薬剤師アビゲイル・ルクツォネ



 京都の神社仏閣は大変に歴史的価値のあるものだ。 

 文化的遺産であり、雄大な痕跡を感じさせる建物には、人類という巨大な種族全体への帰属意識を現代に生きる者たちに思い出させる作用がある。


 壮大なことを思いながら姫華ひめかは名高い北野天満宮へ観光をしに足を運んでいた。京都に到着してから2日ほど経ち、あちこち回ったあとで、ふと、思いたちついぞやってきたのには理由がある。


「菅原道真、学問の神様と言うのですね」


 姫華はアタッシュケースを片手に、すこしずつ戻って来た観光客でにぎわう荘厳なる境内を散歩する。闇をまとったような黒いドレスを着ているので、彼女の姿はどこか浮世離れしているようで、その容姿も相まってちらほら視線を集めていた。


「学などないものですからね。私にも立派な頭があればよいのですが」


 姫華はあまり学校に行ったことがなかった。

 ゆえに学が無いことを陰ながら気にしていた。

 北野天満宮に学問の神様がいると知ったのもつい先ほどだ。


「えいえいっ。これで頭がよくなるでしょうか」


 二拍手だけして満足げな表情をする姫華。

 おいしいお昼ご飯を食べるべくスマホを片手に境内をあとにしようとする。


「あら」


 足を止めた。

 観光客でにぎわうその人混みの中、自身へ注がれる視線に気が付いたのだ。


 向こうの方から黒いトレンチコートを着た巨人が歩いて来ていた。

 蒼く変色したおかしな肌色の巨漢であった。

 顔面は熱湯でもかぶってしまったのか、のっぺりとしていて、口元は趣味の悪いことに裂けるような笑みの形に縫い合わせられて表情を固定されている。

 巨漢は40mほど先からまっすぐ姫華のもとへ向かっていた。

 観光客が異変に気付きどよめく。


「ノーフェイスの人造人間」


 姫華は脅威を認識し、そっとアタッシュケースへ手を伸ばした。

 その時だった。

 

「──危機感足りないんじゃないの、かわい子ちゃん」

「っ」


 姫華の背後、突如として気配は現れた。

 ふりかえろうとする。遅い。撃鉄音が響く。

 衝撃波が空気を震わせ、華奢な身体を弾き飛ばす。

 地面に転がった姫華。走り込んでくる人造人間。

 丸太のように太い脚が彼女の細胴を勢いよく蹴りあげた。

 

 弾き飛ばされ打ち上げられる。

 北野天満宮本殿の屋根のうえを削りながらザザザーッと転がった。


 背後からの襲撃者は女であった。

 日本人離れした白い肌色に、輝くブロンドヘアー。

 顔右半分は焼けただれている。不気味でおそろしい顔であった。

 左側だけなら整った顔つきをしているため火傷は後天的なものなのだろう。


「大したことないんだねえ、財団のスキル狩りも」


 女は涼しい顔で片手に持つ散弾銃スパス12に12ケージ散弾をリロードする。

 本殿の屋根を見上げる。


 屋根の上、姫華はひょこっと立ちあがった。

 造花の髪飾りを気にして、ぱっぱっと汚れを払っている。

 アタッシュケースには傷がついて、ジューっと微妙に蒸気をあげていた。


「(あの女、散弾をバッグで塞いだ? 人造人間の蹴りも?)」

「あぁ……あなたリストに顔があった女の子。可愛い」


 姫華は思いだす。

 脱獄死刑囚アビゲイル・ルクツォネ。通称:薬剤師。

 たくさんの女性を顔を焼いて殺したスーパー・シリアルキラー。


「はっ、そうこねえとつまらないねえ」


 アビゲイルが腕を横薙ぎに振るう。

 彼女の背中から深緑の触腕が生えて来た。

 皮膚を破り、合計4本生えて来た触腕はタコのように長く太い。


「聞いてた能力とちょっと違うのね」

「あっはっは、私がてめえらの持ってる情報のまんまだとでも? 笑わせんるんじゃなよ、かわい子ちゃん!」


 ムカデのごとく無数の節足が生えた触手がぐわんっと伸びた。

 「すごい。伸びるのね」つぶやく姫華を思い切り叩き潰そうとする。

 姫華をひょいっとスキップするようにかわす。

 本殿にタコ足が叩きつけられ、べゴンッと大きくへこんだ。


「あぁ、菅原さん……かわいそう」


 姫華は菅原道真を憂いて、涙をほろりとこぼした。

 ジュー……本殿の屋根が焼けている。否、急速に腐敗している。


「これが腐敗……」

「あはは、あたしの体液は濡れれば最後、骨まで一瞬で溶かしちまう猛毒さ。あたしはさ、お前みたいな可愛い顔したメスが死ぬほど嫌いなんだ。ほら顔面醜く溶かしてやるから降りてこいよ!」


 アビゲイルは間髪入れず、巨大な触腕で姫華を潰そうとする。

 その射程は30mはくだらない。

 触腕の細胞からは絶えず腐食性の毒が漏れ出ている。

 姫華は助走をつけて本殿からジャンプし、一直線にアビゲイルのもとへ。

 だが、はたき落とされ、逆に本殿へ突っ込まされてしまう。

  

 アビゲイルのほうから追撃に本殿へ入って来た。

 上下左右から触腕で打ち分け、12ケージ散弾を至近距離で連射する。魔法弾を放つ銃弾には探索者を屠るだけの十分な威力がある。

 姫華はどれかひとつでも無視するわけにはいかず、アタッシュケースで触腕を受け止め、散弾をガードしなんとか凌ぐ。

 が、そこへ人造人間が走り込んできた。

 姫華の胴体ほどもある剛腕の拳がふりぬかれた。

 思わずアタッシュケースでガードしてしまい、崩れた壁の亀裂から本殿の外へはじかれてしまう。大事な武装が納められたケースなのに。


「ここだ、死にな!」


 強力に振られる触手。

 姫華はそれをガードする手段を失ったばかり。


「ちょっとこれ借りるね」

「……え?」


 触腕が空を切った。

 何の手ごたえもない。

 代わりに薙ぎ払ったはずの場所には、ショットガンを構えた姫華がいた。

 そのショットガンはダンジョン・スパス12。アビゲイルの銃である。

 アビゲイルが手元を見下ろし、いつの間にか銃を奪われていたことに気づいた瞬間、魔法散弾による12発の鉛玉がアビゲイルに激痛と衝撃波を伝えた。


「うぐィッ!?」


(馬鹿な……っ! いつ奪われた……!? スキル? 何の能力だ!)


「小賢しい! ぶっ殺してやるよ!」

「あぁ……すごく可愛い」


 姫華の表情から一切の色が失われた。


「……ッィ!」


 瞳が黒より暗いべンタブラックに侵され、その焦点がどこを見ているのか定かではない。

 姫華はごく至近距離で4本の触腕を身軽にかわし、ショットガンの銃口をアビゲイルのこめかみに突きつけると引き金をひいた。

 強烈な痛みがアビゲイルを襲った。

 血がはじけ飛んだ。頭蓋が砕けた。激痛に悲鳴をあげた。


(まずいッ、こいつ、ありえないくらい速え!)


 本殿内では不利と判断したアビゲイルは息を大きくすい、口から腐食性の毒液を吐き出した。

 姫華はスッと避ける。

 その隙に本殿の柱を触腕で叩き折り、北野天満宮を倒壊させ、その隙に外へと踊り逃げた。


 人造人間は崩壊する本殿のなかで、姫華を抑えようとするが、姫華はひょいっと身軽に抜けて、そのままアビゲイルを追いかける。

 

「来るなッ!」


 アビゲイルは叫び触腕をふりおろす。

 姫華がスイっとかわす。触腕が境内の地面を強くたたいた。

 姫華の足元にべチっと叩きつけられた触腕。ショットガンの熱い銃口が押し付けられ、ズドンズドンズドンズドンッッ! っと容赦なく発砲された。

 ゼロ距離で撃たれまくり、触腕の1本が千切れ、その場に血だまりができあがった。


 姫華がもう1回撃とうとすると、カチっと空虚な引き金の音だけが響いた。


「あら、弾切れ。この子はもうおしまいね、残念」

「舐めやがってッ! このクソ女っ!」


 反撃のチャンスとばかりにアビゲイルはポケットからシリンジを取りだす。

 中身は深緑色をしたおよそ腐食液である。アビゲイルの体内で生み出される毒のなかでも最も濃いものを凝縮したそれは、アビゲイル自身でさえ焼く。だがそれだけの威力がある。

 アビゲイルはシリンジを握りつぶし、手のひらを溶かされながらも、強腐食液がついたガラスの破片を投げようとした。

 その時、腕がにゅるっと落ちる。アビゲイルの利き腕は切断されたのだ。

 ガラス破片を投げつけた空間にすでに姫華の姿はない。

 気がつけばアビゲイルののど元に白刃を突きつけていた。


「ッ!?」

「ねえ、お金ももらえて殺しもできるって凄いことね」


 アビゲイルはもがくように触腕をふりまわす。

 姫華はそっと離れて触腕をかわす。

 手には刃渡り20cmほどのコンバットナイフが握られていた。

 

「殺すとね、普通はすごく怒られるのにね。でも、正しい殺しをすればたくさんお金がもらえるの。不思議。でもわかる」


 姫華はコンバットナイフをぽいっと捨てた。

 代わりに足元に横たわるアタッシュケースを手に取った。

 アビゲイルはハッとするが、自分から近づく勇気がなかった。


 姫華はアタッシュケースを開く。

 出て来たのは鉄の塊であった。

 それは『獣骨砕き』と呼ばれる大鉈だ。姫華が愛用する武器である。

 のこぎりのようなギザギザした鈍く分厚い刃をもつ凶悪無比の暴力性。大鉈に分類される道具ではあるが名前の通りたたきつけてすり潰すのが正しい使い方だ。


「だって、あなたみたいな人なら、みんな死んでほしい思っているものね」

 

 その時、本殿につぶされた人造人間が瓦礫をおしのけて走り込んできた。

 背後から襲い掛かる剛腕。

 姫華は踊るようにくるっとふりかえり、獣骨砕きで人造人間をぶん殴った。

 瞬間、ありえない光景がアビゲイルの視界に飛び込んできた。

 浮いたのだ。人造人間が。

 細くて薄い姫華の何倍もある分厚い巨漢が、地上20mほどまでふわっと打ち上げられ、境内の向こう側へ落ちていく。


「ば、ばかな……なんて、怪力……っ」

「驚いてる。すごく可愛い」


「この、この、このォォォオオオオッ!!」


 アビゲイルは叫び、触腕をめいいっぱいに振りあげ、大きく大きく息を吸いこんだ。周囲一帯ごと腐食液を粉末状にして散布して腐らせようと言うのだ。

 

(まとめて腐れ!)


 深緑の濃霧がブワッと広がる。触れた箇所から苔むしるように緑に染まり、やがてあらゆる形状が失われ、崩れはじめる。


 獣骨砕きの芯をつなぐ高密度合金製ワイヤーが緩む。

 鈍く分厚い刃の大鉈のその真の正体は、実は24対の重さ7kgの鉄塊をつなぎ合わせた集合体であり、言うなれば武骨なる蛇腹大鉈なのである。


「可愛い。必死に生きようとしてる。動物みたい。──それじゃあ殺すね」


 姫華は蛇腹大鉈をふりあげると、素早くとてつもない腕力で振り下ろした。

 暴風をまとって大地に叩きつけられ、嵐が毒霧を一気に霧散さえ無害化させた。

 境内に長さ40mにも及ぶ一直線の破壊痕を描いた一撃は、腐敗のシリアルキラーを真っ二つに叩き断ってしまった。


 ぐちゃっと肉だまりができた。

 姫華は武装をアタッシュケースにしまおうとする。

 

「あら」


 ブクブクブク。

 アビゲイルの遺体が血の泡を吹いている。

 不気味な光景を姫華はぼーっと見つめ──次の瞬間突き刺すような衝撃に弾き飛ばされていた。


「っ」


 くるくると空中で姿勢を制御して、境内の砂利を踏みしめて着地。

 彼女の持つ獣骨砕きの中腹あたりがジューっと焦げ付いている。

 息絶えた遺体がくりだした細い繊維のような一刺しをガードしたのだ。


 同時に悟っていた。

 今の一撃が先ほどとはくらべものにならない強打であったことを。


「この威力……」


 姫華の表情がスッと暗くなった。

 ブクブクと泡立つ遺体は名状しがたいグロテスクさで、新しい醜悪の怪物へ生まれ変わっていく。

 どこにこれほどの有機的なパーツを収納していたのか、アビゲイルの身体はもはや人間からはかけ離れていた。

 

 だるまのように丸い肉塊から10本のおおきい血みどろの腐敗した生足が肉塊を支えている。肉塊下部には裸体の生足が無数に吊り下げられ、賢者のひげのように伸びており、上部からは細く鋭い、ミミズのような触腕がぴちゃぴちゃと絶えず蠢く。


「Dレベルにしておおよそ45前後といってところ。タケノコの手土産ということかしら……人造人間なんてもうとっくに型落ちしたモンスター兵器だったと……」


 恐るべき戦闘能力を持つモンスター兵器の開発に成功した『顔のない男』は、コレをどれほどの生産体制で用意できるのだろう。

 そのことを思うと姫華をして戦慄した。


 姫華はタフな戦いになることを覚悟し、一歩を踏み込もうとする。

 その時だった、人の気配が呑気に近づいてきたのは。


「へえ、ここが北野天満宮か」

「ちーちーちー(訳:ここには学問の神様がいるちー。京都を発つまえに英雄のぽんこつも直してもらうといいちー)」


 姫華はチラと視線をやる。

 見学者だろうか。純朴な青年がやってくる。


(まずい……! このバケモノに気づいてない!)


「こっちに来ちゃダメ!」

「え?」


 冒涜的怪物がザっと動いた。

 姫華はハっとする。怪物は青年へまっさきに襲い掛かったのだ。


 姫華は深く腰を落とし一足飛びで進路へ妨害を入れようとする。が間に合わない。

 あわや犠牲者を出してしまうか。姫華が青年へ心の中で詫びた時だった。


 ──パチン


 軽やかな音がなった。

 途端、黄金の爆発が視界いっぱいに溢れだした。

 光と熱の狂騒に冒涜的怪物はこなごなに破壊され焼き尽くされる。

 境内を盛大に燃やし尽くし、あとに残ったのは消し炭だけであった。

 全壊した北野天満宮本殿も巨大なクレーターに飲み込まれ跡形もなくなった。


「なんかキモいのいたな。流石は京都、妖怪もでるというわけか」


 言って青年は爆風ですこしズレたサングラスの位置をなおす。

 姫華へ視線を向けてきた。


「大丈夫でしたか? 妖怪には気を付けてくださいね。ここは京都。21世紀の世でも日夜、陰陽師が戦っていると言われる古い地ですので」

「……あっ、はい……」

「ではごきげんよう」


 言って青年は行ってしまった。


「いまの指パッチンってもしかして……」


 姫華はどこかふわふわした気持ちで遠ざかる青年の背を見送るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る