遥かなる旅のはじまり
もし仮にここが異世界だとすればそれは大変なことだ。
希望的観測は多分に含まれてはいるが、つまり、この先ちゃんとしたモンスターとの戦い──チワワとか柴犬とかブルドッグとかじゃなくて──が待っていると言う事だ。
文明力で先を言ってそうな地球産の現代知識チートで、彼らに叡智を授けることもできるということだ。例えば海の水はしょっぱいとか。
きっとドラゴンもいる。巨乳エルフもいるに違いない。すごいことだ。すごい。
ケモ耳美少女もいるのだろうか。いるだろう。いるに違いない。
ええやん異世界。
夢と希望がつまっている。
満喫したい気持ちもあるが……だとしてもSランク探索者たる俺には責任がある。
自分勝手にという訳にはいかない。リトル赤木すこし静かにしろ。
俺は探索者だ。
求めるのは素晴らしきロマンと異常物質、経験値の発掘よ。
そして俺の守るため大人たちに怒られそうなことした修羅道さんのため。
当初の目的通り、ダンジョンボスを倒す。それが重要だ。
さてどこにいるんだろう……ん? いるよね?
いるはず。たぶんいる。
いたとして世界を隅々まで足を使って探すなどやっていられない。
アルコンダンジョンはデカすぎるとは当初から聞いていた。
個人のチカラでどうにかなるスケールを越えているとも。
なるほど、ダンジョン財団はこういう展開を読んでいたから南極遠征隊に40を超えるギルドを集めたのか。
いろいろと繋がって来た。
いままで漠然と意味不明な状況が続いていたが、いまは俺にとって何が問題なのかが見えて来た。ずばり問題なのは俺が今ひとりでいること。これだけだ。
財団にとっての予想外は、あの待ち伏せ攻撃にほかならない。
アレがどんな効果を持っていたのかは知らないが、アレのせいで南極遠征隊は壊滅的な被害を受けた。二点間転移という技術がダンジョン財団にはあるが、あれに類似した人間を遠くへ転移させるような攻撃……だろうか? 俺壁に埋まってたし。
確実なのは魔導のアルコンダンジョン内への突入には成功したこと。
俺がここにいることが証明だ。
だとすればほかの探索者たちも突入に成功したと考えるのが自然だ。
気を付けるべきは明確な敵の存在だ。
明確にダンジョン財団へ敵意をもっているやつのことだ。
初めに遭遇した待ち伏せ野郎にほからならない。
あれが誰なのかは見当もつかない。
もし個人であんな強力な攻撃をくりだせるとしたら相当な実力者に思えるが……。
危険な存在だ。
俺ひとりでかち合えばしばかれるかもしれない。
慎重に行動する必要がありそうだ。
最優先目標は仲間と合流することだ。
俺一人ではどうにもできない状況だが、三人寄れば文殊の知恵という。チカラを合わせれば出来ないことはない。なお文殊がなにかは知らない。
ではどうやって仲間と合流するかだが……熟考のすえに俺は天才的ひらめきを得ている。
俺が探すと言うより、誰かに見つけてもらうのだ。
『指男』あるいは『フィンガーマン』などの言葉を広めるのだ。バズらせるのだ。
そうすれば南極遠征隊を引き寄せることができるはずだ。
ふはは、どうだ。やはり俺は天才かもしれない。
そうと決まれば目立つための活動をはじめよう。
上京だ。こんな田舎にいてはバズれない。
都会にいけば塔とかビルとかあんだろ。つまりバズれる。
「大丈夫ですか、ヒデオ殿、ずいぶん考え込んでおられるようですが……」
「失礼、すこし思考にふけっていました。ええと、この近くでニューヨーカー赤木にふさわしいイカした町はありますか?」
「にゅーよ……いか……え?」
「この周辺でおおきな都市はありますか、という意味です」
「ああ、それでしたら……ミズカドレカになるでしょうな」
バチカルロは「少々お待ちを」と席を外し、どこかへ行ってしまう。
ほどなくして戻って来て、地図を机にひろげてくれる。
現在地の場所にチェスの駒のような物を置いて示す。
「こちらがパール村とその周辺で。私が預かる領地です。ヒデオ殿が求める都市はこちらです。ちょうどマーロリとの国境すぐ近くにあります」
バチカルロが見せてくれた地図はずいぶん大きなものだった。
町と町どころか、国と国との国土や国境などが書き込まれている。
思えばこの世界、国が存在しているのだった。
どうせあとでハッピーさんかジウさんに頭脳は任せるのだけど、知識として多少は頭にいれておいたほうがいいだろう。
周辺には大きく分けて3つの国があるとのことだった。
マーロリ原典魔導神国。エンダーオ炎竜皇国。ヴラ聖神王国。
厳密に言えば小さい国々はあるが、この主要三大国が近郊のチカラバランスの主役であるとのこと。
パール村があるのはエンダーオ炎竜皇国の北側だ。
辺境も辺境。北西に進めばバチカルロの教えてくれたイカした街ミズカドレカにたどりつく。同時にマーロリ原典魔導神国との国境にもたどり着く。
東側へすこし長く進めばヴラ聖神王国だ。
こちらには用はないので国の名前と地理を軽く見るだけに終わる。
「ヒデオ殿はその、なんというか」
「はい、なんです?」
「失礼ながら、いろいろと常識が欠如しているといいますか……」
あ。やべ。
「それはですね……実は人里離れた辺境の地にこもっていまして……ひらすらに感謝の指パッチン一日1万回をこなしていたんですよ……」
「か、感謝の指パッチン……?」
「己の肉体と技の研鑽に限界を感じましてね……無意味に思えることを極めたら何かがあるんじゃないかと……」
慎重に指を擦り合わせる
指の腹が重なる隙間から虹色の光があふれだし、星屑のようにきらきら輝く。
「この技は困難な鍛錬のすえに手に入れたのです」
「(っ、どれほどの年月をかければあんな威力の魔術を行使できるのか……秘文字のチカラをあれほどまでに使いこなし、増幅させるなど人間ができる限界を超えている……)」
「そういう訳で長年、人里に降りていなかったのです。これからある目的の為に旅をしようと思っているんですよ。まずはおおきな都市へ行こうかな、と」
「しかし、ヒデオ殿は英霊の墓から出てこられたと聞きましたが……?」
そういう経緯だったっけ。忘れてた。
「邪悪な気配を察知したので、墓所のモンスターを退治していたんです」
「そんな……! そこには英霊さまが住んでいるはずでは!」
「いませんでしたよ、そんな高尚な存在は。いたのは邪悪な魔法使いの骸骨と、筋骨隆々で獰猛なオーガだけです」
「そうだったのですか……英霊の墓はとっくにモンスターの住処になっていたというのか……」
「安心してください。一本道でしたし、モンスターはすべて消し炭に換えてきましたから。もう危ない者もいないはずです。念のため、扉は締めておいた方がいいでしょうが」
なんとかごまかしきれた。
知らない事柄について言及されると内心ヒヤッとするな。
バチカルロからの情報収集を終えて今後の方針を固めた。
目指すはミズカドレカという都市だ。そこでバズる。
「お話を聞かせてくださり、大変助かりました」
「いえいえ、とんでもない。こんな事しかできず申し訳ありません。もっと力になれればよいのですが」
窓の外を見やれば空が薄暗くなりはじめているので今晩の宿でも頼もうか。
お願いをしたところ、屋敷に泊めてくれるとのことだった。
ここで一泊して、明日にはミズカドレカとかいう町へ発とうじゃないか。
「して、ヒデオ殿」
「なんです?」
「……訊かれないのですか。セイラムのことを」
ふむ。竜皇の娘とかいう話か。
竜皇ということはエンダーオ炎竜皇国の指導者の娘ということになる。
おそらく一筋縄ではいかない厄介な問題があるんだろう。
関わってしまった以上、助けてあげたい気持ちはある。
むしろこの村のことに感情移入してしまって、こんなボロボロにされた状態で、放っておいていいのか心配になるくらいだ。
できることなら助けてあげたい。
でも、俺はこの世界の人間じゃないのだ。
だから深入りしないほうが、きっとあとが楽だ。
魔導のアルコンダンジョンを攻略する。そのあとにこの世界がどうなってしまうかなんて俺にはわからないのだから。
「なにも聞きませんよ。言ったでしょう。俺は通りすがりの旅人です。バチカルロ殿からはなにも聞いていませんから、なにかを尋ねる事もありませんとも」
「ありがとう、ございます……貴方は誠実で、信頼のできる御仁だ」
やめてくれよ。全部、俺の為なんだから。
はあ、もう話すのやめよう。これ以上、情が移るまえに──。
「この剣は返します。俺がセイラムを運ぶクエストはキャンセルされたので」
マジックアイテム『山脈の火』を返還し、そうそうに俺は屋敷をあとにした。
その夜、俺はパール村の様子を見てまわることにした。
関わらないと決めた手前おかしな話だが、すぐにこの村を離れることになったことがどこか名残惜しい気持ちになったのだ。
去る土地の記憶を刻んでおきたい。
二度と戻ってこないだろう場所を思い出にしておきたい。
センチメンタルな気分からのちょっとした散歩だった。
村を歩いてみると皆が沈鬱そうな顔をしてひたすらに襲撃の片付けにいそしんでいた。村人はこちらに気が付くと、気丈に笑顔をつくって「ありがとうございます、ヒデオ様」と恭しく感謝を述べてくれた。
辛いだろうに無理に笑顔を作らせているようで申し訳なさを感じた俺は、逃げるように村の中心を離れた。
やがて午後に掘った墓へとやってきた。
墓には蒼い髪の、少し尖った耳の彼女の姿があった。
両親の墓だろうか。丘のうえから見た時と同じ墓のまえで膝を折っている。
「ヒデオさま、私は竜皇の娘だそうです」
なんでその話を俺に振る。
「領主さまとお話をしたんです。不義の騎士たちの狙いは私だったんだって。村のみんなも気が付いてるんです。屋敷のなかでも外の話し声が聞こえてましたもの」
「それは難しい話になりますね」
「私はもう村に迷惑をかけたくないです。みんなも内心ではすごく怒っているはず」
「……バチカルロ殿は聡明な人では。何か手立てを考えているはずですよ」
「バチカルロ殿は領主さまです。村を第一に考える」
そうかな。
あの人は君が一番大事そうだけど。
俺とセイラムは簡易墓地でお互いの話をした。
俺は英霊ではないことを話し、彼女は両親がいかに素晴らしい人たちだったかを語った。聞くつもりはなかったが、寂しげに語る声を遮って「もういい。聞きたくない」と、その場を立ち去ることが俺にはできなかった。
「ヒデオさま、私、旅に出ようと思うんです」
「なるほど」
「ヒデオさまも旅の途中なのでしょう? お願いです、どうかわたしを連れていってくれませんか」
「なるほど? いや、だめだ。そんなことできないです」
「どうしてですか。私はこう見えて剣術が得意ですよ。足手まといには……なるかもしれませんけど……でも、モンスター程度になら怯みません!」
「そういう問題じゃないんですが。とにかくだめです」
理由を説明しても聞きそうになかったので断固としてNOをつきつけた。
まったくもう。
面倒ごとを引き受けたくないっていうのに。
こっちだって俺のことでいっぱいいっぱいなんだよ。
竜王の隠し子とかいう爆弾を抱えて旅なんかできるかっての。
翌朝。
薄暗いうちに俺はバチカルロの屋敷をあとにした。
バチカルロは馬を用意してくれていたが、丁重に断っておいた。
馬の乗り方なんか知らないし、面倒の見方も知らない。
生き物を飼うってことは責任を持つってことだ。気軽にもらえるものじゃない。
「どうかご無事で。貴方の旅が上手く行くことを願っております」
「ありがとうございます、バチカルロ殿。そちらもどうか息災で」
多分、彼はこれから忙しい。
なにせ国家指導者の娘が他国の武装集団に襲われ、集落がひとつ半壊したのだから。外交とか、政治とか知らないけど、いろいろ大変なんだろうね。
見送られ、俺はパール村をあとにする。
さらばだ。はじまりの村よ。
──数時間後
暫定・異世界での散歩を楽しんでほどなくして休憩をとった。
てっきり3歩進むごとにモンスターにエンカウントするかと思いきや、まったくそんなことはなく、踏み慣らされた街道にはモンスター1匹も出て来やしない。
あまりに退屈すぎたので大自然のなかで昼寝でもしようかと思った時、ふとデイリーミッションが更新されたアイコンが出ていることに気が付いた。
てっきり異世界に来たから一旦お休みもらえるのかと思ったが。
────────────────────
★デイリーミッション★
毎日コツコツ頑張ろうっ!
『魚生活』
デイリー魚をさばく 0/1
継続日数:223日目
コツコツランク:ブラック 倍率100.0倍
────────────────────
デイリーくん、君だけは平常運転なんだね。
今回のはなになに、デイリー魚をさばくだと?
二日前、ようやく鮭を召喚できるようになったというのに、もう料理まで求めて来るのか? というか俺、料理スキルとかないけど……これ詰みでは?
いやだな。この地味な詰み方。
とりあえず鮭を召喚してみる。
ぴちゃぴちゃっと活きのよい鮭が暴れておるわい。
君はどこから来たの。出身を言ってごらん。
俺にできるのは話しかけることだけ。
捌き方なんて知らない。
そもそも捌くって何よ。ぶった斬ればいいのか?
「魚……」
つぶやき声が聞こえた。
きょろっと首を動かすと、蒼い髪がサッと樹の影にひっこんだ。
なんということだ。ミス・トラブル爆弾め。付いてきたのか。
黙って見続けていると観念して影から出て来る。
「帰れ」
首を横にふるセイラム。
「あの村にいたらみんながまた襲われてしまいます。あんなのもう嫌なんです。お願いです、ヒデオさま、いっしょに連れていって」
聞き分けの無いやつだ。
お前はアブナすぎるっての。
美少女だけど、アブなすぎるからダメだってば。
俺は手を突きだし「二度は言わないぞ」と告げる。
ふと突き出した俺の手が握る鮭の眼を視線があう。
セイラムも鮭を見ている。
「……」
「……」
「……」
「……魚、捌けるか」
「おまかせあれ」
セイラムはムゲンハイールをまな板に水で洗った鮭を、手際よく短剣でぺちぺち叩いたり、刃先でちょんちょんしたり、刃でズバズバしていった。
「パール村の川では、冬前の時期に鮭が川登りするんです」
異世界にも鮭がいるためか、彼女がシュパパしたあとのムゲンハイールには、切り身になった鮭くんが横たわっていた。
デイリーミッションは達成となっている。判定はOKだったみたいだ。
「どうですか……?」
「……次の街までだぞ」
デイリーくんがどんなお題を出してくるかわからない。
だから連れて行くだけだ。
別に彼女に根負けしたとかじゃない。
あれだけ頼まれたら断れないとかじゃない。
情が移ったとかじゃない。全然違う。ただ役に立つから連れて行く。
本当にただそれだけである。本当にただそれだけである。
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