異世界生活に馴染む

 朝起きると薄カビた天井が視界に入る。梁に埃が積もっていてる。

 脳みそは生ぬるいハンドクリームにつけられたようにノロマで、ぼーっと司会の情報を整理するだけの機能しか持たない。

 薄く窓の隙間から光が差し込んでいる。光の軌跡には白い塵がゆらゆらと揺蕩う。気だるい気分だ。週末の土曜日の昼前に起きた気分。

 こういう状態だと布団から出たくなくなるものだが、思うに俺たちを無気力に陥れる要因は、何も起きないと思っている日常にある。変わらない日々への退屈だ。あるいは仕事へ出勤することの憂鬱さだ。


 起きれば楽しいことが待っている。

 特別な非日常が待っている。

 そうわかっていれば、布団から今すぐにでも飛び出してみたくなる。


 俺は今、筆舌に尽くし難い非日常の遭難者だ。

 不謹慎かもしれないが、俺のなかには現状へのワクワクが確実に存在している。嘘はつけない。もちろん使命は果たすつもりだ。楽しむことと仕事をこなすことは両立できる。


 俺はがばっとベッドから起きあがり、浅く腰掛ける。

 向かいのベッドに少女の姿はなかった。どこへ行ったのだろう?


 立ちあがり、暗い部屋を歩いて、木のきしむ音を鳴らしながら木窓を開く。

 澄んだ冷たい空気と静かな明かりが入り込んできた。


 窓の外は薄明るい。

 身を乗り出せば表の通りが見える。

 通りの土はぬかるんでいるようだ。昨夜、雨が降ったせいか。

 道行く者たちは水たまりを避けて進む。


 通りの左右に立ち並ぶのは近代的住宅ではない。

 色褪せた煉瓦を積まれた壁とそこに走るように生い茂る蔦を持つ、西欧のどこかのクソ田舎にありそうな家だ。時代錯誤はなはだしいが、ここではそれが一般的だ。


 この景色にも慣れて来た。

 実家の自室から見える景色とは違う。

 ダンジョン財団の用意してくれる宿泊施設から見える景色とも異なる。


「遠い場所に来たなぁ」


 しみじみととした寂しさを感じた。

 孤独感とも言い換えられるかもしれない。


 いや、孤独ではないか。

 俺には友たちがいる。

 黒いブローチを手に取り、シャツに付ける。

 縁の下の力持ち。長年の相棒だ。

 そして、

 

「デイリーミッション」


 ────────────────────

  ★デイリーミッション★

  毎日コツコツ頑張ろうっ!

    『デイリー魚』


  デイリー魚をさばく 0/1


  継続日数:229日目 

  コツコツランク:ブラック 倍率100.0倍

 ────────────────────


 デイリー君は異世界に来てからやたら魚推ししてくる。

 あの時はてっきりセイを連れて行けっていう暗示だったのかと思ったけど、これはアレだね、俺に魚を捌く練習しろって言ってるのか。


 よくよく考えれば俺に魚を捌く能力が備われば。食い扶持には困らない。

 なぜなた食材である魚くんはスキル『デイリー魚』で召喚できるから。


 デイリー君、俺に異世界をしたたかに生き抜くサバイバル能力を練習してほしかったのかなぁ……。


「どれだけ続くのか、せめて終わりだけでも見えればな」


 魔導のアルコンダンジョン突入から約1週間が経過した。

 未だに俺は南極遠征隊のだれとも合流を果たせていなかった。

 フィンガーマンの名声はすこしずつ高まっているので、街を行き来する者たちによって情報共有はされ、噂は広まっているとは思う。


「されど1週間か。1週間じゃ何かが起こるには短いかな」


 結果を急ぎ過ぎてはいけない。

 今しばらく『名声高めて遠征隊と合流』作戦は継続するとしよう。


 ──ドンドン


「失礼します」


 言って入って来るのはフードを目深にかぶった少女。

 バサッと被っていたものを払えば、蒼い髪がはらりと出て来る。

 セイラム。異世界に不慣れで要介護者に指定された俺の面倒を見てくれている。

 いつもお世話になってます。ありがとう。

 

「水を汲んで来ました。どうぞ」

「わざわざ行かなくてもいいのに……重たいのでは?」

「大したことありませんとも」


 セイは言って力こぶしをつくる所作をする。

 特段盛り上がった筋肉などは見えない。


 街にはいくつもの井戸がある。

 この宿からもっとも近いのは、階段を下ったり登ったりして100mほど離れた場所にある商会の井戸だ。1ミニクリスタ程度の安い金を払うことで水を貰える。先日の一件で大きな稼ぎを得た俺たちにとっては問題なく捻出できる額だ。


 水道が整備されていないので、蛇口をひねって水をだす世界線から来た俺にとっては、朝顔を洗う水すら存在しないのはなかなかに不便だった。

 数日前、セイに「顔を洗いたいんですけど、どうすればいいですか」とたずねたところ、彼女は急いで井戸を探して、水を貰って来てくれたのだ。


「村では水汲みは毎日していましたので、どうか気になさらず!」

「いつもありがとうございます。でも明日からは俺を起こしてください。朝暗いのにひとりで外を歩くのは危ないです」

 

 支度を済ました俺たちはいっしょに朝食を手に入れに出かける。

 街での生活は辺境の農村部のそれとは違う。

 ここには市場がある。難しい言葉で言えば貨幣経済が成り立っている。

 お金を出せば手に入るものの幅は広い。


 数日過ごす間に、簡単な異世界の単語をセイに教えてもらった。

 まだまだ勉強中だが、市場での買い物程度ならば、俺にもできるようになった。

 

「3ミニクリスタでリンゴが買えるとな」

「5ミニクリスタで黒くて硬いパンが買えますよ」

「10ミニクリスタで白くて柔らかいパン、か」


 市場での今朝の出費は29ミニクリスタだ。

 白くて柔らかいパンを買った。初めての購入だ。


「いいんですか。今日もこんなに高い物を。昨日も白いパンを食べてしまったというのに」

「気にしないでください。好きなものを食べていいんですよ」


 パール村では日持ちする黒いパンばかりを食べていたという。彼女は子供だ。小さい頃の妹を思い出すからか……不便な思いをして欲しくない。良い物を食べさせてあげたい。何より白いパンに前のめりで向かう様は微笑ましい。

 俺はリンゴ3個で1日の空腹を感じずに済むのでそれでよい。

 リンゴ以外にもいろいろ食べ物はあるのだが、これが安定だ。まずくはないし、食べれない物ではないとわかっている。わかっている、は安心する。


「魚の捌き方を教えてくれますか?」

「いいですが……いえ、いいですよ!」


 セイは少し表情を曇らせたが、快諾してくれた。

 やや気になったが、朝のうちに宿の主人と奥さんに調理場を貸してもらえることになった。宿に泊まって3日目。ひとあたりの良いセイが信頼されていたおかげである。


「こうやって包丁を入れまして。指でちゃちゃっとやると内臓が出てきます」

「なるほど」

「わかりましたか?」

「まあだいたい」


 嘘だ。1度見て学習できるなら、今頃はハーバード大学で頭良さそうな研究でもしている。あと10回は見せてもらわないと要領をつかめない。


 魚は1日1匹しか召喚できない。

 授業の続きはまた明日だ。


 ああ、これでデイリーは完了か。

 はやく、はやく、しなければ……そろそろ限界だ。


 ────────────────────

  ★デイリーミッション★

  毎日コツコツ頑張ろうっ!

    『デイリー魚』


 デイリー魚をさばく 1/1


 ★本日のデイリーミッション達成っ!★

 報酬 『先人の知恵S+』


  継続日数:230日目 

  コツコツランク:ブラック 倍率100.0倍

 ────────────────────


 『先人の知恵S+』はこの世界での貴重な経験値補給源だ。


 この世界では『恐怖症候群』が機能しないことは数日のうちに判明している。

 あれをONにしておくと常に薬物を投与されているような高揚した気持ちになるのだが、この世界ではONにしていても、それがない。


 思うに『恐怖症候群』のスキル効果が適用されないためだ。

 この世界には指男ミームは存在しない。

 世界の壁を越えてまで、経験値の集金機能は働かないのだ。

 

 ゆえに俺は異世界に来てから慢性的な頭痛と不快感に悩まされていた。

 俺は『先人の知恵S+』をぺらぺらと読みこむ。

 経験値はすばやくDNAまで浸透し、俺に束の間の幸福感を与えてくれた。


「はぁ、今日の経験値はおしまい、か……」


 使い終われば、あとに訪れるのは虚無だ。

 再び禁断症状に24時間以上耐えなければならない。


「ヒデオさま、そろそろ行きますか?」

「え? あぁ、そうですね。行きましょう」


 ぼーっとした頭を切り替えて、今日も仕事へ行こう。

 

 俺たちは冒険者組合へ足を運んだ。

 朝から冒険者組合の建物のそとまで騒がしかった。

 建物周辺にはやたら武器や防具を売る店が並んでいる。

 そうした店に出入りする冒険者たちの姿だけでもすでにうるさい。


 この盛況ぷりは嫌いじゃない。金を求めて腕っぷしに自信にある者が集まる……ダンジョンキャンプを思いだす。


 組合に足を踏み入れた途端、空気が変わるのを肌で感じた。


「指鳴らしだ……!」

「フィンガーマンだ、目を合わせるなよ」

「謎の男……!」


 フードを被った少女と銀色のカバンをひっさげたグラサン不審者。

 狙ったわけじゃないが、俺たちにはキャラクターがあった。

 だから広く皆に覚えられた。


「リオブザル級に上がれる依頼を」

「ありません」

「じゃあオリハルコンで」

「それもないですね」


 ステラは書類を整理しながら答える。

 数日間この調子だ。高難易度のクエストというのは、いつもいつもあるわけではないらしい。


 普段ある難易度高いクエストというのは、せいぜいゴールド級だ。

 「誰か強いモンスター倒してほしい!」というノリで冒険者組合へ依頼をだす依頼者は多くないという。


 重要な依頼は達成報酬を高く設定しなければならない。

 達成報酬を高く設定できるのは金持ちだけだ。

 重要な仕事ほど信頼できる者に頼む。

 冒険者組合へ依頼をだすという募集の仕方はせず、個人的に話を持ち掛けて来ることがほとんどらしい。


 難易度の高い依頼がない理由としては、ミズカドレカの冒険者層の問題もある。ミズカドレカにはたくさんの冒険者が在籍しているが、うち最も等級が高いのがプラチナ級冒険者だ。他所にはオリハルコン級のパーティは1組くらいはいるが、ここにはいないのだ。

 

「腕相撲で10人抜きしたらオリハルコンに昇級というのは」

「フィンガーマンさんなら容易でしょう」

「容易とわかっているのなら、オリハルコンにしてくださいよ」

「歴史は威厳をつくります。品格が人間をつくります。実績が説得力をつくります。冒険者組合の等級には歴史と品格と実績が必要です。特例は存在しません」

「でも、プラチナ級にしてくれたじゃないですか」

「そんなに強さの証明が欲しいのですか」

「欲しいです。地の向こうまで轟く名声が」

「わかりました。あなたは強い。おそらくミズカドレカ史上最強かもしれない。これでは不満ですか」


 はぁ……ステラっちにあしらわれてるよ……。

 プラチナ級まではゴネ得だったから、オリハルコン級もクレーマー赤木でゴリ押せると思ったけど、許されなかったなぁ。


「どうしてそこまで名声にこだわるのですか」


 ステラは首をかしげてたずねてくる。


「探している者がいまして。ひとりやふたりじゃないんです。彼らの下に俺の名前を届けたい」

「力の証明をしなければいけないと言う訳ですか」


 ステラは腕を組み、一枚の羊皮紙をカウンターに置いた。

 セイをちらっと見やり、読んでもらう。


「拳闘大会の広告ですね」

「拳闘大会?」


 セイは拳をつくり「しっしっ」ワンツーっと宙へパンチを放つ。


「ヒデオさまの腕っぷしを示すには良い場だと言うことかと」


 勝てば有名になれると。

 わかりやすくて助かる。

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