英雄を越えし位と地下闘技場

 ━━ベルモットの視点


 ベルモットは痛みに頬を押さえながら、賢者のような眼差しで、闘技場を見下ろしていた。


(頬の骨が折れている。これは数ヶ月は食事に響く。どいつもこいつも私の左頬ばかり殴りおって。強者の拳。たまらんじゃないか)


 ベルモットは振り返る。外側の窓へ首を向ければ。半分だけ崩れた白い城が見えた。指を鳴らすだけで破壊された、ベルモットと弟が築いた栄光の証だ。


「ギムレットのやつになんて説明しようか。そもそも説明できるのか、あのまるで説明不能の能力、規格外の男を……」


 フィンガーマンがどんな手段を使って城を破壊したのかはわかってはいなかった。おおよそ強大なルーンの力を行使したように考えていた。


「そもそも人間にできることなのか、城を破壊するなどといったイカれたスケールのルーンを使うことが。人間に許された領域を超えているんじゃ……一体やつは何者なのだ……」


 ベルモットは視線を闘技場へ戻す。

 36年もののノワールドワインをグラスで揺らして空気と混ぜる。

 第21回ミズカドレカ拳闘大会の最後の試合を見届けるのだ。決勝戦を。


 本来なら夜までかかる大会で、決勝戦は松明の明かりのもとで行われるのが慣例であるが、今回はイカれた奴のせいでスケジュールが大幅変更されてしまった。


 今はまさに最終試合だ。

 『トーナメントに参加したすべての戦士』vs『黄金の指鳴らし フィンガーマン』という、一見して訳わからない対決が行われている最中である。


 フィンガーマンは黄金の剣を片手に、迫り来るマッチョどもをバッタバッタとぶっ倒し、転がせ、吹っ飛ばしまくっている。


 筋肉量の差などなんのその。

 60人に囲まれてるのがなんだ。

 手数の差がなんだ。


 彼にはあらゆる常識が通用しなかった。

 驚愕するべきはフィンガーマンは対戦相手を決して殺さない点だ。

 剣をふりまわしているが、あくまで剣の腹で殴りつけているにすぎない。

 相手への慈悲を忘れずに、涼しい顔で何十人もの戦士をあしらう。


「英雄の位……否、英雄を越えし位、王に近づく者か……まさかこれほどの強者が私の知らないところにいたなんて……」


 ベルモットはプルプルと震え、痙攣し出し、足をピーンッと伸ばす。


「うぉ、おぉ、最高だ、お前は最高がすぎる、こんなに私をイカせてくれる存在が人間にいるなんて……!」


 エクスタシーはフィンガーマンがすべての戦士を無力化したところで最高潮に達し、押しては返す絶え間ない快感となって変態を支配した。


 決定的現場に入室者があった。

 乱れた白い髪をハラリと揺らす女だ。


 狂犬のサラである。

 彼女は頬の痣をさすりながら、険しい顔で闘技場を見下ろす。


「ベルモット、一体、何がどうなってるの、あいつがどうして闘技場に……」

「ああ、サラ、やつはとんでもない男だった。あれは英雄を越えし位に到達しているぞ! 最高だ! 絶頂!」

「あいつ……」


 サラは最後の記憶を思い起こす。

 フィンガーマンに強烈な殴打をお見舞いされた、今の今まで気絶していた彼女は、屈辱的な感情で満たされていた。


(この私を負かしたつもり? ふざけんな、無名が。私は白髪のサラだぞ。深みを拓く教導師団にいたんだ、あの狂信者どもにだって実力と才能を買われてきた)


 倫理観の破綻したサラにもひとつ譲れないものがあった。

 彼女は暴力への畏敬を持っていた。それは純粋な畏敬ではない。

 自分の才能への畏敬だ。有体言えば自身に誇りを持っていた。


「頭きた」

「さ、サラ、何をするつもりだ」

「うーん何すると思う?」

「やめておけ、私はお前のことを高く評価しているが、アレはおかしい。お前は強者だ。だが、アレもまた強者だ! それも超一級を超える強者だ。あんなやつは見たことがない。あいつは何か、なんというか……私たちの知らない別の次元から迷い込んだような……そういう元々の規格が異なるようなイカれ方をしてる気がする、人間の到達できる場所を、すでに踏み越えている……」

「だから何。英雄を越えし位? それって王の位に近いって言いたいわけ? 私より強いってあんたも思ってんだ、ベルモット」


 サラはベルモットを裏拳で殴り飛ばす。

 血反吐を吐き、ワインを放りこぼす。

 

「なんでお前まで、私を殴るのだ……!?」

「あいつをぶっ飛ばしてやる。力関係はさ、はっきりさせておかないといけないんだよねえ」

「ま、待て、どこへ行くつもりだ!」

「決まってるじゃん。装備取ってくるんだよ。この装備じゃ無理なのは認めてやる。だけど、本気のマジックアイテムで固めた私をあいつに見せてやらないとさあ」

「そんなこと私は命令していないぞ、やめろ、アレはやばい! そうだ、私の城を見ろ! あの有様を! あいつは指を鳴らすだけで城を吹っ飛ばすような━━」

「今日で退職するよ。今までありがとね、ベルモット」


 サラは言って足速に部屋を出ていった。



 ━━セイラムの視点



 口のなかをジャリジャリとした不快感が襲う。

 セイラムは「ムゥ」と唸りながら目を覚ました。

 薄暗い牢屋の中、蒼い瞳がぱちくりっと瞬かせられる。


 牢屋は湿っていて、カビが生えていて、隅っこには濃い塵が積もっている。

 ハエのたかる排泄所も備え付けられている。粗い布が敷かれた簡易的な寝床にセイラムは寝かされていた。


 牢屋の外には居眠りをする痩せた男がいる。

 サイズの合っていないブカブカの革鎧を着た男だ。

 隣には薄カビた机があり、机の上にはトランプと酒瓶が乱雑に置かれている。

 

「起きたんだ」


 声にびっくりしてセイラムは肩を震わせた。

 暗がりの方へ視線を向ける。


 闇のなかに赤い瞳があった。

 セイラムは身をこわばらせた。

 さっきも同じような恐怖を抱いたので、すぐにわかった。


「ヴァーミリアン、ですか……?」

「わかるんだ。あなた他にヴァーミリアンを見たことがあるの?」

「うん」


 セイラムはドキドキしながら答える。

 ヴァーミリアンは目の前にいるだけでなんとなく恐かった。

 赤い瞳と赤い髪色が攻撃的なだけでなく、顔つきも精悍で、キリッとしているので、襲い掛かる好機を狙っていそうな、そんな雰囲気があるのだ。


 震えながら腰の辺りをペタペタ触り、剣を探す。

 ない。剣がない。セイラムは冷や汗をかく。


「剣を探してるの? 私が恐いから?」

「だって恐いですもの……どうしてそんな恐い顔するの?」

「恐い顔してないよ。今は戦わなくていいんだもん」


 言いながらヴァーミリアンは暗がりからずいっと出てくる。

 セイラムと歳の変わらなそうな少女だった。

 思ったより可愛い顔をしているなっとセイラムは恐怖心を薄れさせた。もっとも鋭い目つきと、キリッとした表情に変わりはないのだが。


(素の表情が戦い向きなんだ)


「あなた名前は?」

「セイラムです。あなたはなんていうなの?」

「エリー」


 少女━━エリーは言って壁に背を預けてあぐらをかく。

 彼女は肌の露出の多い格好をしており、割れた腹筋を持っていた。

 身体も全体的に厚い。セイラムは「すごく強そうだな」と本能的に感じた。


「あなたの髪、すごく綺麗。どうしてそんなに蒼いの。見たことない」


(そんなこと訊かれても生まれつきだから答えようがないよ)


 セイラムは返答に困ったが、沈黙していたらボコされると思い、プルプル震えながら「蒼い草をたくさん食べました……」と目を逸らしながら言う。


「どうして嘘をつくの?」


 一瞬でバレるしょうもない嘘にセイラムは羞恥と恐怖から、頭を抱えて「ごめんなさい、ボコさないでください……っ!」と叫んだ。

 

「うるせえぞ! クソガキども、痛い目にあいてえのか!」


 檻の外、先程まで居眠りしていた男が目を覚まし、大声で怒鳴りつけた。

 セイラムはびっくりして身をすくめる。だが、すぐに目つきを鋭く睨み付け言い返そうとした。ヴァーミリアン相手でなければ、元来の気の強い自分を発揮できた。


「喧嘩したいの! 相手になってあげ━━」

「ごめんなさい。静かにします」


 エリーはセイラムの口を押さえて無機質に謝る。ファイティングポーズを取ろうとしていたセイラムは沈黙する。

 牢の番は「チッ、クソガキどもが」と席を離れてあっちへ行ってしまった。


「あれはニック。謝れば殴ってこないよ。だから簡単なんだ」

「……(プルプル)」

「私はあなたをボコしたりしないよ」

「ごめんなさい、私のせいで怒られたんですよね」

「気にしないで。あなたは奴隷じゃないもの。わからないのは仕方ないよ」


 エリーは「私にもわからないことがあるんだ」と付け加える。


「わからないこと?」

「どうしてあなたはこんなところにいるの。あなたの目は違う。キラキラしてる。雰囲気も何もかも」


 セイラムは自分がどうしてこんなところにいるのか考える。


「っ、そうだ、緑の男が急に現れて、迷子になったのを親切に助けてくれたと思ったのに!」


 意識を失う直前、騙されたことへの失望感と絶望感、簡単に知らない人について行ってしまった自分の間抜け具合にやたらと腹が立ってきていた。


(それにあいつ蒼い髪の少女って言ってた! きっとパール村を襲った教導師団の関係者なんだ! でも、だとしたらどうして私はこんなところに? ここは教導師団の牢屋なのかな。捕まえた獲物を放り込んでおくための)


 セイラムは父とその仲間たちと狩りに出かけた時のことを思い出す。獲物を弓で仕留めたり、罠で捕獲したりしたら、必ずカゴに入れていた。自分は今そういう状態なのだろう、と。


「きょうどうしだん……?」


 セイラムはエリーに聞いてみたが、エリーは眉根を顰めて首を傾げるばかり。

 教導師団という単語すら聞いたことがないという具合だった。


「きょうどうしだん……が何かはわからないけど、ここは多分それじゃないよ。ここのことは私がよく知ってるもの」

「それじゃここはなんなの?」

「闘技場。貴族たちに私たちみたいな女の子の殺し合いを見せる場所だよ」


 エリーは虚な眼差しで言った。

 セイラムは瞳をパチパチさせる。


(殺し合い? まさかここは拳闘大会の……)


 エリーは視線を隣の牢へやる。

 セイラムはそこで初めて気がついた。

 ズラーっと並んだ牢屋、その全てに少女たちが閉じ込められていることを。

 みな、並々ならぬ殺伐とした雰囲気を放っている。

 歳は同じくらいだが、自分とは決定的に違うタイプの人間だな、とセイラムにはすぐにわかった。


(これが地下闘技場の剣闘士、なの……?)

 

「ほら、出番だぞ。蒼い方だ」


 突然、声をかけられた。

 2人の兵士によってセイラムは檻の外へ出される。

 連行される直前、エリーの皮の厚くなった手がセイラムを掴んだ。


「優しさでは生きれないよ。迷わずに殺した方がいいよ」


 エリーの光のない瞳に、セイラムはこれから自分に降りかかる試練に勘づいた。蒼瞳をキリッとさせ、意志を強く宿した。


「私は殺さないよ。師匠の教えだから」

「……お姉ちゃんみたいなことを言うんだね」

「何を話している、早くこい!」


 セイラムは闘技場の入場口まで連行された。


「ほほう、この娘がイカロニクの連れてきた特別な少女か」


 入場口にはたくさんの兵士たちと共に、異質な男が待っていた。

 細身の男だ。恐ろしい顔立ちをしている。小さな黒目の三白眼に、こけた頬、肌色は悪く、見る者全てに「ヤバさ」が伝わる。

 不思議と品があり、線の細い体によく似合う落ち着いた服を着ている。


「顔をよく見せておくれ」

「っ」


 男は歩幅の長い一歩で近づくと、セイラムのフードを強引にめくり、彼女の細い顎を掴んで、舐めるように見てきた。


「おお、美しい娘だ! いいじゃないか!」

「や、やめて、やめろ汚い……っ!」

「あはは、口の聞き方がなっていないな。このギムレットを恐れないか」

「お前は、この地下闘技場の主人か……!」

「おお、よくわかったな」

「悪そうなやつは顔でわかるもの!」


 セイラムには師匠より受け継いだ教えがあった。

 『金はすべてを解決する。暴力もまたすべてを解決する。悪党は殴りなさい』

 一番悪い奴を殴り飛ばせば、だいたいのことは解決するとセイラムは解釈していた。


 セイラムはカッ眉根を顰め、ヤバそうな男━━ギムレットの頬をぶん殴る。

 まさか幼い少女に自分が殴られるとは思っていなかったのか、ギムレットは大変に驚いた顔で尻餅をついた。


 セイラムは隙をついて両脇を固めている兵士の股間を蹴り上げ、悶絶して下がってきた頭を掴んで、顔面に膝蹴りを打ち込んでトドメを刺すと、来た道を戻るように駆け出す━━訳ではなく、ギムレットに馬乗りになって顔を殴りつけ始めた。

 

「女の子は宝って父さんは言っていた! こんなお前みたいな命を大事にしないやつは嫌いだ、死ね!」


 2発殴ったあと、今度はセイラムが殴られた。

 大人に頬を打たれ、ズキズキと激しい痛みがセイラムを襲った。

 のっそりと立ち上がる細身の長身。


「じゃじゃ馬め、ああ、いいぞ、たまらない! 興奮させてくれるじゃないか!」


 ギムレットは頬を染め、高揚した様子で言った。

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