閉ざされた領主屋敷

 ──グデレノフ・バチカルロの視点


 パール村領主の屋敷には子供たちの泣き声が響いていた。

 震える村人たちが身を寄せ合って必死に祈りを捧げる。


「竜皇さま私たちをお救いください……!」

「竜皇になど祈るな、わたしたちには英霊さまがついている」

「そんな伝承を信じてなにになる、存在する神に祈りをささげるべきだ」


 教義のちがいから村人たちのあいだでわずかに揉め事がおこるも、すぐにそんなものはおさまってしまう。

 大事なのは誰に祈るかではない。誰が救ってくれるかだ。


「グデレノフさま、火のルーンがほどなく燃え尽きます」

「猶予はいかほどだ」

「もって20分かと」


 屋敷の主グデレノフは静かに目を閉じ、状況を突破口を見出そうとする。

 

(謎の武装勢力の強襲を受けて村は壊滅的被害を受けた。屋敷に村人の一部をかくまえたはいいが、やつらは敷地の外で炎の壁が消えるのを待っている。包囲は堅くまるで隙が無い。人数も多い、60人はいた。装備は充実していて練度も非常に高い。ならず者傭兵団というわけではない。対してこちらは戦える人数は7名のみ、か)


 頭を悩ませたところで良案は浮かんでこなかった。

 相手の強力さを再認識しただけだ。


 グデレノフは恐怖におびえる領民たちを見やる。

 

(すべてを救うことはできなかった。残された者はこの傷を背負っていくことになる。でも、だとしても、彼らは生きなけれなならない。残された者の責務だ)


 すべてを救う。

 グデレノフは覚悟を決める。

 領民のために決死の判断をくだす覚悟を。


 このグデレノフ・バチカルロはおよそ貴族らしからぬ男だった。

 14年前から近隣のいくつかの村とパール村を治めるようになった彼は、初めは新しい領主が来るということで、たいそう領民たちに身構えられていた。


 ただ彼の人柄を知れば、皆はすぐに心を開いた。

 領民のために財を投げうったり、親密に交流を深めたり、畑仕事をしたり、家畜の世話をしたり、子どもに関わってきたことが、領民にとって好ましく映ったのだ。


 最もグデレノフ自身は算段があってそのような振る舞いをしたわけではなかった。

 ただひとえにそれが統治者の理想だと信じていたからだ。


「見て回る。ついてこい」


 騎士たちをひきつれてグデレノフは屋敷のそとへ出た。

 パール村領主の屋敷は小高い丘のうえに建てられている。

 辺境の地にしてはえらく立派なこの屋敷を中心にいくつかの村を統治することが、この建物の機能である。


 周囲は360度全方位を厚い壁で覆われている。

 壁は火のルーンの山脈より持ち帰られた石材でつくられており、耐火性に優れ、これに火のルーンを刻んで発動することでしばらのあいだ激しく燃え続ける。

 

 そうして現在は全方位の壁を火炎で覆い尽くすことで、外敵の侵入を防いでいる状態なのである。

 しかし、火のルーンとて万能ではない。


(強力な秘文字使いがいれば、いましばらくは火のルーンの寿命を伸ばせるのだが……私程度の使い手ではそうそうに効力をつかいきってしまうか)


 グデレノフは壁に仕込まれたルーンを吟味する。

 時間がなかった。

 すでに炎の威力が弱まってきている。

 

「ルーンが燃え尽きたらやつらが門を破って入って来る。裏門を埋め、正面門だけに戦力を集中させる。私たち7名で門の狭きを利用すればやりようはある」


 グデレノフは騎士たちに命令をだし、敷地の裏門を土で完全に埋めさせることにした。騎士たちは急いで作業に取り掛かる。


(火が燃え尽きればやつらが入って来る。退路はない。なんとしてでもこの屋敷を守り抜かなければ)


 グデレノフは屋敷へもどり、村人たちに決して屋敷の外へ出ないように言い聞かせた。泣くこどもたちを嗜め、笑顔で「ここで待っていなさい」と頭を撫でた。


 命を賭けること。

 それ自体は恐ろしくはなかった。

 本来ならばとうの昔に亡くなっていた命なのだ。


(炎竜皇様。この命、民の為にお使いいたします)


 古い日、竜皇に生かされ、育てられ、一介の村の男児から一時は竜の国の騎士団長にまで上り詰めた。いまとなっては辺境の地のいち領主だが、それでも竜皇への忠誠心はわずかほども揺らいだことはなかった。


 ただ、ひとつ心残りはあった。

 

(セイラムの姿がない。きっともうあの子も……。竜皇さまに任されたあの子をお救いできなかった。これは懺悔と忠誠、そして償いの戦いだ)


 グデレノフは屋敷の奥へいき、書斎の奥に隠された棚を動かした。

 棚の後ろには薄く埃被った剣が鎮座している。

 普段帯剣している鋼剣とはちがう。


 竜都の名工が鍛えたマジックアイテムである。

 名を『山脈の火』という。騎士団長時代、グデレノフは二振りのつるぎをふるっていたが、これはその一本であり、最も長いあいだ使っていた愛剣でもある。


 辺境の地に移ってからはこの名剣の出番はなかった。

 なにより剣自体がやや有名なため見る者がみれば、その正体がわかってしまう。

 だから長いこと使う機会は訪れなかった。


 たびたび手入れしているため錆などは浮いていない。

 グデレノフは使い古された剣を腰に差し、略奪者との戦いへ赴く。


 屋敷の裏口から出ると、騎士たちが土で裏門を固めていた。

 作業はまもなく終わりそうだ。

 

 グデレノフはふと空を見上げた。

 森の方角、火の柱が燃える青空だ。

 人影が壁を飛び越えてくるではないか。


(なんと無茶なっ、飛び越えてきただと)


 敵の根性に一瞬呆気にとられながらも、素早く剣をぬき構える。

 鋭い眼光が敷地内着地した者を見据える。


 薄汚れた白い上着に黒いズボンをはいた男である。

 片手に銀色のカバンを握っており大変に怪しい。

 

 なによりもとてつもない覇気を纏っていた。

 見る者を圧倒する迫力は、眼前に稲妻が落ちた衝撃に近い。

 

(なんだ、この男は……ッ、この迫力は一体……!?)


 目を見張り、驚愕に滝のような汗をブワっと吹きだした。


 グデレノフは自分が強いことを自覚していた。

 だからこそ、わからなかった。いったいどうして自分ほどの戦士が、これほどに圧倒されるほどの気迫を目の前の男が放っているのか。


(武者震い? 違う。これが違う。私は、まさか、恐怖していると言うのか? これまでのどんな戦場と比較してもまるで話にならないほどの存在感に……! 怖気づいているとでもいうのか!)


 そこにいるだけで放たれる情報量に頭がまっしろになっていた。

 だが逃げ出すことなく、狂って叫びだすこともなく、グデレノフは剣を構えつづけ、次の一瞬の攻防のために準備をし、全身全霊を掛けられるようにしていた。


 相手を観察して1秒後には「ん?」と目を丸くし、緊張感をわずかに和らげた。

 謎の男が蒼い髪の少女を抱えているとわかったからだ。


「セイ!」

「領主さま!」


 セイラムの生存にグデレノフは諸手をあげて喜ぶ。

 

(紛れもなく死んだと思っていたのに、まさか生きているとは!)


 ただ喜びも長くはつづかない。

 すぐに背後の謎の男が気になる。

 放たれる生と死を往復するプレッシャーに「うっ」っとする。

 頭痛さえしてきた。頭が割れそうなその痛みに負ければ正気を失ってしまう。


「一体、なんなんだ、この男は……!」

「英霊さま、すごく恐いけど、村をたすけてくれるお方です!」


 セイは泣きながら言う。

 どうやら彼女もこの恐怖に懸命に耐えているのだとわかり、グデレノフは自身が感じている覇気が勘違いではないと確信する。


 謎の男は顎に手をあて「ステータス」とつぶやくと、首をかしげながら宙空を見やり「恐怖、恐怖……そうか、おまえか……」と、手元をチャチャっと動かした。


 直後、謎の男の放つ覇気は嘘のようになりを潜めた。










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