貴族の道楽

 闘技場において強さとは絶対だ。剣闘士時代からの伝統、貴族社会に暗黙のもとで息を続ける興行。強い剣闘士を育て、戦わせ、魅せる。誇り被った奴隷の遊戯に他ならないが、決して絶えることことなく今日にまで続いてきた。


 粗い砂の敷き詰められた闘技場内には、うめくマッチョたちが無数に横たわり、決勝戦バトルロイヤル形式という時間短縮以外の何者でもない史上初の試みは、ここに終わろうとしている。


 最後のひとりが倒れる。

 勝者は決まった。


 闘技場のあちこちから拍手が聞こえ始める。

 やがて万雷のものに変わっていく。

 最初は理解不能な異物混入に動揺していた観衆だったが、目を見張る怒涛の無双劇に、それが戦士であるか戦士でないかなどどうでも良くなっていた。


  死を見ていないのにも関わらず、人生で経験したことない充足感に満たされていた。自分が見たかったのは死ではない。死で終わる低きを見て満足する愚鈍な悦楽ではなく、最強という高みに至った者の誰も届きえぬ頂を見上げる羨望こそ、生物として同じ人類という種として真に見たかったものであった。

 圧倒的を目の当たりにすることによって、人々は自分のなかの満たされぬ何かを完全に理解した。

 

 闘技場の最上階から酒を片手に、半分諦めた表情で見下ろしていたベルモットは、瞳を閉じ、深くため息をついた。そして当然の結末に納得した。


「その強さこそ王者の故よ。ああ、見事なる絶頂」


 静かな眼差しで、訳のわからない呟きを残し、席を立ち、拍手に加わる。

 第21回ミズカドレカ拳闘大会は足早な終幕を迎えた。


 


 ━━ギムレットの視点




 ギムレット・ラジャーフォードは変態であった。

 肥えた兄とは似つかない風貌の弟は、より悪知恵に長け、よりコアな貴族へのプロモートが得意であった。歪んだ伝統である地下闘技場の主人が兄ではなく、ギムレットに任されている理由である。


「剣闘士の歴史は数百年前に遡ります。主流から外れた部門として少女部門が誕生したのは過去50年の間であるが、実際に少女だけを対象とした剣闘士の大会は密かに行われてきたのです。ラジャーフォードが残していくべき貴族の栄華です」


 暗い部屋のなか、ギムレットは得意げに語る。

 窓辺で葡萄酒を片手に、ひとりの少女がすでに動かなくなった遺体へ、執拗に短剣を振り下ろすのを愉快げに眺める。


 その隣、緑の髪の二枚目の男がいる。

 くるくるとした髪の癖っ毛が煩わしい気だるげな男だ。

 深みを拓く教導師団より派遣されたイカロニクだ。


 イカロニクはつまらなそうな顔で「そうですか」と相槌を打つ。


 彼は貴族たちがたどり着くと言われる変態的遊戯のことは知っていたが、それについて深く関わるつもりはなかった。興味もなかった。

 犠牲になっている者たちに同情を抱かない訳ではなかったが、あくまで他人であり、人間には生まれながらに身分があることが、しっかりと思考の根底にあるならば、見せ物になって死にゆく少女たちを可哀想だと思うことはなかった。


「貴族は暴力を支配しなければいけません。我々が愚かな民を統治してやらねば、民はたちまちバラバラになってしまう。我々の品格が、貴族の優雅さが民をまとめ上げる力なのですよ」


 ギムレットは試合の傍らで、イカロニクへ最もらしい綺麗な表情で言説をもべていく。イカロニクは「そうなんですか」「なるほど」と適当な相槌を打つ。

 しばらくそんな会話が続いて、イカロニクはいよいよ煩わしさを感じ始めていた。


「貴族の品格は伝統を守ること、繋いでいくことで磨かれる。剣闘士の伝統を守るのは、ひとえに民のためというわけです」

「あのお、ギムレットさん、私にはそういう方便を使わなくていいですよ。私も上層にいる身です。そういうことはわかっています。あなた方のコミュニティを暴くつもりはないですし、何かをするつもりもないです。用が済めば去る。それだけですから」


 イカロニクは淡々と言った。

 彼の任務は震える瞳の教導師団全滅事件という前代未聞の怪事件を密かに調査することだ。

 単独で送り込まれた彼は、本来の任務を遂行するために、魔導教傘下にあるミズカドレカの有力貴族のもとに身を寄せているだけに過ぎなかった。


 ギムレットは表情をかえ、いつもの三白眼にころっと目を変える。


「兄者からは魔導教の偉い方としか聞いていませんでしたから。てっきりコミュニティに参加したい新規会員の方なのかと」

「それは勘違いですね」

「では、どうしてあの少女を? 新規会員の方は手土産を持参することは往々にしてあるのですが、それではないのですか?」


 イカロニクは早めに誤解を解いておこうと思った。


「あの少女は特別な力を持っています、それを確認したくて」


 イカロニクは震える瞳の教導師団が全滅した理由を探っていた。

 なんらかの理由がなければ全滅など起こり得ない事態だ。

 その理由を蒼い髪の少女に求めたのだ。


(蒼い髪の少女。件の予言では滅びの火を宿すとされてる。今にして思えば、この少女こそ、自分を捕獲しにきた教導師団を返り討ちにした張本人の可能性が高いのだから。滅びの火。私たちの想像を絶する力があるのかもしれない。君が震える瞳の教導師団をやったのか……ちょうどいい、戦等級を測るのにお誂え向きの場がある)


 イカロニクは抱いた疑問の答えを得られれば幸いとばかりに、貴族の舞台を利用させてもらうことにしたのである。


「必要とあれば仲裁に入ります。お許しをギムレット殿。あれは教団にとって重要な存在なので」


(もし危険な力を行使できるとわかれば、そうそうに殺してしまおう。震える瞳の教導師団を全滅させるほどの力だ。生かしたまま本国へ連れて帰るのは難しいかろう。それに滅びの火。それが魔術師たちの言うようにルーンならば、脳裏に宿るはずだ。生首だけ回収できれば問題はない)


「介入はできるだけ避けていただきたいですが、まあ、いいでしょう」


(コミュニティに介入しないってさっき言ったばかりではないか。教団の上層から来たかなんだか知らないが、態度といい、癪に障る男だ)

 

「この試合は終わりでしょう。次を彼女の番にしてください」

「先を急いでいるので?」

「そういう訳ではありませんが、ここに長居する理由もありませんので。私のような部外者がいることは好ましくないでしょう」

「なるほど。では、融通しましょう」


 ギムレットは言って「ここでお待ちを、イカロニク殿」と部屋を後にした。



 ━━しばらく後


 

 入場口では急所を蹴り上げられ悶絶する兵士が横たわっている。


 ギムレットは兵士たちを横目にしながら、頬についた血をハンカチで拭う。口の中を切ったらしい。

 彼はまさか件の少女に馬乗りされ殴られるとは思っていなかった。

 

 どこの馬の骨とも知れぬ田舎臭い少女━━少なくとも高貴な感じはない━━に殴られるなど、力ある貴族にとって屈辱以外の何者でもなかった。

 否、どんな貴族だろうと、誰であろうと、自分が精神的にも物理的にも優位性を持っている中で、反撃を喰らうなど腹が立たない訳が無い。


 しかし、ギムレットのそれは怒りではなかった。

 

「じゃじゃ馬め、ああ、いいぞ、たまらない! 興奮させてくれるじゃないか!」


 ギムレット・ラジャーフォードは変態であった。

 怒りではなく、純粋な快感と興奮を抱いた。

 兄とは違う。戦士には戦士の華の最期を求める変態性ではない。

 無力で力ない可憐な彼女たちが、己の生にしがみつくところが見たいのだ。

 貴族たちの間に漂う退廃的な共通の道楽であり、興味であり、皆が見たいと思う純粋な生の営みだ。


 抗う少女は気高いほど良い。

 最後には負けるとわかっているからこそ、高飛車であるほど良い。

 その観点で言えば、セイラムは優等生であった。


「はあ、はあ!」


 ギムレットは涙目のセイラムを抱き起こし、背後から拘束するように強く抱き、美しい蒼い髪に顔をうずめて呼吸を繰り返す。

 セイラムの肘打ちがギムレットの鼻を打つ。ボギ。音が響く。


「触るな! 気色悪い奴め!」

「未発達の美、強く握れば壊れてしまうガラス細工のようだ! この薄く、細い、腕の中に完全に収まる、儚い抱き心地は、かのフェールダーの少女像のようではないか! どうすれば生命の神秘がこの芸術にたどりつける!」 

「やああ!」


 恍惚とするギムレットへ、飛び蹴りを食らわせるセイラム。

 ギムレットはハッとして、受け止め、軽い体をぶん投げた。

 投げられた先は闘技場内の粗い砂のうえだった。


「とっておきと戦わせてやる、楽しみにしておけ」


 入場口がガシャーンっと勢いよくしまった。

 セイラムはローブについた砂を払い、立ち上がる。

 燃える炎の灯りが戦いの場を照らしている。


 視線を上へ向けると、暗がりに人の気配を感じた。

 地上の闘技場のような熱気はない。

 静かで、邪悪な、湿度の高い空気だ。


 セイラムは闘技場の隅を見やる。

 恐ろしさに息を呑む。

 端っこには少女の遺体があったのだ。ひとつやふたつではない。

 どれも血に濡れていて、とても生きているとは思えなかった。


(いったいどうしてこんなことが許されるの!)


 セイラムには難しい世界のことなどわからなかったが、目の前の現実が邪悪な思惑のもとに行われていることだけは断言できた。


 程なくして向かいの入場口が開いた。赤い髪の少女がてくてくっと出てくる。手には剣を2本持っている。1本をセイラムの足元へ投げた。


「エリー……?」

「こうなちゃったら仕方ないね。お姉ちゃんがなんとかしてくれるの。私をここから助けてくれる。だから、ごめんね、今死ぬわけにはいかないんだ」

「戦う必要なんてないのに……」

「無理だよ。お貴族様には逆らっちゃいけないんだもん。逆らったらお仕置きされるの。お姉ちゃんはすごい。お姉ちゃんは英雄だから優しくて、強いから、相手を殺さなかった。でも、私は弱いんだ」


 エリーはため息をついてザッと駆け出した。

 セイラムは無我夢中で剣を拾いあげ、刃を受け止める。

 がぢん! 激しい金属音が鳴った。黄色い火花が焦げ臭い。


「だから、相手を殺さないと、生き残れない……っ」


(力が……強い!)


 セイラムは全身で受け止めるが、体ごとフワッと弾き飛ばされてしまった。

 続く二振り目。セイラムは得意とする柔らかい剣技で持って、横なぎに振られた暴力的太刀筋を受け流し、壁際に追い込まれないように、エリーの背後へまわりこんだ。


 その時に見た。

 エリーの背中に刻まれた夥しいミミズ腫れの傷跡を。

 身もすくむような耐え難い時間がセイラムにも想像できた。


「すごい、こんな強い子、初めて、お姉ちゃんみたい」

「エリー、お願い! こんなことやめようよ! 一緒にあのキモいやつ倒せばなんとかなるって! 悪党を倒すのが一番の解決策だって師匠言ってたもの!」

「だめだよ、お貴族様に逆らうなんて。自由になりたかったら、お貴族様のお許しを得ないと」


 エリーは力強く踏み込み、セイラムを両断するように、両手で剣をフルスイングする。セイラムは先ほど同じように受け流そうとした。だが、次の一振りは想像を上回っていた。


 セイラムの手から剣が震えながら弾け跳ぶ。

 

「ごめんね、セイラム、ありがとう……お仕置きされずに済む……」


 エリーは泣きながら言って、剣を振り上げた。

 セイラムは死を覚悟し、手をかざす。手のひらが温かくなった。

 その時、蒼い炎が爆発するような勢いで溢れ出した。

 エリーは神秘的な炎に飲まれ吹っ飛ばされてしまった。

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