師弟関係
──セイラムの視点
セイラムは拳闘大会の広告へ視線を落とす。
拳闘大会にはふたつの部門があった。
無差別級の最大部門と16歳以下の少女だけが出られる少女部門だ。
「優勝者には願いを叶える権利が与えられるそうです。もちろん主催のベルモット男爵が叶えられる範囲でしょうが『名声を広める手伝いをしてくれ』とでも頼めば、貴族の力を振るってくれることでしょう」
ステラは興味無さそうに付け足す。
確かに広告にはそのような宣伝文句が書かれていた。
優勝報酬の欄、少女部門には100クリスタが贈与されると書かれていた。
(金貨100枚の賞金が出る? 冒険者組合で仕事するよりずっと大きなお金が手に入りそう。ヒデオさまは私の食費には財布のひもが緩いところがあるし……私のせいであれほどの御方を困窮させれない……)
セイラムは指男を見上げる。
腕を組んで顎に手をあて「わかりやすいな……パワー名声、いや名声パワー?」と難しい顔でつぶやいている。何を悩んでいるのかは不明だ。深い考えごとをしていることだけはわかる。彼は考える姿すら絵画のように映える。
相変わらず捉えがたい”凄味”を持った人だなぁっとセイラムは感心する。同時にたぶん名声も手に入るとのことなので、指男も乗り気なのだろうと納得する。
(ヒデオさまは偉大なる大英雄。正義を為すために戦う、何物も恐れずに。ヒデオさまは話してくれた、大切な仲間に見つけてもらうために名声をあつめるって。決して自身の欲ではなく、仲間のために)
セイラムは指男の英雄的活躍を目撃してきた。
パール村の英霊の墓のまえで騎士を倒した。
恐るべき教導師団から屋敷を守った。
冒険者たちを救うために地底河の悲鳴に挑んだ。
今度も恩人たちのために戦おうとしている。
(命の恩人のために戦いたい。大丈夫、喧嘩には自信あるもん)
セイラムは静かに出場を決意した。
「明日の昼より開催です。場所はその紙に書かれています。差し上げますのでどうかオリハルコン級にあげろなどと無闇な交渉は今後しないようにお願いしたく思います」
「わかりました、この情報で今回は手を打ちましょう」
「今回は……?」
「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと、ダメになりそうな時、それが一番大事」
「フィンガーマンさん? 何度来ても、交渉は受け入れられないのですが」
指男は神妙な表情で「それが一番大事ぃ……」と、フェードアウトするように言いながら冒険者組合をあとにした。セイラムはすたたっとあとをついていく。
(それが一番大事……諦めない姿勢が大事なんだ)
セイは青い瞳をキラキラさせて、かっこいい指男の背中を見上げるのだった。
「大会では対戦相手を殺めると失格になるみたいです」
セイラムは広告の注意書きを読み上げた。
指男はピクっと肩を震わせる。
「それはまたまともな倫理観を持った大会ですね。もっと普通に殺人とかを見せ物にしていると思ってました」
「一体いつのお話をされているのですか、ヒデオさまは。都では剣闘士制度が廃止されて久しいと聞きました。奴隷制度が撤廃されてからも長い時間が過ぎているのですから、当然ではありませんか」
「剣闘士、奴隷、ですか」
指男は腕を組んで沈黙する。
セイラムは悟る。それなりに長い時間を一緒に過ごしたので、彼がこうする時は決まって解説待ちだと言うこともわかっているのだ。
(ヒデオさまは浮世離れしていますからね)
セイラムは辺境の村娘でも知っている知識を披露した。
「古い時代には、奴隷と呼ばれる階級の方が都にはいたそうです。私は見たことはありませんが、彼らはひどい仕打ちを受けていて、慈悲深い竜皇の号令のもと人の世での奴隷制度が廃止されたのです。ミズカドレカでは剣闘士たちを闘技場で殺し合わせる催しが開かれていたといいます。剣闘士の隆盛は奴隷制度の終わりと共に廃れて久しいのです」
「文明の進歩が残酷な催しを受け入れなくなっていったと。そう聞くと竜皇は意外と人の心があるというか……」
指男はセイラムをチラと見やり、その先を飲み込んだ。
「この世界の倫理観は想像より進んでいたと。意外だ……」
「この世界? 不思議な表現をするのですね、ヒデオさまは」
「え? ああ、今のは忘れてください。世の中の変化びびっくりしただけです」
指男はおざなりに手をヒラヒラと振って誤魔化す。
「とにかく虐げられた者たちの歴史に終止符はすでに打たれているんです。この手の催しで相手の命を奪うことは御法度なのです。失格負けは納得の処遇です」
「なんでセイはそんな心配そうに俺を見てくるんですかね」
「ヒデオさまは強すぎます」
それがセイの言いたいことの全てであった。
(自分より大きい男を軽々と殴り飛ばしてしまう腕力、いつ人が死んでもおかしくないよね)
指男は「早速、やりすぎ注意報」と肩をすくめた。
「ありがとうございます、俺の心配してくれてるんですよね。大丈夫、うまくやりますよ」
指男は言ってセイの小さな肩をぽんぽんっと叩いた。
「失格で負けるわけにはいきませんから。必ず勝って貴族に願いを叶えてもらいます」
「……ヒデオさま」
「どうしました」
セイラムは意志を宿した蒼い瞳で指男を見上げる。
「私を鍛えてはくれませんか?」
「どうしましたいきなり」
「ヒデオさまの足手纏いになりたくないのです。強くなりたいのです。ヒデオさまの強さの秘密を教えてください。そこに近づけるように」
セイは懇願する。
(命を救ってくださった、この偉大な英雄さまの役に立ちたい。そのためには強くならねば。拳闘大会でも勝ちたいし)
「……なるほど。気持ちはわかりました。でも、俺の修行は辛いですよ。生半可な気持ちじゃ心が折れるかも。それこそ俺の領域に辿り着くためには鋼の精神がなければ乗り越えられない。多くの者は継続日数を保てず俺のようなブラック会員にはなれなかったのですから」
指男は拳を握りしめて真剣な表情で問う。
「覚悟はありますか、デイリーミッションをこなす覚悟は」
「はい!」
「ではこっちに」
宿屋の裏庭へやってきた。
宿屋の主人の自慢のこじんまりとした庭園だ。
「ローブを脱いでください」
「はい」
セイラムは言われるままにローブを脱ぐ。
「捨てて。そして拾って着なさい」
指男の静かな指示。
セイラムは素直に従う。
指男は指示を繰り返した。
セイラムはローブを脱いで、投げ捨て、拾って、着た。
4回目くらいで少女は疑問も抱く。自分は何をやらされているのだ、と。
「脱いで」
「ヒデオさま、これに一体なんの意味が……」
「いいから」
セイラムは不満を覚えながらも、指男の指示に従った。
程なくして100回ほど脱いで、投げ捨て、拾って、着た。
セイラムの腕と肩周りは熱を持って張っていた。
「セイには才能があるかもしれませんね。疑問を持たず。ひたすらにコツコツと積み上げる。人は意味を考えると投げ出したくなります。時に狂気にも似た盲目的な研鑽の先に限界を超えた成長があるんです」
セイラムは背筋に稲妻が落ちたような感覚に襲われた。
(負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと、ダメになりそうな時、それが一番大事……ヒデオさまが言っていた言葉……困難を前にした時、そこで諦めないことが大事。ヒデオさまは諦めなかった、だからこれほどの強くなったんだね)
セイラムは指男の言葉の重みを感じ取った。
普段から何を言っても説得力がある指男であったが「コツコツ積み上げる」━━その言葉の重みは、彼のこれまで紡いだすべての言葉を足しても、届かない。それほどの説得力、確信的な真実性を持っていたのだ。
(父に生きろと言われた。ヒデオさまに生かされた。この命には意味がある。私もそこへ行きたい)
「常人ではとても耐えられない道ですよ」
「やります。やらせてください」
セイラムは迷いなく返事した。
彼女はすでに覚悟を澄ましていた。
「これで本当に師匠と呼んでも問題なさそうですね」
「お好きにどうぞ。皆、呼びたいように呼びますから」
翌朝。
指男はセイラムの魚授業を受け、デイリーをこなして継続日数を231日にし、薬物をキメて束の間の精神安定を確保した。
二人は安宿を広前に出発し、騒がしいヴィルトル大通りを歩いていた。
「拳闘大会は奇書『強さ議論』で一躍有名になったベルモット男爵の主催で行われるみたいです。数ヶ月に一回は開催しているらしくて、今回で21回目なんだとか」
「数ヶ月に1回? 意外とやってますね。大きなイベントじゃないんですか?」
「大きなイベントですけど、街の皆が注目するかと言われると微妙ではあると思います」
「剣闘士が廃れた久しいって言ってたっしな……して、その出版有名になった貴族にはどれだけの力があるんですか」
「過去の大会では領地を与えられた者もいるみたいです」
「それってすごいことですか?」
「すごいと思います。何せ領地ですから」
「なるほど。すごい」
田舎者と世間知らず。
意外と世情をわかってそうでわかってない少女と、何もわかっていない男。
二人の会話はふわふわしていた。
「会場はどこです?」
「ベルモット男爵はミズカドレカに別荘を持っているらしいです」
地図を頼りに進み、ベルモット男爵の別荘へ足を運んだ。
都市の中央、一等地に聳える小さな城のような建物だった。
セイラムは「はわわ……領主さまのお家よりずっと大きい……」と、ちょっと身を小さくした。指男は気にした風もなく、歩く速度を変えずに門を潜る。遥かに巨大なマイホームを持つ彼にとっては、怖じけることではなかった。
セイラムはまるで動じない指男の背中を追いかける。
(ヒデオさま、貴族の大きなお屋敷とか緊張しないんだ……慣れるのかな……)
「よくぞ来た、戦士たちよ! 本大会も盛大にぶっ殺しあええ!」
「「「うおおおお!!」」」
二人が別荘に着くなり物騒な文言が響いた。
すでに第21回ミズカドレカ拳闘大会の開会式がはじまっていた。
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