まともな戦士

 第一回戦が行われている。

 俺は戦士と闘技場、それに歓声を上げる者たちに薄気味悪さを感じながら、それを”そう言うものだ”として飲み込んで観戦していた。


 ただ一方でずっと疑問もあった。

 だから試合観戦の最中、控え室にて戦士たちにワンパンへしたものと同じ疑問をぶつけた。

 死ぬことが恐くないのか。敵でもないのに対戦相手を殺すことの虚無感や罪悪感は感じないのか、と。彼らは死への恐怖も、罪悪感もないと答えた。


 この場にいる戦士は皆がどこかの貴族に仕えているらしかった。

 生まれた時から闘技場で生き、貴族たちに売られたり、買われたりして、主人を転々としつつ、主人のために戦うのだそうだ。


「お前は戦士ではないから、そんなことも知らないのだな」

「世間知らずなものでして。教えてくれて助かります」

「では、剣闘士の壁も知らないのか?」

「壁ですか」

「100回だ」

「?」

「100回勝てば壁に名前が刻まれる。旧剣闘士時代から脈々と受け継がれてきた伝統と歴史ある名誉の壁だ。そこに名を刻むことを戦士は生涯の目標とする」


 ある戦士は俺に色々なことを教えてくれた。

 戦士たちの給与体制、生活、普段何をしているのか。

 

 聞いた話をまとめた感じは奴隷と言う印象しか出てこなかった。

 主人の命令がなければ闘技場の外へ出ることは許されず、街へ出ることは許されず、給与はなく、闘技場の中で生まれ死んでいく。異様な小さな社会。


「長く生きたいとは思わないんですか」

「長く生きたいと思うのか?」

「常識の範囲では」

「そうなのか、戦士じゃないと長生きしたいと思うのか」

「長く生きていれば楽しいことや、嬉しいこと、夢を叶えることだってできるかもしれないでしょう」

「生きることは闘うことだ。楽しくも嬉しくもない。夢は壁に名を刻むことだ」


 戦士は考え方が変だ。

 長く生きるとか考えてない。

 破滅主義者というか。死へ向かうことが生きることだと語る。

 哲学的だが、多分、深い意味はない。

 彼らはそれ以外知らないんだ。


 戦士は戦いを望んでいるようだし、それが誉だとも言っていた。

 だが、それは他に何も知らないからそういう風に考えるだけなんじゃないか。

 こいつらは俺が想像しているより、ずっと……虐げられているのかも。


 そんな想像が浮かんだ時のことだった。

 馬鹿でかい司会の声が響き渡った。

 マイクとかないので地声だ。


「お待たせいたしました! 第9試合、本大会唯一の女戦士にして、火のルーン山脈よりヴァーミリアンの登場だあ!」

「うおおお!」


 すごい歓声だ。

 あの赤髪の女の子が出てきた。

 剣と丸い盾。オーソドックスな装備。

 表情は睨んでいるわけでもなく、怒っているわけでもない無愛想な顔。

 ひたすら不機嫌といった具合だ。眉間に皺が染み付いてしまっている。


 観客の声から期待されていることがわかる。


「対するは伝説の戦士! 本大会最有力優勝候補! 現在までに99勝を重ね、今回の試合で記念すべき100勝目を狙います! ガーゼット・ウルフェンダああああ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおお!!」


 歓声のレベルが一段階上がった。

 入場口より出てくるのは巨体の男だ。

 視界に入っただけで闘技場が少し狭くなったようにすら感じるほど。

 筋骨隆々の体にはあまたの古傷が刻まれている。

 

「誰なんです、あれ」


 隣に色々教えてくれた戦士がいたので尋ねる。


「そうか、お前は戦士じゃないから知らんのだな。やつは伝説だ。俺が戦士としてデビューした時から伝説で、今なお伝説だ。ウルウェンダ男爵の権威そのものと言えるかもしれない。女ヴァーミリアンも不運だな」

「勝てないんですか」

「あのヴァーミリアンが男であればあるいは勝てたかもしれないがな。怪力無双のやつを前には女ではどうにもならん」


 修羅から始まって道で終わる名前の人のせいで女が弱いという発想が欠如していたが、常識的感性に立ち返ってみれば、男だらけの中で、あの女戦士はやはり不利なのだろう。


「でも、あの子、絶望はしていないですけどね」

「なんだと?」


 絶望した顔は知っている。

 これまで何度も見てきた。

 

 女戦士がこちらを見上げてくる。

 見てろ、とでも言っているような気がした。


 

 ━━クゥラの視点



 クゥラは膝をつき、荒く息を吐く。

 近くには割れた丸盾と折れた剣が落ちている。


 肩口をバッサリ切られ、頬にも一太刀掠めてしまった。

 伝説の男ガーゼット・ウルフェンダとの決闘が始まって4分が経過した頃、たくましく持ち堪えていたクゥラの死が濃厚になってきていた。


 クゥラの前で戦斧を担ぐ巨漢は、汗を拭う。

 

「少女部門の噂は聞いていた。負けなしの伝説がいると。なるほど、見事だ。ヴァーミリアン、お前は強い。女だが、この闘技場にいる中では俺の次に強いだろう」


 ガーゼットはクゥラの善戦を称えた。


「俺の100勝目にふさわしい相手だった、この10年の中でお前が一番強かった」

「……」

「ひとつ尋ねたい。ある噂を聞いた。お前は対戦者を殺さないと」

「……」


 クゥラは赤い瞳でガーゼットを見上げる。

 

「あんたも殺さないよ、ガーゼット」

「面白い。ジョークが言えるのか。だが、戦士ではない。どうして殺さない。まるで理解できない」

「理解してもらうことなど、とっくに諦めた。戦士にはわからない」

「だろうな。ふん、戦士なのに主人の顔を立てぬとは、誇りなき所業だ」

「外から来た薄い男を知っているか」

「……?」


 ガーゼットは首を傾げる。


「薄い男だ」

「やつか。軟弱な冒険者とのことだったな。興味はない。たまに公募で参加してくる賑やかしの挑戦者だ。挑戦者が第3回戦まで生き残った試しはない。次で死ぬ」

「戦士になれない私をどこかで恥じていた。だが、もう恥じていない。奴と話してようやく確信を持てた。おかしいのは私たちなんだ。拳闘大会など、気持ち悪い殺し合いだ。ここに誉などない」

「闘技場の誉を愚弄するか!」


 ガーゼットは青筋を額に浮かべ、戦斧を振り上げる。

 ものすごい腕力で振り下ろされる重厚な刃。

 斬ると潰すを同時に行うソレは、容赦無く叩きつけられ━━受け止められた。他ならぬクゥラによって。


 クゥラは両手で戦斧のポール部位を握りしめ、斧を止める。全身の筋肉が隆起し、血管が浮かび上がり、蒸気が立ち上り、赤くゆらめくオーラがモワモワと立ち込めている。


「っ、ヴァー、ミリアン……」

「らァアッ!」


 クゥラは不機嫌な顔をさらに顰め、戦斧を力づくで引っ張って、ガーゼットから取り上げると、膝で蹴り折ってしまった。

 あまりにも暴力的、野蛮な所業に、闘技場の歓声さえ失われ、驚きに静けさがやってきた。

 そんなこともお構いなしに、クゥラはガーゼットの腕を掴むと、力任せに自分の何倍もある体を背負い投げた。

 硬い地面が陥没し、放射状に亀裂が走る。叩きつけられたガーゼットは血を吐く。分厚い筋肉の層を持ってしても悶絶する衝撃だった。


 クゥラの暴力は止まらない。

 太く健康的な足を振り上げると、思い切り振り下ろす。

 人間離れした怪力を見ていた者たちは嫌でも察する。

 あのパワーで踏まれたら人間の頭など果実のように潰れてしまう、と。


 盛大に土埃が舞いあがる。

 クゥラの足はガーゼットの顔横の地面に深く突き刺さっていた。


「私は殺さないッ! 私はまともだッ!」

「う、うぅ」


 ガーゼットは全身から滝のような冷や汗を流し、掛けられた慈悲にほっと安堵した。

 クゥラはギッと顔をあげ、闘技場の最上階特等席を睨みつける。


「お前の思い通りになどなるものか! ベルモットッ!」


 ニチャニチャした笑みで観戦しているだろう男へ声を高らかに叫んだ。



 ━━ベルモットの視点



 特等席のベルモットは険しい顔をしていた。

 

(厄介なことになった。まさかクゥラがあそこまで強いなんて。私でさえ推し測れていなかった。伝説の戦士ガーゼットが負けるなんて思わない。しかし、だからこそ愛おしい。クゥラ。なんて強いのだ。気高い生き様なのだ。美しく、純粋で、優しく、最強。なんだそれ、もう究極ではないか! 絶頂!)


「お、オッフ、うぉぉ、つよすぎぃ……!」


 強者の活躍に敏感に感じ、びくんびくんっと痙攣するベルモット。

 傍では白い髪の女が「うへえ」と怪訝な顔で主人の特殊性癖に引き気味だ。


「そんなことよりまずいんじゃないの。あの女剣闘士さ勝っちゃったよ? いきなり最強の駒をぶつけて破られてんじゃ、この先にあのメス止められるの残ってないでしょう?」

「まあそうだな」

「なんで最初にガーゼットぶつけたの。トーナメントは連戦なんだから、数をぶつけてぶつけて、削った後で決勝でガーゼットと当たらせれば興行的にも思惑的にも完璧でしょう?」

「お前は何もわかっていないな、サラ。2年も私のところにいると言うのに」


 ベルモットは油ぎった顔をキリッとする。


「私が早く見たかったのだ。このカードの組み合わせを!」

「はあ……」

「しかし、我儘を通した後は責任を取らねばならん。ここで見事に戦って、ガーゼットに殺されれば戦士として完璧だったが、生き残ってしまっては仕方ない」


 ベルモットは理知的な眼差しで、闘技場から見上げて睨みつけてくる気高い戦士を見下ろした。


「サラ、クゥラを怪我させてこい」

「どんくらい」

「斬りつける程度で構わん。命までは奪うな」

「強者への敬意が聞いて呆れちゃうんだけど」

「奴は舞台で死ぬべき逸材だ。平和などを求めるべきではない。伝統ある剣闘士の歴史に名を刻んで逝くべきなんだ」

「あっそ。まあいいや、なんでも」

「サラ」


 ベルモットの声にさらは振り返る。

 白い髪の隙間から視線を通し「まだ何か?」と言外に尋ねる。

 

「お前まで負けてくれるなよ」

「馬鹿じゃないの」


 サラはケラケラと軽薄に笑う。嗜虐的なその笑顔には、ベルモットをしてぞくっと背筋に冷たいものが走る感覚があった。


(狂犬め……)


「ああ、そうだ、伝えておかないといけないんだった」

「なぁにまだ心配でもする気? 見くびられすぎて腹たつんだけどぉ?」

「いやそうじゃない。お前の古巣から客が来てる」

「古巣?」

「深みを拓く教導師団」 


 サラの表情が一変し、暗いものに変わった。

 

「師団ごと? 私をついに殺しに来たってわけ?」

「いいや。別件らしい。うちでしばらく世話する」

「ひとり?」

「一人だが、殺すなよ」

「名前は」

「イカロニクだ。緑髪の二枚目。細身で、やる気なさそうなやつだ」

「そいつ知らない。私が逃亡した後の新入りだねぇ」


 サラはほっとしたように肩をすくめる。


「古い知り合いだったらドキッとしちゃうけど、知らないなら問題もないかぁ。うん、まあ気をつけとく」


 言ってサラは部屋を出て行った。

 


 ━━クゥラの視点



 クゥラは荒く息をつきながら暗い通路を歩く。

 

(私は間違っていなかった。まわりがみんな正常で、私だけがおかしいのかと思ってた。妹と二人で逃げようとする自分が間違っているのかと思ってた)


 貴族に17年間教えられてきたことが間違いだと、クゥラは今では確信を持っていた。


(ようやく疑いを消し去れた。戦士はみんなイカれてるんだ。剣闘士の誇りなんぞあるものか。貴族が教え込んだ、くだらない伝統だ)


 貴族が古くより剣闘士に与えてきた教育は洗脳に他ならなかった。

 クゥラは周りが従順な中で、漠然とした疑念を抱いて生きてきた。

 通常、不穏因子は早期に殺され消されるものだが、クゥラは天才的な闘争者だった。ゆえに育ての親であるベルモットをしてみすみす殺せなかったのだ。


(私だけだ。私だけがまともだった。勝たなくては。外にはまともが待っている。エリーと二人で逃げるんだ。狂った貴族どもの道楽で死んだたまるか)


 闘技場から暗い通用口へ戻ってきた。

 ふと目眩がして、クゥラは壁に寄りかかった。


「少し疲れたな。ルーンを使ってしまった」


 ヴァーミリアンが生まれつき抱く巨人のルーン。

 身を焼く代わりに、先祖の力を一時的に呼び覚ます。

 内側から身を焼く危険な技だが、使いようはあった。


「少し休むか……」

「お疲れちゃーん」


 軽薄な声が響いた。

 クゥラは嫌なやつの声と思った。

 顔を上げれば白い髪がハラリと揺れていた。

 白髪のサラ。狂犬。今は首輪を付けられた殺人鬼だ。


「何をしに来た」

「うーん、いや、ほら、わかるでしょー? 空気読みなよ、ドブネズミ。勝っちゃダメなんだよ、あんた」


 サラは言いながら短剣をヒョイっと抜く。

 最悪だ、とクゥラは思った。


「強者に敬意を表すんじゃないのか……ベルモットと話させろ……」

「変態だから敬意を表してるんだよ。同時に変態だから絶対に勝たせたくないんだってさ。まあそういうわけで、左足でいっかー」


 サラは可愛らしく小首を傾げると、槍の如く鋭く踏み込んだ。

 クゥラはなんとか反応して下がる。

 だが、サラが二歩目を踏み込む方が遥かに速い。

 短剣が突き出される。


(ごめん、エリー……っ)


 クゥラは悔しさに唇を噛み締める。

 貴族の手から逃れるために頑張ってきた。

 全ての努力が失われようとしていた。

 

 サラは邪悪な笑みを深める。

 殺しの天才はいつだって踏み躙るのが大好きなのだ。

 

 パシっ。


 突き出す短剣を握る手が、横から掴まれた。

 サラは目を見開く。クゥラも目を丸くして、さっと視線を上げる。

 薄い男がいた。白いシャツに黒いパンツ。変わった風貌の青年━━指男である。


「お前、悪そうな顔してんな」


 指男はサラの方を見ながら、ボソッと言った。

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