指男の噂 7
黒塗りの高級車センチュリーが雅な茶屋のまえに止まっていた。
隣には最新の垂直離着陸戦闘機D-35Bが駐車してある。なお道交法違反である。
「これはこれは、まさか伝説のエージェントGに二度も会えるとは」
「……トランプ」
「hahaha、名前を憶えていてくれたようでなによりさ」
艶やかな黒髪をしたキリっとした美少女と恰幅の良いピザデブが茶屋の奥、こじんまりとした一室でむかいあう。
ともすればパパ活の現場でしかないが、もちろんそういうわけではない。
少女はダンジョン財団がかつて極秘プロジェクト『六道計画』にて生み出された最強無敵ちょうつよつよスーパーハイパーみらくるスーパーエージェントであり、ただのピザデブに見える彼はアメリカ長者番付常連の大富豪であるのだ。
「流石はエージェントG。耳が早い。米国へ帰る前に呼び出されたからなにごとかと思ったが、もう情報をつかんでいるとは」
エージェントGはポケットから白いハンカチをとりだした。
それをトランプマンへと渡す。
(借りてたハンカチ。返す)
そう言おうと思い、彼女はハンカチを差し出す。
「ハンカチ」
コミュニケーション教室に通った結果、以前より彼女は喋れるようになった。
これも長女たる修羅道が根気強く彼女によりそった成果だ。
トランプマンはハンカチを受け取り、フっと遠い目をする。
彼はそのハンカチの意味を理解したのだ。
(なるほど、私は白旗をあげた敗北者といいたいわけか)
やや曲解しながら、トランプマンは「たしかに」と前置きして話し始めた。
「私はつい先ほど、底知れぬ絶望の淵を知ったよ。フィンガーマン。やつは本物だ。本当にcrazyであり、kingであり、monsterなのだよ」
「……詳しく聞きたい」
エージェントGはメモ帳アプリ片手に顎をクィっとやり先をうながす。
彼女としてはなぜか日本にトランプマンが来ているらしいと報告を受けたので、以前取材した時に借りたハンカチを返したかっただけなのだが、トランプマンが勘違いしたせいでなぜかまた取材をすることになっていた。
とはいえ、エージェントGとしては指男の情報はいくらあっても足りないため、望むところではあるのだが。
トランプマンは語りだす。
つい2時間前、厄災島で経験したおそるべき体験の数々を。
「フィンガーマンは私たちを悪魔の大樹のもとへ案内してくれたよ。その木は天を突き破り、かのユグドラシルの樹ように世界を貫く神聖さと、人知の及ばない超越的なものを感じさせた。それはまるでアメリカ人がピザから生まれピザを食べて育ち、ピザでできた棺桶で墓に埋められる神秘性とどこか性質を同じくするところがある」
「指男はユグドラシルを家庭菜園してる……(メモメモ)」
「私はなんとか平静を保つだけで精一杯だった。淡々と木の大きさ、幹の太さ、木陰で眠ると心地よいなどの情報を羅列していく少女のかたわらで、私はどうにか取り乱さないようにしていた。あれほどに神聖かつ超越的な世界樹が、神話のなかではなく、現実に存在していることは、私の最初の驚愕だったのだよ」
そこで個室へ愛想の良い店員が入って来て、茶と菓子を配膳してくれた。
トランプマンは印象のよい笑顔でぺこりとし、エージェントGも黙したままぺこり、店員がさって、再び恐るべき指男レポートは再開された。
「私は樹を見てあまりの恐ろしさに気絶してしまったキャサリンを帰し、ひきつづき指男に地獄のような庭を案内してもらうことにした。そこで見る者すべてが、ああ、いま思い出しても背筋の凍るような思いだ。私はいまここでこうして温かい茶を飲めていることを幸福に思ってならない。どれだけの金を手に入れようと、人間は人間なのだとわからされた。これは私が信心深いだけが理由ではないと思う」
「いったい何を……」
「噂では聞いていたのさ、指男は『
トランプマンの背後の稲光が走った。
エージェントGはそれでもごく冷静だった。
黙々とメモを取るためスマホの画面をフリップしている。
それを見てトランプマンは「ふっ、ダンジョン財団の最高エージェント、流石だ。君はいつもこれほどの驚異の最前線にいるのだね」と大きな賞賛と尊敬を感じた。
「あの恐るべき島には20万の軍隊がいる。それが『
トランプマンは茶をひとくち含み先を進める。
「やつの協力者たちも恐るべき破綻者ばかりだった。先述したとおり島の事情にくわしい中国人の少女はかなりイカれていた。地下深くの実験場で『Sランク探索者からは貴重なデータがとれるから付き合って』と言って運動不足な私に3時間も戦闘行動をさせたのだ。まさしくマッドサイエンティストさ。彼女はフィンガーマンの優秀な配下のひとりであり、日夜生命の冒涜的研究に時間を費やしているらしい。
白い髪の老人は一見温厚であるが、彼は恐るべき才能をもっているのさ。あの島では奇妙な人類叡智の外側の機械によって経験値が作られているわけだが、それはすべてその老人のつくりだした作品であるという。
さらに驚愕したのはまだ若いロシア人の少女がフィンガーマンのところでスパイ活動をしていたことだ。彼女はまるで普通の女子高生のような服装で、あの恐るべき島へ出入りしているようだった。フィンガーマンは情報収取に余念がない男という意味だ。やつはスパイ活動すら並行して行っている。え? 普通に女子高生なんじゃないか? そんなわけがない。おしゃれとtiktukにしか興味のないティーンエイジャーが洋上の謎の島に通うものかね。あれは国際的スパイに違いない。
あの秘書を名乗る美人も危険な香りをしていた。おそらくは彼女もスパイだ。必要とあらば、ハニートラップで私のような女好きから情報を盗み出すのさ。ちなみに私だったらスパイだとわかったところで自分の欲望に抵抗できる自信はないね」
トランプマンの語る驚愕の事実によって、指男には数々の超人的協力者がいることが判明した。エージェントGは無表情のままその事実を記録していく。
「あの島にあるものはすべてが驚愕だった。怪物しかり、怪物を完全にコントロールするフィンガーマンしかり……黒い要塞はまるでこの世の素材ではないようで、異様な雰囲気をもっていたし、彼らの軍隊が使う武器はそのすべてがとてつもない異常性を秘めるものばかりだったように思う。なにかひとつ持ち帰っただけで、人間の世では莫大な財産を築きあげれるほどに価値のある品ばかりだった。あそこはやすやすと人間が近寄っていい場所じゃない」
トランプマンは断言する。
「私は勘違いしていた。世界的実業家であり、Sランク探索者でもある私ならばフィンガーマンを御することができると思っていたのさ。どれだけ凄かろうと、畏れられようと、所詮は人間だ。私という実力者が首輪をつけてやろう──とね。だが、もうそんなことは思ってない。口が裂けても私がフィンガーマンの飼い主だなんて言えない。やつはすべてを見抜いていたのだ。あの恐るべき島の全容を私に見せたのは──あるいは私が見せられたのは悪夢的恐怖の一端に過ぎないのかもしれないが──ただひとつのメッセージのためだったのさ。それは日本の伝統に由来するもので『侍の本懐とはナメられたら殺す』というものだったのだろう、フィンガーマンに私の心を完全に見透かし『俺に歯向かえばこの怪物の軍隊が地球を蹂躙するぞ──』と言外に警告をしてきていたのさ。私は完全にフィンガーマンに怖気づいてしまった。やつのすべてを見透かす崇高なる眼差し。なるほど、最初会った時は思ったより普通のやつだと思ったが、その実、その頭脳は神の領域にあるというわけだ。無敵の力を個として保有し、軍としても保有し、なお油断ない。もう一度、言おう。やつは本当にcrazyで、kingで、そしてmonsterなのさ」
トランプマンは一拍置いて、ふーっと息を吐く。
それまで呼吸を忘れて、ひたすらに喋り続けたせいで熱くなっていた。
「私は”もっとも恐ろしいもの”をあの島の地下で目撃したが、それについてはもはや語る勇気もない。エージェントG。気をつけることだよ。決してフィンガーマンを侮ってはいけない。彼はすべてを見抜いている。宇宙のように広く深い知略から逃れることは徒歩で月へ向かうのに等しい。ゆめゆめ忘れないでほしい。できれば近づくべきではない。最も君ならば私程度に忠告されるまでもないだろうけどね」
取材が終わり、トランプマンとエージェントGは茶屋を出た。
「ありがとうございました~!」
店員に見送られ、ふたりは店前に駐車していた戦闘機と黒塗りの高級車にそれぞれのりこむ。
ふと、ビーっと窓が開いてエージェントGがサングラスを外した。
トランプマンはコックピットから目を丸くして見下ろす。
「どうしたんだのだね」
「忠告ありがとう。でも、私は逃げるつもりはない」
「エージェントG……」
「指男に会うつもり。彼を知らなくては」
「……そうか、わかったよ。Good luck、エージェントG。君の使命が完遂されることを祈ろう」
ふたりは別々の方向へ急発進していった。
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