みっつ目のお願い
ネゲンフォールは白い深いひげをしごきながら思案げに口元を歪め「そうだ」と、思いついたように切り出した。
「バハムニータ・ヘルウィンドよ、お前は英雄だ。偉大な英雄だ。これは私からお前への敬意だ。──取引の機会をやろう。蒼い髪の娘がいるはずだ。渡したまへ」
(狙いはセイラムか……いったい何のためかは知らないが、平和的にことが進むとはとても思えない。彼女を欲しがる理由……やはり竜皇さまが危惧したことと関係がありそうだな)
グデレノフは最初の理由を思いだす。
竜皇が娘を人目から遠ざけたかった理由を。
(蒼い火、滅びの火が欲しいのか……)
「蒼い髪の娘を差し出せば、領民とお前の命を助けてやろう。我々は目的さえ達成できればそれでよいのだ」
「……」
「どうしたんだバハムニータ・ヘルウィンド。答えなど決まっているはずだ」
「あいにくと蒼い髪の少女など知らないものでね。なんと答えるべきか迷ってしまったんだ。ネゲンフォールと言ったか。あんたの求める娘などここにはいない」
「とぼけるな。知っているはずだ。この場にお前がいることと蒼い火がともにあることが偶然な訳がないだろう。大方、処刑されたと見せかけて辺境へ左遷、事実上は死亡扱いにした。そして、ド田舎で滅びの火を見守るため領主に着任といったところか。悪くない。見事なストーリーだ。あの老いぼれ古竜には語り部の才能もあるらしい」
ネゲンフォールは言って周囲の騎士へ目配せする。
騎士たちは歩きだし、グデレノフをおおきく迂回して屋敷へ向かう。
(屋敷を攻撃するつもりか)
「させるか……!」
「おっとコッチを止めなくていいのか。屋敷がぺしゃんこになってしまうぞ」
視線を向ける。
ネゲンフォールは分厚い魔導書を開いていた。
悪趣味な金色の歯をさらして笑みをうかべている。
中空に魔法陣が出現した。
粘性の高い唾液が滴り落ちる。
魔法陣より灰色のバケモノがボトンっと召喚される。
醜悪なる絶望の怪物プルペットであった。
(馬鹿な……っ)
「実は一体だけじゃないのさ。我々は大規模な作戦を完遂し、実に3体のプルペットの捕獲に成功した。我々の任務には蒼い火の確保のほか、最高司祭さまがお与えくださった使役のルーンの実験もかねているのだ。これも新たなる魔導の教えよ」
「愚かなことだ! 絶望の領域からバケモノを連れてこようなど!」
「歴史は更新されるものだ、違うか、バハムニータ・ヘルウィンド」
「ギヂィ、ヂィィィ、イイ──」
おぞましい咆哮が空と大地を揺らした。
プルペットは産まれたての赤子のように無邪気にグデレノフへ襲い掛かる。
無数の邪悪な口でガヂンッガヂンッと噛み締めている。
噛まれれば即死。
グデレノフは込みあげる恐怖を打ち壊し、全霊の力を振り絞って、攻撃を回避、獣らしい乱雑な攻撃の隙をぬって、緋色の斬撃で首に深く斬りつけた。
火の粉が宙に満たされるように吹き荒れる。
強力な戦術ルーンの連続奥義は絶望の怪物へまたしても致命傷を与えた。
炎を体の深くに刻みつけられ、苦しみ悶え、青い血を噴出してその場に倒れる。
「流石だ。流石と言うほかない。三大国最強の騎士は伊達ではないな。だが隠居生活でずいぶん衰えを感じる。つらそうだぞ、バハムニータ・ヘルウィンド」
「はぁ、はぁ、はあ!」
「こらこら休憩するんじゃあない、まだ私のターンは終わっていない、さあ頑張れ」
三体目のプルペットが排出される。
すかさず身の毛もよだつ咆哮を轟かせて突撃してくる。
グデレノフは反動で動けない。強力な突進に轢かれ、片腕をかぶりと噛まれた。
「ウグッ!?」
バケモノの顎のならば人間の腕など、小枝のようにたやすく千切れる。
だから、歴戦の覇者グデレノフは噛まれる直前に、プルペットの歯茎に剣をはさみ、戦術ルーンを起動、強烈が火炎でおそろしい獣を怯ませた。
攻撃する直前に反撃を喰らったせいで、プルペットはわずかにひるむ。
グデレノフはチャンスを逃さない。
ぐちゃぐちゃにかき回された内臓の痛みに耐えながら、仲間の剣をひろい、最後の力をふりしぼり、己の命を戦術ルーンの輝きとした。
緋色の残光がプルペットの首を突き刺す。
(くっ、硬い、疲労で十分なパワーが出ていない!)
「ならば、十分になるなまで重ねるだけだ……っ」
グデレノフ三回重ねて同じ個所を連続突きし、プルペットの分厚い濡皮と高密度の筋肉組織をやぶって大きなダメージを通した。
刃がプルペットの太い首の内側に届いた。
彼がもつ技のなかでも最上級の戦術ルーンが14年ぶりに発動機会を得た。
(反動は最大級、現役時代でも発動すれば翌日まで尾を引いたほどだが……死ななければ御の字。どのみちここでプルペットを倒せなければ先はないか)
深々と突き刺した剣に魔力がそそぎこまれ真っ赤に燃えあがる。
熱力は瞬く間に上昇し、直後、爆発的な火炎がプルペットの首のなかで破裂し、バケモノの頭と胴体を断った。剣身は特大のチカラに耐えられず溶けて砕けてしまう。
「『
グデレノフは柄だけになった剣を手に、地面へ落下し転がった。
血を吐き、手先は痙攣し、剣を持つ余力すらもうありはしない。
ネゲンフォールは驚きに目を見開き「おお……流石だ。すばらしい。本当にお前は素晴らしい」と敵ながら圧倒的なチカラを証明したグデレノフを称賛する。
「ああ、プルペットが3体も死んでしまったよ。これでは最高司祭さまに怒られてしまうかもしれないなぁ」
ネゲンフォールはわざとらしく顔を覆い……パッと開いて「なんちゃって♪」と金色の歯をギラっと輝かせて邪悪に微笑んだ。
「さっき3匹捕獲したと言ったな。あれは嘘だ」
魔法陣からプルペットがボトっと召喚される。
グデレノフはうつろな眼差しを、そっと閉じる。終わりだ。
「最後に言い残したことはあるかね。このネゲンフォールは寛容だ。伝説の英雄の言葉ならば聞き届けてやらないこともないかもしれないぞ」
ネゲンフォールは笑みを深めて言う。
グデレノフは力なく敵を睨みつける。
(なにが聞き届けるだ。くだらない茶番を……)
周囲でいまだ痛みに苦しむ部下たちを見やり、不思議とグデレノフは笑みをうかべて口を開いた。
「クソ野郎が……煉獄で焼かれてしまえ……」
ネゲンフォールは目を丸くして言葉をうしなう。
思っていた命乞いがなされなかったことに鼻白んでいるのだ。
「……あはは、ははは、はははははは!」
空に届く高笑いをし、スンっと真顔になると「殺せ」と騎士へ指示をだした。
騎士は「はっ!」と敬礼し、グデレノフの首を打ち落そうと剣先を掲げた。
グデレノフは死を覚悟する。
意識が途絶えるまであと何秒だろうか。
それを数える時間がいやにながく感じられた。
(大丈夫だ。こうなることはわかっていた。だからヒデオ殿に頼んでいたのだ。あのお方は俺でさえ怖気づいてしまうほどの覇気を自在にコントロールできる。少なくとも英雄クラスの秘文字使いだ。現役を退いて辺境で錆びてしまった私よりずっと頼りになるはずだ。それだけの信頼を寄せるに値する)
死の間際だと言うのに、グデレノフは安堵していた。
ひとつにはセイラムが生きているとわかっているため。
もうひとつにはアカギ・ヒデオなる英霊がいるためだ。
(これで少なくとも次につながる。希望はある。あとをお願いします。ヒデオ殿)
カツカツカツ。
足音が近づいて来る。
数秒後に訪れると思っていた死がなかなか降ってこない。
グデレノフはハっとして悟り、背後へちらりと視線を向ける。
閉じていた目をおおきく見開いてしまった。
(そんな……だめだ、どうして逃げてくれない……)
その場の全員の視線が足音の主へと注がれる。
ごく簡素な服装だ。
薄い生地なためか、よく鍛えられた隆起した筋肉がやや浮いている。
極限まで引き締まっているためかデカさは感じない。
なんとなく雰囲気としてカタそうなだけだ。
ポケットに片手を入れて呑気に歩みでてくる。
彼こそ指男その人だ。
皆が想定外の闖入者にキョトンとする。
指男はグデレノフの絶望の眼差しに気づき、それを見つめかえした。
「どうして来てしまったんだ……私は、貴方にただ彼女を連れて逃げてと……ここにいてはダメなのに……」
「バチカルロ殿、あなたは俺にふたつのお願いをした。ひとつは屋敷が棺桶になるのを防ぐ。もうひとつはあの子を助ける」
指男は背中越しに屋敷を親指でさす。
「貴方ならわかるはずだ……私は断腸の思いでふたつ目のお願いをしたのです……」
「ああ、そうだったんですか、失礼。気づきませんでした。俺はあんまり人の話を聞かない性格でして」
「そんな……」
「でも、謝りはします。お詫びにみっつ目のお願いを叶えさせてください」
「みっつ目……? そんなものはないはずだが……」
「なにをおっしゃる。さっき言ったじゃないですか」
サングラスを物静かに掛けながら小首をかしげる。
「クソ野郎を煉獄の火で焼いて欲しいのでしょう」
指男は言って教導長ネゲンフォールへ向き直った。
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