倒臭いなあ)
ミズカドレカでは有数の商人であるニールス家の元に生まれた次男坊の彼は、兄のキンバルと商会の用心棒バルドウと共に冒険者パーティ『ニールス商会』として、たびたび冒険者組合でクエストをこなしていた。
それはひとえに商人の仕事よりクエストの方が好きなのためだ。
しかしながら、父親が出向している間、商会を預かれるのはビリーしかいない。一応、兄のキンバルはいるが、彼女は筋金入りなので、決して商会の仕事を手伝おうとはしない。
1日の業務が終わった。
ビリーは6人の商人を相手にし、1つの商談を蹴って、2つの商談を成立させ、3つの商談を保留にした。商談の1つは奴隷商売に関するものであった。成立した2つは地方の名家が潰えた後に見つかったドレスや絵画、値打ち物の調度品を卸して欲しいといったその場で判断の付くもの、保留の3つは小麦や、果物、鉱石資源の流通に関するものである。
最も保留に関しては自分の仕事にするのが面倒なので、父親の帰りを待とうというものぐさゆえの対応であったが。
本日の業務が終了する。
小間使いの少年少女たちも疲れ果て、受付嬢たちが暇を持て余しておしゃべりを始める━━ニールス商会1階事務所が弛緩した空気に包まれてた。
ビリーは「お疲れさま」と言って、1階奥の事務所へ引っ込む。本日行った取引の記録をチェックし、金の勘定をするためだ。
ガゴン。
「ん?」
事務所で机に向かっていたビリーは顔を上げる。
フロントの方で扉が勢いよく開く音がしたのだ。
すぐのち「ビリー様、大変です!」と受付嬢のひとりが駆け込んできた。
「どうしたんだい、何か物音がしたけど」
「筋肉です! 筋肉の集団がいきなり入ってきて!」
「……筋肉?」
要領を得ない受付嬢の言に眉を顰めるビリー。
ペンを置いて、腰を上げ、すぐに表へと飛び出した。
フロントは筋肉モリモリマッチョマンの変態たちに占拠されていた。
視界を埋め付くほどの密度に、ムッとするほどの熱気だった。
人数はとにかく多く。数えることすらできない。
皆、布地を体に巻いており、見るからに強そうであった。
「き、き、君たち、うちに何のようなんだい」
ビリーは声を震わせながら、商会を預かる長として、筋骨隆々の男たちの前へ進み出た。筋肉漢たちはビリーの姿を認めると、一気に視線を集中させる。
狼に囲まれたウサギのようにビリーは肩身を狭くした。
「お前らどけって、密度、密度」
ビリーがほとんど白目を剥いて気絶しそうになっていると、聞き覚えのある声が届いてきた。筋肉漢たちをかき分けるようにして、黒い髪の青年が出てきた。
ビリーは彼を見た途端、背筋が伸びた。彼こそがビリーが最も畏敬する超越的な実力を誇る冒険者であったからだ。
「フィ、フィンガーマン殿……っ」
「ビリー殿、昨日ぶりですね」
「ええ、ええ! またニールス商会にお越しいただいて嬉しいです!」
キラキラした顔でビリーはフィンガーマンと握手をする。
「これからも度々、厄介になりますよ。ニールス商会に仕事を依頼したいのですが」
フィンガーマンはサングラスをクイっと持ちあげながら言う。
賢そうな所作に「クールだ」とビリーは畏敬する英雄への好感度を上げる。
「もちろんですとも、地底河の悲鳴を討伐したかのフィンガーマン殿と仕事ができるなんて、こんな光栄なことはありません!」
「あれがビリー様の言っていた……」
「フィンガーマン……」
「なんだか周囲の視線が集まってる気がしますが、ビリー殿」
「ニールス商会にフィンガーマン殿の偉業を知らないものはおりません!」
ビリーはハキハキとした声で言った。
フィンガーマンは「ふむ、よろしい」と肘を抱く。
「ですが、仕事するのは俺じゃないんです。すぐに依頼主が来ますので、彼の商談を受けてほしいんです」
「紹介ということですか。フィンガーマン殿の紹介を断るわけありませんとも!」
しばらくのち。
フィンガーマンが去り、筋肉が残されたフロントに新しい客がやってきた。
その人物の登場にビリーはひどく驚き、同時に嫌悪感を隠す必要があった。
「ベルモット、ラジャーフォード男爵……?」
「ビリー・ニールスくん、久しぶりだ」
「何をしにこんなところに。ニールス商会は奴隷取引をしないとご存じでしょう?」
「ああ、知っているとも」
ベルモットは疲れ切った顔で、薄く微笑む。
ビリーは眉を顰め、警戒を緩めずに手で入口を指し示す。
「お帰りを。当商会はあなたを許すことはありません」
「ビリー殿、君は絶頂したことがあるかね」
「いきなりなんの話ですか、変態ですか」
「筆舌に尽くし難い絶頂だ」
「変態ですね」
ベルモットは澄ました顔でビリーを見つめる。
「変態が人を作る」
ベルモットは意味ありげにつぶやく。
「話をしよう。その前に場所を変えようか」
二人は場所を変え、奥の事務所で話を始めた。
「私は変わってしまった。最後の絶頂をしてしまったのだ。否、嘘だ。まだ終わってはいない。しかし、その先をすることは許されなくなった。私は強者に支配されてしまった」
椅子に深く腰掛け、毒の抜けた様子でベルモットは語る。
「私はもう奴隷取引に関わらないと誓約してしまった。恐るべきフィンガーマンと。私の唯一の王と」
「フィンガーマン殿……? もしや、彼が言っていた取引相手とは、ベルモット男爵、あなたなのですか?」
「その通りだ。ビリー・ニールスくん。私は私の持っている奴隷財産のすべてを破棄した。闘技場も閉鎖する」
「っ」
ビリーは目を丸くする。驚愕を隠せなかった。
ベルモット・ラジャーフォードといえば、奴隷取引界の王である。
男爵という地位にありながら、絶大な求心力と権力を持っていたのはそれが所以だ。闘技場もしかり。それを手放すなどあり得なかった。
「そんな……あなたがなぜ」
「フィンガーマンがそう言うのだから仕方ない。彼が奴隷を解放したいと言うのだからそうするほかない。強者は全てを決める。それは究極の摂理。私はそれを崇拝する」
ベルモットは殴られ、暴力的に言うことを聞かされた交渉風景を、興奮冷めやらぬといった様子で語った。最後には弟含め、多くの貴族が正義の名の下に死に絶えた壮絶な出来事を語った。
「フィンガーマン。彼は王だ。私も弟も心のどこかで戦士たちを真に敬ってはいなかったのだ。あくまでその気になれば、そう例えばクリフやデンジャラスイヌ、そのほか貴族としての権力、兵、ありとあらゆる全てを尽くせば、たかだか個人に負けることはないと思っていた。今にして思えば、私は強者に絶頂しながら、それを支配できる強者である自分に絶頂していた」
「何言ってんだこの変態……」
「私は本当の意味で、組織でも個でも、決して敵わないと思ってしまった。故に自分のくだらなさを愚かしいと思ったのだ。フィンガーマンのスケール、その前では私はあまりにちっぽけすぎた。だからこそ、死ぬ前に仕事をする」
ベルモットはビリーの目を真っ直ぐに見つめて言った。
「……罪を償いたいと?」
「私は罪だと思っていないが、我が王の正義に抵触した。だから私の死とその前に仕事をして、王への謝罪とする」
「それでニールス商会に何を……?」
「私の元にいた戦士を全て引き取ってほしいのだ」
「え? 表にいたマッチョですか、どう考えても無理……」
「大丈夫。働き口なら用意してある。我が王は計略にも富む」
ビリーは首を傾げ「計略?」と問い返した。
━━翌日
ビリーとベルモットは壊れた城を共に見上げていた。
巨大な爆発によって吹き飛ばされ、正しく半壊した城だ。
ビリーは「まさか」とつぶやきながら、その破壊が誰によって行われたのかを想像した。鳥肌がブワーッとたった。
「この城の修理を請け負ってくれないか。労働力なら余っていると聞くのだが」
「え? ……あぁ、そういうことですか、あなたの戦士たちをうちで雇って、城の修繕に就かせろと……」
「どうだね」
「ベルモット、あなたは、いつか罰を受けると思ってましたが、もう受けていたんですね。……いいでしょう。その仕事、引き受けさせていただきます」
「それはよかった。我が王も喜ぶ」
━━赤木英雄の視点
第21回ミズカドレカ拳闘大会の一件が終わった。
ベルモットを三度殴りつけて「なんとかしろ」と交渉したところ、いつものように「喜んでええ!」と返事をもらったので、あとは彼がなんとかするだろう。
とりあえず今日の仕事は終わった。
長い一日が終わり、また明日から日常が始まる。
「師匠、もうちょっと詰めてください」
セイラムが俺のベッドに潜り込んでくる。
向かい側のベッドへ視線をやれば、赤髪の姉妹が身を寄せ合ったふかふかのベッドにすやすや眠っている。布団の上で眠るのは初めてとのことだったが、ぐっすりできているようで何よりだ。
なお、1つの部屋の、ベッドが2つに、人間が4人というのが現状だ、
経費削減をセイが言い出したため、おかしなことになっている。
「セイちゃん? ベルモットから優勝賞金をもらったし、こんなに無理して節約しなくてもいいんじゃないですかね?」
「えっと、それでは一緒のベッドで寝られないというか……いえ、そうじゃなくて、削れる経費は積極的に削らないとダメなんです!」
セイは声を大きくにしてムキになって言うと「もう寝ましょう、師匠!」と、ぎゅっと身を寄せてきた。
小さい頃、妹と身を寄せて寝た時のことを思いだす。セイラムは家族を失ってまだ日が浅い。寂しさを感じているのかもしれないな。蒼い髪をポンポン撫でる。
「まるで子供扱いですね……」
「? セイは子供では?」
「……まあ、そうですね」
セイはボソッと言って背を向けた。
その夜、少し狭いベッドで珍しく他人の体温を感じながら眠りに落ちた。
「━━」
遠くのほうから声が聞こえてくる。
何を言っているのかは判然としない。
「━━! ━━さん! 赤木さん!」
「むにゃむにゃ」
「こんなにモーニングコールしても起きないなんて、赤木さんのくせに生意気ですっ! たあぁー!」
目を開いた瞬間、拳が俺の視界を塞いだ。
弾き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「ぐへえ、こ、このパワーは、この俺を吹っ飛ばすなんて……」
只者じゃない!
俺はこの世界では異質なまでに強いはずなのに!
まさかミスター・Zが襲撃に!?
顔を上げる。
白と黒のモノトーンの制服を見事に着こなし可憐な美女、洗練された所作で立っている。揺れる赤髪のポニーテールと、キリッとした紅色の瞳には懐かしささえ覚えた。
「そ、そんな、どうしてここに……!」
「ふっふっふ、赤木さん、ようやくお会いできましたね」
「一体、何道さんなんだ……!」
「もしや異世界転移ごときで私の存在感が消えると見くびっていましたね?」
そう言って修羅道さんは半眼になり、怪しげに口元を歪めた。
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