すかす童貞

 ネゴシエーター赤木の前ではあらゆる交渉が成立することは有名な話だ。

 今回の案件も例外ではなく、実に平穏にお互いが納得する形で帰着を見た。


 俺は赤髪の女の子へ向き直る。

 赤い瞳がたいそう大きく見開かれ、こちらを見てきていた。


「言ったでしょう。俺は交渉が得意なんです」

「いや、これは交渉というより、他のなにか……」

「特に悪い奴との交渉は得意でしてね。国会議員のお墨付きをいただくほどですから、それはもう特技と言って過言ではないです」

「話を聞いていない……?」

「ところで、これはもう解放されているんですかね」


 女の子へ尋ねる。

 彼女は「これが見えないのか」と顔を横に向ける。

 服の中から首筋を駆け上がってくるように黒い線が走っている。

 さらに肩を俺へ見えるようにはだけて見せてきた。

 黒い模様が地割れのように皮膚に広がっていた。

 全然気づかなかったが、意識してよく見れば、彼女の右半身には黒い血管模様のようなものが走っていた。


「これは……」

「奴隷の烙印だ。奴隷のルーンとも言う。古い魔術の力が貴族たちには受け継がれているのだ。これが私が奴隷であり、母も、祖母も奴隷の身であり続けた理由だ」


 彼女は忌々しそうに言った。

 話によれば奴隷は皆この模様を刻まれているという。

 肌身に纏う布は往々にしてこの模様を隠すために纏っているらしい。

 

「奴隷は生まれた時から奴隷だ。骨に染みついたルーンから逃れることはできない」

「消せばいいじゃないですか」

「どうやって」

「なんか塗るとか」

「子供か」


 女の子は半眼になってボソッと言う。


「魔術的な模様だ。見えなくすることはできない。ベルモット、教えてあげてくれ。この恐ろしく強く薄い男は世間知らずなのだ」


 デブを見やる。

 脂汗をかきながら、机を手をつきながら立ち上がる。

 一息つきたいのか、手で「ちょっと待ってくれ」みたいなジャスチャーをすると、机のうえに置いてある酒瓶を掴んだ。


「飲んどる場合か」

「あぁ! 35年もののリノワールドワインが!」

「飲みながら観戦とはいいご身分だな」

「当然だろう、私は『強さ議論』の著者であり、闘技場の主ベルモットだぞ!」

「奴隷の烙印とはなんだ」

「ぐへえ、いちいち胸ぐらを掴まんと話ができんのか、お前……っ!」

「悪党とデブとブスに暴力を振るうことになんの躊躇がある。お前はハットトリックだ。万死に値する」

「私は殺されるのか!?」


 胸ぐらを掴んだまま壁に叩きつける。


「ぐへっ、わ、わかった、話すから、離してくれ……っ、息ができん……!」

「離すから、話せ」

「る、ルーンは、奴隷のルーンは、世代を超えて、親から子へ受け継がれる呪いだ……奴隷の主人は奴隷に対して、絶対の命令権を3回まで行使できるのだ……」


 命令できる呪い。令呪と名付けよう。俺が考えた。もう特許取った。


「命令権は絶対だ……効果範囲にいれば、自害だってさせられる。まあそれを抜きにしても、子供の頃から飼われてきた奴隷は、主人に逆らうという思考にすらならん……。最もそう言う思考に陥ったやつは少年少女の段階で間引かれるだけなのだがな」


 烙印がまだ残ってるから、彼女は逆らえないと言うわけか。


「竜皇は奴隷を廃止したんじゃなかったのか」

「……存外、楽観的な考えを持っているんだな、お前は……奴隷制度の廃止は、新しくルーンが刻まれるのを廃止しただけだ、世の中の市民は自分が新しい奴隷になる可能性が消えて安堵した……市井の興味はとうの昔に奴隷へ向いていない。確かに今から奴隷が増えることはない、だがそれだけだ……刻まれた奴隷のルーンは受け継がれると言ったろう、過去奴隷だった者の子は社会が変わろうと奴隷のままさ……そうして商品でありつづけるのさ」

「胸糞の悪い話だ。烙印は消せるのか」

「知識ある魔術師ならば……」


 このデブきもブスジジイに勝手に命令権を使われる可能性を残すのはかわいそうだ。烙印を消すところまでは付き合うとしよう。


 京都へ修学旅行に行くバスがパーキングエリアに寄る、別にあんまり喉乾いてないけど、普段あんまり見ないカップ式自販機でココアを買う。それくらいの気分で目前の悲劇を片手間につぶそう。


 俺はベルモットをまた放り捨てる。

 ゲホゲホっとえづき、深く息をくりかえす。

 

「奴隷の烙印を消せる者を紹介しろ」

「今はいない、な……親父が生きていた頃はうちにもいたが……奴隷の烙印を消すことなぞはなから考えていない、当然だろう」


 困ったな。

 誰かルーンに詳しそうな人がいればいいのだが。

 ん? 待てよ。そういえばいたな、魔術師がひとり。


「第二試合までしばらく時間があるな。ちょっと外へ出たいのだが」

「何をするつもり、だ……?」

「お前には関係ない。試合には出るつもりだ、必ず戻るから無効試合などにしてくれるなよ」

「お前、この状況で、私の主催する大会に出続けるつもりなのか……?」

「当然。優勝したらなんでも願いを叶えてくれるんだろう」

「なんて強欲なやつだ、だがそれでこそ強者……っ、いいッ!」


 変質者から目を逸らし、俺は女の子へ向き直る。


「薄い男、お前、本当に私を助けてくれるのか……?」

「ええ。美人には優しくするのがモットーなので」

「なにもかも変だぞ、お前。そんな理由で、あのベルモットをこうも、ボコボコに……」

「俺にとっては道端の雑草ですよ」

「お、お前、この私を道端の雑草などと……なんという強者ッ! 絶頂ッ!」


 ベルモットはびくんびくん痙攣し、股を濡らしながらその場に倒れ込んだ。


「マジできめえ」

「同感だ」


 俺と彼女は部屋を退出する。


「まさかこんな簡単に解決するなんて……」

「一見困難に見える問題も、時には驚くほど簡単に片付くものですよ。不機嫌な妹をどうしたものか試行錯誤した結果、課金すると突然機嫌を直してくれたりします。それが世の理なんです」

「難しい事を言うのだな。私にはお前の言っていることがさっぱりわからない。だが、なんとなく含蓄のある言葉に聞こえる」


 彼女は「勉強になる」と腕を組んで思案げにする。

 ふと彼女はハッとする。


「薄い男」

「なんですか」

「お前の名前をまだ聞いていなかったな。命の恩人だ。礼を尽くしたい」

「フィンガーマンで通してます」

「変わった名前だ。フィンガーと呼ばせてもらう」

「その呼ばれ方は初めてですけど、構いません。好きに呼んでください」

「何か礼をしたい」

「礼と言われましても、今求めているものはあなたに叶えられるものじゃないと思いますよ」


 誰もいない通用口で俺は腕を組んで思案する。

 闘技場では試合が行われているのか、分厚い壁の向こう側から、熱気と歓声が響いている。だがここは静かだ。祭りの中心地から離れた秘密の静謐がある。


「男なのだろう。私の体を使ってもいいぞ」


 え? それはつまりそういうことですか?(童貞)


 彼女は赤い髪を耳にかけ、まっすぐ見上げてくる。

 取り立てて動揺した様子はない。

 恥ずかしがることもない。

 ただごく淡々とした顔。

 ラブコメ的なロマンティックはない。

 彼女が提示できる価値のひとつ。

 それ以上の意味はないという表情だ。

 そうか。この女の子はごく日常的にその価値としての役割も果たしてきたのだろう。他ならぬベルモットにとっての価値として。何せ奴隷なのだから。


 彼女は戦士の中では、まともだが、やはり俺と同じ価値観なわけがなかった。

 奴隷は皆、とっくにまともじゃない。

 否、まともでいられた訳が無い。

 

「どうした、私の体に興味はないか」

「あんまり」


 俺はすかした。

 おっぱいとか柔らかいんだろうな、でもすかした。

 えちなことに大変な興味はあった、だが鋼の精神で押し殺してすかした。


「そういえば。まだ名前を聞いてなかったですね。名前を教えて教えてください。それを礼として受け取ります」

「気取った男だ……クゥラだ」

「クゥラですか。冷たそうな名前ですね。温度的な意味で」

「名前だけで礼とするなどできない。必要なら私を使っていい」

「みくびられたものです」

「……すまない、私は外の世界の常識を知らない。奴隷の身分にあるものが身体を差し出すことは失礼に当たることだったのか」

「俺にもわかりません。俺も世間を知らないので」

「そういえば同じだったな、お前と私は。しかし、だとしたらなぜ。私はお前の、フィンガーマンの好みではなかったか」

「まさか。クゥラはとても綺麗だと思いますよ」

「余計にわからないな。なぜ抱きたがらない。私は若く、容姿にも問題ないと言う」

「ひとえに俺の価値観にそぐわないだけですよ。俺は俺の正義の奴隷なんです」

「難しい事を言うのだな。だが、お前が優しいことだけはわかるぞ」

「……早く行きましょうか。俺はまだ試合に出るつもりなので、ここでおしゃべりしている暇はないんです」


 この赤木英雄、クールに己の正義をまっとうしようじゃないか。




















































 ……おっぱい(後悔)

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