地下に差し込む光
エリーの体が破裂する蒼炎に吹っ飛ばされる。
粗い砂のうえにどさっと落ちて、動かなくなった。
暗がりからざわざわとした音が聞こえてくる。貴族たちの動揺する声だ。
「今のはいったい」
「ルーンの力?」
「蒼い火のように見えたが……」
「火のルーン、なのか?」
セイラムはポケッとして、何が何だかわからない表情をしていたが、すぐに事態を察し、エリーのもとへ駆け寄った。
蒼い炎がちいさな身体をいまだに包んでいる。セイラムはどうにか「消えて! 消えて!」と願うように、ぱたぱたとエリーの身体をたたいた。炎はしだいに勢いを失い、セイラムの望んだとおりにちいさくなって消失した。
「エリー!」
声をかけると、エリーは薄く目を開けた。
視線が定まっていない。体は岩のように重たかった。
不思議なことにエリーの体に火傷は見当たらなかった。
古傷があるばかりで、新しい傷もない。
「体が動かないや……何をしたの、セイラム……」
「わからないよ、それより、炎に包まれて、だ、大丈夫!?」
セイラムの恐れていたことが起こってしまった。
誰にも打ち明けていない秘密の力で人を傷つけてしまった。
「ああ、私は負けるんだね……今度は私の番なんだ……あとちょっとだったのにな……」
「殺さないよ、絶対そんなことしない!」
「……だめなんだよ、セイラム、それじゃあだめ。お姉ちゃんは特別だったから許されたんだよ……」
ギギっと錆びついた音がした。古い機構の動く音だ。
セイラムは顔をあげ音の方を見やる。
二つある入場口。それとは別の鉄の扉が持ち上げられる。
向こう側から鬼が出てきた。
深い血の色を肌をした、巨大なオーガである。
セイラムは自分の何倍もの大きさを誇る怪物の出現に、怖気付きそうになる。
だが、キッと視線を鋭くする。セイラムは勇敢であった。
剣を拾いあげ、エリーを庇うように恐るべきオーガへ対峙した。
その様を特等席で観戦する者がいる。
イカロニクだ。ギムレットと共に見下ろす彼は、目を丸くして驚いていた。
(やはり滅びの火で間違いないようだな。自らの危険に際して能力を発動できるのか否か。まあいい。あんな物騒な火に私は焼かれたくはない。始末して、滅びの火のルーンだけ回収させてもらおうか)
イカロニクは軽く手首をまわし、方針を定めた。
ただ、すぐに行動には移らなかった。
彼は自分が部外者であり、興行に乱入することの無礼を知っていた。
もっともそれだけが理由ではなかった。
よりシンプルに自分より先に乱入した深紅の巨怪が気になったのだ。
「クリムゾンオーガ……4m級の個体だ。大したものですね、あれほど凶暴な怪物を飼い慣らしているなんて。倒すだけでも厄介なのに」
ギムレットはにやりっと口角をあげる。
「飼い慣らしてなんかいませんとも。私が産まれた時にはすでにいたのですよ」
「というと?」
「通常個体では捕獲しようにも、蹴散らされるのが関の山。あんな化け物手におえるものではありません。あれは古の時代に捕獲された特殊な個体、名をクリフ。100年の時を生きる怪物です。我々、ラジャーフォード家の言うことしか聞きません」
「……ふむ、なるほど」
(ラジャーフォード家、古くより闘技場の利権を独占できた理由がこれか)
イカロニクはこれまで数多の怪物を始末してきたが、クリムゾンオーガは中でも印象に残っているモンスターの一種だった。とにかく強いのだ。べらぼうに。並の英雄ではとてもひとりで太刀打ちできないほどに。
「本当は興行の終幕でなければ見せないのですが、今回は最高のじゃじゃ馬が入ったので、クリフに遊び殺してもらおうと思いましてね」
「あっちの赤い髪のも死ぬのでは」
「あれは襲いませんよ。兄者のお気に入りですから。クリフは賢いのです」
イカロニクは視線を闘技場へ戻す。
見下ろす先、セイラムを横なぎの殴打が襲った。
軽い体はいとも容易く吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
(遊び殺すどころか、今ので死んだんじゃないのか……?)
壁に叩きつけられたセイラムは、陥没した壁から、かさぶたが剥がれるように、ペリッと粗い砂のうえに転がった。
立ち上がることすら困難な、耐え難い痛みが少女の思考を支配していた。
全身が燃えるようだった。
喉の奥が乾き、明確な死が視界を暗くしていく。
セイラムは震える手で砂を掴み、潰れかけた片目をギッと強く開いて、血を噛んで、腰に力を入れる。
大地を踏み締めて、折れた剣を構えた。
(生きなくちゃ、父様に、言われたんだ……私が生き残った意味を、意味を見つけなきゃ、何のために……私は生かされたのか、こんなところで死ぬためじゃない!)
敵対するは遥かな怪物だ。
達人の位を踏破したものでさえ、無惨な死を迎える恐るべき怪物だ。
人類種ではとてもじゃないが、相手にならない。
セイラムがいかに不思議な力を持っていようと、それを行使したところで、死の運命を回避できる確率は0%である。
暗がりで見下ろしている者たちは、ボロボロの少女を見て好奇に表情を歪める。
虐げれて、痛めつけられて、死にゆく者を見ていると「ああ、自分があそこにいなくて本当によかった」と悍ましい安心感と、自分がそれを行えるという支配感と、見ているだけという背徳感を満たされるのだ。
死にゆく者は儚いほどよい。
可憐な少女の死に様こそ貴族たちのたどり着いた娯楽だ。
皆、期待の瞬間が訪れるのを目を輝かせて待っているのだ。
蒼い髪の可憐な乙女が、人が力を合わせてでも守らなければいけない命の尊厳のようなものが、野蛮なクリムゾンオーガの拳で、暴力的に、冒涜的に、屈辱的に破壊される瞬間を待っているのだ。
セイラムは抗う。最後の瞬間まで。
どうすればこの死を回避できるのか。
何か魔法はないものか。
ただ一言唱えれば、状況を打破できるような魔法は。
魔法を探した時、セイラムの心中にひとつ思い起こされることがあった。
「……師匠っ」
迷惑をかけまいとした命の恩人の呼び名だ。
魚捌き係としての役割しかこなせない自分をそばに置いてくれている素朴ながら世界で一番強く、かっこいいと思っている大人の名前だ。
「……」
名前を呼べばひょっとしたら来てくれるような気がしていた。
セイラムは師のことを不可能を可能に変える神ような存在だと、心のどこかで全信頼を置いていた。
しかし、名前を呼んだ後で現実を見つめなおした。
一体この世のどこに名前をよんだだけで、都合よく姿を表してくれる人間がいるのだろうか。冷静になり、セイラムは馬鹿馬鹿しくなってしまった。
(困ったら呼んでくれって……ああ、私はやっぱり頭がよくない、あんなの師匠は冗談で言っただけなのに本気にするなんて……)
セイラムのすぐ目の前にクリムゾンオーガが立ちはだかる。
腕を振りあげた。次の瞬間には巨大な拳が力任せに叩きつけられる。
ズガゴーンッ!
凄まじい破壊音が地下闘技場に響き渡った。
クリムゾンオーガでさえ、思わず腕を振り止めるほどの衝撃。
発生地点は天井だった。
天井の中心部から一気に亀裂が広がって、ぽっかりとした穴が空いた。
瓦礫が落ちて来る。天井が崩落し始めたのだ。
誰がそんな馬鹿なことを予想しただろうか。
クリムゾンオーガは機敏にその場を飛び退き、瓦礫の山を回避する。
同じく崩落の真下にしたセイラムは……その場で自分の結末を確信する。
(あっ、死ぬ)
逃げるだけの思考も働かなければ、体力もないし、時間もない。生き残れる理由が皆無だった。セイラムは悪あがきに頭を押さえて顔をふせた。自分をぺちゃんこに潰す大質量の瓦礫を見ながら死ぬほうが恐かった。
ズガガガガーン
音は鳴り止まない。
とはいえいずれ終わりは来る。
セイラムは自分が死ぬ以外の結末を想像できていなかった。
ゆえに音が鳴り止んで、まだ自分の意識があることに驚いた。
頭を恐る恐るあげる。
自分のまわりだけ瓦礫がなかった。
天文学的な奇跡によって、セイラムは瓦礫に潰されずに済んだのだ。
あるいは黒いブローチが運命を引き寄せ、彼女を守ったのかもしれない。
「姿が見えないから探しましたよ」
その声にセイラムはハッとして視線をあげた。
地下闘技場の天井が一部崩落したおかげで、昼下がりの青空が見えた。
青空より白い光の柱が暗い地下闘技場に差し込んでいる。
ふりそそぐ光の下、瓦礫に腰を下ろして、リンゴをかじる青年の姿がある。
黒いブローチ、錆びたブローチ、不規則な光を内包した白い宝石のブローチを胸に乗せているおかげで、ちょっとおしゃれに見える気だるげな大学生風だ。
「ど、どうして……」
セイラムは自然とたずねていた。目の奥が熱かった。
「どう、して、ここに……」
「呼ばれたので。困ったら呼ぶように言ったのは俺ですから」
堪えていた涙があふれた。
セイラムは安堵から崩れ落ちそうになる。
「グオオオオ!!」
おぞましい咆哮が地下に響いた。
セイラムはどきっとする。リンゴを呑気にかじる指男、その背後から深紅の恐ろしいバケモノが襲い掛かろうとしていたのだ。
「し、師匠──!」
指男はチラッとふりかえる。
拳が鼻先三寸まで迫る。
指男は表情ひとつ変えず、軽くスナップを効かせて指を鳴らした。
虚空から黄金の光と熱があふれだす。
クリムゾンオーガの肉体は衝撃に耐えられず裂けた。
黄金の破壊は怪物を勢いよく弾き飛ばした。
そして永遠の静寂を与えた。
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