震える瞳の教導師団全滅事件

 マーロリ原典魔導神国の神都アズライラは荘厳な壁に囲まれている。

 高く立派な城塞都市の真ん中に、魔導教の総本山である最高司祭の住まう城がある。

 ゲブライカ大神殿である。アズライラの中央に聳え建つそこには、偉大なる魔導の神の像が正面門に築かれ、天を衝く四十七の高塔に囲まれている。

 人類の繁栄の象徴ともいうべき、偉大で重要な白い巨大建築物だ。


 ゲブライカ大神殿の上階、余人では一生足を踏み入れることのないとある魔導教の司祭の執務室は、混乱に陥っていた。


 執務室の主人はレブナイト・ヴェルモドールという。

 魔導教の指導者のひとりであり、マーロリ原典魔導神国の最重要の役職に身を置く人物だ。白い髭を深く蓄え、叡智の宿った静かな瞳で、これまで多くのもの重要な判断を行なってきた。

 齢80にもなろうというのに、いまだに司祭であり続けているのが、彼がマーロリにとって欠かせない人間であることの証だ。


 その日、レブナイトはいつも通りの仕事に取り掛かる予定だった。

 各教会から寄せられた贈り物へ感謝の返事を書き、自分の担当である地域の教会や神殿の運営報告を受け取り、必要ならば対処をする。


 穏やかな日になるはずだったのだ。

 レブナイトの穏やかな仕事は、昼を過ぎた段階で終わった。

 舞い込んできた緊急報告によって。


 レブナイトは深く椅子に腰掛ける。

 机の上の報告は数分前にマジックアイテムで観測された情報が記されていた。

 羊皮紙上に青く光る魔法の文字で、70名以上の名前が記され、その名前の隣に「反応なし」と、ズラーっと並んで書かれているのだ。


 『イノチサグリ』と呼ばれるマジックアイテムは非常に高価なことで知られるが、遠隔から情報を収集できることでマーロリでは教導師団らに配備が進んでいた。

 二片の貝殻のうち、片方を人間に長い時間持たせることで馴染ませる。貝殻の持ち主が死亡した場合、片割れの貝殻はどんなに遠くにあっても壊れてしまう。

 この性質を用いて遠隔から派兵した部隊の状況、主にダメージや、生死をリアルタイムで観測するのだ。


 羊皮紙もまたマジックアイテムだが、そのことは重要ではない。

 羊皮紙に魔法の文字で刻まれた、震える瞳の教導師団に配備されていた全てのイノチサグリが壊れたことが重要だった。

 

「震える瞳は本当に全滅したのか」

「結果を見る限りでは、そうなります」

「エンダーオとの国境近辺で調査中だったはずだが」


 レブナイトは険しい顔をして、10分前まで生きていた震える瞳の教導師団が当たっていた任務についての資料を閲覧する。


 教導師団は公には存在しない組織だ。

 レブナイトもまた表向きは教導師団など知らないことになっている。

 裏の顔は違う。司祭たちの中でも老獪の彼は、何十年も前から最高司祭と並んでNo.2であり続けており、最高司祭以外に唯一、教導師団を動かすことができる権力者でもあるのだ。


 震える瞳の教導師団をエンダーオ炎竜皇国へ派遣したのも、ほかならぬレブナイト自身なのである。


「滅びの火の捕獲……仮にも世界を焼くと予言される炎だ。ともすれば危険な任務になるかもしれないからと、絶望の怪物すら連れて行かせたはずだが……ネゲンフォールはプルペットを使わなかったのか……?」


 マーロリが犠牲を払って捕獲した絶望の怪物。

 調教の済んだ個体が震える瞳の教導師団には配備されていた。

 資料を読み込めば、特別申請が出ていることもわかった。

 司祭の許可を求めてなければ、教導長とて国外へ持ち出すことすら許されない国宝級のマジックアイテムを、ネゲンフォールは遠征に持って行っていたことにが明らかになった。


 レブナイトは顔をしかめ「何を持って行ったんだ」と申請書類を確認する。


「召喚の禁書? 中身は銀色の使徒、か」


 レブナイトは頭を抱えた。

 物によっては暴発事故を起こすものもあり、それによって自滅した線も考えられた。しかし、召喚の禁書では自滅の可能性は低かった。

 

(アレイスターの召喚術には高度は使役術も食み込まれている。使役に失敗し、銀色の使徒によって震える瞳の教導師団が滅んだ可能性は低い)


 レブナイトはそこまで考えて、思考を巻き戻す。


「それはつまり、ネゲンフォール教導長をして、召喚の禁書を使わざるを得ない状況に追い込まれたということだ」


 レブナイトの想像する限り、震える瞳の教導師団を武力的に制圧できる存在など、ごく限定的にしかあり得ないと思っていた。


「エンダーオの辺境で、震える瞳は”何か”に出会った。しかし、何に出会った?」

「レブナイトさま、実はもうひとつ気になることが……」

「なんだ、まだあるのか」

「イノチサグリの壊れ方が奇妙だと報告を受けまして」


 騎士は報告書のままに読み上げる。


「貝殻が黄金の光になって蒸発した、と。全てではなく、いくつかは、ということなのですが、こんな壊れ方は担当者曰く初めてのことだそうで」


 レブナイトは深き知識を探る。


(『イノチサグリ』の壊れ方には最期の瞬間が反映されることがあると聞いたことがある。心臓を貫かれれば、貝に穴が空き、斬られれば二つに割れる。衰弱すれば静かに崩れゆく。しかし、黄金の光となると……どんな最期か検討もつかんな)

 

「状況を知る必要がある。震える瞳の教導師団はなぜ滅んだのか。原因究明をしなければ」

「他の教導師団を動かされるのですか」

「他国の国土をそう何度も踏み荒らせるものか。可能性で見れば、竜皇の思惑が働いている可能性が高いのだ。そもそも予言者の『蒼い髪の少女』という情報も元を辿ればエンダーオ出身の占い師からもたらされた」

「では、竜皇は高度に教導師団派兵を誘ったと?」

「結果として我らは歴史上初めて教導師団の全滅などという馬鹿げた損失と失態を犯している。最悪なのはこれが他国での秘密作戦の最中に起こった事件だということだ」


 レブナイトは面倒なことになったと眉間に皺を寄せた。

 もし仮に教導師団がエンダーオ炎竜皇国の国軍ないしは、それに該当する組織に潰されていた場合、10:0でマーロリが悪いことが露呈する。


 戦争には発展する可能性も高く、不義の行いをすれば、魔導教の求心力に悪い影響を与えるのは必須だ。


(ヴラ聖神王国にも口実を与えかねない。バルサラックは今、エンダーオともヴラとも戦争などしたくないだろう。なんとしてもマーロリの損失を抑えなければならない)


 レブナイトは最高司祭の顔を思い浮かべる。

 感情を宿していないような冷たい顔を。

 『拓く者』バルサラックの仮面の下を。


「深みを拓く教導師団より、適任者を見つけろ。事態究明を急ぐのだ」

 

 

 ━━イカロニクの視点



 取り立てた任務も受けず、ゲブライカ大神殿で剣の研鑽を積んでいたイカロニクのもとに連絡が届いたのは夕方のことだった。


「へえ、私が調査をね。貧乏くじに思えるな。ひとりで遠征なんて」

「とは、言われましても、司祭さまからの通達でありまして」

「レブナイト卿の頼みとあっては仕方ないか。震える瞳の教導師団全滅事件、か。引き受けたよ。しかしすごいね。70くらいはいたと思うんだけどね。あれ全滅したの?」

「は、はい。イノチサグリはそのように告げておりました」

「あっそう。それはまた大仰な。フル動員された教導師団をどうにかできる戦力なんているんだ」


 イカロニクはすぐに神都アズライラを出発し、ミズカドレカへ足を運んだ。


「懐かしいな、この街。あんまり変わってない」


 上からの情報提供に従って、心当たりのある村へと馬を走らせた。

 震える瞳の教導師団が全滅する前に向かったと思われる村だ。

 鎧は着ずに、汚らしい服を着て、旅人を装っての来訪だった。


 パール村と呼ばれるその村を訪れた結果いくつかのことがわかった。


 まずひとつ。震える瞳の教導師団が訪れ虐殺を行ったこと。

 もうひとつ。ある英雄が村を守ったことだ。


 驚くような情報であった。

 アカギ・ヒデオ。名もなき英雄は恐るべき力で巨大な怪物を退けたのだ。

 

「たったひとりで?」

「あー……そうなんですよ、あんまり大きな声では言えないのですが」


 村人たちはどこか歯切れが悪かったが、皆、一様に「アカギ・ヒデオ」なる名前を繰り返した。

 

(プルペットの使役実験と滅びの火の確保。両方をいっぺんにこなそうと横着した。そこへ現れた名もなき英雄アカギ・ヒデオ……)


 イカロニクは追跡するべき対象を見出した。


「ただのひとりで震える瞳の教導師団を退けるなんて。不可能だ。どんなトリックがあるのかな。アカギ・ヒデオ」


 ミズカドレカに戻った翌日。

 イカロニクは拳闘大会へ招待されていた。

 ミズカドレカへ足を運んだ後、ベルモット男爵に取り入っていた。教会と裏の金でつながるベルモット男爵はマーロリが誇る異端審問組織の一員であるイカロニクには頭が上がらないのだ。

 同時に強者である彼は、ベルモット男爵に大きな尊敬を向けられていた。


 イカロニクは「この土地での任務が長くなるなら付き合いを大事にしておこうか」と考えるようになっていた。


 だから、さして興味のない拳闘大会にも、招待された以上は、顔くらい出しておこうという気にはなった。


 イカロニクはたまたま闘技場にいた。

 そして見つけたのだ。

 闘技場内で迷子になっていた蒼い髪の少女を。

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