規格外

 謎の男の登場は空気を一変させた。

 屋敷から歩いて出て来ただけ。

 だというのに存在感は常軌を逸していた。


 震える瞳の教導師団は謎の男の放つ抑え込まれた迫力を敏感に感じ取っていた。

 迫力の正体がなんなのかわからなかった。

 彼らが感じ取っているのは「こいつは何か異質だ」ということだ。


 教導長ネゲンフォールは眉根をひそめる。

 

(なんなのだ。この男の不気味さは。いままで感じたことが無いタイプの雰囲気だ。何者なんだこの男は)

 

 ちらと見やればグデレノフを処刑しようとしていた騎士も完全に手をとめてしまっている。


(さっさと仕留めればいいものを。不要な硬直状態をまねきおって)


 ネゲンフォールは余裕を崩さず、顎鬚をしごきながら口を開く。


「誰だ、お前は。村人ではないな」

指男ゆびおとこ。まわりにはそう呼ばれてる」

「指男……? 聞いたこともない名だな」

「しかし、難儀なものだな」

「なんだと?」

「すぐに死ぬあんたに名乗る意味があるとは思えない」


 ネゲンフォールは眉根をヒクつかせる。


「すぐに死ぬだと? ははは、ははは! これはまた大きく出たな、指男」


 彼の背後でプルペットが「ギヂィ」と腹の底を震わせるようなおぞましいうなり声をあげてえ、長い首をもたげた。粘質の唾液がしたたる。


「この状況で、それだけ大口を叩ける胆力は認めてやろう。あるいはただの馬鹿なのか。貴様が歯向かっているのはつい先ほど三大国最強の騎士すら遊び殺した戦力だ。我々が並みの軍事力ではないと理解できていないのか」


 ネゲンフォールは絶対の自信をたたえ鷹揚に腕を組む。


「御託はいい。はやくこい。そんなに俺が恐いか」

 

 指男はよく通る声で静かにつぶやく。

 威圧感の凄まじさにウッとそれだけで怯む。

 ネゲンフォールは心の内を見透かされたようでひどく不快になった。


「愚か者には明白に、徹底的に、絶対的に、彼我の差をわからせなければ、己の愚行すら理解できんらしい。やれ、プルペット、あの無知蒙昧を嚙み潰せ」

「ギヂィェェェ!」


 プルペットは天空を震わせる咆哮をあげる。

 グデレノフを処刑しようとしていた騎士は慌ててその場を離れ、指男は歩いて倒れるグデレノフよりまえへ歩みでる。

 

「まずいぞ、絶望の怪物が来る……ヒデオ殿、逃げるんだ……!」


 突撃してくる山のごとき怪物。

 大地を陥没させながらせまる巨体にグデレノフは潰される姿を幻視する。

 

 指男は腕を前へ突きだした。

 衝突する両者。

 ズドォンッ! という人間にぶつかったとは思えない激しい音が響いた。

 

 衝撃波が敷地をかけぬけ、風圧だけで周囲の者は飛ばされそうになる。

 粉塵が収まると、プルペットの動きが完全に静止していることに気づく。


 受け止めているのは件の指男だ。

 片手を突き出して頭を完全に抑え込んでいる。

 彼の足元は深く陥没していたが、姿勢は棒立ちそのものであった。


 ネゲンフォールはプルペットの巨大な体のせいで、状況が見えていなかった。

 はははっと派手に死んだ敵に笑いを漏らすだけだ。


 周囲に広く展開して屋敷を囲もうとしていた騎士たちは、横方向から状況を見れていた。


 状況の意味不明さに「は?」と目をおおきく見開いた。

 なぜあんなにちいさな人間がプルペットの巨体を素手で止めているのか。

 しかも片腕で。しかもあんな力の入れにくい姿勢のままで。

 

 5秒ほど現実を受け入れられない時間がつづき、そののち、フリーズした脳に途方もない想像がうかんだ。眼前の男が自分たちの常識を逸脱した存在かもしれないと、否、超越した存在だと気が付いたのだ。騎士たちは戦慄した。


 戦慄は伝播する。

 騎士の動揺は隣の騎士へ。

 やがてネゲンフォールに届き、皆が動揺していることに気づかされる。


「なんだ、どうした、おまえたち」


 指男は必死に頭を押し込んでくるプルペットを押さえながら「これくらいか」とひとつ納得したようにして、開いた手へ短く力をいれてすこし強めに押しこんだ。ちょうど力士が張り手を繰りだすように。接触状態から。


 灰色の全身筋肉で覆われた巨躯を波打つ衝撃波がかけぬけた。

 プルペットの首がけたたましい音を立てて砕け、巨躯は電子レンジで温められたソーセージのように一瞬膨らんではじけ飛んだ。


 血と肉の雨がふる。

 教導長は固まって「え?」と理解が及ばないまま、汚物のスコールに打たれる。


 指男が張り手を繰り出した地点から前方の地面がえぐれていた。

 破壊跡が物語る事実が、ネゲンフォールの脳内にゆっくりしみこんでいく。


(ッ、ありえん、ど、どういう、こいつ素手で……訳がわからない! こいつまさか高度な戦術ルーン使いだったのか!?)


 動揺するネゲンフォール。

 ふと、サングラス越しに視線があった気がした。


「っ、ルーンの使用を許可するッ! 攻撃せよ!」


 ネゲンフォールの隣の騎士はすぐに詠唱をはじめ「魔導の星ラガウェイ」っと黒い星を放った。ホーミング軌道を描いている。

 指男は前へ歩き、ネゲンフォールへ近付く。それを遮るように黒い星が指男の顔面に着弾し、黒い波動と粒子を散らして炸裂した。


「よし! ……ぁ?」


 指男はまぶしい日差しを手で遮るかのような軽い仕草で魔導の星を受け止めていた。意に返さず歩いて来る。ダメージを追っているように見えなかった。せいぜいサングラスの位置をすこし直す程度だ。


「魔術が効かないだと……! ありえない、ありえるわけがない!」


 指男はスッと手を伸ばす。

 ネゲンフォールは「全体、攻撃開始ッ!」と全員に攻撃命令をだした。

 自身も『魔導の連星スーラガウェイ』で応戦する。


 全弾着弾、人間が喰らえば跡形も残らない威力だ。

 指男は舞いあがる塵埃を肩できって歩いて出て来る。


(こんなことはありえない、いったいどこの英雄なんだ! まずい、魔術がまるで効かない、しかし絶対になにか仕掛けがあるはずだ!)


 ネゲンフォールは考えに考える。


(そうか、非常識なことだが、やつは魔術を無効化するなんらかの能力を持っていると考えるべきだ、だから私たちの魔導のルーンが効果を成さない!)


 結論にいたり「ふ、はは、いいだろう、褒めてやるぞ」と震えながら言う。


「まさかこれほどの障害が辺境への任務で現れようとは。予想していなかったよ」


 ネゲンフォールは引きつった笑みを浮かべ、魔導書を取りだす。

 紅い革表紙のソレを掲げると、空間を焼くようなそれまでとは毛色のちがう魔法陣が展開された。プルペットを召喚した時よりもさらに大きく複雑怪奇だ。


「『召喚の禁書』。原典魔導神国が誇る旧世界の遺産だ。実に6等級に値するおおいなるマジックアイテムだよ。光栄に思うがいい。これを拝める者は魔導教団内でもごく一部なのだからな!」


 巨大な魔法陣から激しい風が吹き荒れる。

 

「いいだろう、認めよう、お前は強い。英雄だ。王の領域に近いかもしれないな……だが、それまでだ。所詮は人間。神のチカラのまえにはひれ伏すほかない。もう理解したな。私はこれより降臨させるのだ。古き怪物をな」


 光とともにソレは姿を現した。

 鈍い輝きを放ち、空から地上へドスンっと落ちて来る。

 

 ソレは銀色に光っていた。

 六本の腕を持ち、二足で大地を踏みしめ、顔は甲殻類のよう。

 全身を分厚い白銀の甲冑につつんでいる。

 しかし、甲冑は傷だらけで、右肩の部分にいたっては装甲がなくなっている。


「恐ろしくて声もでないようだな。これぞ魔導神がかつての戦争で捕縛したと言い伝えられている別世界の神の使徒だ。名を銀色。強靭無比、神速にして、どんな攻撃も無効化する神話の怪物そのものだ!」


 周囲の騎士たちが「おお! あれが旧世界の使徒!」と感嘆の声をあげる。

 ネゲンフォールは気分よく高らかに笑い、手を前へ突きだす。


「蹂躙せよ、銀色の機兵よ! 敵を滅ぼせ!」


 地面がえぐれ飛ぶ。超脚力で踏み切ったのだ。

 銀色の機兵は姿をかき消すほどの速さで動いて指男の顔面を殴りつける。

 片手で受け止める指男。


「大仰なことを。長い口上を述べるから何が出て来るかと思えば……」


(ただの経験値優等生じゃねえか)


 指男は拳をすばやく打ちこむ。

 機兵の古びたボディーアーマーでは、天文学的腕力に到底耐えることもできず、メタル装甲はたやすく破壊され、一撃のもとに砕け散った。

 膨大な経験値が指男のなかに集約され、指男はぷるりと身体を震わせる。


 周囲に静けさが満ちる。

 聞えて来るのは騎士たちの「嘘だ……」「なにが起こってる」「教導長さま、我々はなにと対峙しているのですか……」と震えたちいさなつぶやきだ。


「そんな……馬鹿な、ことが……ありえない、不可能だ、そんなこと、人間の業ではない……っ」


 絶望しずぎて逆に冷静になってくる頃合いだった。

 ネゲンフォールは目元に深い影をつくり、指男を見据える。

 異質。ダメージをまるで負っていない。バケモノ。

 

(使徒をたやすく屠るなどありえない……どんな英雄にも不可能なはずだ……)


 ネゲンフォールは死を間近に感じながら、静かな声でたずねる。


「お前はいったい何者なんだ……」

「最初に言わなかったか。──指男だ」


 彼は言って指を鳴らした。

 パチン。軽やかな音色が響き渡った。

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