素直同盟

 フェリーのなかは俺が想像しているより遥かに大きく立派であった。

 Sランク探索者である俺には特別なスウィートルームが用意されており、部屋はありえないくらい広かった。実家の俺の部屋が冗談抜きで10個は入る。


 風呂もトイレも冷蔵庫もテレビもある。

 作業ができるように立派な書斎机も置かれている。

 寂しい机を気持ちばかりに修飾するメモ用紙とペンさえ高級そうだ。


「こんな立派な部屋をもらえるほどの人間じゃないんだけどなぁ」


 ベッドに腰を下ろす。

 豪華な室内を見わたすと背徳感を覚えた。

 ニューヨークでフェニックスの一件があったせいかもしれない。


 俺はやつと同じように周囲にやたら評価されているタイプの人間だ。

 ギルドメンバーは「流石は赤木」「流石は指男さん」と口をそろえて言う。

 さして凄くないことしても褒められる。

 自己肯定感が常時200%状態だ。


 でも、こうしてふとした瞬間、冷静になる時がある。

 そのたびに思う。俺って全然たいしたことない人間なのにな……と。

 みんなを騙しているようで申し訳なくなることも多い。


 特に頭を悩ませているのは俺が周囲の人間に比べて、実は途方もなく考えたらずなやつだと言うことだ。ギルドメンバー内で言うと、ジウさんは間違いなく俺を知恵者かなにかだと勘違いしている。三人のおっさんもそうだ。ハッピーさんでさえ多分そうだ。娜もそうだろう。餓鬼道さんも怪しい。フェデラーに関してはフェデラー本人のスペックが雑魚過ぎて素の俺並みなので、絶対に俺を凄い奴と勘違いしている。


 ドクターと修羅道さんにだけ俺の雑魚さがバレている。

 ダンジョン界隈の知り合いとしては古いからだろう。

 

「きゅっきゅっ(訳:悩み事っきゅ?)」

「よくわかりましたね。実は指男あんまり大物じゃない案件がありまして」

「ちーちーちー(訳:ちーたちを守るうえでは合理的ちー。英雄は胸を張ってればいいちー)」


 厄災を飼う主人はそれなりに偉大ぶっていたほうがいい。

 その理屈はわかる。

 俺の本当のちっぽけさが露呈すれば、たぶんフィンガーズ・ギルドも、フィンガーズ・エクスペリエンス社も、なにもかも周囲を取り巻く状況は変わってしまう。正確には壊れてしまう。


 俺が大物だからトランプマンとの交渉はうまく行ってるし、ダンジョン財団本部からも認められてSランクにもなれた。厄災を所有していても「指男はやばい」という空気感があるからグレーゾーンを泳げている。


 後に引くことなどもうできない。


「大丈夫ですよ。たまに弱気になるだけですから」

「きゅっ(訳:大丈夫っきゅ、英雄殿。大英雄でも弱気になることはあるっきゅ。我らが支えるから胸を張るっきゅ)」

「ちーちー(訳;どーんと来るちー)」


 あんまり頼りにならねえ。

 どっちも不安因子なんだよ。

 こんな時いつでもどこでも修羅道さんがいてくれれば、どれほど心強いか。

 

「まあ気に病んでいても仕方ないですね。そうだ。この部屋の立派さ、たぶんSランク探索者限定のスウィートルームに違いないですよ」

「きゅっきゅっ!(訳:真の英雄にだけ許された部屋ということっきゅね! テンションアガるっきゅ!)」


 だれかに自慢しに行こうとギルメンの誰かの部屋を訪ねる事にした。

 通路にでるとアラブの石油王みたいな人とすれ違う。

 背後に護衛を連れていて、いかにも権力者って感じだ。


「ギリシャの著名な探索者アブラヒム」


 言いながら流れる銀髪を手で払うハッピーさん。

 石油王のあとを追従するようにやってきていたらしい。


「この船団には全本部からいろんな探索者が出向して来てるみたいだよ。それにしても本当に無視されてたね」

「指男ですから」


 ミーム装甲を突破できないと俺は空気と同じだ。

 

「ただ肩にぶつけるくらいならギリ認知されないですよ。俺から話しかければ別ですけど」

「まあ、指男をわかれる人間が少ないのは良いことだけどね」

「どういう意味です?」

「ふふ、こっちの話。それよりちょっと私の部屋来てよ」


 ハッピーさんに連行される。

 彼女の部屋は俺の部屋とほとんど変わらず豪華絢爛なものであった。

 Aランク以上は一緒なのか。まあSランクってめちゃ少ないし当然か。

 自慢しなくてよかったと胸をなでおろす。


「じゃーん、見て、これさっき空港で国会議員たちが物色してたんだ」

「それお酒じゃないですか。はい、没収」

「ちょっと! 私が買ったんだけど!」

「ハッピーさんだめですよ、お酒なんか飲んじゃ」

「大丈夫だよ、もう大人だし」

「17歳は大人じゃないって民主主義が選択したんです」

「じゃあ、民主主義で決める?」

「いいですよ。ほらシマエナガさんもこう言ってます」

「ちーちー!(訳:未成年の飲酒はよくないちー!)」

「きゅっきゅっ!(訳:古来より、門出の晩には酒で盛大に祝う物っきゅ! 今夜は飲むっきゅ~!)」

「民主主義にのっとればこれで2対2なわけだけど?」


 ええい、このハリネズミめ。部屋に置いてくるんだった。


「きゅきゅっ?(訳:英雄殿、我はなにか良くない事を言ってしまったっきゅ……?)」


 落ち込んだ様子でハリネズミさんは見上げて来る。

 卑怯な眼をするんじゃない。可愛いな。怒れないだろう。

 

「すこしだけだってば」

「ハッピーさんはお酒の恐さを知らないでしょう。知ってますか。お酒というのは飲んだ瞬間に意識を失って、目が覚めた時には時空を飛び越えることになるんですよ」

「大袈裟すぎだよ。トラップルームを割ってカクテルを作ってるとでも?」

「その認識で間違いないですね」

「はぁ」


 舐めている。

 完全にお酒を舐めている。


「赤木がお酒に弱いだけなんじゃないの?」


 いたずらな表情で半眼で見て来るハッピー。

 

「そんなわかりやすい挑発に乗るとでも?」

「ちーちー(訳:英雄はそんな簡単な男じゃないちー)」

「きゅっきゅっ(訳:英雄殿は売られた勝負はうけるっきゅ!)」

「上等ですよ、ハッピーさん、どっちはお酒に強いか勝負しましょうか」

「ち、ちー?(訳:文脈的に挑発に乗らない流れだと思ったちー……?)」


 ハッピーさんは俺のことを馬鹿にしているに違いない。

 不思議だ。ハッピーさんを見ていると後悔させたい欲が湧いて来る。

 なあに所詮は高校生、こっちは大学を卒業した社会人だ。

 これまでの人生で経験したアルコールの絶対量が違う。

 負けるわけがない。













 

 ──トリガーハッピーの視点


 扉を空けてバルコニーへと足を踏み出すと、肌寒い夜風が前髪を撫でた。

 静かな風だ。アンデスより吹き下ろされる冷たい、沈黙を宿した夜風だ。


 顔をあげれば満点の星空が広がっている。

 ウシュアイアは南極から1,000kmしか離れていない土地だ。

 都会の喧騒は遥か彼方へ押しやられ、ここには大いなる自然の力が満ちている。


 故郷を思えばどうということもない寒さだ。

 ふりかえればベッドのうえで彼が横になっている。

 傍でハリネズミが眠れる主を守るナイトのごとく警戒をしているのが、どこか可笑しな光景だ。


「ちーちーちー(訳:やれやれ英雄には困ったものちー。戦う以外はポンコツスペックなんだから無理しないでほしいちー)」


 シマエナガはテラス席のうえでペタン座りして澄ました顔をしていた。

 なにを言っているか正確にはわからないが、まあ雰囲気で主張は伝わる。

 赤木のペットたちには確かな知性があるのだ。


 シマエナガは肩をすくめるとふっくら大きくなる。

 成人男性ほどまで膨らむと、室内からアメニティとして用意されていたティーセットを持ってきてせっせと準備しはじめた。

 

「赤木は本当に仕方ないよね。たまに狂いだす病気もあるし、お酒には弱いし、変なナードを拾ってきちゃうし」

「ちーちー(訳:フェニックスは意外と悪い奴じゃないちー。飛行機のなかでちーにFish or Beefを譲ってくれたちー)」

「へえ、そんなことがあったんだ」

「ちーちーちー(訳:ともかく今の英雄は不安定ちー。危ういところがあるちー)」


 湯気がのぼる。

 熱い紅茶が入り、雪のような翼がすーっとティーカップを勧める。

 ありがたくいただくとしよう。

 

「シマエナガさんが赤木のことをすごく心配してるんだね」

「ちーちーちー(訳:当然ちー。それがちーの遥かなる使命ちー)」

「でも、赤木ってすごく頭がいいし、未来を見通すビジョンがあるし、大丈夫じゃないかな。支えてあげる人がいれば。そう、理解して、傍で支えてあげる人がいれば」


 私は指男の理解者だ。

 彼は過酷な人生のなかで傷ついてきた。

 ひたすらに力を追い求める理由はわからない。

 

「赤木の心は一度壊れた。治りはしたけどまったく同じ形には治らなかったんだよ」

「ちーちーちー(訳:ハッピーも大概ミームに毒されてるちー。自分だけわかってるアピールなにちー、その後方彼女面が一番腹立つちー)」

「ふふ、まあ理解者だから仕方ないよ」

「ちーちーちー(訳:そんなの理解者でもなんでもないちー)」

「どういうこと?」

「ちーちーちー(訳:ハッピーには英雄を理解してほしいちー。ハッピーはいいやつちー。ちーは鳥で前科持ちだから発言に説得力がない時が多いちー。でもハッピーなら英雄も信頼しているちー)」


 クリっとした黒い眼差しには意志が宿っていた。

 鳥だてらにこんな目をする奴を見たことがない。

 だから、話くらい聞いてあげてもよいと思った。


「ちーちーちー(訳:英雄はハッピーが思ってるほど頭がよくないちー。でも勇気と決断力のあるやつちー。だからハッピーには本当の英雄を知ったうえで支えて欲しいちー)」


 赤木の頭が良くないなんて嘘だ。

 まるで信じられない。


「ちーちーちー(訳:これはハッピーにしか出来ないお願いちー。修羅道は本当の英雄を知っているけど忙しくて普段傍にはいてくれないちー。英雄も身近な場所に理解者がいればきっと心強くあれると思うちー)」

「修羅道が本当の赤木を知ってる……なのに私は知らない?」


 衝撃を受けた。

 あのどこか狂気的な女がまさか自分よりさきにいるとは思っていなかった。

 しかし、冷静になれば心当たりはあった。

 

 修羅道には心の余裕がある。いつもだってそうだ。

 まるでその気になりさえすれば状況をどうとでも出来ると言わんばかりの。


 私にはわかる。

 女子の勘というやつだ。

 修羅道は絶対に赤木に興味がある。

 だと言うのに、厄災島の射撃場で私と赤木がふたりでいても特に感情をあらわすことはなかった。


 あれこそが余裕の証。

 余裕には理由があった。

 シマエナガさんの言う情報の優位性が理由だと考えると辻褄があう。

 彼女は内心では笑っていたのだ「ふっふっふ、ハッピーちゃんは知らないかもしれないですけど、私は本当の赤木さんを知ってますよ!」と。


 悪魔。

 まごうこと無き悪魔嬢である。


「ちーちーちー(訳:どうやら理解したようだちー。修羅道はこのままではひとりだけ真なる理解者を気取って、ごちゃごちゃしている間に遠距離戦で英雄をかっさらっていくちー。あー憐れちー、ハッピーはなんて憐れなサブヒロインちー)」

「サブヒロイン……私は可哀想な子にはならないよ」


 赤木英雄。

 思えば私は本当の意味で彼のことを深くは知らない。

 雰囲気の説得力が強すぎて納得してた。

 澄ました顔がなんでも見通しているような気がしていた。


「ちーちーちー(訳:ハッピーは信用できるからこのことを教えたちー)」

「どうして私に?」

「ちーちー(訳:初めて会った時からピンと来ていたちー。トリガーハッピー……つまり、”鳥がハッピー”ちー。ハッピーはちーにとっての勝利の女神ちー)」

 

 なにを言ってるのかよくわからないが、すごくキラキラした目で見て来る。

 たぶん私に期待しているのだと勝手に解釈しておこう。

 

 紅茶を飲みおえ、室内へ足を向ける。

 ベッドに横たわる赤木のとなりに腰かける。

 そっと手を伸ばす。

 掛けっぱなしのサングラスを外して、サイドテーブルにコトっと置いた。


「確かめさせてもらうよ、赤木」













 ──赤木英雄の視点


 目が覚めると室内が薄暗くなっていた。

 首をまわして周囲を確認する。

 おかしなことに窓の外が薄明るい。

 夜だったはずだが……もしかしてもう夜明けなのだろうか?

 眠っていたのか? 

 記憶がない。

 フェリーに乗ったくらいまでは覚えているのだが。

 

「おはよう」

「ハッピーさん?」


 少し離れたところにあるソファに彼女の姿を発見。

 毛布を膝に掛けている。

 ベッドで俺が寝ていたから、ソファを使ったのだろうか。

 思い出して来た。そうだ。寝る前、ハッピーさんの部屋に行ったんだ。


「おかしな質問をしていい?」

「ふぅん、答えられるかはわかりませんが、いいですよ」

「埼玉県の県庁所在地は?」


 え? 

 嘘だろ?

 いきなりクソ難問来たんだが?


「ふ、ふぅん……」

「答えてよ」

「……さいたま市」


 当たれ。当たれ。


「流石にわかるよね」


 ホっ……合ってたのか。

 いきなり知識チェックとかやめてくれよ。

 それ指男の威厳を破壊するのに一番効果的なやつだから。


「茨城県の県庁所在地は」

「ふぅん………………茨城市」

「……。それじゃあ群馬県は?」

「…………この質問にいったい何の意味が?」

「答えて、赤木の答えが聞きたい」

「……答えたくないです」


 まじで答えたくない。

 群馬市って答えようとしてるけど、なんか違うような気がするもん。


「わかった。次は数学。三角形の内角の和は?」

「……………180くらい」

「うん、正解」


 あぶなッ。

 

「すっごいちいさい声だったけど」

「うっ……」

「DNAの正式名称は?」


 あっ知ってるやつ。

 甘く見たな、ハッピーさん。


「デオキシス核酸」

「……。次の質問。日本の通貨単位は円。アメリカはドル。ではロシアは?」

「ふぅん……ノーコメント」

「答えて」

「答えたくないです」

「7×7は?」

「しちしち、49」

「……。9×8は?」

「くは……72」

「11×11は?」

「……………ノーコメントで」


 本当になんなんだよこのこれ。


 ──10分後


 学校の科目のようにさまざまなジャンルの問題を出された。

 出題されつづけるうちに俺はハッピーさんが何をしたいのかを察しはじめていた。

 最初はまるで意図が不明だったが、もうわかる。


「十分ですよ、ハッピーさん」


 彼女の出題する問題はおそらく難しいものではない。

 なんとなくそれはわかるんだ。

 

「白状させたいんでしょう、実はそこら辺にいる平凡な脳みそのやつだって」


 俺は究極的な馬鹿ではないと自負している。

 学校のお勉強はできないが、地頭はいいとも。

 だが、それさえもたぶん典型的な頭悪いやつの思考なんだろう。


 最悪だよ。

 ここに来て馬鹿がバレるなんて。

 もうおしまいだ。


「なんだかやっと赤木のことひとつわかった気がする」


 ハッピーさんは俺の隣にそっと腰を下ろしてくる。

 

「失望しましたか」

「どうして?」

「だってハッピーさんが期待した俺は幻だったんですよ」

「そうだね。ただの幻だった」


 すべては偽り。

 俺がそれに便乗した。

 フェニックスと同じだ。

 中身の無さがバレてしまえば実にしょうもない野郎だ。

 白く細い、華奢な手のひらが俺の手を掴んだ。


「でも、あの暗黒の淵で私を助けてくれたのは間違いなくこの手だよ」

「……っ」

「こっち来て。朝日でも見ようよ。お酒でも飲んで優雅にね」


 言って薄く笑み、彼女は瓶を片手にバルコニーへ。

 眠りこけるハリネズミさんをポケットに詰めてたちあがる。

 

「お酒はだめですよ、ハッピーさん」

「別にいいじゃん。すこしくらい」


 言って瓶を持ちあげる。

 ん? ジンジャーエール?


「私さ、すこし恰好つけようとしてたんだ。赤木には大人に見て欲しくてさ」


 ジンジャーエールの瓶を一本渡してくる。

 俺は受け取り、指で蓋を弾いて開けた。


「でも、もう必要ない……よね?」

「同盟です、ハッピーさん」

「? 同盟?」

「我らは素直同盟。素直同盟では気取ってはいけません」

「ふふ、いいよ、入ってあげる。気取ったらどうなるの?」

「ぎぃさんに寄生虫を植え付けられます」

「うわあ最悪」


 笑い声の響くなか、よく冷やされた瓶をコツンっとぶつけ合う。

 バルコニーより南極海へ視線を向ければ、夜明けの日が水平線からゆっくりと顔を出し、燦々たる輝きでつめたい海の輪郭を描きだしていた。

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