拳闘大会、開幕
水滴の滴る音がする。
ぴちゃん、ぴちゃん。
闇に跳ね返って、濁った空気が湿る。
牢屋がある。
冷たい鉄格子だ。
その向こうに戦士がいる。
隆起した筋肉を誇る赤毛の戦士だ。
胸は膨らんでこそいるが、多分、胸筋なのだろう。
黒い鋼の枷を、手首にも足首にもつけられている。
猛獣を抑えるかの如き厳重さだ。
「頭は冷えたか」
檻の外から声がたずねる。
女の声だ。赤毛の戦士は顔を上げる。
小綺麗な服装をした白髪の女がいた。
戦士にとってはよく知った顔だった。
「さっさと殺せ……それができないならお前を殺す、ベルモットに伝えろ」
「それは無理な相談だ。私もまた彼に飼われているからさ」
「私とは意味合いが違うだろう。あんたは金のために飼われてる」
「当然」
「薄情な女め。もう2年の付き合いになるのに、私たちより豚男と金を選ぶのか」
「味方してほしいの? あんたは私にお金をくれるの?」
白髪の女は小首を傾げて問う。すぐに軽薄な笑みを浮かべた。
「お前と私を一緒にしているのか。ベルモットに飼われる手駒として? 仲間意識でも覚えたか? アホを抜かすなよ、蛮族風情が。私は選ばれた人間で、お前はクソの掃き溜めで生まれて育った畜生だ」
女は腰の剣をそっと撫でる。
武装していることを示したのち「開けろ」と、牢の番にいう。
檻が開かれる。赤髪の少女は白い髪の女を睨みつけた。
「どうした。外へ出ろよ」
赤髪の少女は渋々と白髪の女についていき、地下牢を出た。
暗く湿った牢とは一変して、品の良い調度品で飾られた廊下を歩き、奥の一室へ足を踏み入れる。奥に机がある。奥の椅子には一人の男が座っている。
でっぷりと肥えた男だった。
顎下に幾重にもかさなった贅肉の層を持ち、下卑た笑みを浮かべてる。
青あざのある頬をそっと撫で「まだ痛むぞ、クゥラ」と言う。
「ベルモット様、もう私に用などないと思ったが。お前を殴ったのだ。殺せばよろしい」
「このあざのことは不問にしてやる」
「何? 私の記憶ではお前は寛容な人間ではなかったように思うが」
でっぷりと肥えた男ベルモットはヌフフっと笑みをこぼす。
「エリーは捕まえた。お前の犠牲は無駄だったわけだ」
部屋の扉が開かれる。
赤髪のクゥラとよく似た幾許か幼い少女が騎士達に入ってくる。
両脇は騎士達に固められている。
「姉様……ごめん、なさい」
「……どうして逃げなかった」
クゥラとエリーの姉妹は数日前にベルモットの元から逃げるべく計画を実行した。いくつかのトラブルに見舞われ、結果としてクゥラがベルモットを殴り飛ばし、時間を稼ぐことで、妹エリーだけは逃げ切れたはずだった。
「感謝をしろよ、そいつが大人しく戻る約束を交わしたから、私も寛容になる」
皮肉にもクゥラがまだ生きているのは、逃げた妹が戻ってきたおかげだった。
「また私たちを辱めるのか」
クゥラは冷たい軽蔑した眼差しでベルモットを見つめる。
ベルモットは楽しげに笑み、腰を上げ、彼女の筋肉がついた太ももを撫で上げ、腰に手を回した。
「どうした? 殴ってみるか」
クゥラは白髪の女を見やる。
女は軽薄に肩をすくめる。
ベルモットは好きに触った後、今度はエリーの肩を抱き寄せた。
「お前達をどうしたものか。処遇に困るなあ。私は少女にしか興味がないのだ。エリーはまだまだ大丈夫だが、クゥラ、お前はもう育ちすぎた。少女部門で派手に食い殺されてくれればよかったのに、勝手に生き残りやがって」
「殺したかったらそのクソ女に斬らせればいいだろう」
「私は変態だ!」
ベルモットは高々と宣言する。
「戦いへ誇りを持っている! 戦士へ敬意を払う! 強者が好きだ! お前が大好きだったんだ、クゥラ」
「まるで魅力を感じないプロポーズだ」
「美しい戦士は好きだ。美しい戦士は華々しい戦いの中で死ななければならない。老いてババアになってほしくない。若いまま、美しいまま死ぬ。それが至高。お前ほどの者は剣闘士の伝統にのっとり万雷の拍手の中で死ぬべきだ。私はお前を殺したいが、同時に敬意も示したい。二つともこなしたいのだ。悪魔的問題だ!」
「敬意を示すならエリーと私を解放しろ」
「それは無理な相談だ。どうして解放されたいのだ?」
「なんでわからない。変態貴族め」
ベルモットは思案げに腕を組み、考える。
「奴隷は主人の元で寵愛を受けるのが最も幸せだと言うのに。お前達のような蛮族など、外では忌避されるばかりだ、生きていける訳が無い……なぜ私の愛をわかってくれない、まるで理解できん」
「みんなおかしいんだ、そうに決まってる。当然、あんたも」
「生意気な口を聞くな。……ああ、そうだ、いいことを思いついたぞ」
ベルモットはポンっと手を打つ。
「クゥラ、無差別級に出ろ。そこで死ぬといい。ヴァーミリアンのお前なら男とでも戦えるじゃないか」
「無差別級……か」
「上の制限はない。下の制限もない。だから女だって出られる」
クゥラは難しい表情をする。
「わかった。だが優勝した時の報酬はもらおう」
「報酬だと?」
「願いを聞くのだろう。戦士に敬意を払うのだろう」
「……なるほど、さしずめお前達を解放しろとでも言うつもりだな? だがいいだろう。このベルモットは変態だ。奴隷だろうと強者なら敬意を払ってやる」
ベルモットはエリーの腰を抱き寄せる。
エリーは瞼を閉じて静かに耐える。
クゥラは目前の男の変態的趣向に付き合わされる妹の姿を想像した。
「約束だ。違えるなよ。それだけがあんたの良いところなのだから」
クゥラは赤い瞳に怒気を宿して威圧的に言い放った。
━━赤木英雄の視点
小さな城の敷地内には、城からずーっと伸びる橋があり、それは闘技場につながっており、その先ではすでに観客が待っているとのことだった。
俺たち参加者は参加費を納め、簡単な手続きだけを済まして、橋を通って闘技場へ。ちなみに参加費はセイと二人で60ミニクリスタだ。白いパン6つ分。結構とる。
「おかしい……剣闘士はずっと前に廃れたのに、領主さまが教えてくれたのに……」
闘技場へ赴く最中、セイは難しい顔をしていた。
さっきの太った男━━主催者ベルモット男爵の「ぶっ殺しあえ」宣言に困惑しているのか。
まあ俺も困惑してるんだけど、試合の様相を見れば、どういうノリなのかすぐにわかるだろうから、あんまり気にしてはいない。百聞は一見にしかず。
━━しばらく後
闘技場では無差別級なる戦いが始まった。
トーナメント形式で、組み合わせは勝手に向こうがやった。
俺の番は第二試合なので、第一試合を観戦して様子見をすることができた。
第一試合。
禿頭の男と、片耳がない男が睨み合う。
どちらも屈強だ。格好は裸のうえから分厚い鎧を纏っている。
スパルタンってこんな感じじゃなかったっけと勝手に想像する。
盾を構え、剣で相手の息の根を止める時を伺いあう。
動いた。剣を振り上げる禿頭。
盾を突き出す片耳のない男。
剣は分厚い盾にガギンっと数センチばかり斬り込み、止められた。
禿頭は蒼白になる。
片耳のない男は容赦無く禿頭の首をぶった斬り、派手に飛ばした。
歓声が湧き上がった。
観客達は大喜びだ。
セイを見やる。唖然としていた。
「拳闘大会……なんじゃ……」
拳闘大会(拳を使うとは言ってない)と言うわけか。
なかなか楽しませてくれる。
闘技場の控え室を見やる。
どいつもこいつも筋肉モリモリのマッチョ男だ。
視界内の筋肉量が高すぎる。俺もマッチョが感染しそう。
なんなら俺が一番薄い。
割と筋肉質な自覚はあるが、この中ではバルクが足りない。
服装も薄いシャツに黒の薄いパンツなので浮いてる。
みんなは戦士という雰囲気なのに、俺だけ気怠い大学生だ。
もう一つ違う点がある。
みんな自前で武器を持っていることだ。
俺だけ手ぶらである。
喧嘩自慢達が集まる大会だと思ってたんだけど、何か勘違いしてたか?
「お前戦士じゃないな」
場違いさに呆気に取られていると、赤毛の女の子が話しかけてきた。
可愛らしい顔だ。でもマッチョ。もうマッチョに感染したのか。俺の医学的知見から言わせてもらいうと手遅れだ。
「場違いだな」
「俺もそう思ってたところです」
「この娘は?」
「付き人です。選手じゃないですよ」
「お前の娘か」
うーん、違う。
「死にたくなければ去れ。まだ間に合う。ここでは戦士しか生き残れない。いや、戦士でさえ生き残れない、が正しいか。お前のような薄い男では犬死するだけだ」
女戦士はそう言って、俺の横を抜けていった。
忠告してくれたのか。案外、優しいひとだ。
「”片付け”が終わった! 第二試合の戦士はさっさと舞台へ上がれ!」
「呼ばれてますね。セイ、カバンを」
「しっかり預かっておきます!」
「そんな気合い入れなくてもいいですけど」
セイに見送られ、俺は闘技場の入場口へ。
イベントスタッフみたいな男に「ちょ、待てよ」と慌てて止められる。
「お前、武器を忘れたのか……?」
「拳闘大会と聞いたので」
「馬鹿なのか。手ぶらで拳闘大会へ出場する奴があるか」
「まあ気にせず。いざとなれば剣でも槍でも、核爆弾だって出しましょう」
「お前は何を言っているんだ」
俺は黄金の指輪を嵌めた手をイベントスタッフへ見せ、闘技場へ移動した。
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